【01】

文字数 2,296文字

「サトシ君、お久しぶり」
声に振り向くと、見覚えのある面立ちの女性が、笑顔で立っていた。

頭の中で記憶を検索する。
確か、杉浦…、マキだ。

この地方には杉浦姓が比較的多い。
僕のクラスには、自分とマキの2人だけだったが、中には杉浦姓の生徒が4、5人固まっているクラスもあった。

だからと言って、必ずしも親戚筋という訳でもなかったのだが。
そういえば同姓の自分たちは、互いに名前で呼び合っていたことを、僕は思い出した。

「マキさん、久しぶり」
何の工夫もない、鸚鵡(おうむ)返しの返事だと気づいた僕は、心中で苦笑する。

僕は今、小学校6年のクラスの同窓会に出席しているのだった。
マキと2人で差しさわりのない話をしていると、何人かが周りに集まって来た。

「サトシ、お前変わんねえな」
当時仲の良かったケンイチが、しみじみとした調子で言う。

そういうケンイチの方は、随分と恰幅がよくなっていた。
確か実家の工務店を、継いだという話を聞いたことがある。

「そうでもないよ」
僕は差しさわりのない答えを返した。

小学校の頃は親友と呼んでよい程仲の良かったケンイチだったが、中学が別になった頃から徐々に疎遠になっていたのだ。
こうして会うのも、10年前の同じ同窓会以来だった。

そこから全員で、小学校の頃の話題で盛り上がる。
誰それが何をしたとか、誰それはああだった、といった他愛のない話題ばかりだった。

そのうち僕は、ある同級生のことを思い出した。
「そう言えば6年の時に、蛇に咬まれた子がいたよね」

しかし、その場にいた全員が不審げに首を傾げる。
「そんな奴いたっけ?」
ケンイチが、その場の皆を代表して言った。

「あれ、覚えてない?
確か下校の途中に、急に草叢から飛び出して来た蛇に咬まれたって。
ちょっとした騒ぎになったじゃない」

「そんなことあったかなあ。
覚えてないなあ」
今度はマキが首を傾げながら言った。

「変だなあ。僕ははっきり憶えてるんだけどなあ。
皆忘れちゃった?」
僕が少しむきになって言うのを、1人が「まあまあ」と言って(なだ)める。

その時司会者が、ビンゴゲームの開始を宣言したので、全員の注目がそちらに集まった。
そして蛇に咬まれた少年の話は、そのまま有耶無耶になってしまった。

しかし僕は、同窓会の間中、ずっとそのことが気に掛かっていた。
――絶対間違いないはずなんだけどなあ。
――何で皆、憶えてないんだろう?

「まだ気にしてんの?」
同窓会が終わり、皆が三々五々帰途につき始めた時、僕の様子を心配したのか、ケンイチが声をかけて来た。

「サトシ、お前5年の時に転校してきたから、前の学校の時の記憶と混じってんじゃないの」
ケンイチのその言葉に、僕は戸惑いを覚える。

――あれ?僕って、転校してきたんだっけ?
そのことをケンイチに言うと、またも意外な答えが返ってくる。

「何言ってんだよ。
5年の3学期に、長野から越して来たんじゃん。
ボケる年でもないだろうに、お前大丈夫か?」

――長野?あれ?僕って長野に住んでたんだっけ?
僕は自分の記憶の曖昧さに、混乱してしまった。

「まあ、ガキの頃の話なんて、あんまり気にするなって。
それじゃあ、またな。今度こっちに来る時には、声かけてくれよ」
そう言って手を振りながら、ケンイチは去って行った。

僕も帰宅するために、駅に向かって歩き出す。
僕の自宅は、近鉄名古屋駅から急行に乗って30分程の、三重県四日市市にある。

帰りの電車の中でも、駅を降りて自宅に向かうバスの中でも、僕はずっと、蛇に咬まれた同級生のことが気になっていた。

そして自分が小学校5年生まで、長野県で暮らしていたという記憶も曖昧だ。
と言うよりも、そんな記憶が欠落していると言った方が正確かも知れない。

かと言って、自分に名古屋で育った記憶があるかと問われると、それも曖昧だった。
そのことが僕を、酷く不安にさせていた。

だが、両親は既に他界していて、兄弟もなかったので、そのことを確認する相手もいなかった。

悶々として家に帰ると、出迎えてくれた妻が、心配そうに訊く。
「あら、同窓会で何か嫌なことでもあったの?酷く暗い顔をしているけど」

余程落ち込んでいるように見えたらしい。

「いや、そんなことはないよ。久しぶりに同級生に会えて、楽しかった」
僕は慌てて否定する。

その日は、風呂に入っている最中も、布団に入ってからも、ずっと蛇に咬まれた同級生のことが気になっていた。
そのせいで中々寝付けなかったのだが、3時近くになって、漸く浅い眠りにつくことが出来た。

そして僕は夢を見た。
そこはどこかの街中だった。

見覚えがあるような気もするし、初めての場所のような気もする。
民家や低層マンションが立ち並ぶ道を歩いていると、僕の前に男の子がいた。

その子は、いつの間にか僕の前を歩いていて、すぐ近くを歩いているような気もするし、随分先を行っているような気もする。

その後姿から、小学校高学年の男の子のように見える。
いや、きっと6年生だ。
何故か僕はそう確信した。

僕はその子を追いかけようとしたが、体がゆっくりとしか動かない。
そのことが、とてももどかしかったが、必死で手足を動かして、男の子に追いかけた。

暫く行くと周囲の風景が変わって、草叢のような場所に出ていた。
その中に1人ぽつんと立っていた男の子が、こちらを振り向く。

その子には顔がなかった。
いや、顔は確かにあるのだが、僕がそれを認識できないのだ。

男の子は間違いなく、蛇に咬まれた同級生だと分かるのだが、どうしても顔が思い出せない。
何とか男の子に近づこうと、僕があがいていると、突然草叢から1匹の蛇が飛び出して、男の子の腕に咬みついた。

――危ない!
そう思った瞬間、目が覚めた。
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