6、甘い、甘いチーズケーキ-2

文字数 2,569文字

「あら、なあにこの長い髪⁉」
 すみれさんがチーズケーキの中から糸状のものをつまみ上げて叫んだ。
 レアチーズケーキ。少しでも利益率の高いもので客単価を上げようと、オーブンの要らないレシピで最近始めてみたメニューなのだが。
 すみれさんがつまんでいるのは、黒くて15センチくらいの細い糸。貴広は素早く客席へ向かった。つるりとした光沢から絹糸か人毛。確かに人毛っぽい。
「どういうこと、マスター。信じられないわ。売りものにこんなものが入っているなんて。どういう衛生管理をしているの」
「はあ、すみませんが、すみれさん、どのヘンからどのように出てきましたでしょうか?」
「何よ、言い訳しようって言うの? 見損なったわマスター。そんなひとだと思わなかった」
 ヒステリックなすみれさんのわめき声に、店内がざわめき始める。珍しく満席に近い繁盛っぷりだった。この店や貴広のことをよく知らない、新規客も数組入っている。
(さて、どう収めたものか)
 貴広は思案した。
 貴広の後ろからごいんきょがやってきて、すみれさんの手許をのぞき込んだ。
「はてさて、確かにこれは髪の毛のようでございますねえ。この長さで真っ直ぐですと、犬猫の毛ではない。毛だとしますれば間違いなく人間の髪でございましょうなあ」
 感情的なクレームにはすぐに結論を出さず、まずのらりくらりと時間を稼ぐ。そのうち客の激情が落ち着いてくるのを待って、それから本題に戻る。クレーム処理の鉄則だ。
(さすがごいんきょ)
「こんなものが食べものの中に入っているなんて、キモチ悪い! マスター、これ、このお店で自作してるって言ってましたよね」
「……はあ。昨日の夜に作ったものです」
 これは本当だ。材料を混ぜて型に流し、ひと晩冷蔵庫で冷やし固めるレシピなのだ。
「髪の長いひとが作ってるんですね? マスターは確かにモテるんでしょうけど、この店の上でどんな生活してるんです? 不潔ですよ」
 ん?
 何か、風向きが、変わってきてないか?
 ボックス席の客が帰り支度を始めた。数分前にコーヒーを運んだばかりの客だ。まずい。
「すみれさん、別に僕は……」
 貴広が弁明しようと口を開くと、いつの間にか後ろへ来ていた良平が遮った。
「俺だけど」
 良平はそうキッパリと言った。すみれさんはたった今良平に気づいたようだ。
「俺だけど、そのチーズケーキ作ったの」
 すみれさんは赤い髪を揺らして口を開いた。
「何よ、マスターを庇っちゃって。そんな嘘通じると思ってるの? あんたバイトでしょ? 何時に上がるの? そんな遅くまで、この店がひとを雇ってられる訳ないでしょ」
 うーん。この店の営業事情は、常連になりかけていたすみれさんには丸分かりだ。どう言ったものか。
「すみれさ……」
「俺、住み込みだから」
「は?」
 すみれさんはその場に固まった。
「何時までって、ずっとだよ。俺、この上で暮らしてんの。当然俺はこんな長い髪してないし、夕べだっていつだって、誰も来てないし上げてない」
 すみれさんは絶句している。貴広はさすがに「良平君……」と止めようとしたが。
「だからさ。そんな髪なんか、混入するハズないんだよね。ってことは、あんたさあ」
(「あんた」はマズイよ、良平……)
 だが良平には妙な迫力があり、貴広にも止められない。
 常連さんたちも、店内のお客さんたちも、みんなが見ている。シーンと静まりかえった店内に、良平の声だけが響く。
「あんたが、持ちこんだんじゃないの?」
「ええ?」
 貴広は良平を振り返った。
「あんた、自分の赤い髪とは違う、自分より長い髪なら疑われないと思って、誰かのを持ってきたんだろ。目的は? この店にクレーム入れて、どんな得があるの?」
「そんな……あ、あたしは別に……」
 さっきまで目をつり上げていたすみれさんが、しどろもどろだ。
「誰かに頼まれた? お金? それとも別の何か?」
「あたし……あたしは……」
「言えよ。ハッキリ」
「ストップ!」
 言い募る良平を貴広は止めた。ほかの客の前で、これではまるでつるし上げた。
 貴広は良平の耳許で「ありがと」と呟き、カウンター内へ戻るよう背を押した。良平は一瞬唇を噛んだが、くるりと戻っていった。
 貴広は深呼吸して、すみれさんの足許にしゃがみ込んだ。
「すみれさん、騒ぎ立ててすみません」
「……マスター」
 すみれさんの目から涙があふれる。
「でもね、彼の言うことも正しいんです。それが髪の毛であっても別のものでも、混入するきっかけは思い当たらない。よかったら、話してもらえますか? ああ、今じゃなくていい。ほかのお客さまのいないときに」
 すみれさんは無言でうなずいた。貴広もうなずき返し、立ち上がった。
「ああ……みなさん、大変お騒がせしました。お店からのお詫びとして、お飲みもののお代わりをサービスさせていただきます。店内をポットを持って回りますので、お時間よろしい方はどうぞごゆっくりなさってください」
 店内をぐるりと見回し、声を張ってそう言うと、カウンターでごいんきょがパチパチと手を叩いた。
「すばらしい采配でございますです。さすがはあの、先代マスター、虎之介さんのお孫さんでございますな」
 ごいんきょにつられ、店内のあちこちで拍手が起きた。貴広は居心地悪く頭を掻きながら、お代わりコーヒーの準備をしにカウンターへ戻った。
 カウンター内では、良平がすでに大きめの薬缶に湯を沸かし、ドリッパーをセットしていた。
「済まないね、良平君。すっかりフォローしてもらっちゃって」
 貴広は常連さんたちの手前、礼儀正しいもの言いをする。良平はテキパキと手を動かしながら首を振った。
「いえ。こちらこそ、済みません。大事(おおごと)にしてしまいまして」
 ああいう風に正面切って言い返すのは、理想的な解決ではない。良平はその自覚があるようだった。いいコだ。本当に。
「……黙っていられなくて」
 そう小さく良平は付け加えた。
 ふたりで住む部屋で、ふたりで開発した新メニューを作った。良平はそれを汚されたくなかったのだ。
(可愛い……いじらしい……)
 貴広は自分がもう、ただの恋人にメロメロなおっさんなことを知る。
 ポーッと良平を見つめていると、良平がほんのり頬を赤くして、貴広の腰を叩いた。
「いいから、マスター、仕事してくださいよ」
「……ああ。はいはい」
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