第1話 怨霊に憑りつかれた

文字数 4,714文字

 深夜の東京は眠らない。
 街の灯りはいつまでも煌々と輝き、夜専門で働く人の数も多い。
 家の中でも、SNSやオンラインゲームに興じる人たちが、思い思いのキャラクターに我が身を移し替え、仮想現実を楽しんでいる。
 佐伯慎哉もそうした眠らぬ人々の一人だ。

 慎哉は東京荻窪の八畳ワンルームのマンションで、一人暮らしをしている。
 今年めでたく東京の私立大学で三本の指に入る東京明峰大学法学部に合格し、名古屋から上京してきたばかりだ。
 名古屋の小規模ゼネコンの社長している慎哉の父は、難関大学突破を大いに喜んで、わざわざ単身者用マンションを購入して、慎哉の住居として与えてくれた。
 本代に困らぬようにと、十分な仕送りに加えて、父親名義のクレジットカードのファミリーカードまで渡され、初めての東京ライフは何の不安もなく始まった。

 ところが新生活を始めて三カ月目、今の慎哉は半ニートと化していた。
 ここまで応援してくれた両親にさすがに申し訳ないと思い、大学の授業だけはサボらず受けているが、それ以外は部屋から一歩も出ずに引き籠っている。
 食事も母親が月に二回送って来る支援物資を主食とし、大学からの帰り道に近所のコンビニで飲み物やスィーツ類を調達することで間に合わした。

 部屋の掃除はロボット掃除機ルンルンに任せきりだが、生来の汚物アレルギーが幸いして、ごみ捨てだけはコマ目に行うので、ごみの詰まったコンビニ袋に囲まれるごみ屋敷化だけは、どうにか免れていた。

 そんな慎哉が生きてることを実感するのがゲームタイムだ。ゲームと言っても極度の人間不信に陥っているため、SNS系やオンラインアクション系はネットの先の人を意識して入り込めない。
 もっぱら慎哉が熱中しているのが、CPU相手のシュミレーションゲームだ。特に戦国ものはお気に入りで、既に八度の全国制覇を成し遂げている。
 やりこむうちに現状の仕様に物足りなくなって、メモリエディタでゲームを解析し、データファイルやメモリーに読み込まれたパラメーターを書き換えながら、マニアックなゲームワールドに傾倒していった。

 今夜も改造した戦国ゲームを楽しんでいる。
 お気に入りの戦国武将は何といっても織田信長。
 であるか――凡人には理解されない孤高の天才が、今夜もクールに天下取りを目指す。

 是非もなし――本能寺の変イベントが突然発動した。このゲームのイベント発動パラメーターは乱数で変動するため、改造した慎哉自身にも予測不可能な面がある。
 やっちまったなと、ここ数日間心血を注いだ天下取りの軌跡を思い出しながら、信長との別れを惜しむ。
 まだリプレイ可能かと、時計を見ると時刻は既に二時を回っていた。

 さあ、今日は寝るかと思いながら、信長の最期を見届ける。
 余韻に浸りながらエンドロール画面を待っていると、いきなりモニターがブルースクリーンに変わり、OSがクラッシュした。
 やれやれ、少しパラメーターをいじりすぎたかと反省して、寝るためにパソコンを強制終了させる。データファイルはともかく、メモリーエディタで直接パラメーターを書き換えると、こうした事故がしばしば発生する。
 特に気にすることもなく慎哉はベッドに潜り込んだ。
 明日は一限に語学があるから早く寝なくては。

 今回の設定は非常にいい感じで決まったため、ついついのめり込んでここ数日睡眠不足になっていた。おかげでベッドに入って数分で眠りにつく。

 夢を見ることもなく熟睡している慎哉の頬を、誰かがひっぱたいた。
 痛みで目が覚めた慎哉は、徐々にクリアになる視界の中で、ゲームの中の信長と同じ顔を目にした。
「ヒィー」
 誰もいないはずの部屋の中に、見知らぬ男の存在を認識し、パニックのあまり悲鳴を上げてしまった。
(黙れ)
 鋭い声で叱責されて、次の言葉を飲み込んだ。
 男は黙って部屋の中を見回し、それから慎哉の顔を凝視した。

