第15話:老人施設「富士の園」の経営サポート

文字数 1,546文字

 そして田川さんと三井賢治が2005年6月7日、会って老人施設「富士の園」とは、別に有限会社をつくろうと言うので、賢治が、「賢治商会」という名の有限会社を設立したと言うと、田川が、名称変更して「修善寺商事」にしようと言った。社長を田川泰介、専務を三井賢治、常務を三井豊子としようと提案したので。三井賢治が手続きを取りに行くと言った。

 資本金は1億円で、田川が出すと言った。業務は、主に投資と融資の会社。そして老人施設「富士の園」への融資をしようと考え、所在地を「富士の園」した。これを決めて6月10日、黒田さんと石動健太と平野宗助をよんで食事をしながら説明。融資してくれる会社を作れば、安心だと黒田さんが喜んだ。また、黒田さんが田川さんと三井賢治を沼津商工会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブへ挨拶に行こうと言い、来週、行くことにした。

 田川と三井賢治を黒田さんが紹介するという形で、次々とあいさつして回った。話題になるのは、日本経済の低迷の話ばかりで浮いた話は全くと言って良いほど出なかった。やがて6月が終わると、今月6人の患者さんが病院に入院し4人が、帰らぬ人になり、2人がもっと設備の整った介護老人保健施設に転院していった。ここの老人施設は、福祉型で、地元の地主さんから土地を借りて経営したりしていた。

 つまり、地元の人が高齢なり、それ程、入所金、月々の費用を抑えながら、介護サービスを提供していこうというもので、パート、アルバイトの介護福祉士が多いのが特徴だった。そういう訳で地元の名士が、歴代、この施設の施設長をやってきた。経営状態は、毎年、赤字が200万円プラスマイナス50万円と言ったところで、その分を機皮膚に頼っているという状況であった。

 暑い夏が過ぎると10月、稲刈りとなり、やがて農閑期が始まる、農閑期になると、三井賢治の所に電話が入り、釣り、温泉旅行などの企画で、来年4月まで、自分の仕事が忙しくなる。しかし、純利益をすべて、老人施設「富士の園」に融資にする形にして、税控除を受け、経費として「修善寺商事」で使用した費用をいただくような形にしていた。この話に田川さんの彼女の東出芳子も興味を持ってくれ飲食品などを寄付してくれた。

 そして、週に1,2回、老人施設「富士の園」の経理、会計を無給・ボランティアとして手伝ってくれた。そして、以前より、ゆっくりとしたぺースで小説を書き始めたようだった。そんな、いろんなことがあった2005年も終わりをつげ、2006年を迎えた。2006年、三井賢治と田川さんと東出さんが、初詣に行き、「富士の園」がうまく運営できるように、神頼みしてきた。それでも、年間換算で100万円ちかい赤字で終了した。

 2006年2月に黒田さんが、地元の池内さんの家で農家を継ぐ人がいなくなったので、田んぼ、200坪と畑200坪を老人施設「富士の園」に安く譲るか、安い価格で、貸すという話になった。黒田さんが、友人の富島建築に田んぼと畑を宅地化するのにかかる費用を算出してもらうと最低500万円と言われたそうだ。この話を「富士の園」の三井賢治と田川さんの所へ持ってきた。田川が、400坪の農地、いくらで買えるかと聞くと400から500万円と言った。

 つまり宅地整備して400坪が1000万円で手に入れば、売ってもらった方が良いと話すと、黒田さんも将来的に、その方が良いと思うと言った。三井賢治は、2人に、その土地をどう活用するのかと聞くと、総2階建ての老人、子供の集会場みたいな施設をつくり、安い価格で貸し出し、併設して、まだ介護の必要のない、高齢者の通所と老人施設として行けばよいと話した。この意見に対し、三井は、採算を見越せるなら賛成しますと言った
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