第4話

文字数 3,350文字

 僕らの学校では、基本的にはスマートフォンの持ち込みは禁止されている。もちろん規則を破って持ち込んでいるものも多いが、教師にばれないようには気をつけてるらしい。当然、着信を鳴り響かせるようなことはない。
 だが、早見の場合は別だ。授業中に着信があり、慌てて教室を飛び出していく様子を何度か見ていた。教師も事情は飲み込んでいるようで、そのことについて咎めることは一度も見たことがない。だから、今回も例によって仕事関係の用事なのだろう。
「……すまない、俺の電話だ」
一言断ると、早見はブレザーの胸ポケットから取り出したスマートフォンの画面を見て少し顔を曇らせる。そのまま通話には答えず、僕に申し訳なさそうな顔を向けた。
「せっかく時間を取ってもらったのに、急に呼び出しが入ってしまった。悪いが、続きは明日にしてもらえるか?」
「別に僕はいいけど。モデルの仕事って大変なんだな」
「え? あ、ああ。そうなんだ」
 歯切れ悪く答えると、早見はがたがたと椅子を鳴らしながら立ち上がり、足早に倉庫を出ていってしまった。年表は持って出ていったから、明日までに書いてくるつもりはあるということだろうか。
「せわしない奴だな……よくあれで、学年上位に入るくらい勉強できるもんだ」
 僕はつぶやくと、目の前に積まれた大量のルーズリーフと向き合う。今日の残りの時間は、これを読んであいつの弱みでも探るとするか。

 しかし、文字で埋まったルーズリーフを何枚めくっても、特に得られるものはなかった。
 書いてある内容はどれも似たようなもので、ぼんやりとした死への願望と手を変え品を変えて繰り返される自己賛美だけだ。
 一晩でこれだけの量を書いたのは感心したが、内容がこんなに薄ければ弱みになるとも思えない。
「くそ……ちょっとは面白いことを書けよな、あの能天気男め……」
 誰も聞いていないのをいいことに悪態をついて、僕は机に突っ伏する。読むだけなのに、案外時間がかかってしまった。窓から差し込む日は、すでに西に沈みかけている。もうしばらくすれば課外活動の終了時刻を知らせるチャイムが鳴り、校内から出なければならない。
 机に頬をつけたまま、僕はぼんやりと思考を巡らせる。もしかしてあの早見という男は、案外食わせ物なのではないだろうか。自殺するという言葉が本気と思えないのは最初からだが、それが自己陶酔ではなく話題作りのためだとしたらどうだろう。
 今のナルシストじみた言動ならともかく、僕が書いているもののように暗めのテイストを取り入れれば、陰のある一面として『早見薫』の新たな魅力になるかもしれない。新作のネタになるかも、と食いついた僕の方が利用されているという線だってありうる。うがった見方をすれば、この遺書の山も決定的な恥をさらさないように、計算しつくされて書かれているように思えてきた。

「……どっちにしろ、ここにいたってやることないな。帰るか」
 誰にともなくつぶやくと、僕は大きくあくびを一つした。
 目を凝らして大量の文章を読んだのに成果がなかったせいで、僕は完全に気が抜けていたのだろう。早見が出ていったあと、扉がほんの少し開いているのをすっかり見落としていた。
「ん? おい、誰かいるのかぁ? そこで何してるんだぁ?」
「……!」
 慌てて息をひそめたところでもう遅い。間延びした呼びかけに反して、足音は素早く廊下の奥へと近づいてくる。
 勢いよく開けられた扉から覗いたのは、つぶらな瞳と、それに不似合いな熊のようなひげ面だった。
「……なんだ、油木か。こんなところで作文してたら目が悪くなるぞ」
「もとから悪いよ。それに、作文じゃなくて小説だ。文芸部だって言ってるだろ」
「俺からしたらどっちも同じだよ。文芸部だったら、少しくらい言葉遣いを改めたらどうだ。内申点が惜しくないのか」
「それこそ今更だよ、須田先生」

