第4話

文字数 2,455文字

「今度そっちに行くから」

電話越しにため息をつきながら、昔馴染みの友達のゆうこが言った。

「何もないところよ」

私はそう言いながら、心の中では来ないで欲しいと言ったつもりだったが
彼女には響いてなかった。

「ろくに連絡もしてこないで、いきなり遠くに言っちゃってさ。
たった一人の親友を邪険に扱うんじゃないわよ。」

ゆうこの口調は、いつもこんな感じで、優柔不断な私とは正反対だ。

私は仕方なく、そうねとだけ言った。

ゆうことは会社勤めの時に知り合った。

物おじしない性格のせいで、いつも上司と真っ向からぶつかっても
負けなかった。
間違っていることを、間違っていると真っ直ぐな目で
言うので、最後は上司も折れていたが。

私が失敗した時も、よく庇ってもらっていたものだった。
大丈夫よ。なんとかなるから。そう言われると本当に大丈夫な気がしたものだ。

ゆうこの優しさに、何度救われたかわからない。
だから、怖いのだ。
邪険に扱ってるわけじゃない。
会えばきっと、怖くなる。

捨ててきたものの重さに。

電話を切ると
チャイが、茶の間でぐっすり寝ているので私は
そっと外に出た。

今日の海は明るい。

夏が来てあれから半年経つ。

そして、私に残された時間も、あと少し。

これからどう生きようか、編集者と押し問答の末に、決定した
エッセイをどう書き上げようか。

海辺を歩きながら、明るい海を見ていた。

どうやって、死のうか。

毎日、毎日、考える度に行き詰まるその問いに、
今日もまた立ち止まってしまった。


夏の風なのに少し肌寒い海風に、髪がなびく。

病院の、窓からそよぐ風もこんな少し冷たい風だった。

「残りの人生は、自由に生きてもいいと思うんだ。」


大好きなミステリー小説のページをめくりながら、
仕事をどうするか迷っていたわたしにあの人はそう言った。


「もう、誰かの為に生きる必要はないんだよ。」

どうしてそんなことを言うのかわからなかった私は
返答に困ったものだった。

「どんなことがあっても、君ならこの先の道を進むことができるんだ。
君の強さに、僕は何度も救われてきた。
諦めようとしていた、治療も、君といたかったから、
やろうと思った。
だからね。君は、君の強さを信じて生きてほしい。」

残り少ないとわかってから、あの人はよくそんな事を言った。
まるで、私が後を追うのを見透かされていたかのように。

「この強さはあなたと一緒にいるからあるの。」

溢れそうな涙を堪えながら、必死に訴えたが、
彼は少し悲しそうに笑いながらまたページをめくった。


誰のためにも生きる必要のなくなった私は
あの人のために死ぬことを決めた。

雨が降り頻る、夏の夜。

あの人が息を引き取った暗い病室の中で。


足元にある貝殻を拾いながら、昔きっとあの人も
こうやってここで貝殻を拾いながら、物思いにふけていたんだと思いを馳せた。


「綺麗ですね海。」

後ろから声がして、私は一瞬息を呑んだ。

一人で歩いていても、ここら辺は普段歩いてる人が誰もいないのだ。

振り返ると、若い男性が立っていた。

私は驚きつつも、そうですねとだけ答える。

「ここの出身の方ですか?」

そう聞かれ、首を振る

「だと思った。初めて見る顔だったから。」

やけに馴れ馴れしい感じに、少し警戒心をだく。
ここにきて半年だが、全員の顔を知っているわけではなかった。

「ここ出身の方ですか?」

そう聞くと、彼は首をふり、

「いえ、叔母がいるんです。東京から遊びに来ていて
あそこのイタリアンレストラン経営してるんですけど。知ってるかな。」

「島田さんの甥っ子さん?」

「そうです。しばらくこっちにいることになって。
久しぶりに、この海を見ようと思ってきたら
今にも海に飛び込みそうな女の人がいるなって思って。」

びっくりしたと同時に戸惑った。
そんな風に周りから見えていたのか。

「まさか。そんなことしませんよ。」

そういうと、彼は目尻を緩ませ、

「ならよかった。僕泳げないんで助けれるかなと心配だったんですよ。」
と、笑った。

その笑い方がなんだか懐かしかったので、私も笑ってしまった。

「私、今島田さん家をお借りしてるんです。1年だけ。」

「1年だけですか?」

「ええ、」

「1年だけここにどうして?」
彼は不思議そうに聞く。
島田さんの甥っ子さんなのに、よく詮索する子だと思った。

「1年立ったら、別の場所に行こうと思って。」

そう言うと、彼は納得したようなしてないような返事をした。

「もっといればいいのに。僕は、いずれはここに移住しようと考えてます。
そのための準備に。」

私は、そうですかといい、これ以上話すのをやめようと思った。

「僕は、写真家なんです。海専門の。」

聞いてもないのに、話始めたので仕方なく顔を見た。

まだ20代くらいの彼は、浅黒い肌に、やけに筋肉質でとても写真家には見えなかった。

「ダイビングとか、よく写真撮ってる人いるじゃないですか。
あれ専門。」

その答えでなんとなく納得した・

「海が好きなんですよ。小さい時から。」

その言葉で、なんとなくだが少しだけ警戒心が解けた。

「お姉さんは何やってるかた?」

40も近い女に軽々しくお姉さんだなんてと思ったが、
私は、物書きですと答えた。

「へえ、すごい。小説家とか?」

「いえ、主にエッセイだったり、」

「すごいな、僕は国語の方がダメで。言葉を表現できる人すごいと思います。」

「そんな大したことはしてないんですよ。ただ、残しておきたくて。」

「何を?」

「自分が生きた証を。」

そう言って、私は思わず戸惑った。これじゃまるで、死ぬみたいじゃない。

「そうか。僕も一緒です。僕が生きた証を残したいんです。
僕の目で見た、ファインダー越しの景色だったり、誰かの笑顔だったり。
僕の人生はこんなにも豊かで、恵まれていて、死んでも、幸せだった証を。」

そういった、持っていた一眼レフで、穏やかな茜色の海にファインダーを向けた。

「コウと言います。」

「玲です。」

私たちは、お互い挨拶をし、そのまま別れた。

初めてあったのに、なんだか懐かしい写真が引き出しの奥から出てきた
感覚はなんだろう。

不思議な気持ちになりながら、ゆっくり家路についた。
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登場人物紹介

稲葉 玲  

39歳 

東京から離れた田舎で、一軒家を借りてエッセイを書いている

猫のチャイと2人暮らし



米田 コウ

29歳

写真家

今井ゆうこ

39歳

玲の元同僚

米田勇

54歳

玲の死んだ恋人

島田 美久

56歳

コウの叔母

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