第20話 波間のふたり
文字数 4,238文字
第一章 ふたりの海岸
朝食後、俺たちはホテルのプライベートビーチにある大きなパラソルの下の長椅子に横たわり、冷たいトロピカルジュースを飲みながら寝そべった。
プライベートビーチのためか、ホテル以外の人はおらず、波の音と鳥の鳴き声しか聞こえない。
俺は持参した小説を読もうかとも思ったが、青い空に浮かぶ白い雲の流れをただただ眺めている時間が思いのほか楽しい。
たまに海に入って、ゆったりと流れる時間を何も考えない贅沢に浸っていた。
「波音、穏やかで良いな」
アダンがゴロリとこちらを向きながらサングラスを外した。そして海をぼうっと眺めた。
旅行したことも殆どなく、リゾートは初めてと言っていたので、何もしないことに戸惑わないか少し心配していたが、意外と何もしない時間を満喫しているようで安心した。
もともと白い肌のため、日に焼けると赤くなるのに加え、若干、日光アレルギーの家系らしい。日除パーカーを軽く羽織っている。
「アダン、日差しは平気か?アレルギー出ない?」
「大丈夫。直射で長時間はダメだけど、帽子やパーカーもあるし、日陰だから。
椎名はいいな、上半身裸で俺も涼しく過ごしてみたいよ。海に入る?」
海辺での時間も満喫したので、俺たちは海に入った。浅瀬の波は穏やかでありながら、容易に足元をすくう自然の力強さとリズムを感じる。
俺たちはシュノーケルのセットを身につけた。気づくとアダンは楽しそうに遊泳エリアを泳いでいる。意外と泳ぎが上手だ。
俺も後に続いて少し沖の遊泳エリアまで泳いだ。
眩しい日差しに生ぬるいとは言え冷たい海水が心地よい。海に潜ると、珊瑚や小さな魚が泳いでいる。
南の海の魚は鮮やかで綺麗だ。南の日差しと海がそのような生態系を作っているのだろうが、同じ日本でもここまで魚の種類が違うのかと思う。
しばらく海を堪能して、またパラソルの下で海水を拭きながら寝そべった。
ホテルのスタッフがグレープジュースを運んでくれた。冷たくて爽やかで美味しい。潮風が水気を帯びた肌を心地よく冷やした。
しばらく横になってウトウトしていると、海岸が慌ただしくなった。
起き上がると、ライフセーバーが子供を抱えて砂場で人工呼吸をしている。
シュノーケル中に沖に流されて溺れたようだ。幸い、すぐにライフセーバーが助けたが、呼吸はまだ落ち着いていないようだ。
アダンと目を合わせ、急いで駆けつけると、ライフセーバーがいったん蘇生を確認できたのか救急車を呼んでいる。
アダンは自分は医者だと伝えて子供の気道を確保した。そして身体を暖めるため、自分の乾いたタオルで身体を拭き優しく包み、保温を確保した。
「すみません、AEDはありますか?」アダンはライフセーバーに聞いた。
「呼吸と脈拍が弱いです。呼びかけても反応がないため、AEDを使います」
慌ててライフセーバーが持ってきたAEDは海水で少し濡れてしまっていたため、俺からタオルを受け取り、それで拭いた。濡れた身体と機械では効果が
でないらしい。
子供は女子のため、周囲の人を下がらせ、俺はタオルを広げて人混みの視界を遮った。
アダンは手早く水着を脱がせてAEDから装置を所定の箇所に装着し、蘇生を始めた。電流で身体が大きく跳ねる。
再度心臓マッサージをすると、程なくして子供は目を開き、駆けつけた救急車で病院へ向かった。
子供の両親がお礼を言って救急車に乗り込んだ。
ライフセーバーやホテルの関係者からもお礼を言われ、アダンは助かって良かったと頭を下げて俺の所に戻ってきた。
「アダン、良くやったな!的確に処置できて流石だよ。AEDは会社でも研修を受けたことがあるけど、実際に対応する時は頭が回らないな。落ち着いて処置できてなによりだ」
「本当に良かったよ、気を失っていたからもう少し遅かったら危なかったかもな。人工呼吸したライフセーバーのお手柄だよ。
