郡山

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郡山
 やまびこ63号は宇都宮を14時31分に出発、郡山には14時58分に到着する。停車時間は1分だ。郡山でのこの車両の乗降客の変化はほとんどないように思える。
 車内アナウンスは会話を控えめにすることを呼びかけている。しかし、パンデミック以前から、少なくともここ数年いつも乗る東北新幹線の車内での会話は概して控えめである。乗客は飲食や仮眠をする他、新聞や書籍を読んだり、ノートパソコンのキーをたたいたりしている。スマホが普及した最近では、それをいじったり、イヤホンを耳につけ音楽を含めた動画を視聴したりする客が多い。だから、幼い子どもの声が時折聞こえてくるくらいだ。子どもが降りると、車内はハーメルンのようになる。
 しかし、固定式クロスシートによるボックスシートが標準的だった時代には、たまたま乗り合わせた見知らぬ人同士であれこれよもやま話をすることが自然な光景である。これを「車中談義」と呼ぶ。
 転換式クロスシートでは隣の初対面の乗客と話す気にはなかなかなれない ものだ。ところが、ボックスシートに向かい合って座ると、カメラ・サイズで言うと、相手がバスト・ショットで見える。それはテレビのニュースでキャスターが画面に映っている時のサイズである。これは話していないと落ち着かない。見知らぬ人同士でも会話をせずにはいられない。
 鉄道と日本政治の研究で知られる原武志放送大学教授の『日本政治思想史』によると、列車車中は近代的な公共空間である。料金さえ支払えば、身分や階級、性別を問わず、乗車でき、見知らぬ人同士で語り合える機会がある。欧州と違い、サランやコーヒー・ハウス、読書会はなかったが、近代日本において車中は「輿論(よろん)」や「世論(せろん)」の公共空間として長らく機能している。
 鉄道の車中談義を描いた文学作品の中で最も有名なものは夏目漱石の『三四郎』の第一章だろう。旧制五校を卒業した主人公の小川三四郎が帝国大学に入学するため、東京へ鉄道で向かう。第一章はその車中での出来事が主に描かれ、内容は乗り継ぎをする名古屋を挟んで二つのパートに分かれる。前者は謎の女との情、後者は髭の男との知の世界が展開されている。この両者は三四郎の役回りに違いがある。名古屋以前の車内では、三四郎が第三者として女とじいさんの会話をなんとなく聞いている。仮眠していたこともあって、詳しい内容を必ずしも理解していない。三四郎は、下車した名古屋で、女の言行に戸惑いを覚える。一方、名古屋以後では、三四郎が髭の男と対話する。この髭の男は第一高等学校の英語教師広田萇(ちょう)で、「広田先生」として三四郎の相談相手となる人物である。第一章の車中談義はその後の作品世界の予兆として位置づけられる。
 青空文庫は読書にとってありがたいサービスを提供している。スマホがあれば、車内でも多くの漱石作品を読むことができる。また、縦書きの電子書籍に比べて、全体の見通しがいい。移動の際に、よく利用している。
 三四郎は髭の男、すなわち広田先生と次のような車中談義をしている。

