第18話 綾姉の結婚

文字数 5,505文字

六月の花嫁と言う言葉があるが、日本の気候では、ともすれば梅雨の走りとなり、結婚式にはあまり良い時期では無い事もある。でも、その日は絶好の天気となった。僕等と同じく、派手な式はしないと雪人さんは言っていた様に、パーティーは事務所で行う事になっていたが、自身がクリスチャンのため、結婚式は教会で挙げる事となった。外苑からさほど遠くない、大きな教会で式は行われた。
何処から聞いて来たのか、学芸関係のマスコミ記者も数人きて取材までしている情況であった。その日は、数組の挙式が有ったが、他の花嫁には失礼かもしれないが、その日の綾姉のウエディング姿は誰もが目を見張った。それは、最近開いた雪人さんの個展でメインと成った絵その物の様な美しさだった。
「あの絵から抜け出たみたい。」美紀が羨望の目で賛美しただけでなく、あの絵を見た人であれば、そのモデルとなった人物である事が一目で解った。記者達も
「実在の人物が居たのか。」一斉にシャッターが切られ、まるで何処かのスターでも来たかの様な情況であった。そんな綾姉の姿を見ながら僕は側にいる美紀に
「美紀も教会で式挙げたかった?」と小声で尋ねた。
「うん、小屋での式も素敵だったけど、それとは違う華やかさがあるわね。」
「ならもう一度やろうか・・・日本じゃないけど。」
「え、どうして!」
「まあ、楽しみしていて。」
美紀とのそんな会話が終わらないうちに、叔母(綾姉の母)がやって来た。叔母は化粧が落ちる程泣いていた。
「あなた達の結婚式には出られなくてゴメンね。また何処かでお披露目でもしてちょうだいよ。」叔母は、僕等が半ば強引に進めてしまった山小屋での結婚式を半分やっかむ様な口調で言った。
「綾佳さん綺麗でしたね。一寸羨ましくなっちゃった。」
「美紀ちゃんもウエディング着たら綺麗よ。」
叔母の言葉に
「その時は来てくれる。何処であっても。」僕が言うと、
「山以外なら何処でも行くから。」
「海外なんだけどいい。」僕は冗談交じりで言った。
「何処か宛でもあるの。」
「まあその内連絡します。」
「楽しみして待ってるわ。哲治さんと。」
叔母は、父の名前を出して、僕に確約を取り付け様としている感じであった。
「親父とは?」
「一応これでケリが付いたから、ソロソロね。その時は来てくれるかしら?」
「時と場所と場合に依ります。」僕は素っ気なく答えた。僕等は教会を出て、叔母と三人で、パーティー会場の雪人さんのアトリエに向かう途中、時間潰しに喫茶店に立ち寄った。
「こんど学会から賞を頂く事になって、僕が代表して行く事に成ったんだ。向こうで、講演もやらなければ成らないけど。」
「何の賞?」美紀が尋ねた。
「一つは生命科学でもう一つは数学。」
「数学!」
「生命発動機構に対する特種群論の適用と展開、と言っても解らないと思うけど。」
「和君て、数学科だったけ。物理だとおもっていたけど。」
「元々数学だけど、物理科の教授に引き抜かれて今に至った次第です。」
「それで何処へ行くの。」
「ドイツ、スペイン、アメリカ」
「それって、殆ど世界一周みたい。」
「それで、美紀も一緒に来て欲しいんだ。あっちて、夫婦同伴の出席が多いだろう。それに新婚旅行も兼ねてだけど。ドイツで、美紀のお父さんにも逢いたいし。」
「そう言う事か。」美紀が納得した様に言った。
「其処で貴方達は、式をやろうて事ね。」叔母が口を挟んだ。
「うん、具体的な事が決まったら連絡しますけど、パリで雪人さんが個展を開くから、その辺ともリンクさせたいなと思ってるんだけど。」
「そんな、長いお休みが取れるの?」
「うん、了解は得てるし、暫く彼方の研究機構で、指導しなけりゃいけないんだ。」
「え、何処くらい。」
「まあ、二、三ヶ月かな。美紀には、突然で悪かったけど、病院の薬事の方とは話が付けてあるから一緒に来て。」
「それで、最近こそこそ病院の方へ出入りしていたのね。」
「うん。それと茜ちゃんの件を圭輔さんから頼まれてたし。」
「え、どうするの、茜ちゃんて。」
「暫く休職する事になっている。」
「やっぱりカイラスへ。」その言葉を聞いて叔母が反応した。
「カイラスて、何処かの高い山の事よね。」
「チベットにある仏教の聖地です。」美紀が言った。
「昔、綾佳が行きたがって所なので、聞き覚えが有ったのよ。」
「亮さんの思いでも葬りたかったのかな。」僕が何気に言うと、叔母は
「それも有るけど、本当に葬りたかったのは和也への思いでしょう。もうお互いが落ち着く所へ落ち着いたから、話すけど。美紀ちゃんの前では一寸気が引けるわね・・・綾佳は
