第1話 陶芸家夫妻とオウムのジュンのお話

文字数 3,367文字

 某病院の終末ケア病棟に入院しているタカシは、陶芸家だった。
 もう1人で起き上がることもできなくなったタカシは、ベッドの横の壁に掛けた、1枚の写真を飽きることなく眺めている。
 その写真には、左肩にオウムを乗せた初老の女性が微笑んでいる様子が収められていた。


 ◇◇◇◇

 タカシは大学卒業後に、某メーカーに技術者として入社し、陶芸とは全く縁のないサラリーマンであった。
 陶芸を始めたのは、30歳を過ぎた頃からで、それも本当の目的は別にあったのだ。

 タカシは社内の総務課に務めるシズエに密かに想いを寄せており、今まで話をする機会がなかったが、チャンスは、会社と労働組合の共催で実施される、クリスマス立食パーティーで巡ってきた。
 タカシは、なんとか彼女に近づきたいと思い、皆が舞台上で行われている余興に注目している時に、シズエの横にさりげなく移動する。そして、彼女のグラスが空になっていることを確認し、勇気を振り絞って声をかけた。

「ビールいかがですか?」

 シズエは、はっとしてタカシを見て返事をした。

「ウーロン茶をお願いします」

「貴方は総務課のヤマダシズエさんですね。総務課は毎年、このパーティーの準備、大変ですね」

 他の部署の社員が、総務課の社員の氏名を知っていることは、不自然ではなかった。

「毎年のことですから、どうってことないですよ」

 タカシは、素っ気ないシズエの返しに、動揺しながらも、会話が途切れないように、予め考えていた話題にふろうとした。
 舞台上では、社員の有志でハワイアンバンドが演奏されていた。お世辞にも、褒められたものではなく、ボーカルは音痴でギターは指が回らず、ドラムに至っては、へんてこりんなリズムで勝手に叩いている。
 その為、みんなからヤジを飛ばされるも、それに言い返して爆笑をとっていた。

「彼らは、舞台でやれるだけすごいですね。僕なんかこれといった趣味はないです。ヤマダさんは、いかがですか?」

 この質問に、ようやくタカシの意図を感じたシズエは、すこし考えて答えた。

「オウムを飼っていることと、陶芸です」

「へえ、そうですか」

 いずれも自分にはまったく知見のない趣味に、タカシはもうここまでかと諦めかける。すると、シズエが話を続けてくれた。

「うちのオウムのジュンは、お利口さんなんですよ。獣医さんからは、人間の幼稚園児ほどの知能があると言われました。それに寿命は40~50年と長いんですよ」

「それは驚きです。一度、会ってみたいです」

「ただし、すごい人見知りなんで、気に入らない人には、全然なつかないんですよ」

「ところで陶芸は、どこでやってるんですか?」

「実は、祖父母が陶芸家なんです。週末は、ジュンを連れて祖父母の工房に行き、手伝いをするかわりに、自分の作品を焼かせてもらってるんです」

「天才オウムのジュンに会いたいなぁ。それに陶芸も見てみたい」

 本当は、シズエと過ごしたいだけなのだが、タカシは調子を合わせて言った。

「土曜日の午後に陶芸教室をやっていますので、ご興味があるようでしたら、いらして下さい。私も、お手伝いしています」

 シズエは、バッグの中をごそごそと探すと、陶芸教室のチラシを見つけて、タカシに渡した。


 ◇◇◇◇◇


 タカシは週末にさっそく陶芸教室に入会した。
 既存のメンバーは、全員60歳以上だったので、30歳台のタカシの入会をみんな喜んでくれた。
 タカシの目的はシズエであったが、やっていくうちに、意外にも陶芸の魅力にはまり、実際自分が作った作品を、シズエの祖父母である先生や他の生徒さんに褒められると、嬉しくなりもっといい作品を作りたくなった。
 そんな、タカシをシズエは好意的に見るようになり、2人の距離も徐々に近づいていった。
 ただ、オウムのジュンだけは、何故かタカシに全然なつかず、いくらタカシが話しかけても無視だ。

