第2話

文字数 1,061文字

 太郎が二回生の時分。
 五月の連休も終わり、将来の方針や就職を具体的に考え出していた頃、大学のキャンパスで花子と出会い、ひと目で恋に落ちた。それまで他の学生の事など気にも留めず、敢えて親しい友達も作ってこなかった太郎であったが、同じ学科のゼミの合間、彼女から声を掛けられたのだ。
「あの……これ、あなたのですか?」
 それは提出予定のレポートの入ったファイルだった。先ほどの講義の際、机に忘れていった物だ。太郎は「ありがとう」と礼をしながらファイルを受け取る。
 その時、ふっと手が触れた。
 急いで手を引っ込めて「ごめん」と謝った太郎だったが、彼女は屈託のない笑顔を向けながら「いいえ」とはにかんだ。
 色白で髪の長い女性だった。柔らかくつぶらな瞳で、一瞬にして恋の矢がハートを突き刺す。顔が熱くなるのを感じた太郎は、恥ずかしさのあまり。逃げるようにその場を立ち去るしかなかった。
 これまで恋愛経験が一切なかった太郎は、胸焦がれるものを感じつつも、恋にうつつを抜かしている場合ではないと勉強に励む。
 しかし日が経つにつれて想いは募るばかり。そのうち授業に身が入らなくなると、これではいけないと一念発起して告白する決意を固めた。

 太郎は布団の中で泣き濡れていた。彼女が「ごめんなさい」と告げた顔が何度も頭に浮かび、もだえ苦しんだ。理由すら訊けなかったことも後悔しきりだった。
 当然だ。
 向こうは太郎の事を何も知らない。
 実際に話したのは一度きりだし、太郎だって彼女の事は名前すら知らないのだ。友達関係も将来の夢も、それから恋人の有無についても……。

 諦めようと勉強に打ち込むが全く集中できず、彼女の事が頭から離れない。昼は事あるごとに彼女を探し、夜になると参考書を開きながら、あらぬ妄想にふける。眠っている時でさえ、枕元に浮かんでは太郎の心をかき回し、弄ばれていた。

 諦めきれない太郎は再度交際を申し込む。
 だがあえなく玉砕。前回訊けなかった理由を尋ねてみると、やはり彼氏がいるとの事だった。
 悔し涙が出た。
 様々な想いが胸に込み上げてきた。
 自分が如何に滑稽で空回りしていた事。彼女の気持ちも知らないで勝手に好意を抱き、悩み苦しんでいた事。一回断られているにもかかわらず、愚行を繰り返した事。
 まるで独りよがりの道化師そのものだった。
 
 それから太郎は彼女への想いを振り切ろうと学業に打ち込む。来る日も来る日もレポートに追われ、徹夜の日々を過ごした。まるで大蛇から逃れる子ネズミのように我を忘れ、ひたすら勉強だけに集中していった。
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