第21話 カープール
文字数 3,685文字
カープール
ヒロユキは遂に夢だったマイカーを手に入れた。その車は1967年型のバラクーダーと言う車だった。
基本的には5年落ちの車だが何処も悪くはなかった。しかもよく走る。
実はこの車、バラクーダーの中でもフォーミュラと言われるらしく当時で235馬力あった。
今でこそ大した馬力ではないが、それでも今の2023年の86やBRZの最新型でも228馬力だろう。
1969年に発売された日産の初代フェアレディZ、と言うS30型スポーツカーが130馬力から150馬力だったと言えばわかるだろうか。
半世紀前の車でこの馬力だと言う事だ。当時のこの種の車をマッスルカーと呼んだ。
要するに車のド素人のヒロユキには勿体な過ぎる車だと言う事だ。
ヒロユキは意気揚々としてマイカーで学校に通い始めた。学校には車で通って来る生徒もそこそこにいた。勿論全員ではない。
留学生に取ってはやはりまだ高い買い物だ。金持ちの子息は別として。皆が乗ってるのはやはりほとんどが中古車だった。
このバラクーダーの対抗馬は何と言ってもフォードのマスタングだった。共にマッスルカーだ。
それからと言うもの、ヒロユキは毎夜の如く車を走らせていた。
午後8時を過ぎれば自由時間になる。その後はヒロユキが何をしていても家人は何も言わない。
しかも家の中を通らなくても横手には勝手口の扉があってそこから自由に出入りが出来た。
だからそれ以降はヒロユキが何処に行こうと自由だ。Divisadero St を南に下り、Geary blvd を西に進み、Golden Gate Park を南に通り過ぎると太平洋岸に突き当たる。
その海岸線沿いに Great Hyway をずーっと南に下りHyway35号線に沿って走るのがヒロユキのいつものドライブコースだった。
いつも夜中近くまで走っていた。すると11時頃から霧が出て来る。流石は霧の都サンフランシスコだと思った。
その霧の中を走るとまるで幻想の異世界に向かっている様でヒロユキはその感覚を楽しんでいた。そう言う意味ではヒロユキは車の虜になっていた。
その頃知り合ったアリスも就職口が決まって、比較的ヒロユキの学校に近い所で住み込みのメイドをやっていた。
アリスが就職が決まった時、ヒロユキがハウスボーイをやっている家に電話をかけてくれて、就職の報告と共に、奥さんにもヒロユキの事を信用の出来るいい人間だと言ってくれた。
嬉しい心遣いだった。
だからヒロユキはアリスと時間を都合してよく二人でドライブをした。
サンフランシスコからゴールデンゲイトブリッジを渡って、更に北に行くと景色の綺麗な林道があった。
左右から木々まるでアーチの様に道を囲んでいる実に素敵な林道だ。ここがヒロユキに取っての18番の場所だった。
だからアリスをよくここに連れて来た。
ただヒロユキが最近車通学をしていると知れ渡るとある日、日本人の先輩から声が掛かった。
「柴田君、君はカープールって知ってるかい」
「カープール、何ですか、それは」
「まぁ行ってみれば乗り合い車みたいなものかな。車を持ってる者が持ってない者を助けて乗り合いで学校に来る事なんだけど、君もどうかな協力してくれないかな。我々日本人の為に」
そう言われるとヒロユキも無下に嫌とは言えなかった。
それでどするのかと聞くと、ビギナーレベル2に二人の日本人がいるから彼女達を乗せてやってくれないかと言う事だった。
それは確かにヒロユキとは同じクラスだったが、今まで話もした事のない女性達だった。
彼女達はサンフランシスコの市内にある女性専用のホテルアパートの様な所に二人一緒に住んでいた。
彼女達は大学まで行く気があったのか、それとも英語だけで日本に帰るつもりだったのかはわからないが、ともかくヒロユキは彼女達のホテルアパートで毎朝ピックアップしてそれから高速を通って学校に行く事になった。
それが日課の様になったのは良いのだが、少し位は気を使うとか感謝の気持ちがあっても良いようなものだが、彼女達は車に乗り込むと直ぐに寝る。
その上一度もガソリン代を払った事がなかった。普通なら少しは負担しないか。毎日乗せてやってるんだから。
そして最後まで「ありがとう」の一言も聞く事はなかった。
海外で同じ国の者同士助けあると言うのはわかる。しかしそこにも礼儀と言うものはあってしかるべきだろう。
