第4話 新しい風

文字数 4,704文字

第一章 再スタート
第一節 椎名のプロジェクト

「椎名、ちょっといいか?」
会議から戻る途中、中嶋さんが声をかけてきた。

「お前が以前やってたAIプロジェクトのことなんだが、上から再度進めるように頭出しがあった。
ただ、慎重に進めないと、個人情報やモラルの観点もあるから、顧客層というか導入ターゲットとサービス内容を検討したくてな。
今の企画で忙しいところすまんが、企画書の叩きを来週初めに出してくれないか?」

俺はようやく自分の作品が認められた気がして、心が跳ねた。アダンが役所を押さえてくれたお陰もあるのだろう。
分かりましたと伝え、俺は次の打ち合わせに向かおうとしていた中嶋さんに再び声をかけた。

「中嶋さん、すみません。実はお話ししたいことがあり、今週どこかで軽く飲んで帰れませんか?仕事の件もなんですが、プライベートのことでも少し」

中嶋さんは察しの良い方だ。わかった、と頷き、じゃ明日にしようと言って会議に向かった。

俺は同性婚の中嶋さんのプライベートをあまりの知らない。アダンを好きになってから、俺なりに色々考えたが、まだ分からないことも多い。実際の経験者に話しを聞き、アドバイスをもらいたかった。アダンの帰任まで残された時間、出来ることをしたい。

自席に戻ると、アダンの部の同僚の谷藤さんがいた。

「あ、椎名さん、お戻りですね。こちらの資料を大川専務から預かって来ました。何でも、今度進められるAIプロジェクトの規約についての叩き案だそうです。お目通しください。奈木さんが大方目検を入れているので、商品化は恐らく問題なさそうです。

奈木さんは午後からセキュリティ庁にお戻りで、今週はあちらでの勤務となりそうなので私に引き継がれました。よかったら、この後ご説明させてください」

お礼を言って、説明を受けることにした。
谷藤はテキパキと要点を押さえて説明してくれた。何でもそうだが、規約やガイドラインがないと、せっかく良い製品もパフォーマンスを発揮出来ないし、ユーザーに誤利用されてしまう。
そのため、来週までの企画書の叩きとして、アダンのこの規約はとても役に立ちそうだ。

「椎名さん、説明は以上です。ご不明点などありましたら、いつでもメールでも良いのでご連絡ください。

ところで話は変わりますが、奈木さんの送別会日程を早めに決めたいと思います。候補日をあとでいくつか送りますのでご返信いただけますか?
恐らく奈木さん、帰任までバタバタされるので、もう押さえないとなんです。
奈木さんの後任は、大川専務が検討中とのことです」

俺は谷藤さんに丁寧にお礼を伝えた。
谷藤さんはもう少し話しをしたそうだったが、俺の忙しい様子を見て、そのまま立ち去った。

俺は考えを整理するため、コーヒーを買いにカフェエリアに向かった。
アダンに今週は会社で会えないこと、帰任したらプライベートでしか会話出来ないことに、一抹の寂しさを感じていた。

お互い忙しい立場だ。プライベートではどのくらい会えるんだろうか。
付き合ったとして、アダンに仕事以外で、俺は何をしてあげられるんだろうかと。

窓辺に腰をかけて、コーヒーを飲んだ。
西日を浴びたビル群が紅く輝き、皇居の緑との対比を鮮明にさせる。徐々に暮れていく都会の街並みを、俺は静かに見つめていた。


第ニ節 椎名のレコード

はぁ、今日はここまでにするか。

俺は企画書を保存して、ノロノロと席を立った。
谷藤さんから規約を受け取ってから4日、俺はひたすら仕事に没頭した。
来週までに企画書を作るためには、プロジェクト再立ち上げに関する予算案はじめ、スケジュールやら諸々の作成が必要だ。

きちんと息抜きしておかないと、アダンに会った時に、また抜け殻になってと怒られる。
俺は帰宅を急いだ。

「椎名!遅いな、今帰りか?」

思いもかけない声で振り向くと、アダンが笑って、よぉ、と手をあげている。

「お前、今週はセキュリティ庁でなかったのか?こんな遅くに会社戻ってきてどうした?」

「いや、今日はオフィスドクターの仕事の方。面談の申し込みが多くて、長井さんの手が回らなくてさ。俺も最後に経過看たり面談しておきたい社員さんが、何人かいるんだ。
これから帰り?一緒に帰らない?」

