第7話 優秀な恋人

文字数 3,766文字

第一章 オフィスの恋人

「待たせて悪い」

アダンは7階の会議室でノート端末を見つめて何やら考え込んでいた。集中していたためか、俺の声を聞いてはっと顔を上げ、嬉しそうに俺を見上げる。

「いや、俺もさっき来たところだ。お前も忙し中、よく時間取れたな?
多分、規約の第4章と第5章の条項が気になってるのかなと思ってさ。
禁止事項と利用中止条件、もう少し見直しをかけた方が良いかもな。これだと、こちらに不利な点もなりうる書き方だ。うっかり見落としていたよ、すまん。
あ、それとこれは英語版。フランス語訳も必要だったら言ってくれ」

アダンは規約を読み込んでおり、会社の不利にならないよう、更に精査を進めてくれたようだ。
この頭脳は尊敬に値する。

「助かるよ。俺は規約や契約周りは苦手でさ。法務や総務にほぼ任せきりだけど、システムの細かなプログラム内容はお前でないと規約に咀嚼して落とし込めないよな。規約は解釈必要で訳すだけでないし。本当に感謝だよ」

アダンは嬉しそうに俺を見て、そんな大した事でないよと笑う。俺にだけ見せる笑顔だ。何だか幸せを感じる。

俺はアダンの指摘した規約部分に赤ペンで適切な表現を2人で考えながら修正を入れた。
一部直すと、他の箇所に影響が出るので、小一時間真剣に精査を加えながら、素読して修正した。

「はあ、、ようやく終わった。サンキュな。助かったよ。
ねぇ、アダン、今日はこの後セキュリティ庁に打ち合わせで移動か?お前のスケジューラに予定が入っていたから。晩めしでも一緒にって思ったんだけど」

アダンは頷き、かわいい鼻をしかめた。

「そうなんだよ、あっちの上司に呼ばれてさ、今日の規約のことも含めて報告だ。でも終わったら帰れるよ。よかったら待ち合わせしない?椎名がよく行く居酒屋にするか?」

俺たちはおおよその待ち合わせ時間を決めた。
少しでもアダンと一緒の時間が欲しい。
俺は完全に恋に落ちている。

会議室を出る時、アダンが振り向き、俺の首に腕を回して軽くキスをして微笑んだ。
俺はその手首をつかみ、しばらく唇を貪った。

アダンの目に欲望の火が揺らめいたが、我にかえったのか、俺の頬を軽くペチンと叩き、
「会議室の風紀を乱すな」、と微笑んだ。

自分から仕掛けたのにな、と思いつつ、俺は目尻を下げて黙って頷くしかなかった。

・・・・・

会議室を出てアダンと別れ、オフィスに戻る途中、安西さんとすれ違い、声をかけられた。

安西さんは規約について問題はなかったかなど、アダンとの打合せ内容を気にしているようだ。

問題点は解消できた旨を伝え、サービス提供に向けて順調である事を伝えた。

「では、リリースについては問題ない事、安心いたしました。それと、一旦、奈木の方からの引き続きは完了しましたので、今後何かありましたら私にもお声がけください。では、私もセキュリティ庁に向かいますので、失礼いたします」

安西さんは丁寧に挨拶をして、踵を返した。
俺も戻ろうとして少し歩いた時、安西さんに再び声をかけられた。

「そう言えば、奈木は帰任後は地方への転勤の辞令が出るそうですよ。こちらに3年の任期での成果が評価されて、地方拠点で更に重要なポジションを任されるらしです。
ま、私が推薦しておいたんですけどね。

椎名さんも奈木がいなくなり、業務に支障が出ないか心配かもしれませんが、私の方でフォローさせて頂きますのでご安心ください。では」

俺は突然のアダンの転勤の話しに固まってしまった。安西さんが推薦したって、どういうことなのか?それと何かチクッとしたものを感じた。

俺は今夜アダンから詳しく聞くことにし、動揺して早くなった呼吸を整え、オフィスの扉を開けた。

第ニ章 執着心

「椎名、お疲れさま!」

30分ほどアダンを待てせてしまった。
会社近くの居酒屋は社内の人もいる可能性があるため、ゆっくりと話したく、結局いつものカフェバーで待ち合わせた。

先に飲んでてくれと言っていたので、アダンはビールを一杯空けたようだ。
白い肌がほんのりと赤くなり、店の薄暗い暖色のライトを柔らかく反射している。
本当に綺麗な人だと思う。

俺はアダンの向かいに腰掛け、再びビールを注文して乾杯した。そして、安西さんから聞いた転勤の話しを聞いた。

アダンは少し暗い顔をして、少しためらっていたが静かに話しはじめた。

「実はさ、安西さんは椎名に会う前から俺のこと気に入っていたようで、何かと声をかけられていて、迷惑してたんだ。
でも、親御さんが関係省庁のお偉いさんで、割とうちの人事に口を出せる人なんだよ。

それで、ちょっと怖くなって異動願いを何度か出してたんだけど、その頃に出向はどうかと言う話をもらって、お前の件もあって立候補したんだ。

こっちに来た3年間はあんまり安西さんと接点が無くて安心してたんだけど、最近、俺の引き続き担当になってさ。志願したっぽい。多分、何となく俺がこっちで良い人見つけたのに、気づいたんじゃないかな。
俺、最近お前のお陰で髪を切ってオシャレになったしさ。

