第35話 最後の引っ越し
文字数 2,751文字
ヒロユキはこのニューヨークに来てからの事を考えていた。
ノーフォークのおばさんのお世話になり、この誰も知らないニューヨークで日本のレストランのシェフ一家を紹介してもらった。
そこでフラッシングと言うとこでアパートを借りて、そこからマンハッタンのダウンタウンのソーホーと言う所に移った。
そこでは日本の大工の棟梁の所でお世話になったが、ヒロユキの望む所ではなかった。
そこで新聞広告を出して新しいアパートを探した。色々と厄介な事はあったが、やっとまともなアパートでアメリカ人のルームメイトとの生活にありついた。
しかもそこは憧れのグリニッチ・ビレッジだった。これでやっと落ち着けると思ったが、今度は人間関係でそのアパートを離れる事になった。
次に移った所は8番街の45丁目だった。そこではサブリースと言う形で、日本人夫婦のアパートを3カ月間だけ借りる事になった。
そのアパートのレントは確かに高かったが3カ月だけなら何とかなるだろうと思い、思い切って借りた。
そしてその3カ月が過ぎ、ヒロユキはまた新しいアパートを探し、やっと自分だけの本当のアパートに辿り着いた。
その場所も64丁目のリンカーン・センターの真ん前と言う、言う事のないロケーションだった。
しかし考えてみれば、ここまで来るのに既にフラッシングから始まって4回の引っ越し、ここで5回目の場所だ。
流石に2年未満で4回の引っ越しと言うのは普通しないだろう。しかしこれでやっと落ち着けるとヒロユキは思っていた。
しかしその思いはまたしても裏切られる事になってしまった。
全くあの男は何をやらかしてくれるんだか。腕はいいのだがどうも言動に問題がある。
今回敏夫は何でも日本企業が半分投資している繊維のコンバーターと言うわれる会社の仕事をしていたのだが、またまたヒロユキの事で何やら、大ボケをかましてしまったらしい。
ただそこの責任者は日本の敏夫の故郷の知り合いらしい。その関係もあって仕事を貰っていたのだろう。
その相手と言うのは富山の美大を出てると言っていた。
そして例の日本人第一世代にも仕事を出しているので、よく知っていると言っていた。
そこにもまた敏夫が余計な事言ったらしい。そいつがお前の腕を見たいと言っているので、ここから逃げろと言って来た。
何でもこのアパートの事を教えてしまったかと。何をアホな事をと言いた所だが、ここは将来の仕事も絡むので一旦姿を消す事にした。
その方法として敏夫が自分のアパートと入れ替わろうと言い出した。
どうも良くわからない話だが、一応はこのデザインを教えてくれて仕事のやり方も教えてくれた相手だ。今回は敏夫の言う事を聞いておくかと、アパートの交換を了承した。
そして移ったのが76丁目のWstendと言う所だった。目の前にて Riverside Drive と言う通りがありその向こうはリバーサイドパークと言う公園がある。
そしてその向こうはハドソンリバーだ。その対岸にはニュージャージーが見える。環境としては悪くはない。
ただしアパートが古かった。部屋の上で歩き回る人の足音が聞こえ五月蠅かった。これは正直問題だ。
ともかくあの音には閉口したので大家に話して何とかならないかと言ったらそれなら地下にもう一部屋空いていると言った。
それでその部屋を見せてもらうことにした。なるほどここなら足音も響いてはこない。しかしここは言ってみれば地下室だ。
確かに外に向かって窓はある。よくマンハッタンを歩いていると通りの端の建物の前に柵があって空間があり窓が見える所がある。そう言うのが地下の部屋の窓だ。
だから光が全く入いらないと言う事もないが、気持ちの上では少し閉鎖的にならざるを得ない。
しかしまぁ、音の事を考えたらまだましだろう。それでこのダンジョンに移ることに決めた。
そう言う意味ではここで5回目の引っ越しと言う事になる。本当に持ち物が少なくて良かったと思っている。
今回はデザイン・デスクも持ってくる必要はなかった。同じ物が敏夫の部屋にもあったのでそれも交換する事にした。
そしてこの後はしばらく大人しい静かな時間を過ごす事が出来た。
学校の方は相変わらず顔を出してないが授業料だけは毎月払っていたので、特に退学処分等の連絡はなかった。
だからヒロユキはこれでいいのだろうと思っていた。今はもうレストランでのバイトもしていない。