俺は心が弾んだ。アダンの顔を見ると、仕事の疲れが飛ぶようだ。

「いいぞ!せっかくだから何か食わないか?遅いからこの辺の店は混んでそうだな。
以前一緒に行ったカフェ・バーはどうだ?軽く食べられるし、お互いの家に近いし」

いいね、とアダンは答えて、足取りも軽く2人でオフィスを後にした。

・・・・・
「ここのレコード、センス良いな。今の時間と空間を切り取ったみたいに、ピッタリと寄り添うな」

アダンは俺の感想を聞いて微笑んで、ピザをつまんだ。
明日も仕事のため、今日はアルコールを控え、2人ともアイスコーヒーにした。

「椎名、レコードって不思議だよな。古い曲、ストリーミングだったらスキップしそうな曲なのに、まったりと聴きたくなる。
音源が違うと言うか、音の世界観が違う気がする」

アダンの感想が的をついており、俺は思わず身を乗り出して話した。

「そうなんだよ、デジタル化された音楽メディアでは表現できない、アナログ独特のあたたかさ、ふくよかさの魅力があるんだよ。

でもそれって数値では表現できない感性的な領域になるんだ。もし数値で分かればデジタル音源の音もレコードのように変えることができるからな。

だから思うんだ、レコードには、レコードを所有し、レコードで聴く楽しみがある。

そう言った、所有することで発生する感性の振り幅みたいのが音に深みを与えるのかな?

