第9話
文字数 1,379文字
早見をネタにした原稿は、結局没にしてしまった。
だが、その後も、僕は変わらず小説を書いている。クラスメイトの馬鹿どもによる僕に対するからかいも変わらずだが、それしきでやめるつもりはさらさらない。
早見薫は、あれから一度も学校に来ていない。最初こそ噂の的になっていたが、夏休みが開けて一週間も経てば、すっかり誰も触れなくなってしまった。いつか早見本人が言っていた通りだ。
僕も、あえて早見に連絡をとろうとはしなかった。必要ならば、必ずあいつの方から僕の方へと会いに来ると信じていたからだ。
だから僕は、今日も小説を書いている。いつかあいつが来た時に、新作だと言って見せてやるために。
もうそろそろ最終下校の時刻なのに、どうしても良い一文が思い浮かばない。図書室だってとっくに閉まってしまったから、自分の机でまた原稿を広げることになってしまった。
目を閉じて突っ伏していると、まぶたの裏に影が落ちた。椅子を引く音で、僕は自分の前の席に誰かが座ったのを感じる。
「……引っ越すことになったから。早見もあんたもいない場所に。だから、最後に顔を見てやろうと思って」
「……は?」
頭の上から投げかけられたのは、余計な説明を一切捨象した、最低限の言葉だった。視線を上げた先では、知らない制服を着た女子が僕を見下ろしている。真っすぐに切りそろえられた前髪の下の目が、鋭く僕を突き刺した。
「……言っておくけど、反省文とか送られてきても迷惑だから。あんたもあいつに言っておいて」
「……もしかしてあんた、植村……?」
黙って頷くと、植村は僕に紙束を突き出した。それは、僕が早見に貸していたはずの本だった。
僕の返事を待たないまま、植村はさっと立ち上がって教室を出ていった。
「あいつ、女子だったのか……早見もなかなか趣味が悪いな……」
思わず独り言ちながら、僕は返ってきた本をぱらぱらとめくる。後から調べてみても、早見が口にした感想の中には、どこかからのコピペか分からないものがあった。もしかしたら、それは植村の言葉だったのだろうか。だとしたら、僕とは趣味が合うのかもしれない。
もし違う場所で出会っていたら、友達になっていた可能性さえある。なんて、楽天的すぎる妄想だ。
僕は適当に開いたページから、なんとはなしにその本を読み始めてしまう。自慢じゃないが、集中すると周囲が目に入らない方だ。だから、もう一度誰かが前に座っても、読み終わるまで全く気が付かなかった。
本を閉じて初めて、僕はそいつがじっと僕を見つめていたことを知る。
「……おい、じろじろ見るんじゃない」
「ああ、すまない」
「……ようやく学校に来る気になったのか」
「先生がいるからな。また文章の書き方を教えてもらわなければならない」
「反省文ならいらないって言ってたぞ」
「知ってるよ。俺が今書きたいのはラブレターなんだ」
「植村相手にか? お前、本当に趣味が悪いな」
「違うよ。俺が好きなのは、誰より賢くて、勇気があって、優しい女の子だ。実を言うと、もう書いてきてしまったから添削してほしいんだ」
早見はポケットから小さな封筒を取り出すと、僕の目の前にそっと差し出した。
その表には、「油木春香様」と僕の名前が書かれている。
「……やっぱりお前、趣味悪いよ」
眉をしかめながら吐き出された僕の言葉に、早見は柔らかく目を細めて笑った。
だが、その後も、僕は変わらず小説を書いている。クラスメイトの馬鹿どもによる僕に対するからかいも変わらずだが、それしきでやめるつもりはさらさらない。
早見薫は、あれから一度も学校に来ていない。最初こそ噂の的になっていたが、夏休みが開けて一週間も経てば、すっかり誰も触れなくなってしまった。いつか早見本人が言っていた通りだ。
僕も、あえて早見に連絡をとろうとはしなかった。必要ならば、必ずあいつの方から僕の方へと会いに来ると信じていたからだ。
だから僕は、今日も小説を書いている。いつかあいつが来た時に、新作だと言って見せてやるために。
もうそろそろ最終下校の時刻なのに、どうしても良い一文が思い浮かばない。図書室だってとっくに閉まってしまったから、自分の机でまた原稿を広げることになってしまった。
目を閉じて突っ伏していると、まぶたの裏に影が落ちた。椅子を引く音で、僕は自分の前の席に誰かが座ったのを感じる。
「……引っ越すことになったから。早見もあんたもいない場所に。だから、最後に顔を見てやろうと思って」
「……は?」
頭の上から投げかけられたのは、余計な説明を一切捨象した、最低限の言葉だった。視線を上げた先では、知らない制服を着た女子が僕を見下ろしている。真っすぐに切りそろえられた前髪の下の目が、鋭く僕を突き刺した。
「……言っておくけど、反省文とか送られてきても迷惑だから。あんたもあいつに言っておいて」
「……もしかしてあんた、植村……?」
黙って頷くと、植村は僕に紙束を突き出した。それは、僕が早見に貸していたはずの本だった。
僕の返事を待たないまま、植村はさっと立ち上がって教室を出ていった。
「あいつ、女子だったのか……早見もなかなか趣味が悪いな……」
思わず独り言ちながら、僕は返ってきた本をぱらぱらとめくる。後から調べてみても、早見が口にした感想の中には、どこかからのコピペか分からないものがあった。もしかしたら、それは植村の言葉だったのだろうか。だとしたら、僕とは趣味が合うのかもしれない。
もし違う場所で出会っていたら、友達になっていた可能性さえある。なんて、楽天的すぎる妄想だ。
僕は適当に開いたページから、なんとはなしにその本を読み始めてしまう。自慢じゃないが、集中すると周囲が目に入らない方だ。だから、もう一度誰かが前に座っても、読み終わるまで全く気が付かなかった。
本を閉じて初めて、僕はそいつがじっと僕を見つめていたことを知る。
「……おい、じろじろ見るんじゃない」
「ああ、すまない」
「……ようやく学校に来る気になったのか」
「先生がいるからな。また文章の書き方を教えてもらわなければならない」
「反省文ならいらないって言ってたぞ」
「知ってるよ。俺が今書きたいのはラブレターなんだ」
「植村相手にか? お前、本当に趣味が悪いな」
「違うよ。俺が好きなのは、誰より賢くて、勇気があって、優しい女の子だ。実を言うと、もう書いてきてしまったから添削してほしいんだ」
早見はポケットから小さな封筒を取り出すと、僕の目の前にそっと差し出した。
その表には、「油木春香様」と僕の名前が書かれている。
「……やっぱりお前、趣味悪いよ」
眉をしかめながら吐き出された僕の言葉に、早見は柔らかく目を細めて笑った。