第4話 少女と不思議な杖

文字数 2,733文字

 私は現在62歳。55歳の時、不治の病を発症し投薬で症状を抑えてきたが、ここへきて薬の効きが悪くなり、歩行困難になってきた。現在は杖をついてようやく短い距離をゆっくり歩ける状態だ。転倒が最も怖い。
 月1回、かかりつけの病院へ行くのも一苦労。調剤薬局で1ケ月分の薬を買い物袋に詰め込んで、バス停に向かって杖をつきながら歩いて行く。
 今日は駅前の人通りが多く、人に接触しないように気を付けないといけない。と思ったその時、若者に後ろからほんの少し接触されただけで、バランスを崩し尻餅をついてしまう。どうやら手をついた時のすり傷程度で骨には異常はなさそうで、ほっとする。しかし、体の近くを探すが大切な杖が見つからない。

「おじさま、大丈夫ですか?」

 ようやく立ち上がったところ、見知らぬ少女が杖を渡してくれた。

「お嬢さん、ありがとう」

 私がお礼を言って杖を受け取り、歩き始めるとその少女が後に付いてくる。

「バス停まで、お見送りしますね。それにしても、あのぶつかった若い人、そのままいっちゃうなんて酷いですね」

 と可愛い顔のほっぺを膨らませて、プンプンになっている。
 杖さえあれば1人でバス停まで行けるのだが、人の好意はありがたく受けるのがマナーだ。

「ありがとう。お願いするよ」

 そう言うと少女はにこっと笑った。私は何十年ぶりかの胸の高まりを感じた。いかんいかん。相手は少女だ。杖をついて歩くと不思議なことに歩く速さが2倍以上になった。また、体にエネルギーが注入されたような感覚、力がみなぎる感覚になった。
 そこで杖をよく見ると、そっくりなのだが自分のとは違うことに気が付く。自分のには名前が書いてあるのに、これにはない。

「お嬢さん。困ったことになった。この杖、誰かのと入れ替わったようだ。こちらの方が高性能みたいだよ」

「おじさま、ラッキーじゃない」

 少女は屈託のない表情で言った。

「ばかもん! これの本当の持ち主の方は今頃、困っているに違いない」

 私が大きな声を出したので少女は涙ぐんだ。

「いやいや、大きな声を出して悪かった。年寄はこれだからいかん。まだ遠くに行っていないだろうから、一緒に探してくれんか」

 私と少女は駅周辺を必死で探したが、私の安物の杖を持った人物は見つからなかった。
 結局、交番に行って杖が入れ替わっていることを相談すると、私も杖がないと困るのでこのまま使い、持ち主が交番に現れたら連絡をもらうことにした。

「おじさま、真面目な方ですね。素敵ですよ」

 少女に褒められてドギマギした。

「当たり前のことだよ」

 そして、少女と私はまたバス停に向かった。


「キャー、ひったくり!」

 そう叫んだ初老の婦人がひったくり犯の男を指さした。
 私は、とっさに杖を男の足元に投げつけると、男の足にからまり転倒したので、私は決死の覚悟で男の足にしがみついた。
 すると、警察官が2人駆けつけ現行犯逮捕となった。少女が素早く110番してくれたのだ。婦人は私にお礼をさせてくれと言った。婦人の家は偶然にも私が使っている路線のバス停から、すぐそばのマンションの一室だそうだ。自家製のケーキを振舞ってくれるというので、好意に甘えることにした。
 婦人と少女と私は同じバスに乗り込んだ。
 バスが出発時刻となり扉が閉まる寸前に、マスクを付けた男が乗りこんできた。
 私は、なんか嫌な予感がする。
 バスが出発すると、その男は最前列の高い座席に座っている小学生に、ナイフを突きつけた。

「キャー」

 小学生の悲鳴がバス内に響いた。

「おい、運転手。このガキを死なせたくなかったら、俺の言う事を聞け。まずは停留所でドアを開けないこと」

「はっ、はい」

「おい。お前らも言う事を聞け。スマホと携帯をお前が集めろ」

 なんと私が指名された。私は、いわれたとおりに、乗客10人のスマホを集めて犯人に届けた。

「10個か、1個足んねえぞ!」

「私は持っていませんの」

 婦人が声を震わせて発言した。

「ババアがもってないのか。よし判った。運転手、あの川のところで止めろ」

 バスジャックされたバスが川の手前で停車した。

「お前、その10個を川に投げ捨てろ」

 私はバスを降りて仕方なく10個のスマホを川に投げて、戻ってきた。
 男は、これからの行き先をバスの運転手に告げているところである。
 この時、男の持ったナイフの刃先が小学生の首のあたりから離れた。
 私は少女とアイコンタクトを取ってから、杖をバスジャック犯のナイフを持つ手に思い切り降り下ろした。
 ナイフはバスの床面に落ちたので、私はナイフをバスの外へ蹴りだした。

「痛ぇー なにすんだてめえ」

 男は私の髪の毛をつかんで、バスの床にころがした。そのすきに少女が小学生を救出し、男性乗客3人と運転手が男をラグビーのモールのように取り囲んで、動けないようにした。
 数分後パトカーがバスを取り囲み、警察官なだれ込んできてバスジャック犯は御用となった。

 その後、私と婦人と何人かの乗客と運転手は警察に行って事情聴取を受けた。不思議な事に少女はいなくなっていた。
 刑事さんからは今回は結果オーライだけれど、不自由な体で無理なことはしないでくださいと何度も注意を受けてしまった。もっともな注意で何であの時、あんな力が出たのか自分でも信じられなかった。
 また、杖は自分のものに戻っている。しっかり自分の名前が書かれているではないか。歩くスピードも戻ってしまった。
 警察の方々は杖なしでは歩けない私が、犯人逮捕に一役買ったことに首をひねっていた。

 やっと解放された私と婦人は、ようやくバスに乗ることが出来た。少女が消えたので私だけが婦人の家に上がるのは、どうかと固辞したが、驚いたことに、婦人は、そんな少女は最初からいなかったと言うではないか。
 押し問答の結果、婦人の家に上がる事にした。

 リビングは綺麗にかたずけられている。私はサイドボードの上に立てかけられている親子3人が笑顔で映っている写真を見て、思わず息をのんだ。
 婦人はケーキと紅茶を持ってきてくれた。私が写真を凝視しているのを見て言った。

「もう30年前の写真ですの。そこに映っている1人娘は、この後心臓の病気で亡くなったんですの。主人は、2年前に癌で…」

「それは、なんといったらいいのか…」

 写真に映っている少女が今日我々を助けてくれたということを、婦人に話そうか迷った。
 写真の中の少女は、

(それはヒミツ。そんなことより、おじさま、ママのお友達になってね)

 と言っているような気がした。

(オジサンも一人身だし、こんな上品で優しそうなご婦人となら、願ったりかなったりだよ)

 と心の中で答えると、写真の少女の笑顔がさらに輝いて見えた。


 おしまい
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