第18話 初めての体験
文字数 3,300文字
住む所が決まって、先ず学校でしなければならない事はクラス分けの試験だった。
一応試験は筆記試験で行われた。これにはヒロユキは結構いい成績が取れた。インターミディエイトレベル2と言う事になった。
これは良い結果だ。流石中学でも高校でも英語の成績だけは良かっただけの事はある。
ところが実際にクラスに入ってみると全然ついて行けなかった。みんな何を言ってるのかさっぱりわからないしまた喋れなかった。
しかし彼らはちゃんと喋ってお互いに通じ合ってる。これはレベルが違い過ぎると思った。ヒロユキは何で皆こんなに喋れるんだと思った。それに先生言ってる事が全くわからない。
それで仕方なく先生に相談して2クラス落としてもらう事にした。ビギナーレベル2にしてもらった。
所詮日本人の英語能力なんてこんなものだ。文法の成績はいくら良くても実際には聞き取れない、喋れない。それが日本の英語教育だ。
それではここの学業には何の役にも立たない。聞き取れない、話せないではどうしようもない。本当に無駄な6年間だと思った。
全てはまた一からやり直しだ。
クラスはやはり土地柄かスパニッシュが多かった。しかし中にはヨーロッパから来たと言う生徒も何人かいた。
そしてみんな若かった。高校卒業した者が殆どだった。当たり前か。不思議な事に日本人もそこそこにいたし、この学校の生徒会長は日本人だと言う事だった。
ヒロユキのクラスにも二人の日本人女性がいたが話をする事はなかった。そして向こうから話しかけて来る事もなかった。ともかく無口な二人だった。
こう言う形でヒロユキのサンフランシスコでの生活も少し安定し落ち着いて来た。
そして住んでいるボーディング・ハウスでヒロユキは始めての友達が出来た。それはアリスと言うアメリカ人の白人女性だった。
アリスはこのサンフランシスコに来て職を探してると言った。地方からの出稼ぎ組の一人だ。
ヒロユキの英語はまだ片言ではあったが、何となくアリスとは通じた。それはアリスが理解しようとしてくれたからかも知れないが、アリスと親しくなりアリスはアメリカの色々な事を教えてくれた。
ヒロユキはアメリカにデザインの勉強に来たと言ったら、アリスは私も絵が好きだからデザインの描き方とか教えて欲しいと言ったので、ヒロユキは簡単なレタリングの描き方なんかを教えた。
このアリスはちょっとポチャっとした感じで、本当にカリフォルニアの明るい太陽の様な女性だった。
アメリカ人の歳はよくわからなかったがヒロユキよりは少し上位かなと思った。
ただアメリカ人は東洋人よりも少々大人びて見えるので、もしかするとヒロユキと同じ位かも知れないが、アメリカで女性に歳を聞くのは失礼だと言われていたので敢えて聞かなかった。
ヒロユキはいい友達が出来たものだと喜んでいた。彼女がヒロユキに取ってアメリカでの初めての友達になった。
直ぐ近くにユニオン・スクエアーと言う公園がある。土日にはよく人が出て、のんびりしたり読書をしたりして休日を楽しんでる様だ。だからヒロユキも土日にはよくこの公園に来ていた。
勿論ヒロユキもデザインの事を忘れた訳ではないが、今の状況ではどうする事も出来ない。
まずはコミュニケーションとしての英語を身に付けなければどうしようもない。英語は学問ではない。自分の思いを伝えるコミュニケーションの手段だ。
ただ日本からレタリングペンのセットと筆や溝引き線の入った定規等は持って来ていたので、デッサンや簡単なデザイン等は制作する事が出来た。
そして暇のある時にはデッサンなどを描き貯めていた、いつか役に立つだろうと。
そんな晴れたある日の日曜日、ヒロユキは何時ものようにユニオン・スクエアーに来て本を読んでいた。それは日本から持ってきた小説だった。
ヒロユキにしたらちょっとした息抜きだ。毎日こう英語英語では息が詰まる。たまにはこう言うのもいいだろろうと。