 僕は取り繕うのを諦めて、須田に向かってため息をついて見せた。この大男は、ヒグマみたいな図体に似合わず、数学教師なんかをやっている。ひたすらカリキュラムを詰め込もうとするこの学校の教師にしては珍しく説明が丁寧なので、僕はこいつの授業が嫌いではない。
「高校受験じゃないんだから、推薦でも使わない限り授業態度なんてどうでもいいだろ。卒業さえできれば」
「うるさいな、勉強もちゃんとやってるよ」
 それでも早見には負けるが。口には出さず、僕は内心で不在の人物をあてこする。
 僕の憎まれ口に困ったように、須田はちらりと机の上に散らばった紙に目をやる。その次の瞬間、間の抜けた印象だった小さな目が厳しく細められた。
 僕はその視線を追いかけ、その先にあるのが遺書の山だということに遅まきながら気がつく。
「おい油木、これはいったいどういうことだ。『死を選ぶ』、『この世から消える』……しかもこれ、お前の字じゃないだろう。もしかして早見か? おまえ、まさかあいつに何かされてるんじゃないのか」
「いやあ、これは……」

 適当なごまかしをいくつか頭の中で考えてみるものの、須田の目はすでに疑いの色を強めている。本当のことを言っても信用されるはずはないが、下手なフォローをすれば、かえって僕や早見の評判に傷をつけることになりそうだ。
 というか、僕がいじめにあってるとでも勘違いしてるんじゃないだろうな、このぼんくら教師は。
 困った僕は、嘘ではないが真実ともいえない塩梅を慎重に測って口に出す。
「……遊びだよ、遊び。あいつが遺書を書いてみたいなんて言い出すから、それを見せてみろって僕が頼んだんだ。ほら、僕って根暗だから自殺関係に詳しいと思われたんだよ。太宰治も三島由紀夫も好きだし」
「これは本気じゃないって言いたいのか?」
「そうそう! 当たり前だろ、僕はともかく、あいつみたいに恵まれた環境にある奴が自殺なんかするわけないって」

 危機は免れたと思った僕は笑いながら言うが、須田は硬い表情を緩めない。いじめや自殺が冗談だと分かったら、教師は安心しそうなものなのに。
 長い沈黙に僕が戸惑っていると、須田は重々しい雰囲気で口を開く。
「……あのな、油木。お前がいくら冗談だと思っていても、そういうことは言うもんじゃない」
「なんだよ、本気で心配してるのか? 根暗な僕ならともかく、あいつが自殺なんて絶対にありえないって。」
「自分でもそう思ってるかもしれないけどな、冗談のつもりで言ってるうちに、無意識のうちに刷り込まれていくんだ。それで、普段だったら平気なことでもちょっと追いつめられたときに本気で死にたくなっちまうなんてことはいくらでもある。言葉の効果は人間が自覚しているよりもずっと大きいんだよ。文芸部なら分かるだろ?」
「……」
 
 須田はルーズリーフを集めて僕から取り上げ、大きくため息をついた。
「冗談だって言うなら、こんな遊びはやめろ。後悔してからじゃ遅いんだからな」
「……分かったよ」
「よし。じゃあな、部活もいいけど勉強もしろよ」
「はいはい。急に教師みたいな顔しちゃってさ」
「そりゃあ先生だもの。説教もするさ」
 負け惜しみだと分かっていながら僕は須田に毒づくが、本人はどこ吹く風だ。
「それにしても、あんたがこんなに干渉してくるなんてちょっと意外だな。僕らのことなんてどうでもいいのかと思ってたよ」
「そりゃ心外だな。俺だって生徒の行動には気をつけてるぞ。特にお前や早見みたいなナイーブな奴にはな」
「ナイーブ? 僕が? っていうか、あの顔だけ男も?」
「新種の妖怪みたいな言い方だな……」
 須田は呆れた表情をすぐに引っ込め、変わらず厳しい声で僕をさとす。
「早見みたいな素直なタイプは表から見えないところで溜め込みがちだからな。責任感も強いから、一度思い込むとなかなか他の選択肢が見えなくなる傾向がある」
 確かに、早見は一度僕のことを師匠にすると決めてからは一切譲らないし、やれと言った課題にも真面目に取り組んでくる。須田の評価は、案外的確に早見の言動を言い当てているのかもしれない。
「……驚いた。本当によく見てるんだな、僕らのこと」
「これでも先生だからな。何か起こってからじゃ遅いんだ。あまり心配かけてくれるなよ」
 少しだけ寂しげに言うと、須田は巨体を丸めるように肩をすくめた。
 
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