第2話 斉藤拓也(90’s)
文字数 2,116文字
撮影スタジオでは、水着姿でスタイルの良い数人の女性モデル達がポーズをとり、カメラマンの要求に応えながら笑顔を見せていた。
「おい、拓也!どこ当ててんだよ!影出てんだろ」
「すみません…。」
カメラマンに時折怒鳴られながら、拓也はレフ版を持って女性達を照らしていた。
斉藤拓也。カメラアシスタントとしてこのスタジオで働いている。32才という、業界ではそれなりのいい年なのだが、長い間アシスタントとして働いていて、カメラの腕は誰からも認められていない。
一通り撮影が終わると、女性達は「お疲れ様でしたあ。」と言いながら帰っていった。
スタッフも帰り始めると、カメラマンがため息をつきながら、拓也に文句を言う。
「なんかさあ、本当にお前やる気あんの?俺にはさあ、いまいち分かんねえんだよ。」
「すみません。」
「そうやって謝ってばっかりなんだよな拓也は…。お前がどうなろうが、俺には関係ないから別にいいけど。じゃあ今日の写真、加工よろしく。お疲れ。」
カメラマンはそう言うと、さっさと帰宅の途についた。スタジオには拓也が一人残り、それまで活気に満ちたスタジオが、物音一つしない静けさに覆われる。外を見ると、さっきのモデルの一人とカメラマンが腕を組んで帰っていく姿が見えた。
「ふん、奥さんいるくせに…。ま、俺には関係ねえ。…ったく自分がパソコン使えねえからって、全部俺かよ。」
そう言うと、拓也はブラウン管のPCモニターの前に向かった。
1時間ほど写真の加工をしていると、撮影スタジオのドアが開いた。
「こんばんは~。あれ、拓也一人?」
様子をうかがいながら入ってきた弘美は、拓也が一人だと分かると、パソコン作業をしている拓也の後ろから抱き着いた。拓也も特に振り解くこともせず、かといって反応するわけでもなく、そのままにさせていた。
木本弘美。拓也の恋人で看護婦の彼女は、持ち前の明るさで患者さん達から慕われ、同僚からも評判がいい。
「ああ、夜勤から日勤まで頑張った。よく働いた私。早く帰ってお風呂入って、エッチして寝たい。」
「先、帰ってろよ。俺まだ当分かかるから。」
「…ん?拓也君はご機嫌斜めかなあ?」
おちゃらけて聞いた弘美に、拓也は無言で返した。弘美は拓也の隣にあった椅子に座り、横から拓也の顔を覗き込んだ。目線を合わせず作業を続ける拓也に、更にいたずらっぽく聞いた。
「…ご機嫌斜めのようですな。何してるの?」
「バカな女達のシミやほくろを消してるの。」
「パソコンで?便利な時代。ついでにバカも消しちゃったら?」
「フッ。」
思わず笑った拓也に、弘美はホッとすると優しく尋ねた。
「ねえ、拓也。この仕事辞めちゃったら?」
「え?」
「好きじゃないんでしょ?見てれば分かる。」
弘美に言われて拓也は否定できなかった。好きでやってるわけじゃない。拓也にとってカメラマンは夢でも何でもなかった。
「何で、この仕事やってるの?」
「何でも良かったのさ。『平凡』って言われなければそれで良かった。俺は父親のようになりたくなかっただけさ。」
「拓也のお父さんって、どんなお父さん?」
「親父は公務員。毎日、決まった時間に起きて決まった時間に帰ってくる。休みの日はずっとテレビを見てた。だけど別に楽しそうに見てるわけでもない。見てたのは殆どがニュースだよ。遊びもしない。飲みにも行かない。何が楽しくて生きてるんだか全くわからない人だ。」
「お母さんは、小さい頃亡くなったって聞いたけど。」
「小学生の時だったな、事故でね。母親は俺も妹も溺愛してたなあ。親父とは正反対だった。母親が死んだ後は、婆ちゃんが俺たちの面倒を見てくれた。その婆ちゃんも3年前死んじまったけど、今でも感謝してるよ。」
「そうだったんだ。拓也からあまり家族の話って聞かなかったから、知らなかったわ。」
「…別に、聞かれなかっただけだよ。」
「嘘。私に気を使ってたんでしょ?カッコつけちゃって。フフッ。」
弘美は、孤児だった。付き合い始めた当時、弘美はあっけらかんとその事を拓也に話したが、拓也は弘美に対して家族の話は何となく避けていた。言えば父親の愚痴になってしまうし、そんな話は弘美にとってみれば贅沢な悩みだ。
「お父さんは、愛情表現が下手なだけなんじゃない?」
「どうかな。だけど、結局俺も大したことない人間だよ。やりたい事があるわけでも、夢があるわけでもない…。」
「待った。その先は止めておこう拓也君。人生はまだまだこれからよ。」
弘美がまるで教師のように演説すると、拓也は思わず笑った。
「弘美…お前良い女だな。」
「知ってる。」
お互い笑い合っていると、拓也のPHSが鳴った。笑いを抑えて拓也は電話を取る。その応対が、徐々に真剣な表情になっていくのを見て、弘美は少し不安になった。しばらくして拓也は電話を切りPHSをズボンのポッケにしまうと、そのまま何も言わなかった。たまりかねて弘美が尋ねる。
「…どうしたの?」