 半年後にタカシが告白し、恋人関係になって、そこからは順調に交際し、1年後にタカシとシズエは結婚した。
 シズエの両親は、早くに病死していたので、会社からは車通勤で片道1時間弱かかったが、シズエの祖父母の工房の近くに住むことにした。
 2人の間には、残念ながら子宝には恵まれなかったが、2人と一羽で穏やかな結婚生活を営んだ。
 すると、シズエの結婚に安心したのか、それから数年のうちに祖母、祖父が次々に亡くなってしまう。
 そこでシズエとタカシが祖父母の陶芸教室を引き継ぐことになった。2人は、これを機会に会社を退職し陶芸を生業にする決心をつけた。

 夫婦でのがんばりで陶芸での生業が軌道に乗り、弟子を取れる余裕が出来るまで、20年かかった。ジュンがいるので海外旅行はできないが、結婚20周年を記念して、国内に一泊旅行でもしようと相談をしていた矢先に、シズエの体調に異変が起きた。
 シズエの家系は、短命傾向でシズエは60歳で死の床についた。結局、病院には入院せず、在宅での最後を選択した。

「貴方、ごめんなさいね。ジュンのことよろしくね」

「ジュンはいまだに、俺になついてくれないから、キミがいなくなったら困るよ」

「それは大丈夫よ」

「どうして?」

「それは秘密」

 シズエは、嬉しそうな顔をして、この質問には答えることなく、それから1週間後に眠るように息を引き取った。

 葬儀が終わって、緊張の糸が切れたタカシは、炬燵にあたりながら、さめざめと涙を流した。
 すると、ジュンがタカシの背中に乗って、タカシの頭を嘴でつんつんする。

「タカシ、ダイジョウブ」

 その声色、話し方がシズエそっくりで、驚いたタカシの涙がとまった。
 それから、ジュンはタカシになつくようになった。
 タカシは、その後振り返るとあの時ジュンがいなければ、シズエを亡くしたことを、乗り越えられなかっただろうと思った。


 ◇◇◇◇◇


 タカシは70歳になっていた。体力的にもう1人で工房を維持するのがギリギリだ。
 ジュンもオウムの寿命は長いというが、もう50歳は超えているだろう。

 タカシが薪を割ろうと力を入れた時に、頭の中がプツンとした。
 そして、その場で倒れ意識を失った。
 ジュンが寝ているタカシの頭をつんつんする。

「おはよう。タカシ」

 ジュンは何度も何度も繰り返すが、タカシはピクリとも動かない。
 すると、突然雨が降ってきた。

 ジュンは、雨の中飛んだ。隣の家はシズエの従弟の家だが隣といっても500メートルは離れている。その家のドアを嘴でたたく。

「ジュンじゃないか。こんな雨の中どうした」

「タカシ、タカシ、タカシ、タカシ」

 ジュンは、必死に連呼した。

 何かあったのかと、従弟はタカシの家に駆けつけ、裏庭で倒れているタカシを発見して、すぐ救急車を呼ぶとともに、心肺蘇生術を行った。


 数日後、タカシは病院のベッドで目覚めた。病院からの連絡で従弟が駆けつけた。
 そして、ここに至るまでの顛末を話してくれた。
 タカシが倒れたことをジュンが大雨の中飛んで伝えに来た事、シズエの従弟は、地元の消防士を勤め上げたので、的確な心肺蘇生術を行ってくれた。
 しかし、最後に顔を曇らせて話した。

「ジュンは、残念ですが、あの日の夜に死にました。獣医さんに診てもらいましたが、もうかなりの高齢だったので、お宅からうちまで飛べたのが奇跡だと言っていました。ジュンは、シズエちゃんが死ぬ間際にジュンに託したことをやってくれました」

「シズエが託した事とは何ですか?」

「シズエちゃんは、自分が死んでいなくなったら、ジュンがタカシさんのお嫁さんになるんだよと、言ってました」

「えっ、ジュンはオスでしょう」

「知らなかったんですか? ジュンはメスですよ。ジュンは、初めてタカシさんに会った時から大好きだったけど、シズエちゃんが自分の夫だと分らせてから、一切関わらないようにしてたそうです」

「えっ!」

「シズエちゃんは、死ぬ間際にも、ジュンにタカシさんのことを託したと言ってました」

 従弟が帰った後、タカシは、スマホの待ち受けにしていた、シズエの肩にジュンが乗っている画像を見ると、溢れる出る涙が頬を伝った。


 ジュンの亡骸は、シズエの墓に埋葬された。

 タカシは墓前に手を合わせて言った。

「シズエ、ジュン。俺ももうじきここに入るから、待ってろよ。両手に花とはこのことだ」



 おしまい。
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