溺れている時は人工呼吸と心臓マッサージをして、水を吐き出して気道の確保が何より重要だからな。
海は穏やかだけど、簡単に人の命を奪うんだ。俺たちも気をつけよう」
アダンは疲れながらもホッとした表情を浮かべている。俺は少し疲労感があるアダンの肩を抱いて、海辺を後にした。
青い空と白いビーチは変わらず穏やかな波音をたて、俺たちの後方に広がっていた。
第ニ章 海岸のドライブ
部屋に戻りシャワーで海水を流した。
時間はまだ昼前だ。
「アダン、疲れただろ。少し休むか?お腹空いてたらルームサービス頼むけどどうする?」
椎名が心配気に聞いてきた。
俺は海辺でのゆったりとした時が医師の仕事になって申し訳ない気持ちがあったが、やはり人命第一だ。
「大丈夫だよ。俺、沖縄のソーキそば食べたいんだ。近くに良いお店あるから行かないか?ついでに、水族館でジンベイザメ見たいかな。ドライブに行こう!」
よかった、と椎名は嬉しそうに笑った。
そして俺の手を繋ぎ、抱き寄せて額にキスをした。
椎名は俺が行きたかった店の前で車を停めた。
人気店なので混んでいるかと思ったが、二、三人しか並んでいない。
「やっぱり本場のソーキそばは美味しいな!麺も出汁もさっぱりなのに豚肉の旨みを感じて美味しい」
程なくして入店でき、すぐに出てきたソーキそばを見て俺は頬が緩んだ。
そして、伸びてきた前髪をピンで留めて、ホッとして急に空いてきたお腹に美味しい麺をかき込んだ。
椎名は俺のピンを止め直しながら、ゆっくり食べろと笑っている。
たまにアニキっぽいと言うか、オカンぽいところがあるんだよな、椎名は。
「さっきまで真剣な顔をして人命救助していた顔とは随分違うな」
そうか?と俺は小首をかしげた。
「ああ。俺にだけ見せてくれる装わない、仕事に向き合っていない時の顔に戻ってるよ。可愛い」
椎名の不意打ちに、俺は顔が赤くなるのが分かった。そんな俺に気付かなかったのか、椎名はソーキそばをしげしげと眺めて言った。
「そんなに好きなら、麺を少し買って帰ろうか?豚肉はスペアリブ肉で作れそうだし、確かに美味しいよな。
俺、アダンが美味しいって言う時の顔が好きだよ。お前も料理上手いから、最近は作ってもらうことも多いけど、俺、お前に食べてもらうのも、作るのも好きなんだ。2人の食事って何だか美味しく感じる」
俺は思わず頷いた。
確かに家でも作りたい。
札幌に家族で住んでいた頃はラーメンが大好きだった。俺は基本的に麺類が好きなんだよな。
椎名はよしと言って、ドライブの途中で材料を調達すると意気込んでいる。何だか嬉しい。
食後、椎名は俺を乗せて水族館までドライブしてくれた。海沿いをまっすぐ走り、車の帆をオープンにして潮風を全身に浴びる。すごい開放感だ。
椎名は綺麗な癖のない黒髪を潮風になびかせ、サングラスをかけた目を前方に向けながら音楽を口ずさむ。
この旅は、椎名にとっても久しぶりの休暇だ。
思えば付き合う前に点滴が必要なくらい、椎名は体力が落ちていた。コイツ、人のことばかり優先して無理しすぎるんだよな。
ハンドルを握る二の腕が逞しく、何度見ても見惚れてしまう。俺にはない男らしさだ。
やすやすと俺を抱き上げるのに、付き合う前はたまに心配になるくらい落ち込むことがあった。
でも最近はそんなこともほとんど無くなり安心している。
俺と付き合ってから、朝もしっかり食べてるからだろうか。食と心のメンテナンスは大切だな、と俺は独りごちた。
程なくして水族館に着いた。
有名な沖縄の水族館だけあり、大きな水槽でジンベエザメやオニイトマキエイ、回遊魚たちがゆっくりと泳いでいる。
俺はしばらく何も考えずに雄大な海の魚たちのイキイキと生きていることに喜びに満ちたような姿を眺めた。とても贅沢な時間だ。
ふと横を見ると椎名が俺を嬉しそうに眺めている。そんなに子供みたいにはしゃいでいたかな?
