第3話 再デビュー 後編

文字数 4,513文字

「慎哉、せっかくだから明日飲みにいかねぇか」
 酒――慎哉にとって禁句のワードが頭に浮かんだ。
「嫌だ、僕たちはまだ未成年だ。もう酒なんて飲まない」
「そんな白けたこと言うなよ。高校生ならともかく、大学生なら飲酒ぐらい大目に見てもらえるって」
 あんなことがあったのに隆道は執拗だった。
 うんざりしているところに、梨都が血相を変えて隆道に抗議した。

「タカミチ、いい加減にしなさい。私だってあの日先輩に進められるままお酒に口をつけて後悔したわ。やっぱり未成年が飲酒なんてよくない。私たちは法律を学ぶ者なのよ。あの日以来、私と朱音はそういう席でもソフトドリンクしか飲んでないわ」
「ちぇ」
 梨都に咎められて、隆道はつまらなそうに舌打ちした。

(慎哉、行け!)
(えー)
 突如信長から指令が出た。
(何で行かなきゃいけないんだ。僕たちは未成年だ)
(わしに考えがある。別に言ってもあの女と同じように、ソフトドリンクとやらを飲んでればよかろう)

 信長の強い口調に僕は負けた。
 やっぱり怨霊だし、逆らうと後が怖そうだ。

「いいよ。その代わり僕は酒は飲まないけど。話だけなら行ってもいい」
 ニート生活を続けていた割には、しっかりと話せた。
 昨日から信長に憑依されたせいか、精神的に少しずつ強くなっている気がする。
 それに梨都が隆道から庇ってくれたことが、慎哉には嬉しい反面、情けなく感じたことも手伝った。

「そうか、じゃあ早速セッティングしよう。慎哉もトラウマ克服だ。みんなもつき合えよ」
 隆道が段取りよく、すぐに居酒屋に予約の電話をした。
 それも新歓コンパの会場だった店だ。



 その日帰宅してから寝不足も手伝って、慎哉は不機嫌そうに信長に抗議した。
(どうして行けと言ったのか理由を教えてください。おかげで明日は、嫌な記憶をたっぷり思い出さされる)
(それでもお主はあの女を好いているのだろう。恥を乗り越えて話ができるように成れば、お主はもう一度人と関われるようになる。それをお主たちの言葉で再デビューというのだろう)

 再デビューなんて、やらかしちまった芸能人などが使う言葉だ。まったくどこのサイトで見つけてきたのだろうか? ――しかし、不思議と慎哉の心にはスッと入った。どこかしら、再デビューしたい気持ちが残っているのかもしれない。

(でも……)
(でもではない!)
 もう反論すら許してくれなかった。
(いいか、人間まぐわうときはお互いに尿を漏らすよりも、ずっと恥ずかしい姿を見せ合うのだ。いい加減吹っ切れ。お主が人間嫌いのままでは、わしもいつまでたっても怨霊のままでいなければならん)
 そうだった。信長が怨霊として復活した原因は、人間が分からなくなったことだった。慎哉が人間嫌いのままだと、いつまでたってもそれは謎のままだ。

(それにもう一つ。お主の恥の原因にわしは少し疑問がある。お主の記憶にある身体が痺れて尿を漏らした状態、どうもただの酔いには思えぬ)
(それは初めてだったからではないですか?)
(まあ良い。もしかしたらその謎も明日分かるかもしれない)

 話しているうちに、寝不足に耐え切れなくなってきた。
 慎哉は昏倒するように眠りに落ちる。



「慎哉と交友が再会したことに乾杯!」
「乾杯!」
 隆道の音頭で乾杯し、飲み会が始まった。
 もちろん、宣言通り飲んでいるのはウーロン茶だ。
 梨都と朱音もオレンジジュースを頼んだが、隆道と研人はビールを頼んだ。
 オーダーのときに、梨都は隆道たちを睨んだが、隆道は涼しい顔でその視線を受け流す。
 研人の方は少しだけ申し訳なさそうにしたが、隆道が唇を歪めて横目で凝視すると、愛想笑いをして、ビールに口をつけた。
 梨都はあきらめたのか、隆道を放って慎哉に向き直った。