だからすごく精神的なものと言える気がする。ま、その分野はアダンの専門の分野か」

アダンはうんうんと、微笑んで言った。

「そうなんだよ、人間の脳って、いや、人間の存在って不思議でさ、数値化はもちろん、物理的にありえない何らかのフィルターがあるんだよ。

それが五感に作用して、人それぞれの個性や感性を作る。全くの未知だよな。
だからお前がこの未知をプログラム化してAIを活用して、本気で凄いと思ってる」

アダンはいつも俺に思いやりのある言葉で返してくれる。それがこそばゆくも、嬉しく感じる。

「なあ、アダン。今週末にうちに来ないか?せっかくだからレコード聞いてもらいたくてさ。それにいつもご馳走になってるから、今週末は俺が作るよ。

その、まだ付きあってる訳でないけど、週末空いてたら一緒にいたい」

アダンはふわっと笑って、おう、と了承してくれた。そして、レコード楽しみだと付け加えた。


帰り際、アダンが空を見上げた。今日は雲で月が見えないな、と。
そして、明日は雨になりそうだと呟いた。

別れ惜しくなり、俺はアダンを住宅街の公園のベンチに誘い、腰掛けた。
そしてアダンを抱き寄せた。

「椎名?どうした?今日は何だか思い詰めてる気がする。仕事でなんかあったか?」

アダンの綺麗な瞳が揺れている。こんな瞳を見ていては理性が効かない。あまり直視しないほうが良さそうだ。

「いいや、週末ゆっくり話そう。今日はリソース足りない俺を、アダンで補充だ。
癒やされたくてさ。抱きしめるのはいいだろ?
フランス式まで濃厚でないし」

アダンはふはは、と破顔して、俺の頬にキスをした。補充するなら、もっと強く抱かなきゃ、ど俺にしがみついてきた。

ふわりとアダンの好きなホワイトムスクの香りがした。柔軟剤か何かだろうが、癒される香りだ。
俺はアダンの首元に顔を埋め、その香りを堪能した。

不意に身体が熱くなり、肩に手をかけて身体を離した。アダンは俺を首をかしげて見上げる。俺はアダンを再度抱き寄せた。

そして、厚い唇に自分の唇を押し当て、嫌がらないのを確認してから、下唇を甘噛みして更に強く唇を押し当てた。

んん、っとアダンが言葉にならない甘い声をあげて、俺のシャツを強く掴む。
俺は舌をアダンの口内に進めて、舌を絡み付けた。そこからは夢中でアダンを激しく貪った。

気がつくと、俺はアダンの頭を両手で固定して、何度も舌を絡めて鳴かせていた。

ようやく唇を離すと、アダンは目尻に涙をためて、肩で息をしていた。

「アダンが欲しい。俺、まだ答え出してないのに、ずるいよな。身体だけが先に反応してる、ごめん」

アダンは俺の肩に顔を埋めて言った。

「いいよ、嬉しい、、お前のキス、気持ちいい。俺を抱いてからでもいい、付き合う答え出すの。

だって男は初めてだろ?
抱いたら気持ちも冷めるかもだし、そもそも抱けないかもだしな。
でも、それでいい。俺は椎名に抱かれたい」

俺はアダンの顔をまじまじ見つめた。
そんなに簡単に手を出したくない。でも抱いて愛情を確かめたい。本気で思った。

「アダン、続きは週末、明後日な。
帰任までに答え出すって言ったけど、週末には返事をさせてくれ。
俺の家に来て。待ってる」

アダンは、黙って頷いて、俺の首に手を回した。俺は再度、激しくアダンの唇を貪った。


第ニ章 新しい扉

少し遡って今週の火曜日、大川専務から規約の資料を受け取った翌日の夜、俺は中嶋さんと飲みに出かけた。

そもそも俺が声をかけたのだが、中嶋さんはすでに店を押さえてくれていた。

「勝手に店選んでおいた。決めてたらごめん。お前からの誘いだから、何があるかと思って個室にしたんだ。この店美味いし、落ち着いているからな。
最近残業続きだから、ゆっくりしよう」

中嶋さんの気遣いは尊敬する。つくづく良い上司を持ったと思う。

中嶋さんは大手町からほど近い、こじんまりとした小料理屋に俺を連れて来てくれた。

「椎名、話しは何だ?この場はオフレコだし、業務評価に全く関係ないプライベートの時間だから、好きに話せ。ま、まずはビールで良いか?」

俺は心遣いに感謝を述べ、ビールといくつかの前菜を注文した。

お酒が少し進んでから、俺は意を決してアダンから聞いていたプロジェクトの実証結果のことを中嶋さんに伝えた。
中嶋さんは頷いて、そうだったのか、と呟いた。

「奈木は俺が実証結果だと知って、うちの会社に出向を希望したそうです。つい最近、俺はこの事を知りました」

中嶋さんは俺に日本酒を注いだ。
お酒はいつの間にかビールから日本酒に変わっていた。

「それでどうなんだ?お前としては、奈木がお前の人生の最適化、まぁ、人間との結果だからパートナーになるな、その結果として受け止められるのか?
それとも、自分のプロジェクトの結果が芳しくないと悩んでいるのか?」

俺はあぐらを組んでいた足を正座に正した。

「俺は、この話を聞く前から奈木に惹かれていました。自覚したのはここ数ヶ月ですが。なので、奈木とはこの結果の有り無しに関係なく、付き合いたいと思っています。
同性を好きになったのはお互い初めてなんですが、一緒にいるととても安らぐし、何というか強く惹かれるんです。

なので、プロジェクトの実証結果としても、俺は正しいものを作れたと確信しています。このプロジェクト再開を機に、より良いものを作ることが出来たらと考えています」

中嶋さんは優しく微笑んで言った。
「そうか、奈木もお前のことが好きなんだな、良かったな。おめでとう。俺の経験から、同性との恋愛はいいものだぞ。まずはきちんと付き合ってみて、お互いのことをよく理解してみろ」

俺は気持ちを伝えることができて、ようやくほっとした。
その後は中嶋さんの同性婚の経緯や今の生活について話を伺った。

人それぞれの生き方があり、要は当人同士がどんな生き方、家庭を作るかが大切なんだな、と理解することができた。俺はほろ酔いで中嶋さんとの有意義な時間を過ごした。

そして、奈木に会って、気持ちを改めて確かめたいと思った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

⑴椎名 晴一  しいな せいいち

年齢;31歳

身長;181センチ

特徴;切長の目、黒髪ショート

職業;エンジニアリンング部

会社;大手AI企業のミソトラルの社員

性格;正義感が強く優しい、真面目

特技;運動全般、特にマラソン

外見;細身の筋肉質、薄めイケメン

その他;腹違いの弟

⑵奈木 アダン  ないき あだん

年齢;31歳

身長;174センチ

特徴;ヘーゼルカラー瞳、栗毛の癖毛

職業;精神科医 兼 データアナリスト

会社;公務員 セキュリティ庁情報部

性格;おっとり、少しコミュ障

特技;頭脳明晰、得意分野に能力発揮

外見;ボサボサ髪で無頓着、唇が厚め

その他;曽祖父がフランス人、姉1人

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み