俺は照れ臭くなり、世界の水族館ランキングでも9位だけのことはあると、ここの良さを力説した。
椎名は更に笑って、そうだな、と頷いて、水槽がよく見えるカフェでお茶しようと俺の手を引いた。
・・・・・
「すごかったな。あれだけの魚を飼育するのって、かなりの水産獣医師がいるはずだ」
帰りの車の中で椎名はポツリといった。
「晴一、詳しいな。水産獣医師って知ってるんだ」
「ああ。俺、動物好きだろ?大学の学部選考の時に獣医師も考えたことあるんだ。水産獣医師は獣医学部で基本的な獣医学を学んだ後、水産獣医学に関連する専門知識や技術を修得する必要があるんだ」
へぇ、と俺は椎名をまじまじと見つめた。
獣医の椎名もカッコいいだろうな。かなり胸熱だ。
「でも6年も大学通う余裕がなかったから、工学部にしたんだ。今考えると、バイト頑張ってでも獣医師になった方が向いてたかもな。あっ、そうしたらお前に会えないか」
俺は思わずフハハと笑った。
「晴一とはどんな形でも出会ってたよ、多分。きっとイチコを動物病院に連れて行って運命的な出会いしたかもな。それも良いな」
「医者と獣医師か。何だか濃い感じだけど、アダンとだったらキッカケはなんでもいいか。あっ、イチコがキッカケで付き合う点は変わらないのかな」
俺たちは笑いあって、西陽が海に傾きつつある海沿いを車を飛ばした。
サングラスをした椎名の横顔が美しく、俺は自分の幸運をかみしめた。
「幸せだな」
「ん?何か言ったか?」
潮風と波音に小さな声はかき消されたようだ。俺はううんと首を振って、また海に視線を戻した。
プラネタリウムのような星空の夜が近い。
俺は夕飯に心踊らせながら、帰りのドライブを楽しんだ。
夕暮れの海を見ようと人気のない見晴らし台に椎名は車を停めた。昨日のレストランからの夕焼けとは少し違い、灯台に灯が灯りはじめた遠い街並みも見える。
俺はふと、魚の時間を考えた。
「ねぇ、晴一、魚の活動時間知ってる?」
ん?と椎名は小首を傾げた。
「そうだな。日の出前後、日の入り前後の時間帯だな。この時間帯は多くの魚が活発に活動し、積極的にエサを捕食するそうだ。だから早朝は特に漁に向いてるな」
そうか、と俺は次の質問をしようとした時、椎名は俺の肩を引き寄せてキスをした。
そして、アダンのトリビアはここまで!と笑った。
俺はもう一度椎名の頭を引き寄せて、その温かく少し潮風を感じる下唇をはむように口付けした。柔らかくてとても愛しい。
椎名は俺の頬を優しく掴んで唇を離し、そっと俺の耳たぶを甘く噛んで愛してると呟いた。
いつの間にかオレンジ色の空に濃紺の夜の色が混ざりはじめてきた。
俺たちは見つめ合ってもう一度唇を重ねた。
朝食後、俺たちはホテルのプライベートビーチにある大きなパラソルの下の長椅子に横たわり、冷たいトロピカルジュースを飲みながら寝そべった。
プライベートビーチのためか、ホテル以外の人はおらず、波の音と鳥の鳴き声しか聞こえない。
俺は持参した小説を読もうかとも思ったが、青い空に浮かぶ白い雲の流れをただただ眺めている時間が思いのほか楽しい。
たまに海に入って、ゆったりと流れる時間を何も考えない贅沢に浸っていた。
「波音、穏やかで良いな」
アダンがゴロリとこちらを向きながらサングラスを外した。そして海をぼうっと眺めた。
旅行したことも殆どなく、リゾートは初めてと言っていたので、何もしないことに戸惑わないか少し心配していたが、意外と何もしない時間を満喫しているようで安心した。
もともと白い肌のため、日に焼けると赤くなるのに加え、若干、日光アレルギーの家系らしい。日除パーカーを軽く羽織っている。
「アダン、日差しは平気か?アレルギー出ない?」
「大丈夫。直射で長時間はダメだけど、帽子やパーカーもあるし、日陰だから。
椎名はいいな、上半身裸で俺も涼しく過ごしてみたいよ。海に入る?」
海辺での時間も満喫したので、俺たちは海に入った。浅瀬の波は穏やかでありながら、容易に足元をすくう自然の力強さとリズムを感じる。
俺たちはシュノーケルのセットを身につけた。気づくとアダンは楽しそうに遊泳エリアを泳いでいる。意外と泳ぎが上手だ。
俺も後に続いて少し沖の遊泳エリアまで泳いだ。
眩しい日差しに生ぬるいとは言え冷たい海水が心地よい。海に潜ると、珊瑚や小さな魚が泳いでいる。