「またこうして話せることができて、本当に良かった。授業で見かけても、私たちとは話さないですぐに姿を消すし、もう話すことはないんじゃないかって心配したんだよ」
 慎哉は何も言えなかった。梨都の顔を見ると、またあの日のことを思い出してしまう。
「これから同じ道を目指す者として、一緒に頑張ろうね」
 慎哉の思いとは裏腹に、梨都は嬉しそうに一人で話している。
 隣で朱音が心配そうに二人を見ていた。
 スレンダーで先頭に立つタイプの梨都と対称的に、同じ美人でも朱音は、豊満な身体に母性的な優しさがある女性だ。
 喜びではしゃぐ梨都とは違って、慎哉の心情を思って気が気ではないのだろう。

「ねえ、慎哉君は夏休みはどうするの? もしよかったら厨子にあるうちの別荘に行かない? 海も近いし、毎年みんなで行ってるんだよ」
「えっ」
 逡巡する慎哉に信長の声が届いた。
(今からわしと入れ替われ)
(えっ、何で)
(今のお主は見ておれん)
 その言葉と共に、信長と慎哉は入れ替わった。
 
「いいね。ぜひお願いしたい。でも楽しすぎて、またおしっこ漏らしたらどうしよう」
 今度は梨都たちが意表を突かれた。
 深い傷を負ったと心配していた事件を、堂々とした態度で嫌味なくギャグにしてしまったのだ。驚かない方がどうかしている。
 それでも一番立ち直りが早いのは梨都だった。

「大丈夫だよ。人間みんなに共通した自然現象だもの。そのときは私がお掃除してあげる。でも高いわよ」
(ほう)
 信長の感心した心が、生霊となった慎哉に伝わった。
 普段はあまり高くない信長のテンションが、一段高くなったように感じた。

「いい反応だ。お濃に似ている」
「えーお濃って誰? もしかして慎哉君の地元の彼女?」
 梨都のテンションも上がった。
「まあ、そんなものだ。もう死んでるけどな」
 今度は全員のテンションが一挙に下がった。
「ごめんなさい」
 朱音が申し訳なさそうに謝る。
「気にするな。私は何も気にしてない」
 可哀そうな慎哉君を迎え入れてあげるという、少しばかりナルシズム的な気分があった梨都は、突然の慎哉の変化に戸惑って口数が少なくなった。

「どうしたみんな。私は今日誘ってもらって嬉しかったぞ。私が元気だと残念か?」
「そんなことないよ」
 朱音が慌てて否定する。
「お前はどうだ。隆道。」
「えっ」
 慎哉の気合に押され、お前呼ばわりされたのに、隆道は何も言い返せない。
 力関係が逆転した。

「先ほどから少し気に入らなそうな顔をしていたように思えてな」
 慎哉の目に信長の冷酷な光が宿った。
 人の心を射抜くような光に、平和に慣れた人にしか会ったことのない隆道が耐えられるはずがない。
「申し訳ない」
 一つ言われれば三つ返す男が、素直に謝罪した。気持ちが慎哉の視線から逃げてしまったからだ。

「よい」
 たった一言。慎哉の尊大な態度にも、隆道は反抗する気配も見せない。
 慎哉は上から四人の変化を見て驚いた。
 隆道の悪意以上に、梨都の同情に隠した優越感の方が耐えられなかった。
 惹かれている気持ちが、それを自覚することさえ妨げていた。

「ところで、別荘の話だがお父上もいらっしゃるのかな?」
 梨都は突然のフリに明らかに狼狽して、反射的に答えた。
「います」
「そうか、それは楽しみだ。もし時間が取れるなら法を志す者として、企業法務について教えを請いたいと思ってな」
 梨都の父親は都内でも有数の弁護士事務所のシニアパートナーだ。
 有名企業の顧問弁護士として辣腕を振るっている。