「…親父が…倒れた。」
「え?」
弘美は拓也の表情に、その心情を読み取ることは出来なかった。
「おい、拓也!どこ当ててんだよ!影出てんだろ」
「すみません…。」
カメラマンに時折怒鳴られながら、拓也はレフ版を持って女性達を照らしていた。
斉藤拓也。カメラアシスタントとしてこのスタジオで働いている。32才という、業界ではそれなりのいい年なのだが、長い間アシスタントとして働いていて、カメラの腕は誰からも認められていない。
一通り撮影が終わると、女性達は「お疲れ様でしたあ。」と言いながら帰っていった。
スタッフも帰り始めると、カメラマンがため息をつきながら、拓也に文句を言う。
「なんかさあ、本当にお前やる気あんの?俺にはさあ、いまいち分かんねえんだよ。」
「すみません。」
「そうやって謝ってばっかりなんだよな拓也は…。お前がどうなろうが、俺には関係ないから別にいいけど。じゃあ今日の写真、加工よろしく。お疲れ。」
カメラマンはそう言うと、さっさと帰宅の途についた。スタジオには拓也が一人残り、それまで活気に満ちたスタジオが、物音一つしない静けさに覆われる。外を見ると、さっきのモデルの一人とカメラマンが腕を組んで帰っていく姿が見えた。
「ふん、奥さんいるくせに…。ま、俺には関係ねえ。…ったく自分がパソコン使えねえからって、全部俺かよ。」
そう言うと、拓也はブラウン管のPCモニターの前に向かった。
1時間ほど写真の加工をしていると、撮影スタジオのドアが開いた。
「こんばんは~。あれ、拓也一人?」
様子をうかがいながら入ってきた弘美は、拓也が一人だと分かると、パソコン作業をしている拓也の後ろから抱き着いた。拓也も特に振り解くこともせず、かといって反応するわけでもなく、そのままにさせていた。
木本弘美。拓也の恋人で看護婦の彼女は、持ち前の明るさで患者さん達から慕われ、同僚からも評判がいい。
「ああ、夜勤から日勤まで頑張った。よく働いた私。早く帰ってお風呂入って、エッチして寝たい。」
「先、帰ってろよ。俺まだ当分かかるから。」
「…ん?拓也君はご機嫌斜めかなあ?」
おちゃらけて聞いた弘美に、拓也は無言で返した。弘美は拓也の隣にあった椅子に座り、横から拓也の顔を覗き込んだ。目線を合わせず作業を続ける拓也に、更にいたずらっぽく聞いた。
「…ご機嫌斜めのようですな。何してるの?」
「バカな女達のシミやほくろを消してるの。」
「パソコンで?便利な時代。ついでにバカも消しちゃったら?」
「フッ。」
思わず笑った拓也に、弘美はホッとすると優しく尋ねた。
「ねえ、拓也。この仕事辞めちゃったら?」
「え?」
「好きじゃないんでしょ?見てれば分かる。」
弘美に言われて拓也は否定できなかった。好きでやってるわけじゃない。拓也にとってカメラマンは夢でも何でもなかった。
「何で、この仕事やってるの?」
「何でも良かったのさ。『平凡』って言われなければそれで良かった。俺は父親のようになりたくなかっただけさ。」
「拓也のお父さんって、どんなお父さん?」
「親父は公務員。毎日、決まった時間に起きて決まった時間に帰ってくる。休みの日はずっとテレビを見てた。だけど別に楽しそうに見てるわけでもない。見てたのは殆どがニュースだよ。遊びもしない。飲みにも行かない。何が楽しくて生きてるんだか全くわからない人だ。」
「お母さんは、小さい頃亡くなったって聞いたけど。」
「小学生の時だったな、事故でね。母親は俺も妹も溺愛してたなあ。親父とは正反対だった。母親が死んだ後は、婆ちゃんが俺たちの面倒を見てくれた。その婆ちゃんも3年前死んじまったけど、今でも感謝してるよ。」
「そうだったんだ。拓也からあまり家族の話って聞かなかったから、知らなかったわ。」
「…別に、聞かれなかっただけだよ。」
「嘘。私に気を使ってたんでしょ?カッコつけちゃって。フフッ。」
弘美は、孤児だった。付き合い始めた当時、弘美はあっけらかんとその事を拓也に話したが、拓也は弘美に対して家族の話は何となく避けていた。言えば父親の愚痴になってしまうし、そんな話は弘美にとってみれば贅沢な悩みだ。
「お父さんは、愛情表現が下手なだけなんじゃない?」
「どうかな。だけど、結局俺も大したことない人間だよ。やりたい事があるわけでも、夢があるわけでもない…。」
「待った。その先は止めておこう拓也君。人生はまだまだこれからよ。」
弘美がまるで教師のように演説すると、拓也は思わず笑った。
「弘美…お前良い女だな。」
「知ってる。」
お互い笑い合っていると、拓也のPHSが鳴った。笑いを抑えて拓也は電話を取る。その応対が、徐々に真剣な表情になっていくのを見て、弘美は少し不安になった。しばらくして拓也は電話を切りPHSをズボンのポッケにしまうと、そのまま何も言わなかった。たまりかねて弘美が尋ねる。
「…どうしたの?」
「…親父が…倒れた。」
「え?」
弘美は拓也の表情に、その心情を読み取ることは出来なかった。