南の海の魚は鮮やかで綺麗だ。南の日差しと海がそのような生態系を作っているのだろうが、同じ日本でもここまで魚の種類が違うのかと思う。
しばらく海を堪能して、またパラソルの下で海水を拭きながら寝そべった。
ホテルのスタッフがグレープジュースを運んでくれた。冷たくて爽やかで美味しい。潮風が水気を帯びた肌を心地よく冷やした。
しばらく横になってウトウトしていると、海岸が慌ただしくなった。
起き上がると、ライフセーバーが子供を抱えて砂場で人工呼吸をしている。
シュノーケル中に沖に流されて溺れたようだ。幸い、すぐにライフセーバーが助けたが、呼吸はまだ落ち着いていないようだ。
アダンと目を合わせ、急いで駆けつけると、ライフセーバーがいったん蘇生を確認できたのか救急車を呼んでいる。
アダンは自分は医者だと伝えて子供の気道を確保した。そして身体を暖めるため、自分の乾いたタオルで身体を拭き優しく包み、保温を確保した。
「すみません、AEDはありますか?」アダンはライフセーバーに聞いた。
「呼吸と脈拍が弱いです。呼びかけても反応がないため、AEDを使います」
慌ててライフセーバーが持ってきたAEDは海水で少し濡れてしまっていたため、俺からタオルを受け取り、それで拭いた。濡れた身体と機械では効果が
でないらしい。
子供は女子のため、周囲の人を下がらせ、俺はタオルを広げて人混みの視界を遮った。
アダンは手早く水着を脱がせてAEDから装置を所定の箇所に装着し、蘇生を始めた。電流で身体が大きく跳ねる。
再度心臓マッサージをすると、程なくして子供は目を開き、駆けつけた救急車で病院へ向かった。
子供の両親がお礼を言って救急車に乗り込んだ。
ライフセーバーやホテルの関係者からもお礼を言われ、アダンは助かって良かったと頭を下げて俺の所に戻ってきた。
「アダン、良くやったな!的確に処置できて流石だよ。AEDは会社でも研修を受けたことがあるけど、実際に対応する時は頭が回らないな。落ち着いて処置できてなによりだ」
「本当に良かったよ、気を失っていたからもう少し遅かったら危なかったかもな。人工呼吸したライフセーバーのお手柄だよ。
溺れている時は人工呼吸と心臓マッサージをして、水を吐き出して気道の確保が何より重要だからな。
海は穏やかだけど、簡単に人の命を奪うんだ。俺たちも気をつけよう」
アダンは疲れながらもホッとした表情を浮かべている。俺は少し疲労感があるアダンの肩を抱いて、海辺を後にした。
青い空と白いビーチは変わらず穏やかな波音をたて、俺たちの後方に広がっていた。
第ニ章 海岸のドライブ
部屋に戻りシャワーで海水を流した。
時間はまだ昼前だ。
「アダン、疲れただろ。少し休むか?お腹空いてたらルームサービス頼むけどどうする?」
椎名が心配気に聞いてきた。
俺は海辺でのゆったりとした時が医師の仕事になって申し訳ない気持ちがあったが、やはり人命第一だ。
「大丈夫だよ。俺、沖縄のソーキそば食べたいんだ。近くに良いお店あるから行かないか?ついでに、水族館でジンベイザメ見たいかな。ドライブに行こう!」
よかった、と椎名は嬉しそうに笑った。
そして俺の手を繋ぎ、抱き寄せて額にキスをした。
椎名は俺が行きたかった店の前で車を停めた。
人気店なので混んでいるかと思ったが、二、三人しか並んでいない。
「やっぱり本場のソーキそばは美味しいな!麺も出汁もさっぱりなのに豚肉の旨みを感じて美味しい」
程なくして入店でき、すぐに出てきたソーキそばを見て俺は頬が緩んだ。
そして、伸びてきた前髪をピンで留めて、ホッとして急に空いてきたお腹に美味しい麺をかき込んだ。
椎名は俺のピンを止め直しながら、ゆっくり食べろと笑っている。
たまにアニキっぽいと言うか、オカンぽいところがあるんだよな、椎名は。
「さっきまで真剣な顔をして人命救助していた顔とは随分違うな」
そうか?と俺は小首をかしげた。
「ああ。俺にだけ見せてくれる装わない、仕事に向き合っていない時の顔に戻ってるよ。可愛い」
椎名の不意打ちに、俺は顔が赤くなるのが分かった。そんな俺に気付かなかったのか、椎名はソーキそばをしげしげと眺めて言った。
「そんなに好きなら、麺を少し買って帰ろうか?豚肉はスペアリブ肉で作れそうだし、確かに美味しいよな。
