第38話:東出さんが田川さんのために直木賞に応募

文字数 1,701文字

 2017年4月になり、修善寺でも新芽が芽吹く季節になった。東出芳子さんが、亡き田川さんの事で昨年は、心がつぶれそうになって固まっていたのが、彼の死を受け止められるようになった。そうすると、彼に何とか恩返しをしなければ、という漠然とした作家魂に火が付いた。しかし、若いころの様な情熱的で一気に燃え上がるような帆能ではなく、火が付いた石炭の様にじわじわと赤くなり、いつまでも消えない情念の様な炎だった。

 それからと言うもの、自宅にこもり、書き続け、気になった三井夫妻が交代で食事を差し入れたり、おにぎりを置いてきたりして、週に2回は、散歩に連れだ賞にして気遣った。小説の草稿がまとまると、以前から世話になってる出版社の担当者に送り批評や指導を仰いだ。そして4月下旬に小説の骨組みが決まり書き始めた。それは、彼女独特の書き方で、
1つのテーマについて、原稿用紙に、書きなぐった。

 全テーマを書き終えて、それらをつなげていくという方法であった。全テーマの書きなぐりの原稿が完成したのが2017年の年末だった。それを聞いた、出版社の担当者が修善寺の東出芳子さんの所にやってきた。三井夫妻も興味があったので同席させてもらった。あいさつした後、ちょっと原稿を借りますと言い、隣の部屋で2時間くらい読んた。すると良いじゃないですかと言った。

 文章表現もインパクトがあってと言い、そして別の神に草稿のページとエピソードのくっつけ方の案を数通り、書いてあった。いつ頃、形になりますかと、小声で聞くと、東出さんが、来年、夏までに、形を作り、その後、来年中に完成したいと答えた。もし、なんかあったら、気軽に電話してくださいと担当者が言った。それでは、これでと言うと、時間あったら、修善寺の温泉に泊まっていくと良いですよと笑いながら言った。

 編集者は、安月給でも、いろいろと、細々と忙しいもので、これで失礼しますと言い帰っていった。その後、三井夫妻が、体と相談しながら無理しないでくださいよと言った。
その言葉が、心にしみたのか、本当に親切にしてもらって、ありがとうございますと涙声で答えた。じゃー、これでお暇しますが、欲しいものがあったら言ってくださいね、用意しますからと言い、襖「ふすま」を閉めた。

 その後も三井夫妻は、老人施設を若い石動健太と平野宗助に任せて、その後も交代で東出さん様子を見に行った。すると東出さんが、温泉地って素晴らしいわ。だって、考えが煮詰まったり、筆が進まなかったりすると温泉にはいって、物思いにふけり構想を練り直せる。それで駄目なら気分転換に山道を汗びっしょりになるまで歩くと不思議に問題が解決していくのよ話した。

 やがて梅雨が来て、外に出られなくなり、それが明けると、一気に日差しが強くなり夏を迎えた。その頃、暑い昼間は、エアコンを聞かせて仮眠したりして体を休め、夜、小説を書く日が続いた。やがて、お盆が過ぎて、9月、10月となり、10月11日、荒原稿ができたと言った。すぐに、荒原稿を下村さんと言う編集者に郵送した。すると翌週、編集者が東出さんのところを訪ねた。興味あるので三井夫妻も同席した。編集者が東出さんに、よく頑張りましたねと言った。
 総論的に、良いと思いますがと言いながら校正すべき点を荒原稿のコピーに赤鉛筆で書きなぐっていた。次は、いよいよ、最終校正ですと言い、もっと、インパクトと言うか印象に残るような、タッチの文章にできれば、完璧ですと言った。そうね、その方が読者にとって印象的かもしれないと東出も同意した。そして、もう一つ、ここまで、やったのだから直木賞に応募しましょうよと言った。

えー、直木賞、そんなの無理ですわと言うと、嫌そんな事はない。東出さんの世界旅行、日本旅行の小説は素晴らしく、今でも、コンスタントに売れ続けてます。その、あなたの紀行文の上手さを直木賞に応募してぶつけてみましょうよと、編集者の男は、東出さんを説得していた。それを聞いていた三井夫妻が、天国の田川さんも、生きていたら、きっと、やってみろよというはずですよと言うと、わかりました、お任せしますと答えた。
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