そうしていると、アメリカ人としては少し小柄な白人がヒロユキに声を掛けて来た。「何の本を読んでるのか」と。
「これは日本の小説です」と答えると、
「君は日本人なのか、まだここに来て間がないのかな」
「ええ、先月来たばかりです」
「じゃーこの辺りの建物についても良く知らないよね」
「そうですね」
「じゃー僕が色々案内してあげようか」
ヒロユキは随分親切なアメリカ人だなと思った。アメリカ人って皆こうなんだろうかと思った。そう言えばアリスも親切だしな。
その青年はこの公園の周囲にある有名な建物やホテル等を案内してくれた。特にあるホテルの外壁に付いているエレバーターからは市内の様子がよく見える。
西の方に見える小高い丘と鉄塔のある所が有名な Twin Peaks だと教えてくれた。そしてそこから北の方に Golden Gate Bridge があると言う。
ヒロユキも何時かは是非そこにも行ってみたいと思っていた。
そうこうして時間を過ごしていると、少し休憩しようかと言う事になり、「君はビールは飲めるのかい」と聞かれたので「はい」と答えると、近くに僕のアパートがあるのでそこでどうだと言う事になったのでヒロユキはついて行った。
彼のアパートはユニオン・スクエアーの南の通りのGeary St から少し西に歩いたアパート地帯にあった。
中は小奇麗なアパートだった。少し縦長で左側に中央で仕切ったベッドが二つ並んでいた。 一つはルームメイトの部屋だと言っていた。
サービスのつもりかエアーフレッシュナーで部屋の匂いを良くして、今ビールを用意するから、そこのソファーに座って、その辺の雑誌でも見ていてくれと言われた。
それで何気なくそこにあった雑誌を見てみると、「何これ!」と言う物だった。
それは男性のモデル写真の様だが全員が裸だ。いや、上半身が裸と言う様なものではなく、本当に全身裸で男性のシンボルも見えている。
「何じゃこれは」これがポルノ雑誌と言う物かとヒロユキは始めて見た。そしてどのページをめくっても女性の写真は出て来ない。
「何これ、おかしくないか」と初めてそのおかしさに気が付いた。
しばらくすると彼がビールを二本持って来てくれたが、少し動悸がしてビールを飲む気分にはなれなかった。
しかしここで逃げ出す訳にも行かず、それなりに彼に合わせながら、あれが欲しい、これが欲しいと何かと彼の気を逸らせていた。
ヒロユキは最悪の場合には殴ってでも逃げればいいと考えていた。
最後まで暴力沙汰になる事はなかったが、ヒロユキは神経の休まる時はなかった。
彼はソファーの横に座って来て何かとヒロユキに話しかけていたが、正直ヒロユキにはその言葉は何も耳に入って来なかった。
どうやってここから出るか。それだけを考えていた。
どれだけ経ったのかわからなかったが、外でパレードをやっている様な音楽が聞こえたので、それを機に「今日はありがとうございました。僕はこれで」とやっと出る事が出来た。
すると彼が最後に、「どうだろう毎週この日はルームメイトが居ないから良かったらまた来ないか、来てくれたら20ドルあげるよ」と言った。
『おいおい、なんじゃこれは男への売春の誘いか』
「考えさせていただきます」と言って去ったが、今回貞操は無事だったようだ。
アメリカは進んいるとは聞いていたがまさかここまでとは。この経験はこの時が人生で初めてだった。
しかし考えてみると一回20ドル、これは当時の金にすれば日本円で7,200円。ヒロユキがやった深夜のボーリング場のバイト代1日分2,000円の3倍半だ。
どれだけの金額だよと言う話だ。(当時はまだ1ドル360円だった)
今の感覚で言うと月給30万円の人がいるとしよう。すると日給は1万円だ。その3.5倍と言うと3万5,000円と言う事になる。それはもう高級コールガール並みの値段だろう。
それを一般人の白人が1回で東洋人の学生に払おうと言うのだ。この国がどれだけ金持ちの国だったかと言う事だろう。
