私はどんな人間ですか?

文字数 1,628文字

これまで、ステレオタイプの押し付けがよくない、という前提で話してきましたけど。
そこが疑問?
はい。なぜステレオタイプの押し付けがよくないことなのか、ということを、ちゃんと考えてなかったなって。
そうね……「陽気」とか「明るい」というステレオタイプを押し付けていると、その人の悩みや苦しみをなかったことにしてしまう、ということは前にも話したよね。
はい。でも、「苦しみや悩みは見ないようにすれば存在しなくなるのに、何が悪いの?」という人がいそうです。
存在しなくなる、と言い切るのは危険がありそうね。「抑圧」という考え方があるから。

それに、悩みや苦しみにどうやって向き合うかは、結局、悩み苦しんでいる本人にしか決められないことよね。

はい。他人がとやかく言うことじゃないし、最初から正解があるわけでもありませんから。
「最初から正解はない」……これはすごく重要よ。悩みや苦しみだけじゃない、人間のあり方のほぼすべてがそうだわ。
それって、当たり前のことじゃないですか?
いいえ。それが当たり前になったのは、実は割と最近のことよ。

世界史で実存主義って習わなかった?

えー、世界史苦手なのに……なんかハイデガーとか人が沢山出てきて、よくわからない単語がずらずら出てきたような。
これも、流れをとらえることが有効よ。実存主義が現れる前には、第一次世界大戦があったでしょう。これはどんな戦争だったかしら。
はい。えっと、世界で初めての総力戦で、毒ガスのような強力な兵器が使われて、多くの人が亡くなった戦争です。
そうね。生き残った人々も、体と心に深い傷を負ったわ。そして、生きることの「正解」がわからなくなってしまった。
これまで「正解」だと信じていた生き方の先にあったのが、悲惨な殺し合いだったんですものね……。
そうした中から立ち現れてきたのが実存主義よ。すごく大雑把にまとめると、「生き方に初めから正解はないが、この世界の中で自分の生き方を正解にしていくことはできる」という考え方ね。
自分の生き方を正解にしていくことはできる……。
キェルケゴール、サルトル、ニーチェといった人々が実存主義の担い手とされるわけだけど、乱暴に言ってしまえば彼らは、「正解」がなくなってしまった世界の中で、「どうすれば自分の生き方を正解にしていけるか?」を考え続けたのでしょうね。
「正解はない」ということも、当たり前じゃなかったんですね。たくさんの犠牲があって、苦しみがあって、初めてそれに気づけた。
そうね。そして、過去はあっけなく忘れられていく。「正解はない」ということを心に留めておかないと、まやかしの「正解」にとらわれてしまうわ。
まやかしの「正解」……ステレオタイプがそれになるんですね。
ええ。そして、他人に対してだけじゃなく、自分自身に対してもステレオタイプを向けてしまうことが人間にはある。内面化といってね。
「お前はこういう人間だ」と言われ続けると、自分からそうなってしまうんですね。
そうしたまやかしの「正解」から抜け出すのは大変なことよ。でも、それにとらわれたままでは、「自分の生き方を正解にしていく」力を失うことになるわ。自分一人が望んでそうするならまだしも、他人にそれを向けるのは、罪と呼んでいいはずよ。
でも、「自分の生き方を正解にしていく」って、すごく辛いことに思えます。
そのとおりよ。でも、実存主義の先人たちは、それぞれ比べようのない辛さを抱えていたからこそ、「自分の生き方が正解だ」と思えることを目指してもがいていたんだわ。

そのおかげで、私たちは今、まやかしの「正解」にとらわれていないか、誰かにまやかしの「正解」を押し付けていないか、自分を振り返ることができるのよ。

……はい。
「自分の生き方を正解にしていく」のは、「私はどんな人間か?」と自分に問い、自分でその答えを見つけていくことでもある。そこではステレオタイプは、まやかしの「正解」になって道を塞ぐでしょう。他人の道も、自分の道もね。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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