第3話

文字数 1,657文字

 二度目の告白から一年が経った。
 当然のようにあれから進展はなかった。せいぜい、名前が花子だと判明したくらいだ。
 彼女の事など忘れたかのように励んだ結果、太郎は公認会計士の資格を取ることができた。気の置けない友人も増え、充実した生活を送っていた。
 だが本当は決して忘れた訳ではないことを、太郎は理解していた。
 時折、キャンパスで見かける度に、はっとしながら視線を逸らす。花子の笑顔が頭をめぐり、涙こそ出ないものの、胸の締め付けが息を荒くさせた。

 就活の時期になると一流企業への面接も毎週のように行われる。
 一流とまではいかないが、新聞で目にするくらいの商社から内定をもらった。いずれは故郷に帰り、個人事務所を立ち上げるつもりだった。太郎は同じ内定の決まった友人と居酒屋で飲み明かした。

 その瞬間はいきなり訪れることとなった。
 ある日、下宿しているアパートに戻ると、花子がうつむきながらドアの前に佇んでいた。ときめきが太郎の胸を燃え上がらせる。
「聞いてもらいたいことがあるの。私……」いきなり顔を伏せると、小さく泣き声を上げる。
 太郎は「取りあえず中に入ろう」とドアを開けた。
 室内は散らかり放題で、女性を入れるのにいささか抵抗があったが、今はそれどころではない。
 本をどかせて足場を作ると、さらに広げて座る場所を確保する。それから台所でお湯を沸かすと静かにお茶を淹れた。欠けた茶碗しかなかったが、今から買いに行くわけにもいかず、おずおずとちゃぶ台に乗せた。
 正座した花子はお茶を飲もうとせず、頑なにこぶしを握り締めていた。
 何があったの? とは訊かない。花子が話したくなるまではと、じっと我慢の太郎だった。

 しばらくの沈黙の後、花子は少し冷めたお茶を一気に飲み干すと、「アルコールはないの?」と尋ねてきた。
 心配しながらも、太郎は言われた通り冷蔵庫から350mlの缶ビールを取り出し、ちゃぶ台に置く。
 プルトップを勢いよく開け、一気に飲み干した。
 トンと音を立ててちゃぶ台に乗せると、「もう一本ない?」と訊いてきた。さっきのが最後の一本だったので、太郎は虎の子であるウイスキーを棚の奥から取り出した。まだ封は切っていない。入社式が終わったら、友達と一緒に開封しようとそのままにしてあった。
 花子は「氷は無いの?」とせがんできたが、そちらも切らしていた。
 代わりといっては何だが、つまみとしてコンロであぶったあたりめを出すと、喜んで噛り付いた。もしかして、ただ酒を飲みに来ただけなのかとも思われたが、ウイスキーを一人で半分ほど空ける頃、急に涙を見せた。
「ごめんなさい。他に頼れる人がいなかったから……」
 それから堰(せき)を切ったように口を開いた。
 どうやら交際していた彼氏の浮気が発覚したらしい。それだけに留まらず、その浮気相手こそが本命だと言われたそうだ。
 見知らぬ彼氏のことを、太郎は本気で恨んだ。こんな素敵な女性を悲しませるなんてどうかしている。せっかく身を引いたのに二股を掛けるなんて、男の風上にも置けない。一発ぶんなぐりたい気分だった。いや、一発だけに留まらず何発でも。

 太郎がそう思っていた矢先、奇跡が起きた。なんと花子の方から告白してきたのである。
 恋人を諦めきれずにいた彼女だったのだが、ひたむきに努力を続ける太郎の姿に心惹かれる様になり、交際を申し込んできたらしい。
 まさかの事態に話が呑み込めない太郎だったが、二つ返事で了解すると、二人の交際が始まった。

 喧嘩や仲直りを幾度となく繰り返しながらも、二人の交際は順調だった。
 やがて卒業を間近に控えるようになると、太郎は以前内定を取った企業とは全く別の一流商社に内定が決まり、花子は大手ではないが、将来が期待される医療系のベンチャー企業への就職が決まっていた。
 二人は卒業したら同棲を始めることを約束していた。人生はバラ色に思えた。花子が一緒ならどんな困難も乗り越えられる。きっと彼女もそうなのだろうと信じていたし、実際花子も同じ考えだった……。
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