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 もちろん、私は知っていた。雅のひねくれた心は、私に似ていたけれど、あの物言いが誰に似ているかを。雅の中に自分を見ていたが、彼女の罵倒には母をいつも感じていた。
スパッと別れても全然問題がないのに、それができなかったのは、罵りを受けるのが、何か罰のようなもの、と思っていたのだと思う。そう、ずっと母からそうされてきたから、受ける義務があると決めていたのかもしれない。逆に、雅程度の表現は、母に比べれば、まだゆるい。私は、一体何度、
「あんたを生んで、私の人生狂った」
「あの時、処分しておけば」
 と存在そのものを否定するようなことを、言われただろうか。
 それも、十歳になる前に。
 いつも東西南北全ての窓がはずされ、風が吹き込む暗い部屋に軟禁されていたような気がしていた。風から逃げようにも、どの場所にも冷たい風が渦巻く。辛いけれども、誰も心配してくれない。誰も、助けてはくれない。少しでも風の弱い場所を探して、縮こまっているしか、方法はない。
 生む予定でなかったのに妊娠したから、私を恨んでいるのか? そもそも子供が嫌いだったのか? そうだとしたら、どうして弟の悟司は今も溺愛されているのか。
 とにかく、母が怖くて避けていた。普通なら当然もらえるはずの慈しみを与えられずに、いつも愛情に飢えていた。
 準人は、それを写真により見抜いたわけだけれど、どうしてそんなことが、わかったのだろう。私と同じような境遇だったから? だから、共感できたのか。ありえない。準人は、よく子供の頃の失敗談を、おもしろおかしく話してくれるけれど、その際の説明に垣間見える少年時代は、とても幸せそうで、聞いている私まで心が温かくなる。
 人は本当に幸福で満たされている時、人を思いやる心も育まれるのだろう。人を羨む必要も、ない。なぜなら、今充分に幸せだから。困っていたり、悲しんでいたりする人がいたら、自然と手を差しのべられる。いくらそういう人と席を同じくしても、暗い気持ちが伝染しない大きな安心感を持っているから。
 結婚の挨拶に行った時、両家の対応は対象的だった。
 まず嫌だったけれど、避けられないので母の所へ行った。その日に至るまで、母のことはポツリポツリと説明していたので、準人もある程度は、覚悟していたと思う。
 父が亡くなって十年程、築年を重ねた一軒家に一人。掃除嫌いの母は、一部屋、また一部屋と物置として部屋をつぶし、今は台所と仏間だけで暮らしていた。色々言われるのが嫌で、足が遠のいていた実家。ほぼ五年振りで、中に入った。行くことはメールで告げてあったが、準人のことは知らせていなかった。私達を仏間に通し、冷蔵庫からあからさまにペットボトルの緑茶を注いで、座卓に乱暴に置く。一体いつ開栓したのか。怖くて、口をつけることができなかった。
 結婚する、と準人が言った。準人を全く無視して、私を睨みつけ、
「ま、いやらしい子だね。子供ができたんじゃないだろうね。子供のできるようなことをして!」
 と叫んだ。
「とっとと堕ろしなさい、みっともないから。あぁ、恥かしい」
 嘆く。汚いものでも見るかのように、私だけをキッと見つめる。
「子供は、できていません。結婚式も式にこだわらずに簡単にやろうと思っているの」
 私が言い終わる前に、
「あたしゃ出ないから。勝手に、あげればいいさ。まったく、そんなことに無駄金使ってね。悟司には、知らせなくていいだろ、どうせ出られないんだから」
 弟の悟司とは、いつしか音信普通になっていた。今どこにいるのかも、知らない。私を口汚く罵るのとは反対に、悟司は溺愛されていた。
 それが原因で、全て母親頼みになり、進学・就職など、人生の節目をお膳立てされたが、二十五歳を目前に壊れた。辞め癖がついていたのか、その時は五つ目の会社を退職したばかりだった。私は、悟司が心配で、いつかこんな日が来るのでは、と思い、色々言っていたが、母から私のことは悪いように聞かされていたのだろう、
