宇都宮

文字数 4,697文字

2020年10月10日13時36分東京発やまびこ63号
Saven Satow
Oct. 30, 2020

「一 汽車は烟を噴き立てゝ
今ぞ上野を出でゝゆく
ゆくへは何く陸奥の
青森までも一飛に」
『鉄道唱歌/奥州・常磐篇』

宇都宮
 うとうととして目がさめると新幹線はいつも通り宇都宮駅に着いている。東京駅から東北新幹線に乗ると、大宮駅を出た辺りで眠気を覚える。乗るのはいつも東京駅12時36分発やまびこ61号盛岡行か同13時36分発やまびこ63号盛岡行かのいずれかだ。東京駅から上野駅まで5分、そこから大宮駅まで20分である。大宮駅から宇都宮駅までは25分で、20分程度の仮眠をいつもとっている。その後、眠くなることはない。
 ニュースの備忘録、より正確にはスクラップブックとしてFacebookを利用している。そこに山口啓一記者による『日本経済新聞』2018年7月9日12時28分更新「2年かけて1分短縮へ 新幹線上野―大宮間の工事着手」という次のような記事をシェアしていたことを思い出す。

JR東日本が長年の懸案だった新幹線上野―大宮駅間の所要時間短縮に向けた工事に着手した。埼玉県内区間の防音壁のかさ上げなどで騒音を抑制し、両駅間の最高時速を現在の110キロから130キロに引き上げる計画だ。約2年の工事を経て縮まる時間は最大でも1分だが、同社は他の区間での速度引き上げも見据え「経営的に大きな意義がある」と強調する。
工事は住宅街に隣接する約2キロにわたって複数箇所で線路上の壁の内側に吸音板を設けるほか、約1キロの一部区間で防音壁をかさ上げする内容。5月下旬に着工した。終了後に騒音が環境省が定める基準値を下回れば、同駅間が1985年に営業を開始して以来初めて速度の引き上げが実現する。
そもそも時速300キロ超で新幹線が走るこの時代に、なぜこの区間は速度が制限されてきたのか。経緯は東北新幹線の開業前に遡る。同区間は沿線に住宅が多く、騒音や振動を懸念した周辺住民らが大宮以南への延伸に強く反対。時速110キロ以下に抑えることなどを条件に当時の国鉄と住民らが和解した背景がある。
同区間はカーブや勾配が多い「線形上の制約」からも速度引き上げが難しいとされている。JR東は2002年に最新技術で時間短縮を目指す方針を表明。新幹線のブレーキ制御を滑らかにするデジタル式の新型自動列車制御装置(ATC)を導入し、06年をめどに東京―大宮間を2分程度縮める計画に着手した。
デジタルATCは07年に導入され、約1分短縮することには成功した。新型車両の投入もあり速度引き上げの方策を探ったが、騒音や乗客の乗り心地、橋脚への負担などの試算や調整が難航。10年以上を費やしてようやく、騒音対策の工事が可能な埼玉県内区間のみで実現を目指す判断に至った。
上野―大宮間は東北、上越、北陸など東京から北へ向かう新幹線がすべて通過する重要な区間。一日に同区間を走る新幹線は上下線で300本を超える。大宮以北の自治体からも速度引き上げを望む声は多い。JR東の担当者は「たとえ1分の短縮でも利用客の多さを考えれば大きな一歩」と意義を語る。
常に航空機との競争を強いられる新幹線にとって、速度引き上げを含めた利便性の向上は旅客獲得の生命線だ。JR東では他の区間でも「条件が整ったところから順次実施する」方針という。日進月歩の技術に期待も膨らむが、工事はまだ始まったばかり。利用客が効果を実感できるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。