和也と一緒に成りたかったのよ。」
「ええ、だって僕と綾姉とは、親分子分の関係だよ。」
「え、何よその親分子分の関係て。」
「何時も、綾姉は僕の保護者気取りだし。」
「ああ、そう言う事ね。確かに和也に、負い目が有るのは事実ね、あの事依頼。和也はあの時死んでいてもおかしくなかったものね。」
「それて、和也さんが血を吐いたて件の事でしょ。そんなに酷かったですか。」美紀が口を挟んだ。
「ええ、あの時は大騒ぎよ。血だらけのブラウスのまま病院に居た綾佳を見てビックリして、綾佳たら私の顔見るなり『和也死んじゃうよ』と泣きわめき出して。」
「そおう・・僕は結構冷静に綾姉は対処してくれていたと思ったけど。」
「あなたあの時意識が有ったの?一歩間違っていたら呼吸困難で死んでたのよ。あの病院にたまたま肺の専門医が居たから良かったような物の。」
「綾姉が花柄の服を着て、僕の周りで何か歌ってた様な気がするけど。」
「それって、意識が無かったんじゃないですか。」ぷぅと笑いながら美紀が言った。
「叔母さんが考えているより、綾姉は冷静だと思うよう。僕に対しても。ねえ、美紀。」
「うん・・・和也さんの恋人として妻として綾佳さんを見て来ましたが、本当に可愛い人ですよ。私達のベットに潜りこんで来ても、不快感は無いし。」
「和也、そんな変な事してるの!」
「誤解しないでよ。変な真似してないから。綾姉、淋しく成ると誰かに抱きつく癖があるでしょう。その延長上の話で、例えが悪いけど、近所の馴染み猫がふらっとやって来て、膝の上でゴロゴロ言いながら寝てるみたいな感じかな。雪人さんの所へ引っ越した後も時々、僕等の部屋に来て寝てる事が有るんだけど。ベット一つしか無いから、三人で寝てるだけだよ。」
「まあ、良いわ。兎も角それぞれに片づいてくれたから。あとは、山下分家の跡継ぎ問題だけね。美紀さん宜しくね。和也も頑張ってね。」
「それって、綾姉と雪人さんに言ってよ。」僕等は苦笑いをしながら店を出た。
 アトリエでのパーティー(披露宴)は、身内だけの質素なものだったが、それぞれの人達の暖かい思いが込められていて楽しかった。綾姉は、施設の子供達からプレゼントを貰い、涙ぐんでいた。そして、呼び名も『おねえちゃん』から『ママ』に変わった。そんな控えめのパーティーでは有ったが、雪人さんの趣向で、所謂お色直しが行われて、みんなの目を引く事になったのも楽しい出来事の一つであった。
「次回のパリの個展を意識してデザインした衣装です。」と言って現れた雪人さんと綾姉は何処かの星から来た宇宙人の様な姿で、以前綾姉が言っていた、変なコスチュームらしかつたが、
「あれをパリで着たら、フランスの男達を悩殺するね。」僕はくっきとりとボディーラインの出た綾姉のコスチュームに目をやりながら、
「依然は、絶対にあんな服着なかったのに。」と独り言を言っていた。暫くベランダで風にあたっていると美紀が来て、
「綾佳さんおめでただって。」
「ええ、お腹全然目立たなかったけど。」
「これが最後だから、あの衣装を着たらしいよ。」美紀は、何か言い足そうな雰囲気を残して黙った。男には解らない体型の微妙な変化を女は感じ取っているのかもしれない。
「美紀もできたとか?」
「ううん、まだ。でもそろそろ欲しいな。」
「よし、僕等は海外で頑張ろう。新婚旅行中に生まれたとか、まあそれは一寸無理かな。」
「何だかナイチンゲールの話みたい。」
「ナイチンゲールて、あの看護士の元祖の人の事。」
「うん、彼女は、新婚旅行中に生まれた子供なのよ。もっともとんでも無いお金持ちの家だから、何年も旅行してたのだけれどね。」
「へえ、まあ其処までは無理だけど。」僕は寄り添って来た美紀の肩を抱きながら、少し前の出来事を思っていた。
 あの夜の綾姉は、まるで別れを告げに来た猫の様であった。肺炎で入院した後、自宅療養中の僕の所へふらっとやって来た綾姉は、
「入院中は見舞いにも行かず、悪かったな。事務所の仕事やら絵の手伝いやらで忙しくて、美紀からメールは貰っていたので死ぬ様な事は無いと解っていたから、自分の仕事を優先させてしまった。」
「うん、別に気にしなくて良いよ。その分葵女医に面倒みて貰ったから。」
「西園寺にか!何かされなかったか。彼奴もお前を狙ってる一人だからな。」
「それって、どういう意味。それに他に誰が狙っているんだよ。」
「私の母と私だ、お前も解るだろう。母は、お前と私が一緒に成ることを望んでいたし、