「うるさい、お前に言われる筋合いは、ない」
 と聞く耳を持たず、自分のことなのに深く考えることもせず、のらりくらりとその場凌ぎを繰り返していた。最後に言い合いしたのは、悟司が二十二、三歳の頃で、それ以降母が間に立ちはだかり、接触できなくなってしまった。
 だから、今実際にどんな状況であるのかは、具体的には知らない。ただ、実家の近くのアパートで、働きもせず、引きこもっているらしい。生活費は、母が出していると思われるが、それもわからない。貯金を切り崩しているのかもしれない。同居しないのは、近所の手前があるからで、母は食事を作って足繁くアパートに通っているようだ。時々連絡が来ると、悟司のことを哀れむようなことを言ってくる。
[あの子は、やさしいから嫌なことも断りきれないのよ。だから会社でも色々押しつけられて、悩んじゃうんだろうね。その点、あんたはずぶといからそんな心配ないだろうけど」
 明らかにおかど違いの見立てをされている私だが、そもそも私の性格などに興味がないから勝手に決めつけているだけなのだけど。
「大丈夫ですよ、式というよりパーティという形をとろうと思っているので、どうかご無理なさらず」 
 準人が、助け舟を出す。
「この子はね、生理不順なんですよ、中学の頃からね。そんなことで、子供なんて生めるかどうか」
 今度は、先程と真逆のこと。子供が、生めないかも、と来た。
 瞬時に全ての血液が顔面に集中したかのように、顔が恥かしさで赤くなる。どうして、こんなことを言い出すのか。狂っているとしか、思えない。
「別にいいですよ。そんなことは、小さなこと」
 準人は、動じない。でも、明らかに私に対する態度とは、違う。強い調子で言い切り、相手を思いやる表現ではない。
 久しぶりに、嫌な記憶が蘇ってくる。最近は、準人があたたかく接してくれるおかげで、心を保っていられたが、以前はちょっとしたきっかけで、記憶の蓋が開いてしまい、中から魑魅魍魎がからまり合ってでてくるかのようなフラッシュバックを度々起こしていた。
 あれは。十歳だったか。小学校五年になろうとする春休み。初潮を、迎えた。驚いたし、クラスでも始まっている友人は、まだいなかったと思う。どうしていいか、わからなかった。母に、言うしかない。その頃には、すでに母は私をひどい言葉により、傷つけてきていたので、なるべく近寄らないようにしていた。話そうと思うだけで、緊張した。
「・・・お母さん、生理が始まった」
 母は、とたんに怖い顔になった。
「まっ、この子ったら。いやらしいわね。小学五年で、もう。私なんか、中学になってからよ。近頃の子は、ませてるわね」
 怒っている。どうして。娘が、大人への第一歩を踏み出したのが、なぜそんなに気に入らないのか、わからなかった。今でも。
 ただ、すべてのことが自分を基準にしているので、それより早く迎えたことが許せないのだろう。そういう反応は度々あったので、推測はできるが理解はとてもとてもできない。
 母は、自分のストックから、五、六個生理用ナプキンを出してきた。
「いいか、今から教えてやるけど、一度しか言わないから、よーく聞いときなさいよ」
 脅迫めいた言葉。一回で理解できなかったら、どうしよう。ただでさえ、身体が自分のものではなくなったような違和感を抱いているというのに、こんなキツい調子で言われ、余計に緊張したのを覚えている。
 あの方法は、母も実践していたのか。それとも私だけに、やらせていたのか。
「こうやれば、一回につき一つで済む」
 母は、ナプキンの上に、これでもかと言うくらいぐるぐる巻きにしたトイレットペーパーを乗せて、差し出してきた。
「トイレットペーパーだけ、替えればいいから」
 我が家で使っていたのは、リサイクルペーパーで作られたシングルタイプのトイレットペーパー。テレビのコマーシャルでは、その日が少しでも快適になるように、と特に肌ざわりにこだわった、と宣伝されているというのに。母の言う通りやってみたが、とにかくごわごわして痛く、フィット感もないので、ナプキンごとずれるのを心配して体育の時間は、気が気でなかった。
