5、夜の果て-2

文字数 2,611文字

「お前の話はいつも小出しだねえ」
「は?」
 良平は、貴広の作った野菜炒めから顔を上げた。
「『は?』じゃないよ。『全部話せ』って俺言ったよな」
「ああ、うん。言った言った」
「だろ? だから泊めてやったんじゃないか」
「……うん」
「良平が『ただ泊めてくれるだけじゃヤダ』って。『手出してくれないと』って言うから、俺ちゃんと手ェ出したよね」
「う」
 良平の頬が赤く染まる。貴広は構わずたたみかけた。
「大した経験のないお前に、俺、ゆっくり、じっくり、全部教えたじゃん。キモチよかったんだろ?」
 良平は「うぅ」とうなって箸を握った手を上げた。熱い頬を隠すように。
「もうほかのヤツに媚売らなくてよくなったろ? ここへ来れば、寝床もその中のコトも、どっちも手に入る」
「ん……」
「メシ食わせて、赤字の店からバイト代払って、夜は夜でメチャ可愛がって。そんな俺に、ちと冷たくないか?」
 良平は泣きそうな顔になった。
「貴広さん……」
「ん? 何だ?」
 貴広は箸を置いた。
「全部話す気になったか」
 良平はこくんとうなずいた。
「よし、じゃあ話せよ」
「たかひろさぁん」
 甘やかに鼻にかかった良平の声。だが貴広はぴしゃりと言った。
「ダメ。全部しゃべって、片付けて。キモチいいコトはその後な」
「ううう……ひどいよ。あんなこと言われたら、反応しちゃうじゃん」
「知らないよ。先に全部しゃべらなかったお前が悪いの」
 瞳を濡らして指をかむ良平。可愛くて可愛くて、貴広はついほだされそうになる。だが今夜は話を優先しなくてはならない。
 ごいんきょが、動いてくれている。

「この間俺しゃべったじゃん、昔馴染みの海斗ってヤツ。そいつに脅されて、俺、一度あいつの『兄貴』ってヤツの仕事場へ行ったんだよ」
「うん」
 夕食を食べ終わり、貴広は良平の話に相槌を打ちながら茶を淹れた。良平が少しでも気を楽に話し進められるよう、ノンカフェインのカモミールティを選ぶ。カスガ・フーズの営業が商品見本として持ってきたハーブティだ。
「中央区のふっるいマンションでさ」
 貴広は茶のカップをふたつ、静かにテーブルに置いた。
「『中央区』っても、盤渓だって中央区だけどな」
「あ、そうなの? 普通に街中だったよ。市電の……どこ駅だったかな」
 良平は素直にカップを手に取り、ふーふーと吹いた。その額に汗が光る。
「ま、とにかく、海斗に連れられてそこへ入ると、中は普通の2LDKのマンションなの。テーブルに何か紙がワサワサ置いてあって、応接セットのソファは破れ目から綿が出てて、んで」
 利益の出ない商売で、備品を更新することもできないのだろうか。……はは。ひとのことは言えない。貴広は無言でうなずいた。
 良平は言葉を探すような数秒のあと、再び口を開いた。
「……何かヘンなんだよ。だって仕事場だろ? 倉庫代わりで段ボールが詰んであるとか、机が並んでるとか、そういうもんだろ? なのに、奥の部屋にはでかいベッドがどかんとあって」
「うん」
 ベッドを使う仕事もある。整体とかエステとか。だが良平の言うのはそんなことじゃない。貴広は黙って先を促した。
「部屋の隅には三脚とか、何か……ライトみたいなもんとか、そういう機材がごしゃっと寄せられてて。おかしいだろどう見ても。どんな仕事だよって……そういう仕事、なんだろうけど……さ」
 貴広は唇をかんだ。
「んで、その兄貴ってヤツはこう言う訳……」
 家に帰りたくないなら、好きなだけここにいればいい。海斗の友だちならOKだ。家賃も別に要らない。ただちょっと、大学の講義のないときに、宿代代わりに仕事を手伝ってもらうかもしれない。「兄貴」は良平にそう言った。
「『仕事』?」
 どう聞いてもまともな仕事じゃない。
「うん」
「それでお前、何て返事したの」
 良平はカップを置いた。
「断れる雰囲気じゃなかったからさ……とりあえず『考えさせてください』ってだけ言ったけど……」
「それで?」
 良平はうなだれ、指をいじっている。貴広はボツリと言った。
「寝たのか」
「え?」
 良平はハッと顔を上げた。そして勢いよく首を横に振った。
「寝てない。寝てないよそいつとは。俺、逃げてきたんだ」
「は?」
「俺、その頃寝るとこなくて、慢性的に睡眠不足だったんだよね。つい綿のはみ出たソファでうとうとしちゃって。奥でそいつと海斗が話してるの……聞いちゃったんだ」
 もうひとつの部屋で、兄貴と海斗はPCを一緒にのぞき込み、映像の画質や音声の品質確認をする合間に、「こいつはもうダメだ」とか、「今回のは上手にやって、長く稼ぐ」とか不穏な会話を交わしていたらしい。
「ボソボソと小さな声だったけど。俺は寝てると思って油断したのか」
 この仕事に引き込むんだから聞かれてもいいと思ったのかもしれない。そう良平は自嘲した。
「いっそ説明が省けていいくらいにさ」
 貴広は黙って続きを待つ。
「動画撮られるなんてカンベンだ。デジタルタトゥーってか、残るじゃん永遠に。今度こそマトモな人生送れなくなっちまう。だから俺、やつらがベッドの部屋で機材を何ちゃらやってるスキに、急いでそこから逃げたんだよ」
 どうしてこの子はこんなに危ういのか。黙って聞いている貴広はもうずっと胸が苦しい。
「でもさ、俺がどこの誰かなんてすっかり知られてる。純や地元の連中に何と吹聴されるかも分からない。あまりに危険だと思ったんだよ。だから」
「……だから?」
 言葉を切る良平を、貴広は苦しい息の下で促した。
「証拠の品をひとつ拝借したんだ。連中の、悪事の証拠をさ」
「はああああ……」
 それだ。
 あの、反社会的な雰囲気をまとったいい男。
 彼が謎をかけていた「友人からの頼まれもの」。それは、確かに良平が持ち出していたのだった。
 貴広はテーブルに突っ伏した。
「貴広さん? ねえ、貴広さん」
 良平は慌てて貴広の肩を揺する。その細い指の感触に、貴広は無性に腹が立った。
「もおおお、お前はどうしてそういうムチャするの! 自分がどんな立場にあるか、ホントに分かってるの?」
「貴広さん……」
 この細い指を握り、華奢な腕を折るなんて、薄い背を踏みつけるなんて簡単だ。そういう目に遭わなかったのは単純に運がよかっただけだ。どうしてそんな危険に自らを晒すのか。この身体をエサにして、男を釣って。腹が立つ。貴広は腹が立ってしようがなかった。
 幸せに親の家から学校に通う、普通の大学生でどうしていられない。
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