どこぞの金持ちのお坊ちゃんみたいな生活はしていないのだ。少ない資金をセーブしながら生活しているのだから、ガソリン代位シアーしようと言う気にはならないのだろうか。
ヒロユキはこの二人は社会人失格だなと思っていた。
そしてこの二人は日本人グループに中でも敬遠されていたらしい。それを新人だからわからないだろうとヒロユキに押し付けられたらしい。迷惑な話だ。
そうこうしている内にもう一人同乗者が増えた。これはヒロユキよりも後から来た若い日本人の女の子だった。
歳は18と言っていた。つまり高校を卒業して直ぐにやって来た事になる。
そんな子がどうして一人で来れたのか。何でも姉がこちらで結婚して住んでいるのでそれを頼って来たらしい。
ならその姉に面倒を見てもらったらいいだろうにと思いたい所だ。この子、頭は良いようだが、キャンキャンとよく吠える犬の様な子だった。これはこれでまた困ったものだ。
結局ヒロユキは毎朝その3人の乗せて学校に通う事になった。そして向こうに予定がなければまた送り届ける。(俺はショーファーか)
そんな雑多な用事はあったが、基本的に夜はフリーだ。
その頃にはヒロユキの生活も安定して来たので、よく日本町に出かける様になっていた。車を持ってない時はなにかと不便だったが車があれば直ぐに行ける。
サンフランシスコの日本町は東が Laguna St から西は Webster St, 南は Geary blvd から北は Sutter St, 中央に Post St を挟んで大体その範囲が日本町だ。
当時 Post St の南側には都ホテルと日本の銀行もあった。今はその都ホテルもオーナーが変わってしまったが。
そしてその北側には小さなコーヒーショップがあった。ヒロユキはいつもそこに入り浸っていた。
そこのオーナーは京都から来たおばちゃんだった。一人でこのコーヒーショップを切り盛りしていた。
奥にはプールのテーブルが2台あった。プールと言うのはビリヤードの事だ。
昔ここはコインランドリーだったらしいが、途中からコーヒーショップに切り替えたと言っていた。
ヒロユキはここでコーヒーを飲み、腹が空くとおばちゃん特性の鍋焼きうどんを食べる。それが習慣の様になっていた。
このおばちゃん、気さくだがずけずけと物を言うタイプの人だった。
ヒロユキに取っては嫌味な人ではなかったのでカウンターのヒロユキの指定席に座って良く話をした。
ただ京都と言うと正直あまり良い思い出はなかった。そこでヒロユキは二度も失恋をした。
ヒロユキは思い出していた。今頃邦代はどうしてるだろうかと。彼女の事だ、無事大学入試を果たして今頃は大学生をやってるだろうなと。
あの時彼女が言った事は正しかったのかどうか。正直ヒロユキには分からなかった。
少なくとも彼女は大学に進んだだろうし、ヒロユキは進めなかった。その事実だけは現実だ。
また白川さんはどうしてるだろうかと思った。もう今頃はホテル始まって以来の、初めての女性の喫茶バーテンダーになってるだろうかと。
恐らく彼女の事だ成し遂げてる様に思えた。そして小早川もムハメッドも今頃は何処かの広告代理店で働いてるだろう。
いや、ムハメッドは国に帰ってデザインの仕事をしてるかもしれない。じゃーまだ何も出来てないのは俺だけか。頑張らないといけないなとヒロユキは思い直すのだった。
11時前後になって来ると近くの日本食のレストランでバイトをしている者達がやって来る。彼らとも友達になって良くだべった。
ヒロユキはプールなど今までした事はなかったが、そこで知り合った日本人の大学生に教えてもらった。彼は本当に上手かったが、彼は大学で一体何を学んでたんだろうと思った。
こちらで学校やこの様な所にいると、狭い範囲に日本中の地域から色々な人が集まる。つまり方言も滅茶苦茶だ。
それでいつの間にか皆海外特有の標準語に近い言葉を話すようになる。だからこの頃にはヒロユキの大阪弁もすっかり抜けていた。
おばちゃんの店も12時頃までやっていたのでヒロユキが家に帰るものいつもそれ位の時間だった。
ここに来なければ海岸線を走っている。そんな生活が続いていた。デザインの道は何処に行ってしまったのか。
ヒロユキの英語も上達し、昇級してインターミディエイト2でも十分通用するようになった。
ここまでくれば大学入学も夢ではない。しかしヒロユキの目的は大学入学ではない。あくまでデザインを学ぶ事だ。