 お赤飯は、スーパーマーケットで小さいパックを買って来て、私の前に投げるように置いた。まるで汚らわしい野獣に、餌を与えるかのように。おめでたいのは私だけで、他の家族は祝わないから、と宣言されているようだった。悟司が、
「なんで、お姉ちゃんだけ」
 と尋ねると、
「いいの、いいの」
 と、口にもしたくないという素振りで、悟司に目くばせをした。
 売れ残りなのか、二割引のシールが貼られていて、冷たく硬くなってしまったお赤飯は、私の喉を通過するのに、時間がかかった。電子レンジで温めて欲しいと言ったら、
「ま、この子は贅沢ね。赤飯買ってきてもらえただけでも、ありがたく思いなさい」
 ぴしゃっと言われてしまい、あまりの怖さに、自分でスィッチを押す気力も起きなかった。
 そして、他の子より早く初潮を迎えてしまった自分の早熟さを、呪った。そういえば、母はそれ以来、一度もナプキンを買ってくれなかった。生理の話は、まるで忌わしいとでも言うように、家の中では禁句だったので、買って欲しいと頼むタイミングもなかった。
 私は、だからお小遣いを切りつめて、自分で買っていた。文房具などにお金がかかり、余裕の無い月は、不本意だけど母の方法を採用せざるを得なかった。あの感触は、もう二度と味わいたくない。
 そうそう、トイレにゴミ箱も置かれていなかった。母が、自分のゴミをどのように処理していたのかは知らないけれど、私はどうしていいかわからず自分の部屋のゴミ箱に捨てていたら、それを見つけた母に、
「あんなとこに、捨てて。お父さんや、悟司に見つかったら、どうするのよ。恥かしい。少しは、考えなさいよ」
 と怒鳴られたので、しかたなく学校に持って行って捨てていた。学校のトイレの個室には、汚物入れがあったから。夏休みなど長期休みの時は、近くのスーパーか駅のゴミ箱を利用した。
 怖くて、反抗できなかったから、トイレにごみ箱がないのがいけない、などとても言い出せなかった。
 部屋の掃除をしてくれていたわけでもないのに、ゴミ箱だけはよく漁られていた。最初は、なぜそんなことをするのかわからなかったけれど、つまり、私が母を追い越して成長してしまわないかを確認していたのだと思う。自分より早い時期にボーイフレンドを作っていないか、綺麗になるための化粧品などを買っていないか、そういうチェックである。どうあがいても若さという点では負けてしまう母は、どんな汚い手を使っても私より優位でいたかったらしいが、まずその真意が全く理解できなかった。
 母親なら、娘がすくすくと育つのをほほえましい気持ちで見ているのが普通ではないか。一度赤味の強いグロスを買ったら、
「やだよ、この子は。色気づいちゃって。そんな顔にいくらおしゃれしても、似合わないんだから」
 とせせら笑われたことがあるが、それは焦りの気持ちを隠そうと必死になっていたのだろう。そういう心境を当時の私が推測できていたら。けれども、言われるたび、自信の貯金が目減りしていくだけだった。
 母の暴言から、遠い昔に一人旅をしていた私は、準人と母のやりとりを大分聞き逃してしまったようだ。気づくと準人は、私の膝の上に左手を乗せている。その掌から、何か出ている。とても暖かくて力強くて、そこにあるだけで安心できる光のようなもの。決して、つかんだり押さえたりしているわけではないのに、この圧倒的な安心感は何なのだろうか。どうしてそこまでしてくれるのか、私にはわからないけれど、母が私を攻撃したら、その手は瞬時に盾となり、守ってくれそうだった。
 母は、それさえも気に入らないようで、その後もチクチクと嫌味を重ねつつ、定期的に準人の左手を見ていた。
