第5話

文字数 1,405文字

 それから数日が経ち、花子はついに実家に帰る日を迎えた。アパートは解約しており、必要な荷物はすでに郵送を終えていた。
 名残を惜しむ太郎は、せめて青森まで送らせてと懇願し、東京駅から新青森駅まで新幹線の往復切符を購入した。もちろん花子は片道だ。
 このまま就職を諦めて花子と一緒に青森へ移り住み、交際を続けるという選択肢もあった。
 だが、新潟の両親を思うと、一流商社への入社や、会計事務所の道を諦めることはどうしてもできない。そのために父母は貧しいながらも太郎に上京を許し、がむしゃらに勉強してきたのだ。それにあいにく明後日は入社式。就職する以上、欠席するわけにはいかなかった。向こうに着いたら、すぐにとんぼ返りするしかない。何が何でも、明日までには東京へ戻らねばならなかった。

 会話もなく、隣の席で浮かない顔の花子は、ぼんやりと車窓を眺めていた。
 遠くに山なみが見える。
 やがてアナウンスが流れ、二人を乗せた新幹線は大宮駅を通過した。
 車窓には、背の低いビルとも戸建てともつかぬ建物が無数に流れている。

 前方から子供の声がする。男の子と女の子だ。
 だんだん大きくなり、太郎の席の隣を走りながら笑い声をあげている。実に無邪気な光景だった。おそらく小学一・二年生と思える男子と、もう少し上に見える女子。二人は兄弟なのだろうか。
 程なくして、彼らの母親らしき怒鳴り声が聞こえてきた。
 子供たちは大人しくなり、しょぼくれながら後方へと向かう。
 席に座ったのだろう。やがてクッションの沈む軽い音が聞こえた。春休みで帰省する家族と思われる。

 気まずい空気が二人を支配していた。太郎が話しかけても聞く耳を持たずに、花子はしきりに時計を気にしていた。やはり付いて来るべきではなかったかもという、もどかしくてやりきれない気持ちの中、せめて最後は明るく過ごそうと、記念写真を撮るために携帯を取り出す。
 手を伸ばして、二人はピースサインをレンズに向けながら自撮りをした。
 しかし携帯の画像を見ると、花子は口元だけを微妙に歪めただけで、明らかに沈んだ目であった。
 こんなはずではなかった。
 例えもう二度と会えないにしても、せめて最後まで話がしたい。できれば花子に思いとどまって欲しい……。
 そんな邪(よこしま)な思いが態度に出たのか、花子は益々不機嫌になり、遂にそっぽを向いてしまう。

 気が付くと、列車は郡山駅に停車した。

 車両の前方にある自動ドアが開き、制服を着た中学生らしき少年が、切符を手にしながらゆっくりとこちらへ近づいてくる。
 少年は一人だった。
 通路を挟んだ反対側の四つほど前に自分の席を見つけたらしく、彼は「あった!」と嬉しそうな声を上げてシートへ沈む。

 やがて列車は走り出し、程なくしてドアが開くと、今度は車内販売がやって来た。
 太郎より少し上の、二十代後半とみられる女性販売員がワゴンをゆっくりと押している。
「何か飲む?」太郎の問いかけに、花子は無言で首を振る。
 それでも会話のきっかけになればと販売員の女性を呼び止め、太郎は「何があるのですか?」と訊いてみた。
 販売員はにこりと笑顔を向け、弁当とドリンク、それに土産物をいくつか紹介した。土産物には興味がなかったので、その部分は軽く聞き流す。
 太郎は空腹ではなかったのだが、折角だからと仙台名物である牛タン弁当と、リンゴジュース、それにペットボトルのお茶を購入した。
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