それどころか今はプロのデザイナーとして働いている。これこそヒロユキの夢ではなかっただろうか。
ただこの状態でいつまでも働ける訳ではない。ヒロユキはあくまで身分は学生だ。学生ビザしか持っていない。
だからこの国で働く為には働けるビザに切り替えなければならないが、それは結構難しい。
仕事で働くのなら就労ビザと言われるHビザを取得しなければならないが、それにはヒロユキをサポートしてくれる会社が必要になる。
特にH-1B(特殊技能職ビザ)を取るには、この人物がどうしても必要である。アメリカ人では出来ないと言う特殊技能を証明する必要がある。それはアメリカ人の仕事を失くさない為だ。
アメリカ人にも出来る技能なら、この就労ビザは下りない。少なくとも今のスタジオでは不可能な事だ。
後はアメリカ人と結婚して永住権を手に入れると言う方法もあるが、これは相手がいないとどうにもならない。
ともかく今のヒロユキでは全てに可能性はない。
しかしヒロユキは考えていた。何もこの国で働く必要はないのではないかと。
元々海外に出た目的言うのはの区内では経験出来ない世界のでも知識と技術を得て、自分のデザイナーとしても技量を上げる事。
それが出来れば日本で働いても問題はない。そものそもその為に海外に出たのだから。
そして今ではグラフィック・デザインに固執する必要もないと考えていた。
今やってるこのテキスタイル・デザインも結構面白い。むしろ自分には合ってのかも知れないなと思っていた。
自分が好むデザインであれば何でも良いのではないか。
そう言えばヒロユキが最後に小早川にあった時、彼は天婦羅割烹の店のバイトを辞めて、百貨店などのショーウンドーの飾りつけのデザインのバイトをやっていた。
あれもまた夜の仕事だ。百貨店が閉まってから仕事を始める。恐らく8時、9時以降の仕事になるんだろう。
もしかするともっと遅く、人通りが絶えてからの仕事になるのかも知れない。
少なくともあれもまた小早川が選んだバイトだ。もしかすると小早川もまた、あれが本業のデザインの仕事になるかも知れないなとヒロユキは思っていた。
どの業界でもいい。自分が成りたかったデザイナーの仕事が出来るなら。そうヒロユキは思った。
ノーフォークのおばさんのお世話になり、この誰も知らないニューヨークで日本のレストランのシェフ一家を紹介してもらった。
そこでフラッシングと言うとこでアパートを借りて、そこからマンハッタンのダウンタウンのソーホーと言う所に移った。
そこでは日本の大工の棟梁の所でお世話になったが、ヒロユキの望む所ではなかった。
そこで新聞広告を出して新しいアパートを探した。色々と厄介な事はあったが、やっとまともなアパートでアメリカ人のルームメイトとの生活にありついた。
しかもそこは憧れのグリニッチ・ビレッジだった。これでやっと落ち着けると思ったが、今度は人間関係でそのアパートを離れる事になった。
次に移った所は8番街の45丁目だった。そこではサブリースと言う形で、日本人夫婦のアパートを3カ月間だけ借りる事になった。
そのアパートのレントは確かに高かったが3カ月だけなら何とかなるだろうと思い、思い切って借りた。
そしてその3カ月が過ぎ、ヒロユキはまた新しいアパートを探し、やっと自分だけの本当のアパートに辿り着いた。
その場所も64丁目のリンカーン・センターの真ん前と言う、言う事のないロケーションだった。
しかし考えてみれば、ここまで来るのに既にフラッシングから始まって4回の引っ越し、ここで5回目の場所だ。
流石に2年未満で4回の引っ越しと言うのは普通しないだろう。しかしこれでやっと落ち着けるとヒロユキは思っていた。
しかしその思いはまたしても裏切られる事になってしまった。
全くあの男は何をやらかしてくれるんだか。腕はいいのだがどうも言動に問題がある。
今回敏夫は何でも日本企業が半分投資している繊維のコンバーターと言うわれる会社の仕事をしていたのだが、またまたヒロユキの事で何やら、大ボケをかましてしまったらしい。
ただそこの責任者は日本の敏夫の故郷の知り合いらしい。その関係もあって仕事を貰っていたのだろう。
その相手と言うのは富山の美大を出てると言っていた。
そして例の日本人第一世代にも仕事を出しているので、よく知っていると言っていた。
