個人のモノマネなら許されるの?

文字数 1,439文字

2017年の大晦日に日本で放送されたブラックフェイスについて、「アフリカ系人全般を笑いの対象にしたのではなく、特定の俳優のモノマネをしたのだ」と言う人が多かったですね。
モノマネなら肌に色を塗らなくても出来るでしょ?
「完璧なモノマネのために必要だ」と言い張る人もいました。
完璧なモノマネをしようっていうなら、身長差はどうしたのかしらね?
身長差?
今回、扮装をした人と、対象にされた人とでは、身長が10cm違うのよ。完璧なモノマネなら、シークレットシューズなりなんなりで身長も合わせなきゃおかしいのに、それはなされたのかしら?
……さあ?
身長だけじゃないわ。身のこなしだって声の高さだって違うわけでしょう。完璧なモノマネというなら、合わせるべき属性は無数にあるはずよ。でも実際は、衣装と肌の色しか合わせていなかったわけで。それを「完璧なモノマネ」だと思うのなら、それはその人が衣装と肌の色でしか人間を見ていなかったってことの証左よ。
一部しか合っていないのに似たものだと思ってしまう……これもステレオタイプですね。
それに、モノマネという芸がある種の暴力性を含んでいるということに無頓着すぎるんじゃないかしら。
暴力性……ですか?
小学校の頃とか、他人の言い間違いや訛りをマネする子っていなかった?
いた気がします。
だいたいそういうモノマネって、相手の自尊心を踏みにじるわよね。
はい。いやな感じがします。
プロの芸人がするモノマネは違うっていう人もいるだろうけど、ここで注意すべきは「ご本人登場」よ。
「ご本人登場」って、モノマネをしている人の後ろにマネされている本人が現れて……っていうのですよね。
そう。そのとき、スタジオにいる人たちはどんな反応をしているかしら?
驚いたり、逃げ回ったり、ぎこちなくなったり、薄笑いを浮かべたりしますね。
もしモノマネが、誰の前でも安心して行えるものだったら、あんな反応はしなくていいはずよね。
堂々としていられますよね。
それが堂々としていられないのは、モノマネが元々ある種の後ろめたさを持っていることの証左に思えてならないのよ。全てのモノマネがそうとは限らないけど、ね。
ところでせんせい、最初に出てきた俳優なんですが、ネット放送にコメントを求められたとき、エージェントが「一文字何百万もかかる」と言っていたそうなんですが、これはどういう意味なんでしょうか。
色んな意味があるのだろうし、そもそも英語の原文のニュアンスが伝えきれていないのかもしれないけど。ここで私たちが考えるべきは、そのスターの立場がどういったものなのか、でしょうね。
立場って、つまり……。
もし「あのモノマネはOK」と答えたら、「あの大スターがブラックフェイスを認めた」と思われて、叩かれたり、調子に乗ってブラックフェイスを繰り返す輩が現れるかもしれない。だからって「あのモノマネはNG」と答えても、じゃあお前がやっていたあの芸やこの芸はなんなんだ? とか、バッシングされるでしょうし、どちらにしても、世界の芸能を巻き込んだトラブルになってしまう。それくらい重い問いかけをしているんだ、ということを表したのが「一文字何百万」なんじゃないかしら。
影響力のある人ですもんね。
一挙手一投足が世界の人々を歪めたり、苦しめたりするかもしれない。自分の立場にかかる責任が大きいことを知っているからこそ、迂闊なことは言えないんでしょうね。だから、その立場を無視して、傲慢だとか強欲だとか言うのは、間違っていると思うわ。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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