(お前は誰だ?)
 その男は慎哉に向かって、やや甲高い声で質問した。
 男の逆らえない雰囲気に押され、答えようとするのだが、なかなか声にならない。
 口をパクパクするだけの慎哉に対し、そういう態度に慣れているのか、男はニヤリと笑って再び指示した。
(落ち着け。手討ちにはせぬ)
 男の思いのほか優しい声音に、少しだけ落ち着きを取り戻した慎哉は、大きく息を吸って吐き出した。
「僕の、名前は、佐伯、俊哉、です。東京、明峰大、の、法学部、の、一年生、です」
 慎哉はつっかえながら、ようやく自己紹介を終えた。
 男の名前が訊きたいのだが、怒られるのが怖くて勇気が出なかった。

(フーム)
 男は唸ったきりで、それ以上訊いてこない。
 再び、部屋の中を見回し始めた。
 今度は先ほどよりやや入念だ。
(違うようだな)
「ハ?」
 男の言葉は短すぎて、何が違うのかよく分からない。
 多少この状況に慣れて来たので、恐る恐る訊いてみた。

「あの、あなたはどなたですか?」
 何か考えていた男は、慎哉の方に向きなおって、徐に口を開いた。
(余は本能寺で無念の最期を遂げた織田信長の怨霊だ)
 怨霊!
 慎哉は危うく気絶しそうになるのを、必死で踏みとどまった。
 なぜ、僕の前に怨霊が現れる?
 なぜ、織田信長が今になって現れる?
 なぜ京都じゃなく、東京に現れる?
 僕はこれからどうなる?
 疑問符が大量に頭に浮かぶ。

(どうもよく分からん。気が進まぬがお主に憑依しよう)
「ヒッ! ひ、ひょういー」
 慎哉の叫びとほぼ同時に、信長の身体がかぶさって来て、その姿が視界から消えた。
「ウッ、ギャアー」
(僕の記憶が、生まれてから今日までの僕の記憶が、全て引き出されるー)
 例えれば、ファイルコピーされるかのように、慎哉の大脳に眠る全ての記憶が、もう忘れたと思っていた記憶迄、根こそぎ引っ張り出されて、信長にインプットされていく。
(今度は信長の記憶が入りこんで来るー)
 慎哉の記憶のインプットが終わると、信長の生まれてから本能寺で死すまでの記憶が、同じように慎哉の大脳にインプットされていった。
 その記憶のあまりの凄絶な内容に、慎哉は耐えることができなくなり、ついに気絶してしまった。



 目が覚めると、パソコンの前に座って何かを調べている自分の身体が見えた。
(どうして? 鏡を見ているように自分の身体が見える!)
 それは鏡とも違う、自分の身体を真上から見下ろした光景だった。
(ウワー、どうなってるんだ!)
(あれは僕の身体で、でも僕は僕を外から見て)
(分からない、助けてくれー)
(ええい、うるさい。いくら魂の叫びでも、こう喚かれては気が散ってしまう)
 突然、先ほどの信長の声が届いた――なぜ身体の外にいるのに聞こえる?

(今、説明してやるから少し黙れ)
 再び声が届いた。
 慎哉は何が起こったのか教えてもらえるならと、必死で動揺を治めた。
(うむ、上出来だ。やればできるではないか。意外と拾い物だったかもしれぬな)
 相変わらず何が何だか分からないが、どうやら褒めてもらえたようだ――慎哉は動揺を抑えたまま、静かに信長の説明を待った。

(わしは織田信長の怨霊だと言ったな)
(はい)
(怨霊とは、生前酷い仕打ちを受け深い恨みを持った人間の魂が、恨みやうっぷんを晴らすために、死霊となって現世に現れるものだ)
(ヒエー、人間に災いを成すのですか?)
(そういう怨霊もいるが、わしはそんなつまらぬことはどうでもいい。それよりも人のことが知りたい。わしは良くしてやった家臣や義理の弟から裏切られ続けてきた。最後には信じていた光秀にまで裏切られて命を落とした。なぜ光秀が裏切ったかなどどうでもいいが、なぜ人は裏切るのか、人の本質を見極めたいと思っておる)
 意外だった。まるで人間を深く描く大作家や、哲学者のような悩みだ。怨霊に成ってまで探求しようとする執念には少しだけ退くが、とりあえず危害を加えようと思っているのではないと分かり、安心した。