三四郎は急に気をかえて、別の世界のことを思い出した。――これから東京に行く。大学にはいる。有名な学者に接触する。趣味品性の備わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采(かっさい)する。母がうれしがる。というような未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、べつに二十三ページのなかに顔を埋めている必要がなくなった。そこでひょいと頭を上げた。すると筋向こうにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。今度は三四郎のほうでもこの男を見返した。
 (ひげ)を濃くはやしている。面長(おもなが)のやせぎすの、どことなく神主(かんぬし)じみた男であった。ただ鼻筋がまっすぐに通っているところだけが西洋らしい。学校教育を受けつつある三四郎は、こんな男を見るときっと教師にしてしまう。男は白地(しろじ)(かすり)の下に、鄭重(ていちょう)に白い襦袢(じゅばん)を重ねて、紺足袋(こんたび)をはいていた。この服装からおして、三四郎は先方を中学校の教師と鑑定した。大きな未来を控えている自分からみると、なんだかくだらなく感ぜられる。男はもう四十だろう。これよりさきもう発展しそうにもない。
 男はしきりに煙草(たばこ)をふかしている。長い煙を鼻の穴から吹き出して、腕組をしたところはたいへん悠長(ゆうちょう)にみえる。そうかと思うとむやみに便所か何かに立つ。立つ時にうんと伸びをすることがある。さも退屈そうである。隣に乗り合わせた人が、新聞の読みがらをそばに置くのに借りてみる気も出さない。三四郎はおのずから妙になって、ベーコンの論文集を伏せてしまった。ほかの小説でも出して、本気に読んでみようとも考えたが、面倒だからやめにした。それよりは前にいる人の新聞を借りたくなった。あいにく前の人はぐうぐう寝ている。三四郎は手を延ばして新聞に手をかけながら、わざと「おあきですか」と髭のある男に聞いた。男は平気な顔で「あいてるでしょう。お読みなさい」と言った。新聞を手に取った三四郎のほうはかえって平気でなかった。
 あけてみると新聞にはべつに見るほどの事ものっていない。一、二分で通読してしまった。律義(りちぎ)に畳んでもとの場所へ返しながら、ちょっと会釈(えしゃく)すると、向こうでも軽く挨拶をして、
「君は高等学校の生徒ですか」と聞いた。
 三四郎は、かぶっている古帽子の徽章の(あと)が、この男の目に映ったのをうれしく感じた。
「ええ」と答えた。
「東京の?」と聞き返した時、はじめて、
「いえ、熊本です。……しかし……」と言ったなり黙ってしまった。大学生だと言いたかったけれども、言うほどの必要がないからと思って遠慮した。相手も「はあ、そう」と言ったなり煙草を吹かしている。なぜ熊本の生徒が今ごろ東京へ行くんだともなんとも聞いてくれない。熊本の生徒には興味がないらしい。この時三四郎の前に寝ていた男が「うん、なるほど」と言った。それでいてたしかに寝ている。ひとりごとでもなんでもない。髭のある人は三四郎を見てにやにやと笑った。三四郎はそれを機会(しお)に、
「あなたはどちらへ」と聞いた。
「東京」とゆっくり言ったぎりである。なんだか中学校の先生らしくなくなってきた。けれども三等へ乗っているくらいだからたいしたものでないことは明らかである。三四郎はそれで談話を切り上げた。髭のある男は腕組をしたまま、時々下駄(げた)の前歯で、拍子(ひょうし)を取って、(ゆか)を鳴らしたりしている。よほど退屈にみえる。しかしこの男の退屈は話したがらない退屈である。
 汽車が豊橋(とよはし)へ着いた時、寝ていた男がむっくり起きて目をこすりながら降りて行った。よくあんなにつごうよく目をさますことができるものだと思った。ことによると寝ぼけて停車場を間違えたんだろうと気づかいながら、窓からながめていると、けっしてそうでない。無事に改札場を通過して、正気(しょうき)の人間のように出て行った。三四郎は安心して席を向こう側へ移した。これで髭のある人と隣り合わせになった。髭のある人は入れ代って、窓から首を出して、水蜜桃(すいみつとう)を買っている。
 やがて二人のあいだに果物(くだもの)を置いて、
「食べませんか」と言った。
 三四郎は礼を言って、一つ食べた。髭のある人は好きとみえて、むやみに食べた。三四郎にもっと食べろと言う。三四郎はまた一つ食べた。二人が水蜜桃を食べているうちにだいぶ親密になっていろいろな話を始めた。
 その男の説によると、(もも)は果物のうちでいちばん仙人(せんにん)めいている。なんだか馬鹿(ばか)みたような味がする。第一核子(たね)恰好(かっこう)が無器用だ。かつ穴だらけでたいへんおもしろくできあがっていると言う。三四郎ははじめて聞く説だが、ずいぶんつまらないことを言う人だと思った。
 次にその男がこんなことを言いだした。子規(しき)は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿(たるがき)を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。――三四郎は笑って聞いていた。けれども子規の話だけには興味があるような気がした。もう少し子規のことでも話そうかと思っていると、
「どうも好きなものにはしぜんと手が出るものでね。しかたがない。(ぶた)などは手が出ない代りに鼻が出る。豚をね、縛って動けないようにしておいて、その鼻の先へ、ごちそうを並べて置くと、動けないものだから、鼻の先がだんだん延びてくるそうだ。ごちそうに届くまでは延びるそうです。どうも一念ほど恐ろしいものはない」と言って、にやにや笑っている。まじめだか冗談だか、判然と区別しにくいような話し方である。
「まあお互に豚でなくってしあわせだ。そうほしいものの方へむやみに鼻が延びていったら、今ごろは汽車にも乗れないくらい長くなって困るに違いない」
 三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。
「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石(ひせき)を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろうかという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」と言いながら、さんざん食い散らした水蜜桃の核子(たね)やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。
 今度は三四郎も笑う気が起こらなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチという名を聞いて少しく辟易(へきえき)したうえに、なんだかゆうべの女のことを考え出して、妙に不愉快になったから、謹んで黙ってしまった。けれども相手はそんなことにいっこう気がつかないらしい。やがて、
「東京はどこへ」と聞きだした。
「じつははじめてで様子がよくわからんのですが……さしあたり国の寄宿舎へでも行こうかと思っています」と言う。
「じゃ熊本はもう……」
「今度卒業したのです」
「はあ、そりゃ」と言ったがおめでたいとも結構だともつけなかった。ただ「するとこれから大学へはいるのですね」といかにも平凡であるかのごとく聞いた。
 三四郎はいささか物足りなかった。その代り、
「ええ」という二字で挨拶を片づけた。
「科は?」とまた聞かれる。
「一部です」
「法科ですか」
「いいえ文科です」
「はあ、そりゃ」とまた言った。三四郎はこのはあ、そりゃを聞くたびに妙になる。向こうが大いに偉いか、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学にまったく縁故も同情もない男に違いない。しかしそのうちのどっちだか見当がつかないので、この男に対する態度もきわめて不明瞭であった。
 浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合わせている。女は上下(うえした)ともまっ白な着物で、たいへん美しい。三四郎は生まれてから今日に至るまで西洋人というものを五、六人しか見たことがない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪くせむしであった。女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、(きす)または※[#「魚+師のつくり」、第4水準2-93-37]《かます》に類していた。だから、こういう派手(はで)なきれいな西洋人は珍しいばかりではない。すこぶる上等に見える。三四郎は一生懸命にみとれていた。これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いてみたがちっともわからない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだった。
 ところへ例の男が首を後から出して、
「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、
「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸(なまあくび)をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
 三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一(にほんいち)の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉(ことば)つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。
 その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。

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