それでこの前、安西さんに言われたんだ。付き合わないかって。もちろん断ったんだけど、そしたら異動の話が出てさ。それも、安西さんの親御さんの地元の山口県だから、基盤の地方都市だよ。何だかその執着心が怖くてな。
この前も家の近くにいたし、何だかストーカー化してる気がして怖いよ。

だから、今考えてるんだ。セキュリティ庁は辞めて、医師の仕事に専念しようかなって。
お前の側にいたいし、お役所は俺には向いてない気がしてさ」

俺は愕然とした。
それって、完全な公私混同ではないか。いや、もっとタチが悪い。仕事に影響が及ぶなんて。
アダンの能力を考えると、セキュリティ庁での活躍は今後もますます期待できるだろう。
だが、政治がらみの力が掛かるなんて、環境が悪すぎる。

「アダン、セキュリティ庁を辞めることは、もっと慎重に考えた方が良いけど、よく考えた結果だったら、仕事は辞めたらいい。
俺がお前のことなんとかする。しばらく休んで、それからまた医者でも開発でも、仕事探したらいい。お前なら何処でもやっていけるよ。
だからその、、俺の側にいて欲しい」

アダンはキョトンとして、ふわっと笑った。

「椎名、勘違いさせるなよ。それってプロポーズみたいだ。でも何だか嬉しいな。」

いや、俺は本気だ。
その言葉がプロポーズに聞こえるのなら、きっと結婚したいくらいアダンが好きだって事なんだ。

「俺は本気だよ。まだ付き合ったばかりだけど、アダンとは真剣に付き合っている。遊びじゃない。だから、アダン、きちんと俺に向き合って欲しいんだ。2人でこれからのこと考えて行こう。時期が来たらきちんとプロポーズする」

アダンはポカンとして、固まった。
そして次の瞬間、ふわっと微笑んだ。

「椎名、真面目すぎ。でも、本当にそんなに真剣に俺のこと考えてくれてたんだな。。嬉しい」

アダンは俺の手を強く握って、目を潤ませた。
安西さんの事が不安でストレスだったろうし、転勤の話はもっと前から知っていたはずだろうが、心配かけないよう、俺に黙っていたのだと思う。

考えたら、付き合ったのは最近だけど、3年もお互いを側で見てきた。
多分、俺も出会った時からアダンのことを大切に思っていたんだろうと、改めて思う。

「ね、椎名、土曜日は何時ごろ来れる?良かったら、新宿駅で待ち合わせしないか?今の時期、新宿御苑が新緑がきれいみたいでさ、少し散歩しないか?」

俺は頷き、心待ちの週末の約束をした。

帰り際にアダンはふと思い出したようで、仕事の話しを再度始めた。

「今回のプロジェクトだけど、AIの世界はスピード感が大切だから色々決めていかないとだが、一点、再度確認したい。
リスクオーナーシップ、つまりビジネスの収益化機会だけではなくてリスクについての関連するルール確認なんだけどさ、顧客情報管理と業務範囲規制に再度確認を入れたいんだ。明日、関連資料見せてほしい。いいか?」

アダンのこの切り替えが好きだ。スイッチの切り替えが早いし、仕事とプライベートの顔が全く違う。

アダンのようにセキュリティだけではなく、コンプライアンスを考慮し、リスク管理を考慮したビジネスができる人材は逸材だ。
仕事を続けさせてあげたと、心から思う。


店を出て、俺はやはり安西さんのことが気になり、アダンを一人で帰すのが心配になった。

「アダン、家まで送っていいか?あの人、安西さんの執着の話を聞いたら不安になった。襲われたりしそうで。当面、俺がお前を守ってやらないとと思うんだ」

アダンはやはり不安だったのか、黙って頷いた。
やっぱりつけ回された事を不安に感じているらしい。アダンは立派な成人男性だが、華奢な体型のため、大柄な安西さんのような男性には敵わないだろう。

「じゃあさ、今日、泊まってくれないか?今日、実は手を掴まれてさ、椎名だけは許さないとか言ってきて、なんか怖くてさ。あいつ勘づいたんだな」

「わかった。俺の家近いから、明日の服取ってからタクシーでお前の家に行こう。おいで」

急いで家に帰り、荷物をまとめてタクシーでアダンの家に行った。週末はデートの予定だったが、身の安全を考えたら甘い思いはどこかに飛んでしまった。

当面のアダンの身の安全と、このプロジェクトの無事な開始のため、俺も頑張らないと、心に固く決めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

⑴椎名 晴一  しいな せいいち

年齢;31歳

身長;181センチ

特徴;切長の目、黒髪ショート

職業;エンジニアリンング部

会社;大手AI企業のミソトラルの社員

性格;正義感が強く優しい、真面目

特技;運動全般、特にマラソン

外見;細身の筋肉質、薄めイケメン

その他;腹違いの弟

⑵奈木 アダン  ないき あだん

年齢;31歳

身長;174センチ

特徴;ヘーゼルカラー瞳、栗毛の癖毛

職業;精神科医 兼 データアナリスト

会社;公務員 セキュリティ庁情報部

性格;おっとり、少しコミュ障

特技;頭脳明晰、得意分野に能力発揮

外見;ボサボサ髪で無頓着、唇が厚め

その他;曽祖父がフランス人、姉1人

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み