俺、アダンが美味しいって言う時の顔が好きだよ。お前も料理上手いから、最近は作ってもらうことも多いけど、俺、お前に食べてもらうのも、作るのも好きなんだ。2人の食事って何だか美味しく感じる」
俺は思わず頷いた。
確かに家でも作りたい。
札幌に家族で住んでいた頃はラーメンが大好きだった。俺は基本的に麺類が好きなんだよな。
椎名はよしと言って、ドライブの途中で材料を調達すると意気込んでいる。何だか嬉しい。
食後、椎名は俺を乗せて水族館までドライブしてくれた。海沿いをまっすぐ走り、車の帆をオープンにして潮風を全身に浴びる。すごい開放感だ。
椎名は綺麗な癖のない黒髪を潮風になびかせ、サングラスをかけた目を前方に向けながら音楽を口ずさむ。
この旅は、椎名にとっても久しぶりの休暇だ。
思えば付き合う前に点滴が必要なくらい、椎名は体力が落ちていた。コイツ、人のことばかり優先して無理しすぎるんだよな。
ハンドルを握る二の腕が逞しく、何度見ても見惚れてしまう。俺にはない男らしさだ。
やすやすと俺を抱き上げるのに、付き合う前はたまに心配になるくらい落ち込むことがあった。
でも最近はそんなこともほとんど無くなり安心している。
俺と付き合ってから、朝もしっかり食べてるからだろうか。食と心のメンテナンスは大切だな、と俺は独りごちた。
程なくして水族館に着いた。
有名な沖縄の水族館だけあり、大きな水槽でジンベエザメやオニイトマキエイ、回遊魚たちがゆっくりと泳いでいる。
俺はしばらく何も考えずに雄大な海の魚たちのイキイキと生きていることに喜びに満ちたような姿を眺めた。とても贅沢な時間だ。
ふと横を見ると椎名が俺を嬉しそうに眺めている。そんなに子供みたいにはしゃいでいたかな?
俺は照れ臭くなり、世界の水族館ランキングでも9位だけのことはあると、ここの良さを力説した。
椎名は更に笑って、そうだな、と頷いて、水槽がよく見えるカフェでお茶しようと俺の手を引いた。
・・・・・
「すごかったな。あれだけの魚を飼育するのって、かなりの水産獣医師がいるはずだ」
帰りの車の中で椎名はポツリといった。
「晴一、詳しいな。水産獣医師って知ってるんだ」
「ああ。俺、動物好きだろ?大学の学部選考の時に獣医師も考えたことあるんだ。水産獣医師は獣医学部で基本的な獣医学を学んだ後、水産獣医学に関連する専門知識や技術を修得する必要があるんだ」
へぇ、と俺は椎名をまじまじと見つめた。
獣医の椎名もカッコいいだろうな。かなり胸熱だ。
「でも6年も大学通う余裕がなかったから、工学部にしたんだ。今考えると、バイト頑張ってでも獣医師になった方が向いてたかもな。あっ、そうしたらお前に会えないか」
俺は思わずフハハと笑った。
「晴一とはどんな形でも出会ってたよ、多分。きっとイチコを動物病院に連れて行って運命的な出会いしたかもな。それも良いな」
「医者と獣医師か。何だか濃い感じだけど、アダンとだったらキッカケはなんでもいいか。あっ、イチコがキッカケで付き合う点は変わらないのかな」
俺たちは笑いあって、西陽が海に傾きつつある海沿いを車を飛ばした。
サングラスをした椎名の横顔が美しく、俺は自分の幸運をかみしめた。
「幸せだな」
「ん?何か言ったか?」
潮風と波音に小さな声はかき消されたようだ。俺はううんと首を振って、また海に視線を戻した。
プラネタリウムのような星空の夜が近い。
俺は夕飯に心踊らせながら、帰りのドライブを楽しんだ。
夕暮れの海を見ようと人気のない見晴らし台に椎名は車を停めた。昨日のレストランからの夕焼けとは少し違い、灯台に灯が灯りはじめた遠い街並みも見える。
俺はふと、魚の時間を考えた。
「ねぇ、晴一、魚の活動時間知ってる?」
ん?と椎名は小首を傾げた。
「そうだな。日の出前後、日の入り前後の時間帯だな。この時間帯は多くの魚が活発に活動し、積極的にエサを捕食するそうだ。だから早朝は特に漁に向いてるな」
そうか、と俺は次の質問をしようとした時、椎名は俺の肩を引き寄せてキスをした。
そして、アダンのトリビアはここまで!と笑った。
俺はもう一度椎名の頭を引き寄せて、その温かく少し潮風を感じる下唇をはむように口付けした。柔らかくてとても愛しい。
椎名は俺の頬を優しく掴んで唇を離し、そっと俺の耳たぶを甘く噛んで愛してると呟いた。
いつの間にかオレンジ色の空に濃紺の夜の色が混ざりはじめてきた。
俺たちは見つめ合ってもう一度唇を重ねた。