第6話 アパート(60’s)

文字数 1,954文字

木造の安いアパートの一室で、サキはウキウキしながら台所で料理をしていた。
久しぶりに5人が揃う。隆と駆け落ちをしてから、暫く知り合いと連絡を取らなかった。あまり、二人の住んでる場所を言うわけにもいかない。どこから漏れるか分からなかったからだ。特に隆の父親にはバレたくないと隆は思っていたようで、勤め先の区役所からの帰り道は、周りに気を配りながら帰ってきていた。だが、暫くして中島・小林・ジュンには話そうと二人は決め、ささやかながら婚約パーティーを開くことにしたのだ。

「こんにちは~。あれ、一番乗りかな?」

小林が、手土産を持って現れた。

「ええ、そうよ。会えて嬉しいわ、小林さん。」

サキは手土産を受け取ると、それを開けた。中には、色とりどりのお刺身が入っていた。

「まあ、すごい!ありがとうございます!」
「これぐらいはね。しかし、隆の奴いいなあ。毎日サキちゃんが迎えてくれるのか。いいなあ。」
「小林さんだって、モテるじゃないですか。」
「全く…誰も分かってないんだから。俺はモテないの。中島とジュンちゃんまで良い仲なのに…。あいつらも結婚するんだろうなあ。俺だけが取り残されて…ああ。」

小林が大げさに嘆いて見せると、サキが笑った。

「ジュンさんも幸せになって欲しいです。」
「『

』って言葉が今の俺には突き刺さる。隆がサキちゃんを泣かせるようなことがあったら、いつでも俺の胸に飛び込んでおいで~。」
「ハハ。それは絶対にありません。」
「ちっ。…ところで、隆の親父さんはまだ反対してるの?」
「え、ええ。」

サキは少し話し辛そうに下を向いた。

「そうなんだ。…しかし、教育者が人を偏見の目で見ていいのかね。気にしてんのは世間体だろ?結婚式に『花嫁はショーダンサーで、キャバレーで働いてました』って司会者に言われたくないだけだよ。…何だか俺まで腹立ってきた。」
「でも分からなくはないのよ、お父様の気持ち。ダンサーでも水商売でも偏見を持つ人は多いわ。お父様でなくてもね。」
「サキちゃんは良い女だよ。隆はそんな女を独り占めしたんだから、幸せにしなかったら俺が許さない。」
「小林さん…ありがとう。」

玄関を開け、隆が入ってきた。

「ただいま。…小林さん!早かったですね。」
「『ただいま』だって。なんかムカつく。今なあ、隆との結婚を考え直すよう説得してたところだ。」
「婚約パーティーに来ておいて、ぶち壊す気ですか?」
「最近見た映画であったなあ。『卒業』だっけ?ダスティン・ホフマンが花嫁かっさらうやつ。見た?」
「忙しくて見てませんけど、嫌な映画ですねえ。」
「俺は、ダスティン・ホフマンな。」
「ダスティン・ホフマンも、小林さんと一緒にされたら迷惑ですよ。」
「おまえなあ!」

二人は笑い合いながら畳の上で、取っ組み合った。隆が久しぶりに仲間と楽しそうにしている様子を見て、サキは幸せだった。

サキは隆が夜中、工事現場のバイトに行ってることを知っていた。サキが寝たあと、隆はそっと起きだしてバイトに行く。隆が話さないので、知られたくないのだろうと思いサキも黙っていたが、恐らく区役所を辞めようとしているのではないかと察していた。サキも、まだダンサーを続けていたので生活は困らなかったが、父親に見つからないようにする為、それにサキにキャバレーを辞めさせダンサーとして生きてもらう為、隆はそう考えているのではないかと思った。しかし、朝方眠そうな顔をして区役所に向かう隆を見て、サキは罪悪感を感じていた。

「こんにちは~。やだ、何じゃれてんのよ。」

ジュンが中島と共にやってきた。小林が畳の上で大の字になり中島に文句を言う。

「ああ、やだやだ。もっと幸せな奴らが来たあ。」
「何言ってんだ。ほらシャンパンだ。」

隆が受け取り、サキに尋ねる。

「美咲。グラスあるか?」
「ええ、揃えてあるわ。」

サキは、そう言うと台所へ向かった。それを聞いた小林がふてくされる。

「『美咲』だって。畜生!中島たちは何て呼び合ってるの?」
「『おい』とか『ちょっと』とか?」
「『あんた』とか『ねえ』とか?」

中島とジュンが顔を見合いながら確かめ合うと、小林は「爺婆かよ。」と言って爆笑した。
久しぶりに会った5人は皆笑顔だった。これから来る幸せな日々を全員が信じ、願っていた。
グラスが5人に行きわたり、隆が音頭をとる。

「えっと、皆さん本当にありがとうございます。…俺は幸せです。俺は一生かけて、この幸せを守ります。」

言葉は少なかったが、誰もがそれを隆らしいと思った。

「乾杯!」

グラスが、派手に音を立てる。その日、5人は明け方まで語り合ったのだった。
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登場人物紹介

斉藤拓也(さいとうたくや)

父親の病気をきっかけに、父親の過去を調べ始める。

木本弘美(きもとひろみ)

拓也の恋人。孤児だったが、現在は明るく評判のいい看護師。

斉藤隆(さいとうたかし)

拓也の父親。公務員。

小野美咲(おのみさき)<サキ>

「ミラージュ」のダンサー。

小林登(こばやしのぼる)

中島の同級生。

中島清太郎(なかじませいたろう)

隆の先輩。中学時代同じ部活(野球部)だった。

間宮潤子(まみやじゅんこ)<ジュン>

「ミラージュ」のダンサー。

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