西園寺家も同じだ。家の都合で考えれば、当然のことだ。」
「それは昔の話だろう。僕は家でたし。山下家を継ぐ気は無いから。それに今は美紀が
いる。綾姉だって雪人さんが居るじゃない。」
「それも、お前が私を抱けば全て消える事だがな。」
「抱いて寝る位、何時だってやってたろう。」
「意味が違うだろうが。」僕はわざと、綾姉を怒らせる様に対応していた。綾姉はその挑発に旨く乗って来ていた。
「だいいち、今日は何しに来たの。病み上がりの弟分を看病しに来たんじゃ無いの?」
「まあ、それもそうだが。お前本当に、私を抱きたいと思った事は無いのか。」
「無い事はないけど・・血吐いちゃったし。」
「結局それが、トラウマなのか。」
「まあ、あんな事が無くて、美紀を好きになる前なら・・・叔母さんの陰謀にはまっていたかもしれないけど。」僕は、綾姉を冷たくあしらう様に言った。それでも綾姉は、淡々と夕食を作ってくれていた。
「出来たぞ。それから風呂に入った方が良いな、臭いぞ・・・じゃあ帰るから。」
「ええ・・・」僕の驚きも気にせず、帰り支度をして、部屋を出て行く綾姉の後ろ姿がやけに淋しそう見えて、思わず抱きしめてやりたくなった。だが、そうする事で今までの全てが変わってしまいそうで怖くて出来なかった。綾姉が去った部屋は、変な虚無感だけが残っていた。僕はその中で、一人食事をし、久々の風呂に浸かった。
「何が言いたかったのか、何をしたかったのか?」そんな独り言が頭の中を堂々巡りし始めていたら、湯気に当たってしまった。慌てて、風呂から出ると、そのままソファーで朦朧としていた。
「和君・・・和君、こんな所で寝てたらまた入院する事に成っちゃうよ。」美紀の声で、意識が戻ったが、
「ああ、美紀か・・・うん、綾姉!帰ったんじゃなかったの。」
「雪人さんの事務所、今日は誰も居ないので泊めて欲しいんだって。」美紀の言葉に、何だそれが言いたかったのかと納得して
「でも、綾姉のベット無いよ。」僕は意地悪く言った。
「ああ、解ってる。お前達のベット広いだろう。だから三人位は寝れるだろう。」
「あの、私取りあえず帰らなきゃいけないのよ。母との話も有るし、親戚も来てるから。」美紀は、まだ両親のごたごたの渦中であった。
「ええ!美紀帰っちゃうの。」僕は小声で
「綾姉に襲われても知らないからな。」と言うと、
「だって、貴方達、づうっと同居してたんでしょ。今更何よ。」美紀に言われて、
「そうか、まだ美紀と同居している時間より綾姉と同居した時間の方が長いよな。」変に納得している自分に気づいた。結局、一度帰った綾姉が戻ってきて、帰って来たと思った美紀が居無くなった。そんな経緯で、結局綾姉と、一つのベットで寝る羽目に成っていた。
「ふーん、風呂に入って良い臭いに成ったな、さっきは臭かったからな。お前とこうして寝るのも久ぶりかな。」
「そーかな、この間、小屋で抱きついてこなかつた。」
「うん、あの穴蔵部屋の事か。良く覚えていないが・・・」綾姉は、僕の背中越で言いながら、体を寄せて来た。
「あんまりくっ付かないでよ。綾姉の胸でかいんだから・・・」
「そんなら、こっち向けば良いだろう。」
綾姉はわざと身を寄せてきた。
「背中に張り付かれるのが嫌ならな。」
「解ったよ・・・」僕は一寸不安を感じながら向き直った。案の定その瞬間に、綾姉の胸の中に羽交い締めにされた。
「ああ、久々に和也を抱いたな。昔は良くこうして抱いて寝てやったろう。」
「綾姉!苦しいよ。」そう言うと、絞め技の力を少し緩めてくれた。綾姉の胸の中で、彼女の匂いと記憶の中にある過去の母の香りが重なって押し寄せて来ていた。暫くその状態が続いていたが、綾姉は満足したのか、不意に僕の頭を解放してくれた。
「お前、体の方は大丈夫か。無理するなよ。私の父も、お前と同じ肺の病がきっかけで死んだんだからな。」
「ああ、解ってるよ。そう言えば、叔父さん(綾佳の父)の事て詳しくは知らないな。遺影の写真でしか見た事無いよね。」
「そうだな、私が三つの時に他界しているから、私も良く覚えていない。当時は、年に似合わない若い嫁を貰ったと言われていたそうだ。」
「考えて見れば、綾姉も片親なんだよな。叔母さんと親父が何時も一緒に居るから、あまり気にして無かったけど。」
「割れ鍋に綴じ蓋か。」
綾姉が納得した様子で言ったので、人の縁えにしとは、面白いものだなぁーと思いながら眠りに付いていた。

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