私はどんな人間ですか?
文字数 1,628文字
キェルケゴール、サルトル、ニーチェといった人々が実存主義の担い手とされるわけだけど、乱暴に言ってしまえば彼らは、「正解」がなくなってしまった世界の中で、「どうすれば自分の生き方を正解にしていけるか?」を考え続けたのでしょうね。
そうしたまやかしの「正解」から抜け出すのは大変なことよ。でも、それにとらわれたままでは、「自分の生き方を正解にしていく」力を失うことになるわ。自分一人が望んでそうするならまだしも、他人にそれを向けるのは、罪と呼んでいいはずよ。
そのとおりよ。でも、実存主義の先人たちは、それぞれ比べようのない辛さを抱えていたからこそ、「自分の生き方が正解だ」と思えることを目指してもがいていたんだわ。
そのおかげで、私たちは今、まやかしの「正解」にとらわれていないか、誰かにまやかしの「正解」を押し付けていないか、自分を振り返ることができるのよ。