ただその頃からヒロユキはある問題を感じていた。
ヒロユキは遂に夢だったマイカーを手に入れた。その車は1967年型のバラクーダーと言う車だった。
基本的には5年落ちの車だが何処も悪くはなかった。しかもよく走る。
実はこの車、バラクーダーの中でもフォーミュラと言われるらしく当時で235馬力あった。
今でこそ大した馬力ではないが、それでも今の2023年の86やBRZの最新型でも228馬力だろう。
1969年に発売された日産の初代フェアレディZ、と言うS30型スポーツカーが130馬力から150馬力だったと言えばわかるだろうか。
半世紀前の車でこの馬力だと言う事だ。当時のこの種の車をマッスルカーと呼んだ。
要するに車のド素人のヒロユキには勿体な過ぎる車だと言う事だ。
ヒロユキは意気揚々としてマイカーで学校に通い始めた。学校には車で通って来る生徒もそこそこにいた。勿論全員ではない。
留学生に取ってはやはりまだ高い買い物だ。金持ちの子息は別として。皆が乗ってるのはやはりほとんどが中古車だった。
このバラクーダーの対抗馬は何と言ってもフォードのマスタングだった。共にマッスルカーだ。
それからと言うもの、ヒロユキは毎夜の如く車を走らせていた。
午後8時を過ぎれば自由時間になる。その後はヒロユキが何をしていても家人は何も言わない。
しかも家の中を通らなくても横手には勝手口の扉があってそこから自由に出入りが出来た。
だからそれ以降はヒロユキが何処に行こうと自由だ。Divisadero St を南に下り、Geary blvd を西に進み、Golden Gate Park を南に通り過ぎると太平洋岸に突き当たる。
その海岸線沿いに Great Hyway をずーっと南に下りHyway35号線に沿って走るのがヒロユキのいつものドライブコースだった。
いつも夜中近くまで走っていた。すると11時頃から霧が出て来る。流石は霧の都サンフランシスコだと思った。
その霧の中を走るとまるで幻想の異世界に向かっている様でヒロユキはその感覚を楽しんでいた。そう言う意味ではヒロユキは車の虜になっていた。
その頃知り合ったアリスも就職口が決まって、比較的ヒロユキの学校に近い所で住み込みのメイドをやっていた。
アリスが就職が決まった時、ヒロユキがハウスボーイをやっている家に電話をかけてくれて、就職の報告と共に、奥さんにもヒロユキの事を信用の出来るいい人間だと言ってくれた。
嬉しい心遣いだった。
だからヒロユキはアリスと時間を都合してよく二人でドライブをした。
サンフランシスコからゴールデンゲイトブリッジを渡って、更に北に行くと景色の綺麗な林道があった。
左右から木々まるでアーチの様に道を囲んでいる実に素敵な林道だ。ここがヒロユキに取っての18番の場所だった。
だからアリスをよくここに連れて来た。
ただヒロユキが最近車通学をしていると知れ渡るとある日、日本人の先輩から声が掛かった。
「柴田君、君はカープールって知ってるかい」
「カープール、何ですか、それは」
「まぁ行ってみれば乗り合い車みたいなものかな。車を持ってる者が持ってない者を助けて乗り合いで学校に来る事なんだけど、君もどうかな協力してくれないかな。我々日本人の為に」
そう言われるとヒロユキも無下に嫌とは言えなかった。
それでどするのかと聞くと、ビギナーレベル2に二人の日本人がいるから彼女達を乗せてやってくれないかと言う事だった。
それは確かにヒロユキとは同じクラスだったが、今まで話もした事のない女性達だった。
彼女達はサンフランシスコの市内にある女性専用のホテルアパートの様な所に二人一緒に住んでいた。
彼女達は大学まで行く気があったのか、それとも英語だけで日本に帰るつもりだったのかはわからないが、ともかくヒロユキは彼女達のホテルアパートで毎朝ピックアップしてそれから高速を通って学校に行く事になった。
それが日課の様になったのは良いのだが、少し位は気を使うとか感謝の気持ちがあっても良いようなものだが、彼女達は車に乗り込むと直ぐに寝る。
その上一度もガソリン代を払った事がなかった。普通なら少しは負担しないか。毎日乗せてやってるんだから。
そして最後まで「ありがとう」の一言も聞く事はなかった。
海外で同じ国の者同士助けあると言うのはわかる。しかしそこにも礼儀と言うものはあってしかるべきだろう。