 羨ましかったのだろう。母は、もう一人ぼっちだから。嫉妬もしていただろう。そもそも父と母は愛し合って、結婚したのだろうか。二人が仲良くしている姿など、ただの一度も見たことがなかった。母は、こんな性格なので、友達はとうの昔に去っていて一人もいなかった。

 準人の家庭への挨拶は、とてもスムーズに運び、拍子抜けするくらいだった。大前提にあるのは、
「準人の選んだ女性だから、素敵な人に決まっている」
 ということ。始めから、そういうモードで接してくれるので、かえって申し訳なく思った。母が結婚パーティを欠席する可能性も捨て切れなかったので、その旨軽く匂わせると、
「大丈夫、真弓さんは自分のことだけ考えていればいいからね」
 と微笑んでくれた。準人から、大体の事情は聞いていたのかもしれないが、それにしてもなかなか言えることではない。
 準人から感じる懐の深さは、このような全て肯定から始まる家庭で育まれたのだろう。好きな人を守ったりかばったりするのは、しごく当然のことで、なぜかと考える方が、かえっておかしいのかもしれない。準人は、とても自然に愛を表現できる人だ。その分人生に余裕があって、私の寂しさも正しく見抜いてくれたのだろう。そして、どんなにつらかったかも経験していないのに、想像できる。私は、とっくのとうに幸せな家庭はもちろん、子供を持つことをあきらめていたけれど、準人は平気でそれらを実現してしまうかもしれない。そんなのを軽々と超える脚力が、準人にはあるような気がした。
 たとえ母に何か嫌がらせをされ、パーティ自体が台無しになったとしても、そんなことでは揺るがない。思えば、人生の節目節目で巧妙に邪魔をしてきた母。例えば第一志望の大学に受からず、それでも行きたいと思っていた学部に進学を決めた時、
「あーあ、人生の最初からつまずいちゃったね。そんな大学行ってもろくな就職先ないよ。こんなだったら、第一志望受けなけりゃ受験料損しなくてすんだのに」
 と馬鹿にしたように笑った。私が不運な状況になるととたんに嬉しそうになるのだが、この時はさすがに母の顔を睨みつけてしまった。
 でも、私はもう大丈夫。大丈夫だ。
 雅になかなか別れを告げられなかったのも、根っこは同じ理由だと思う。私が強くなればなるほど、なりふり構わず傷つける武器を出してくるのが怖くて、これ以上傷つくくらいなら、現状維持に甘んじよう、とあきらめ気味だったのだろう。傷ついた時、誰も味方になってくれず、その傷を夜風にさらして苦しんだ日々。一体、幾歳月。
 今はもう、準人の胸に飛び込めばいい。そこへ入りさえすれば、私を守る観音開きの扉が堅く閉じて、母も雅も絶対に入ってこられなくなる。今こそ、さようならを言う時。
 絶望は、生きていくうえで最大の罪だから。母は自分が幸せでないから、弱く小さい私を標的にしてストレス解消をしていたのだろう。自分で処理を出来ない感情を抱え。親として人間として最低で最悪の行い。ありえないほどに、毒々しい。しかも、ありがちなきょうだい間の差別を露骨にして私と弟の仲を裂いた。異性である弟には、もしかしたら歪んだ恋愛感情を抱いていたのかもわからない。

 二人に会わなくなってから、ほぼ一年が過ぎようとしている。雅とは音信不通になり、母は結局式を欠席した。式場で嫌味を言われるよりは良かったと思うし、私の家族がいなくても不自然ではないように演出されていたので、肩身の狭い思いはしなくて済んだ。会場にいる人達は、つまり全員が祝福してくれたわけである。それだけでも、私にはもったいない位の喜びだった。考えれば、準人は、生まれてからずっとこのような輪の中にいたわけで。だからこそ、あんなに安定している。チラッと羨ましい気持ちが湧き、もう一方では、そんな人のパートナーに私はふさわしくないのではないか、という不安がよぎる。
 そして、
「違う」
 と即座に否定。準人のそばにい続けることで、苦しく暗い過去さえ塗り替えられることが出来るのだ、と考える。ずいぶんと都合の良い思い込みだけれど、出来うる限りの希望的観測でもある。そうなれば。そうなってくれれば、どんなに良いか。