 ヴェーバー=フェヒナーの法則ではないが、乗車時間が数分ならいざ知らず、1時間はある利用客にとって1分の短縮に効用を覚えることなどないだろう。しかし、「同社は他の区間での速度引き上げも見据え『経営的に大きな意義がある』と強調する」。「JR東の担当者は『たとえ1分の短縮でも利用客の多さを考えれば大きな一歩』と意義を語る」。一人一人の効用がわずかであっても、利用客が多いのだから、合算すれば大きいというわけだ。しかし、それは個々の消費者ではなく、供給者にとっての話である。60円以上のすべての商品を1円値引きしたら、塵も積もれば山となるで、売り手にとっては大きいだろうが、各々の買い手にとってはさほどのお得感はない。
 2020年10月10日、東京13時36分発JR東北新幹線やまびこ63号盛岡行に乗っている。座席は4号車14番Dだ。トイレに行きやすいように、いつも通路側の席を予約することにしている。目的地の北上着は16時32分の予定である。正味3時間の列車の旅だ。
 10月10日だというのに、東京は雨が降っている。晴れの特異日という理由で56年前のこの日に東京五輪の開会式を行ったはずだが、今日の天気が物語っているように、実際にはそれほどでもない。
 やまびこは東京から宇都宮までの所要時間がおよそ1時間、仙台までがおよそ2時間、目的地の北上までがおよそ3時間だ。宇都宮から仙台までの間に郡山・福島に停車するので、一駅の所要時間はおよそ20分である。他方、仙台から北上までの間は古川・くりこま高原・一ノ関・水沢江刺に停車するので、一駅の所要時間はおよそ10分だ。
 実際に眠ってしまうのは大宮の後であるが、眠気自体はその前から催しているのだろう。この13時から14時の時間帯において、宮崎総一郎=林光緒の『睡眠と健康』によると、人間は眠くなる傾向がある。食事の有無は関係がない。その理由ははっきりしないが、進化論からの説明が試みられている。一例を挙げると、この時間帯は一日の中で最も熱く、動物もあまり行動しないので、人間が仮眠をとることは合理的だとする。進化論的アプローチは、心理学でも、説明が至近要因の情報処理アプローチと比べて、究極要因を提供する。この説明が妥当であるかはともかく、少なくともこの時間帯の車内は、気だるい雰囲気に満ちている。
 目を覚まして見回してみても、指定席車両の4号車は空いている。宇都宮で乗ってきた客がいたかどうかはわからない。東京駅のホームでは自由席の3号車の4号車よりの乗降口の前に10人ほどの行列ができていたが、そういうこともない。4号車の車内には、宇都宮をすぎても、乗客が10組もいないように見える。これだけ空いているのだから、ソーシャル・ディスタンスを考慮して、乗客を1列おきに座らせればよいように思えるけれども、車両の両端に集まっている。
 東京駅を出た後、以前と違う車内アナウンスが聞こえてくる。それは新型コロナウイルス感染症予防のため、マスクの着用の他、会話は控えめにすることや回転座席の対面利用を控えることなどを呼びかけている。車内販売もしていないとのことだ。
 もっとも、東北新幹線が開業して以来、乗車しても、この座席の対面利用はあまり見かけない。高齢者のグループ旅行の乗客がそうしているのを何度か見かけた程度だ。
 新幹線以前の東北本線の特急はつかりの車内では見かけたのみならず、家族旅行の際に自分たちもしている。六時間以上乗車するので、回転座席を対面にしただけでなく、床に新聞紙を敷いて靴を脱ぎ、飲んで食って寝てとお座敷列車の気分ですごしたものだ。缶ビールやワンカップ、つぶつぶオレンジジュース、柿ピー、さきイカ、チーズ、魚肉ウインナー、ゆで卵、塩昆布、おにぎり、冷凍ミカンなどを口にしながら、あれこれよもやま話をしつつ、上野駅までの道中を楽しんでいる。他の乗客も似たようなもので、よほど騒いだり暴れたりしない限り、検札で車内を回る車掌も含めて誰も咎めない。当時の車内は酒とつまみ、タバコの匂いが充満している。
 この東北新幹線が開業したのは1982年6月23日のことである。初めて乗った時、座席が2人席と3人席という左右非対称の配置に違和感を覚えたことを記憶している。その3人席が固定式クロスシートで、車両の中央から半分の座席がつねに進行方向に背を向けていることにも同様に感じている。おまけに窓のカーテンが黄緑やオレンジの安っぽく悪趣味な色柄で、恥ずかしくなるほどだ。東京までの所要時間が短縮したこと以外に好印象はない。
 当時は盛岡駅=大宮駅間で、そこから上野駅までは新幹線リレー号に乗り換える必要がある。この列車を利用する際、大宮駅構内を走ったものだ。リレー号は全席自由なので、上りの乗客は座れるように新幹線を降りたら急がねばならない。また、下りは遅れると、新幹線の自由席に座れなくなる。1985年3月14日に大宮駅=上野駅間が開通する。これにより東北新幹線も北の玄関口につながる。しかし、上野駅の新幹線ホームは地下だったので、新幹線がモグラに見えてしまう。その後、1991年6月20日、東北新幹線の東京駅乗り入れが実現する。東北新幹線の下りの始発駅は東京駅が中心となり、上野駅は東北の玄関口の役割を終える。それは石川啄木がこう詠んでからおよそ80年後のことである。

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聞きにゆく

 率直に言って、対面にした回転座席の乗客よりも隣の方が距離が近い。飛沫が飛ぶ可能性は、むしろ、こちらの方が高いように思われる。ただ、対面にすれば、カメラ・サイズで言うと、バスト・ショットになり、知り合い同士でもあるから、話さないと落ち着かない。そもそもわざわざ対面に座席を回転するのは会話をするためである。対面禁止はそれを避けるための注意事項かもしれない。
 もちろん、乗客に要求するだけではない。『NHK』が2020年8月7日7時05分更新「新幹線 換気と消毒組み合わせ 新型コロナ感染防止策を徹底」という次のような記事を配信している。

新幹線は、外気と常時換気する仕組みになっていて、JR各社では、消毒と組み合わせることで、新型コロナウイルスの感染防止対策になると、消毒作業を徹底しています。
新幹線の車両は窓が開かない構造になっているため、外気を取り込む作りにするよう、国の省令で定められていて、鉄道会社では常時、換気をしています。
このうち東北新幹線で使われる「E5系」では、外気が荷棚の下から入り、車両の空気は座席下から排出される構造になっています。
東京 北区にあるJR東日本の東京新幹線車両センターで、換気の効果を確かめるため車両に白煙を充満させて行った実験では、換気を開始して6分30秒ほどで白煙がすべて車両の外に排出されました。
常時の換気に加え、JR各社の車両基地では消毒作業が徹底して行われています。
JR東日本の車両基地では、東北新幹線や北陸新幹線の車両を、清掃作業の担当者が消毒用の次亜塩素酸ナトリウム水溶液を使って、座席のテーブルやひじ掛け、廊下の手すりなどを丁寧に拭いていました。
運転中も折り返しの駅で消毒をしているということです。
JR東日本新幹線運輸車両部車両ユニットの田中修司マネージャーは「換気と消毒作業を徹底して、安心して利用していただけるようにしていきたい」と話していました。

 そのような努力を関係者がしている間に、東京駅で、Instagramに投稿するために、発車を待つ13時20分東京発のこまち25号=はやぶさ25号の連結部分を撮影している。新幹線がキスをしているように見えたからだ。ハッシュタグは#kiss#superexpress辺りがいいだろう。残念ながら、「いいね」はいつも2、3個だ。最高はジュリーの『ソング・カレンダー』のジャケットを撮影した写真で、28である。だから、今回も期待しないことにしている。
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