どこぞの金持ちのお坊ちゃんみたいな生活はしていないのだ。少ない資金をセーブしながら生活しているのだから、ガソリン代位シアーしようと言う気にはならないのだろうか。
ヒロユキはこの二人は社会人失格だなと思っていた。
そしてこの二人は日本人グループに中でも敬遠されていたらしい。それを新人だからわからないだろうとヒロユキに押し付けられたらしい。迷惑な話だ。
そうこうしている内にもう一人同乗者が増えた。これはヒロユキよりも後から来た若い日本人の女の子だった。
歳は18と言っていた。つまり高校を卒業して直ぐにやって来た事になる。
そんな子がどうして一人で来れたのか。何でも姉がこちらで結婚して住んでいるのでそれを頼って来たらしい。
ならその姉に面倒を見てもらったらいいだろうにと思いたい所だ。この子、頭は良いようだが、キャンキャンとよく吠える犬の様な子だった。これはこれでまた困ったものだ。
結局ヒロユキは毎朝その3人の乗せて学校に通う事になった。そして向こうに予定がなければまた送り届ける。(俺はショーファーか)
そんな雑多な用事はあったが、基本的に夜はフリーだ。
その頃にはヒロユキの生活も安定して来たので、よく日本町に出かける様になっていた。車を持ってない時はなにかと不便だったが車があれば直ぐに行ける。
サンフランシスコの日本町は東が Laguna St から西は Webster St, 南は Geary blvd から北は Sutter St, 中央に Post St を挟んで大体その範囲が日本町だ。
当時 Post St の南側には都ホテルと日本の銀行もあった。今はその都ホテルもオーナーが変わってしまったが。
そしてその北側には小さなコーヒーショップがあった。ヒロユキはいつもそこに入り浸っていた。
そこのオーナーは京都から来たおばちゃんだった。一人でこのコーヒーショップを切り盛りしていた。
奥にはプールのテーブルが2台あった。プールと言うのはビリヤードの事だ。
昔ここはコインランドリーだったらしいが、途中からコーヒーショップに切り替えたと言っていた。
ヒロユキはここでコーヒーを飲み、腹が空くとおばちゃん特性の鍋焼きうどんを食べる。それが習慣の様になっていた。
このおばちゃん、気さくだがずけずけと物を言うタイプの人だった。
ヒロユキに取っては嫌味な人ではなかったのでカウンターのヒロユキの指定席に座って良く話をした。
ただ京都と言うと正直あまり良い思い出はなかった。そこでヒロユキは二度も失恋をした。
ヒロユキは思い出していた。今頃邦代はどうしてるだろうかと。彼女の事だ、無事大学入試を果たして今頃は大学生をやってるだろうなと。
あの時彼女が言った事は正しかったのかどうか。正直ヒロユキには分からなかった。
少なくとも彼女は大学に進んだだろうし、ヒロユキは進めなかった。その事実だけは現実だ。
また白川さんはどうしてるだろうかと思った。もう今頃はホテル始まって以来の、初めての女性の喫茶バーテンダーになってるだろうかと。
恐らく彼女の事だ成し遂げてる様に思えた。そして小早川もムハメッドも今頃は何処かの広告代理店で働いてるだろう。
いや、ムハメッドは国に帰ってデザインの仕事をしてるかもしれない。じゃーまだ何も出来てないのは俺だけか。頑張らないといけないなとヒロユキは思い直すのだった。
11時前後になって来ると近くの日本食のレストランでバイトをしている者達がやって来る。彼らとも友達になって良くだべった。
ヒロユキはプールなど今までした事はなかったが、そこで知り合った日本人の大学生に教えてもらった。彼は本当に上手かったが、彼は大学で一体何を学んでたんだろうと思った。
こちらで学校やこの様な所にいると、狭い範囲に日本中の地域から色々な人が集まる。つまり方言も滅茶苦茶だ。
それでいつの間にか皆海外特有の標準語に近い言葉を話すようになる。だからこの頃にはヒロユキの大阪弁もすっかり抜けていた。
おばちゃんの店も12時頃までやっていたのでヒロユキが家に帰るものいつもそれ位の時間だった。
ここに来なければ海岸線を走っている。そんな生活が続いていた。デザインの道は何処に行ってしまったのか。
ヒロユキの英語も上達し、昇級してインターミディエイト2でも十分通用するようになった。
ここまでくれば大学入学も夢ではない。しかしヒロユキの目的は大学入学ではない。あくまでデザインを学ぶ事だ。
ただその頃からヒロユキはある問題を感じていた。