そこにもまた敏夫が余計な事言ったらしい。そいつがお前の腕を見たいと言っているので、ここから逃げろと言って来た。
何でもこのアパートの事を教えてしまったかと。何をアホな事をと言いた所だが、ここは将来の仕事も絡むので一旦姿を消す事にした。
その方法として敏夫が自分のアパートと入れ替わろうと言い出した。
どうも良くわからない話だが、一応はこのデザインを教えてくれて仕事のやり方も教えてくれた相手だ。今回は敏夫の言う事を聞いておくかと、アパートの交換を了承した。
そして移ったのが76丁目のWstendと言う所だった。目の前にて Riverside Drive と言う通りがありその向こうはリバーサイドパークと言う公園がある。
そしてその向こうはハドソンリバーだ。その対岸にはニュージャージーが見える。環境としては悪くはない。
ただしアパートが古かった。部屋の上で歩き回る人の足音が聞こえ五月蠅かった。これは正直問題だ。
ともかくあの音には閉口したので大家に話して何とかならないかと言ったらそれなら地下にもう一部屋空いていると言った。
それでその部屋を見せてもらうことにした。なるほどここなら足音も響いてはこない。しかしここは言ってみれば地下室だ。
確かに外に向かって窓はある。よくマンハッタンを歩いていると通りの端の建物の前に柵があって空間があり窓が見える所がある。そう言うのが地下の部屋の窓だ。
だから光が全く入いらないと言う事もないが、気持ちの上では少し閉鎖的にならざるを得ない。
しかしまぁ、音の事を考えたらまだましだろう。それでこのダンジョンに移ることに決めた。
そう言う意味ではここで5回目の引っ越しと言う事になる。本当に持ち物が少なくて良かったと思っている。
今回はデザイン・デスクも持ってくる必要はなかった。同じ物が敏夫の部屋にもあったのでそれも交換する事にした。
そしてこの後はしばらく大人しい静かな時間を過ごす事が出来た。
学校の方は相変わらず顔を出してないが授業料だけは毎月払っていたので、特に退学処分等の連絡はなかった。
だからヒロユキはこれでいいのだろうと思っていた。今はもうレストランでのバイトもしていない。
それどころか今はプロのデザイナーとして働いている。これこそヒロユキの夢ではなかっただろうか。
ただこの状態でいつまでも働ける訳ではない。ヒロユキはあくまで身分は学生だ。学生ビザしか持っていない。
だからこの国で働く為には働けるビザに切り替えなければならないが、それは結構難しい。
仕事で働くのなら就労ビザと言われるHビザを取得しなければならないが、それにはヒロユキをサポートしてくれる会社が必要になる。
特にH-1B(特殊技能職ビザ)を取るには、この人物がどうしても必要である。アメリカ人では出来ないと言う特殊技能を証明する必要がある。それはアメリカ人の仕事を失くさない為だ。
アメリカ人にも出来る技能なら、この就労ビザは下りない。少なくとも今のスタジオでは不可能な事だ。
後はアメリカ人と結婚して永住権を手に入れると言う方法もあるが、これは相手がいないとどうにもならない。
ともかく今のヒロユキでは全てに可能性はない。
しかしヒロユキは考えていた。何もこの国で働く必要はないのではないかと。
元々海外に出た目的言うのはの区内では経験出来ない世界のでも知識と技術を得て、自分のデザイナーとしても技量を上げる事。
それが出来れば日本で働いても問題はない。そものそもその為に海外に出たのだから。
そして今ではグラフィック・デザインに固執する必要もないと考えていた。
今やってるこのテキスタイル・デザインも結構面白い。むしろ自分には合ってのかも知れないなと思っていた。
自分が好むデザインであれば何でも良いのではないか。
そう言えばヒロユキが最後に小早川にあった時、彼は天婦羅割烹の店のバイトを辞めて、百貨店などのショーウンドーの飾りつけのデザインのバイトをやっていた。
あれもまた夜の仕事だ。百貨店が閉まってから仕事を始める。恐らく8時、9時以降の仕事になるんだろう。
もしかするともっと遅く、人通りが絶えてからの仕事になるのかも知れない。
少なくともあれもまた小早川が選んだバイトだ。もしかすると小早川もまた、あれが本業のデザインの仕事になるかも知れないなとヒロユキは思っていた。
どの業界でもいい。自分が成りたかったデザイナーの仕事が出来るなら。そうヒロユキは思った。