「慎哉君も弁護士志望なの」
「そなたは違うのか?」
「ううん。司法試験という難問はあるけど、父と同じ弁護士に成りたいと思っている」
「であるか。ともに頑張ろう」

 このとき慎哉は奇跡を見ている気がした――信長が人々を魅了する瞬間だ。
 『ともに頑張ろう』、この言葉に隠された『やればできる』という信長の確信、そして信長についていけば、自分も『やればできる』。
 人々を目標に向かって駆り立てる劇薬のような自信。
 一度触れてしまったら、麻薬のように再び求めてしまう。

「ずっと一緒に、お願いね」
 梨都は完全にそれに魅了されてしまった。
 もう逃れられない。
 それは慎哉だけでなく、その場の全員に伝わった。
 隆道の顔が歪む。

「私たちも法律家志望は同じよ。忘れないでね」
 信長が支配した雰囲気を和らげようと、朱音が梨都に冗談っぽく話しかける。
 しかし梨都は慎哉の顔を見つめたまま、上の空で答えた。
「分かってるわ」
 朱音がやれやれという顔をして、今度は積極的に慎哉に話しかけてきた。

 朱音が加わったことで、梨都が慎哉の気を引こうと、どれだけ自分が弁護士に成りたいか熱っぽく語り出す。
 三人の理想がぶつかりながら不思議なハーモニーを奏でる。
 内容だけ聞けば、三人はてんでバラバラで噛み合ってないが、根底にある成し遂げようとする情熱が同じ方向に向いているので、会話に熱が生まれる。
 生霊の慎哉は三人の会話に魅了された。

 このとき慎哉の左手が動いて、ウーロン茶の入ったグラスに向かう研人の右手を抑えた。
 全員の視線が研人の右手に集中する。
 その手には液体の入った小瓶が握られていた。
 慎哉は左手で研人の右腕を抑えたまま、右手で小瓶をもぎ取る。

「また姑息な手を使いおって」
 研人の顔が蒼白になる。
「瓶の中身は利尿剤か下剤を水に溶かした液体だろう。新歓コンパのときもこれを使ったのだな」
 詰問する慎哉の目には、信長の魔性が帯びている。
 とぼけることもできずに、研人は力なく頷いた。

「どうしてそんなことをしたの」
 梨都が軽蔑の感情を込めて研人を責めた。
「隆道の指示なのだろう」
 慎哉に見つめられて、研人は否定せずに「そうだ」と呟いた。
 慌てて反論しようとする隆道に、慎哉が視線を向けた。
 途端に隆道も言葉を無くして項垂れる。

「この男はそなたに惚れていたのだ。だからそなたに近づく男に、何度かこのいたずらをしたのだろう。失禁しないまでも、相当ひどい尿意を催して、口説こうとする戦意は失われるからな」
「そんな……」
 自分が原因だと聞いて梨都が絶句する。
「これは刑法で言えばれっきとした傷害罪だ。法律を学ぶお前がこんな罪を犯してどうするのだ。だが今回はもうよい。不問にしよう」
 隆道と研人が驚いて顔を上げる。

「今度のことは梨都、そなたにも責任がある」
「私に?」
「そうだ、そなたは自分が話すことによる周囲への影響を自覚している。当然、長い間一緒にいた隆道の気持ちも知っていたはずだ。一度くらいは告白だってされているはずだ。だがそのとき、友人関係を続けていたいと希望を残したはずだ。隆道の凶行の真の原因はそこにある」
「そんなこと言われても」
「そうだ。だから私はそなたたちを許すと言っているのだ。これは人間の業が成したことだ」
 三人は項垂れた。
 その姿を見て、生霊の慎哉は信長は間違っていると思った。

「今日はこれでお開きにしよう。梨都、別荘に行くのを楽しみにしているぞ」
 そう言って慎哉は何事もなかったように立ち上がった。
(信長さん、お金を払わないと)
 そのまま立ち去りそうな信長に、慎哉が慌てて声をかける。

「今日は俺がみんなの分、奢るよ。本当に申し訳ありませんでした」
 隆道がそう言って伝票を持って会計に向かった。
「であるか」
 そう言って、信長は出口に消えた。
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