 空色だった秋の空が、気づくと真っ赤な夕焼けに席巻される時のように、私の過去が、準人の強いエネルギーに押し流されてしまいますように。
 ある朝のこと。私は、ターミナル駅で、バスを待っていた。季節は、ぼちぼち春。とは言っても、まだ肌寒く、早くバスに乗り込みたかったのである。バス停とは少し離れた所に、空の一台が止まっている。あれが、次の始発となり、頃合を見はからってこちらに移動してくるのだろうか。
 そうであるなら、早く来て欲しい。運転手はもう着席しているのか、と目をこらして社内を覗いてみた。すると、中央部分で大きく動く影があった。運転席は、空。何だろう。上下に揺れる、不思議な物体。好奇心が次第に、丸出しになる。三十秒ほど観察して、わかった。運転手だ。つり革を通す横棒に捕まって、懸垂をしていた。かなり高い位置にある棒なので、相当の腕力がないと、上には持ち上がっていかない。それにしても。朝とはいえ、人通りはある。どう考えても、見られてしまう。平気なのだろうか。私は、驚いた。「空の車内で懸垂をするおかしな運転手」と思われるより、毎日の体力作りにより、健康に勤務する方が良いとの判断なのか。それとも、そもそもそういうことすら気にせず、朝の日課としてこなしているのか。五分位は、続けていただろうか。其の後、何食わぬ顔をして運転席に座り、白い手袋をはめて、勤務に就いた。
 そうして、私が待つバス停にそろりそろりと近づき、
「お待たせいたしました」
 と前のドアを開ける。当然、私に見られていたことは承知しているだろう。それなのに、平気だ。意に介していない。ステップを上がって、彼を間近に見てびっくりする。帽子からはみ出ている短いもみあげは、殆どが白髪。五十代か。五十代で、あの懸垂力。見事というしかない。棒の上に、頭が出ていたはずだ。これだけの体力をつけるのには、人からどう思われようと知ったことではないのだろう。多分、何十年もの間毎日やっているのだ。
 私は、この見知らぬ運転手に、ものすごく貴重なメッセージをもらった気がした。誰がなんと言おうと、気にしない。たとえ、母や雅に、
「あんた、ちょっと頭おかしいんじゃないの」
 と言われようと、それが何だというのだ。そんなことで倒れそうになっていたけれど、おかしいのはあっち。別にどうということは、ないだろう。何を恐れていたのか、今となってはわからない。
「おかしい」
 と罵られて、
「おかしくない」
 と言葉では叫んでも、きっと味方になってくれる人がいなかったから。でも今は、強い味方が一人いる。
「真弓は、なーんにもおかしくないよ。むしろおかしいのは、あの人達」
 と言ってくれる。絶対に。百パーセント、寄り添ってくれる。あの運転手にも、きっとそういう人がいるのだろう。奥さんか、同僚か、時に懸垂の最中に笑われても、励ましてくれる人の顔を思い浮かべれば、そのまま二の腕に力を入れ続けられるのだ。
 こんな簡単な人間社会の法則に、この年になって気づくなんて、ずい分と遠回りをした。親からもらえなかった愛を、他でもらえるとは思ってもみなかった。もっと若い頃は、欲しくて欲しくてえげつないほど、愛を乞うていたから、どの恋人も逃げ出したのだと思う。わかる。今なら。
 それは、ただ寂しさの穴に小麦粉を詰めるようなもの。固まりもせず、風が吹けばどこかへ飛んで行き、穴は元通り。その穴を埋めるには、無限に供給が可能なものでなければならない。多分、準人の身体から心から染み出てくる愛や思いやりや微笑は、地中から湧く石油より枯れる心配のないもの、今となっては、逃げ出した男達に、
「ごめんね」
 と謝りたい。
 持ち合わせていないものを、強烈に欲しがり、たとえ少し持っていたとしても、枯渇するまでむさぼった私。持っているかどうかその見極めさえできなかった自分を、今恥じる。恥ずかしく思う。胸を、痛めながら。
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