第6話
文字数 1,684文字
車内販売が通り過ぎると、ジュースとお茶、どっちがいいと花子に訊いてみる。
当然『どっちでもいい』との答えが返ってくるとばかり思っていたが、返事は意外にもお茶だった。
花子曰く、「リンゴジュースなんて農薬の塊よ。飲む人の気が知れないわ」
青森出身で実家がリンゴ農家の花子が言うのだから間違いはないのだろう。気落ちした太郎は黙ってリンゴジュースを傾けた。
「半分食べる?」弁当を開け、それを差し出す。だが花子は邪険に首を振った。太郎はそれでも食い下がる。「せめて一切れだけでも」と。
勢いに押されたのか、本当は食べたいのだが意地を張っていたのか、花子は渋々といった表情で牛タンを一切れつまんだ。
「美味しい」今日初めての笑顔だった。
太郎はその明るいまなざしが愛おしく、どうぞどうぞと何枚も薦めた。
本当はお腹が空いていたのだろう。結局殆ど一人で弁当を平らげた花子。二つ買えばよかったと少しだけ後悔した。
思いのほか打ち解けたらしく、花子は積極的に話しかけてきた。まるでそれまでの不毛な時間を取り返すかの如くに。
共通の友達、癖のある話し方の教授、バイト先であるカフェでの失敗談や珍妙な客、それから二人か付き合うきっかけとなった元カレ……。
話題は尽きることなく、二人は一ノ関駅を通過するのも目に入らずに、思い出話に華を咲かせた。
後方から「うるさい!」と声が掛かる。
立ち上がって振り向くと、二つ後ろの席で太郎と同じくらいの年頃の青年が、腕を組みながら不機嫌そうに顔を歪めていた。その隣にはケバいメイクの女が、だらしなく肘をつきながら太郎を睨みつけている。
「すみません」と頭を下げて、太郎はしおらしく腰を下ろす。
しばらく無言状態でいたが、突如、花子が胸に顔をうずめてきた。
彼女の右手は太郎の胸ポケットに添えられ、嗚咽が聞こえる。
鼓動が早まるのを感じ、「しばらくこのままでいさせて」と花子は小声でつぶやいた。左手を花子の頭に添えたまま、太郎は少しも動けずにいた。このまま時が止まればいいと本気で思ったほどだ。
だが、やはり時は残酷だった。
しばらくして停車を告げるアナウンスが流れると、赤い目をした花子は顔を上げる。
それをきっかけに、尿意を催した太郎はトイレへと向かう。
後方のトイレの方が近かったが、さっき注意された手前、顔を合わさないように前方へと足を向ける。
どうしてこんな時に。
太郎は苛立たしく用を済ませると、トイレのドアを勢いよく閉めた。
戻って来た太郎は小声で会話を続けた。花子はぎこちない微笑みを浮かべている。
時折笑い声が漏れたが、再度注意される事は無かった。さっきの青年たちは眠っているのかもしれない。
話に夢中になり、アナウンスの声ではっと我に返る。
八戸駅に列車が止まると、車窓からは小さな教会が見えた。いつの間にか降りだした雪の中で、どうやら結婚式が行われているようだった。
花嫁衣裳の女性は祝福している招待客にブーケトスを披露していた。
桜吹雪が舞い上がる。まだ桜の時期ではないので、きっとスタッフの演出なのだろう。白い雪の中に舞い散るピンクの花びらが何とも奇妙に思え、つい噴き出してしまいそうになった。
ウェディングベルが聞こえてきそうなほど、晴れやかな新郎新婦を見ているうちに、太郎は自分たちの置かれた境遇を顧みて、まるで神経を逆なでしているようだと感じてしまう。一体何の皮肉だろうかと。
気を取り直し、太郎はそれを見なかったかのように会話を再開する。
しかし、青森が近づくにつれ、次第に口少なげになっていった。
二人の思いは同じだった。
離れたくない。いつまでも一緒にいたい。ただそれだけだ。
だが、それはやはり出来ないのだ。花子は実家に帰らねばならないのだし、太郎にしても、明後日には入社式を控えているのだから……。
花子の手を握ると小刻みに震えているのを感じた。もちろん寒いわけではない。
彼女の瞳は愁いを帯びていた。
気持ちが痛いほど伝わってくる。