(ところで、今の状態は何なんですか?)
 慎哉は現在心に抱いている最大の疑問を訊いてみた。
(単に憑依しただけだ)
(憑依?)
(なんだ覚えておらぬのか? ほらお主もやったことがあるだろう。『怨霊の館』というゲームを。全てがそのゲームに定められたレギュレーションに沿って生じている能力(ちから)だ)

 怨霊の館?
 思い出した!
 去年の夏、受験勉強の気分転換に少しだけやったゲームだ。あまりにクソゲーだったので、結局やりこむことなく止めてしまったゲームだ。

 慎哉は怨霊の館の怨霊の定義や能力について、必死で記憶を手繰ったがどうしても思い出せない。
(すっかり忘れてしまったようだな)
 信長は再びパソコンを操作して、怨霊の館のオンラインヘルプファイルを表示してくれた。
 そこに書かれた情報によると、憑依とは次のようなものだ。
 一.憑依とは生きてる人間の魂を生霊として身体から切り離し、代わりに怨霊が身体の中に入る行為。
 二.怨霊は最大八時間しか憑依した人間の身体に留まれず、再び身体に入るには八時間待たねばならない。
 三.一度憑依した怨霊や生霊は、直接物や生き物に物理的作用を及ぼすことはできないが、憑依した人間の身体を使えば可能。
 四.怨霊は一度人間に憑依すると、その人間が死なない限り、他の人間に憑依することはできない。
 五.憑依した状態において、怨霊は生前保持していた知能や運動能力を憑依した身体に行使できる。
 六.怨霊と憑依した人間の魂は、互いに心の声でコミュニケーションできる。
 七.憑依した怨霊と憑依された人間の生霊は、身体に入った状態で言葉を介さないと他の人間とコミュニケーションできない。
 八.怨霊と憑依された人間は、互いの経験を共有することができる。

 大まかにまとめると八つだが、これによって実際の生活にどんな影響を及ぼすのか想像もつかなかった。

(うっ、ちょっと待って。そうなると信長さんと僕は、死ぬまで一緒にいなければいけないの?)
(そうなるな。まあ、目的を果たせば怨霊ではなくなるから、そのときはお前から離れることになる)
(目的って、人の本質を見極めるって、チョー難しそうなやつでしょう。そんなの一生無理だ)
(そう、諦めるものではない。なにしろわしの知能は、普通の人間の三倍の性能をもっているからな)
(へー、信長さんってそんなに頭が良かったんだ)
(何を言っておる。お前が設定したのだろう)
(えっ)
(だから、わしはお前たちの歴史の中で生きた信長ではない。お前がさきほど油断して、本能寺の変で死なせてしまった信長だ)

 一瞬、目が点になった。もちろん生霊の状態だから目はないけど。
 そうなると、この怨霊はゲームのキャラクターの怨霊ってことか。
 それって、ゲームのキャラクターに魂があるってこと?
 慎哉は考えることをやめた。それはちょっとやそっとで分かるような問題ではないことがはっきりしてたからだ。

 思考を切り替えて、信長に設定したパラメーターについて考えた。確かエディタでチート的にゲーム上の最大値を超えて設定したはずだ。ゲーム上の最大値が百に対して、武力が百五十、知力が二五五、政治力が百だったと思う。ゲーム上のちょっと優秀な武将の知能が八五ぐらいだから、確かに三倍の性能は正しい。
 IQで言えば四百ぐらいか……

 何気にパソコンの右下隅に表示されている時刻に目が行った。既に午前五時と表示されている。思ったよりも長く気を失っていたようだ。授業開始まで後四時間しかない。
 時刻の下のカレンダー日付も目に入った――六月五日。
 慎哉は思わずぞっとした。それはゲーム上の日付で本能寺の変が起きたのと同じ日付だった。
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