仙台

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仙台
 仙台には15時37分に到着する。停車時間は2分だ。以前なら、この仙台で車両の乗客の半分が入れ替わるような印象だったが、今は乗降のいずれもわずかだ。黒っぽいコートを着た恰幅のいい女性とくたびれたジーンズを履いた背の高い男性が通り過ぎていく。
 ここまでの道中で通路を通った乗客は、乗降をのぞけば、トイレが目的と思われる男女数人だけである。電話をするのであれば、4号車後部の乗客は5号車寄りのデッキに向かうだろう。これだけ空いているせいもあって、立ったり座ったりする際の乗客同士の声掛けもない。マスクを着けた車掌も、車内を行ったり来たりしているが、検札をしないので、乗客に話しかけることはない。
 この列車は車内販売をしていない。飲食をするには、あらかじめ自分で用意していなければならない。かつての特急には食堂車があったが、今の東北新幹線にはない。
 もっとも、東京発が13時36分なので、車内で食事をしている客もいない。眠気を催す前に飲食物の匂いがしなかったから、少なくともこの車両では間違いない。
 車内の食事と言えば、『三四郎』の第1章に三四郎が弁当を食べた後、空になった折を窓から投げ捨てる次のようなシーンがある。

この時三四郎はからになった弁当の(おり)を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の(ふた)が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。顔はあいにく列車の外に出ていた。けれども、女は静かに首を引っ込めて更紗(さらさ)のハンケチで額のところを丁寧にふき始めた。三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。
「ごめんなさい」と言った。
 女は「いいえ」と答えた。まだ顔をふいている。三四郎はしかたなしに黙ってしまった。女も黙ってしまった。そうしてまた首を窓から出した。

 辺りを確かめもせず、空になった弁当の折を窓から放り投げる。ここから三四郎がバンカラな人物だということが分かる。こうした学生の姿は、拳骨でスイカを割って食うなどのように、坪内逍遥の『当世書生気質』において既にみられる。『三四郎』は1908年に発表され、1885年から86年の『統制書生堅気』の20年以上後の小説であるが、バンカラは戦前を通じて男子学生の一つの理念系だろう。
 同じく漱石の1912年の小説『彼岸過迄』には「蛮唐」が次のように使われている。

「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻(ばんから)なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套(レインコート)の下に、(じか)半袖(はんそで)の薄い襯衣(シャツ)を着て、変な半洋袴(はんズボン)から余った(すね)を丸出しにして、黒足袋(くろたび)俎下駄(まないたげた)を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女(レデー)の前でも気兼(きがね)がなくって好いと云っていた。

 新幹線は窓が開かないので、空になった弁当の折を投げ捨てることなどできない。それどころか、今では、環境問題やテロ防止などの諸課題により、車内で出たゴミは下車後にゴミ捨てに入れることがマナーになっている。
 駅弁は1885年に宇都宮駅で白木屋が販売したのが始まりとされている。上野駅=宇都宮駅間の日本鉄道が開業したことをきっかけにしている。

一〇 金と石との小金井や
石橋すぎて秋の田を
立つや雀の宮鼓
宇都宮にもつき
(『鉄道唱歌/奥州・常磐篇』)

 1977年に始まった『ドリフ大爆笑』では歴史を含め鉄道をテーマにしたコントが当初から登場している。その中で車内を舞台にした弁当のコントが80年代後半まで何度か演じられている。
 最も多いパターンが弁当の盗み食いである。組み合わせはさまざまだが、基本構造は次のとおりである。ボックスシートの一方が弁当を開く。列車がトンネルに入ると、停電などにより暗くなる。通過して明るくなると、その弁当から何かが消えている。向かい合って座っている客を見ると、様子がおかしい。そこで、盗み食いをしたのではないかと尋ねるが、もちろん相手は否定する。これが何度か繰り返され、最後は着物まで盗られてしまう。いかりや長介=前川清や加藤茶・松本伊代=志村けん・渡辺美奈代などの組み合わせのヴァージョンがある。
 これはボックスシートでなければ成り立たない。転換式クロスシートの場合は車内販売による酒の盗み飲みに設定が変更されている。その際、乗客がいかりや長介、販売員が志村けんである。ただ、乗っている列車は新幹線と思われ、トンネルに入ると、社内が停電するという設定には無理がある。実際、このタイプのコントは1、2度演じられただけである。
 他にも、車掌と乗客や寝台車のコントもある。しかし、いずれも現在では難しい。前者は車掌が検札する際のコントである。また、後者は夜行列車を利用して都市と地方を移動する際の乗客同士のトラブルのコントである。
 ドリフの列車のコントは車内で会話があることを前提にしている。ところが、今ではほとんど会話がない。切符の購入から目的駅の改札を出るまで一言も話さずにすませられる。JR東日本は東北新幹線の車内においてフリーWi-Fiを提供し、乗客の多くはスマホを見ている。もっとも、このWi-Fiは重いので、接続せず、4Gにしたまま使っている人が少なくないに違いない。このように無言が珍しくなくなった状況において車内を舞台にしたコントは難しい。
 会話にとって最も重要なのは場である。場によって疎遠な間柄でも会話しやすくなったり、親密な間柄でもしにくくなったりする。交通事故の現場に遭遇した時、見知らぬ人に「何があったんです?」と話しかけることができる。他方、顔見知りであっても、座禅をしている時に、「こんなところで奇遇だね!」と声をかけたりなどしない。前者は場を共有しているが、後者ではそれがない。
 ただ、慣れていないと、見知らぬ人との会話は職務質問になりかねない。どこからきてどこへ行くのかに始まり、その目的や職業、年齢、家族構成など身辺調査時見てくる。会話の流れ上、個人情報を明かすことと違い、それは発展性がない。会話は相手との共通点から弾み始める。それを探すために、質問しているはずだが、返答に共通点を見出せないと、次を尋ねざるを得ない。知識や経験が豊富であれば、接点を見つけやすいから、質問を浴びせかける必要はない。そうした蓄積がないと、質問は発展性を持てず、気まずさをごまかし、尋ねること自身が目的になってしまう。
 長距離列車におけるボックスシートは利用客に共通の場を提供する。バスト・ショットで対面する人と長時間すごすとなれば、話をせずにいられない。ボックスシートがなくなれば、用がないのに、見知らぬ人にわざわざ話しかけることなどしない。しかし、それはコミュニケーションが限定されたことを意味する。用があるか顔見知りである海外に話しかけることがなければ、コミュニケーションの多様性は失われる。すると、自身の認識の相対化がおろそかになり、信念を自明視してしまう。見知らぬ人とのコミュニケーションの機会が失われれば、社会の分断が進むことになる。公共性が多様なコミュニケーションに基づくのは、そのためである。ボックスシートはあくまで見知らぬ人同士のコミュニケーションが失われた一例であるが、他を思い返しても、同様の事態が起きている。加えて、パンデミックはそれをさらに悪化させている。
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