やはり付いてくるべきではなかったと後悔するものの、今更どうしようもなかった。
当然『どっちでもいい』との答えが返ってくるとばかり思っていたが、返事は意外にもお茶だった。
花子曰く、「リンゴジュースなんて農薬の塊よ。飲む人の気が知れないわ」
青森出身で実家がリンゴ農家の花子が言うのだから間違いはないのだろう。気落ちした太郎は黙ってリンゴジュースを傾けた。
「半分食べる?」弁当を開け、それを差し出す。だが花子は邪険に首を振った。太郎はそれでも食い下がる。「せめて一切れだけでも」と。
勢いに押されたのか、本当は食べたいのだが意地を張っていたのか、花子は渋々といった表情で牛タンを一切れつまんだ。
「美味しい」今日初めての笑顔だった。
太郎はその明るいまなざしが愛おしく、どうぞどうぞと何枚も薦めた。
本当はお腹が空いていたのだろう。結局殆ど一人で弁当を平らげた花子。二つ買えばよかったと少しだけ後悔した。
思いのほか打ち解けたらしく、花子は積極的に話しかけてきた。まるでそれまでの不毛な時間を取り返すかの如くに。
共通の友達、癖のある話し方の教授、バイト先であるカフェでの失敗談や珍妙な客、それから二人か付き合うきっかけとなった元カレ……。
話題は尽きることなく、二人は一ノ関駅を通過するのも目に入らずに、思い出話に華を咲かせた。
後方から「うるさい!」と声が掛かる。
立ち上がって振り向くと、二つ後ろの席で太郎と同じくらいの年頃の青年が、腕を組みながら不機嫌そうに顔を歪めていた。その隣にはケバいメイクの女が、だらしなく肘をつきながら太郎を睨みつけている。
「すみません」と頭を下げて、太郎はしおらしく腰を下ろす。
しばらく無言状態でいたが、突如、花子が胸に顔をうずめてきた。
彼女の右手は太郎の胸ポケットに添えられ、嗚咽が聞こえる。
鼓動が早まるのを感じ、「しばらくこのままでいさせて」と花子は小声でつぶやいた。左手を花子の頭に添えたまま、太郎は少しも動けずにいた。このまま時が止まればいいと本気で思ったほどだ。
だが、やはり時は残酷だった。
しばらくして停車を告げるアナウンスが流れると、赤い目をした花子は顔を上げる。
それをきっかけに、尿意を催した太郎はトイレへと向かう。
後方のトイレの方が近かったが、さっき注意された手前、顔を合わさないように前方へと足を向ける。
どうしてこんな時に。
太郎は苛立たしく用を済ませると、トイレのドアを勢いよく閉めた。
戻って来た太郎は小声で会話を続けた。花子はぎこちない微笑みを浮かべている。
時折笑い声が漏れたが、再度注意される事は無かった。さっきの青年たちは眠っているのかもしれない。
話に夢中になり、アナウンスの声ではっと我に返る。
八戸駅に列車が止まると、車窓からは小さな教会が見えた。いつの間にか降りだした雪の中で、どうやら結婚式が行われているようだった。
花嫁衣裳の女性は祝福している招待客にブーケトスを披露していた。
桜吹雪が舞い上がる。まだ桜の時期ではないので、きっとスタッフの演出なのだろう。白い雪の中に舞い散るピンクの花びらが何とも奇妙に思え、つい噴き出してしまいそうになった。
ウェディングベルが聞こえてきそうなほど、晴れやかな新郎新婦を見ているうちに、太郎は自分たちの置かれた境遇を顧みて、まるで神経を逆なでしているようだと感じてしまう。一体何の皮肉だろうかと。
気を取り直し、太郎はそれを見なかったかのように会話を再開する。
しかし、青森が近づくにつれ、次第に口少なげになっていった。
二人の思いは同じだった。
離れたくない。いつまでも一緒にいたい。ただそれだけだ。
だが、それはやはり出来ないのだ。花子は実家に帰らねばならないのだし、太郎にしても、明後日には入社式を控えているのだから……。
花子の手を握ると小刻みに震えているのを感じた。もちろん寒いわけではない。
彼女の瞳は愁いを帯びていた。
気持ちが痛いほど伝わってくる。
やはり付いてくるべきではなかったと後悔するものの、今更どうしようもなかった。