いや、なんとも貴重な経験だったとヒロユキは思った。
一応試験は筆記試験で行われた。これにはヒロユキは結構いい成績が取れた。インターミディエイトレベル2と言う事になった。
これは良い結果だ。流石中学でも高校でも英語の成績だけは良かっただけの事はある。
ところが実際にクラスに入ってみると全然ついて行けなかった。みんな何を言ってるのかさっぱりわからないしまた喋れなかった。
しかし彼らはちゃんと喋ってお互いに通じ合ってる。これはレベルが違い過ぎると思った。ヒロユキは何で皆こんなに喋れるんだと思った。それに先生言ってる事が全くわからない。
それで仕方なく先生に相談して2クラス落としてもらう事にした。ビギナーレベル2にしてもらった。
所詮日本人の英語能力なんてこんなものだ。文法の成績はいくら良くても実際には聞き取れない、喋れない。それが日本の英語教育だ。
それではここの学業には何の役にも立たない。聞き取れない、話せないではどうしようもない。本当に無駄な6年間だと思った。
全てはまた一からやり直しだ。
クラスはやはり土地柄かスパニッシュが多かった。しかし中にはヨーロッパから来たと言う生徒も何人かいた。
そしてみんな若かった。高校卒業した者が殆どだった。当たり前か。不思議な事に日本人もそこそこにいたし、この学校の生徒会長は日本人だと言う事だった。
ヒロユキのクラスにも二人の日本人女性がいたが話をする事はなかった。そして向こうから話しかけて来る事もなかった。ともかく無口な二人だった。
こう言う形でヒロユキのサンフランシスコでの生活も少し安定し落ち着いて来た。
そして住んでいるボーディング・ハウスでヒロユキは始めての友達が出来た。それはアリスと言うアメリカ人の白人女性だった。
アリスはこのサンフランシスコに来て職を探してると言った。地方からの出稼ぎ組の一人だ。
ヒロユキの英語はまだ片言ではあったが、何となくアリスとは通じた。それはアリスが理解しようとしてくれたからかも知れないが、アリスと親しくなりアリスはアメリカの色々な事を教えてくれた。
ヒロユキはアメリカにデザインの勉強に来たと言ったら、アリスは私も絵が好きだからデザインの描き方とか教えて欲しいと言ったので、ヒロユキは簡単なレタリングの描き方なんかを教えた。
このアリスはちょっとポチャっとした感じで、本当にカリフォルニアの明るい太陽の様な女性だった。
アメリカ人の歳はよくわからなかったがヒロユキよりは少し上位かなと思った。
ただアメリカ人は東洋人よりも少々大人びて見えるので、もしかするとヒロユキと同じ位かも知れないが、アメリカで女性に歳を聞くのは失礼だと言われていたので敢えて聞かなかった。
ヒロユキはいい友達が出来たものだと喜んでいた。彼女がヒロユキに取ってアメリカでの初めての友達になった。
直ぐ近くにユニオン・スクエアーと言う公園がある。土日にはよく人が出て、のんびりしたり読書をしたりして休日を楽しんでる様だ。だからヒロユキも土日にはよくこの公園に来ていた。
勿論ヒロユキもデザインの事を忘れた訳ではないが、今の状況ではどうする事も出来ない。
まずはコミュニケーションとしての英語を身に付けなければどうしようもない。英語は学問ではない。自分の思いを伝えるコミュニケーションの手段だ。
ただ日本からレタリングペンのセットと筆や溝引き線の入った定規等は持って来ていたので、デッサンや簡単なデザイン等は制作する事が出来た。
そして暇のある時にはデッサンなどを描き貯めていた、いつか役に立つだろうと。
そんな晴れたある日の日曜日、ヒロユキは何時ものようにユニオン・スクエアーに来て本を読んでいた。それは日本から持ってきた小説だった。
ヒロユキにしたらちょっとした息抜きだ。毎日こう英語英語では息が詰まる。たまにはこう言うのもいいだろろうと。
そうしていると、アメリカ人としては少し小柄な白人がヒロユキに声を掛けて来た。「何の本を読んでるのか」と。
「これは日本の小説です」と答えると、
「君は日本人なのか、まだここに来て間がないのかな」
「ええ、先月来たばかりです」
「じゃーこの辺りの建物についても良く知らないよね」
「そうですね」
「じゃー僕が色々案内してあげようか」
ヒロユキは随分親切なアメリカ人だなと思った。アメリカ人って皆こうなんだろうかと思った。そう言えばアリスも親切だしな。
その青年はこの公園の周囲にある有名な建物やホテル等を案内してくれた。特にあるホテルの外壁に付いているエレバーターからは市内の様子がよく見える。
西の方に見える小高い丘と鉄塔のある所が有名な Twin Peaks だと教えてくれた。そしてそこから北の方に Golden Gate Bridge があると言う。
ヒロユキも何時かは是非そこにも行ってみたいと思っていた。
そうこうして時間を過ごしていると、少し休憩しようかと言う事になり、「君はビールは飲めるのかい」と聞かれたので「はい」と答えると、近くに僕のアパートがあるのでそこでどうだと言う事になったのでヒロユキはついて行った。
彼のアパートはユニオン・スクエアーの南の通りのGeary St から少し西に歩いたアパート地帯にあった。
中は小奇麗なアパートだった。少し縦長で左側に中央で仕切ったベッドが二つ並んでいた。 一つはルームメイトの部屋だと言っていた。
サービスのつもりかエアーフレッシュナーで部屋の匂いを良くして、今ビールを用意するから、そこのソファーに座って、その辺の雑誌でも見ていてくれと言われた。
それで何気なくそこにあった雑誌を見てみると、「何これ!」と言う物だった。
それは男性のモデル写真の様だが全員が裸だ。いや、上半身が裸と言う様なものではなく、本当に全身裸で男性のシンボルも見えている。
「何じゃこれは」これがポルノ雑誌と言う物かとヒロユキは始めて見た。そしてどのページをめくっても女性の写真は出て来ない。
「何これ、おかしくないか」と初めてそのおかしさに気が付いた。
しばらくすると彼がビールを二本持って来てくれたが、少し動悸がしてビールを飲む気分にはなれなかった。
しかしここで逃げ出す訳にも行かず、それなりに彼に合わせながら、あれが欲しい、これが欲しいと何かと彼の気を逸らせていた。
ヒロユキは最悪の場合には殴ってでも逃げればいいと考えていた。
最後まで暴力沙汰になる事はなかったが、ヒロユキは神経の休まる時はなかった。
彼はソファーの横に座って来て何かとヒロユキに話しかけていたが、正直ヒロユキにはその言葉は何も耳に入って来なかった。
どうやってここから出るか。それだけを考えていた。
どれだけ経ったのかわからなかったが、外でパレードをやっている様な音楽が聞こえたので、それを機に「今日はありがとうございました。僕はこれで」とやっと出る事が出来た。
すると彼が最後に、「どうだろう毎週この日はルームメイトが居ないから良かったらまた来ないか、来てくれたら20ドルあげるよ」と言った。
『おいおい、なんじゃこれは男への売春の誘いか』
「考えさせていただきます」と言って去ったが、今回貞操は無事だったようだ。
アメリカは進んいるとは聞いていたがまさかここまでとは。この経験はこの時が人生で初めてだった。
しかし考えてみると一回20ドル、これは当時の金にすれば日本円で7,200円。ヒロユキがやった深夜のボーリング場のバイト代1日分2,000円の3倍半だ。
どれだけの金額だよと言う話だ。(当時はまだ1ドル360円だった)
今の感覚で言うと月給30万円の人がいるとしよう。すると日給は1万円だ。その3.5倍と言うと3万5,000円と言う事になる。それはもう高級コールガール並みの値段だろう。
それを一般人の白人が1回で東洋人の学生に払おうと言うのだ。この国がどれだけ金持ちの国だったかと言う事だろう。
いや、なんとも貴重な経験だったとヒロユキは思った。