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  これは、充電なのか。放電なのか。
最後の最後、機体がマンハッタンを一周して、JFK空港に降り立つ直前にいつも思う。長いフライトの疲れを引きずり、税関の列に並び。
 そうして、係員の質問がよく聞き取れずに、
「ああ、英語力が落ちている」
 と思うのも、いつものこと。
 一秒ごとに勘を取り戻し、スーツケースを受け取る頃には、気持ちに余裕も出てくる。
 ニューヨーク。何回目だろうか。十五回目、十六回目か。休暇が取れると、迷うことなくニューヨークに来るようになったのは、二十五歳の頃。あれからもうかなりの年月が経っていて、いちいち数えるのも億劫になっている。けれども、なぜだか初夏のニューヨークは、初めて。それだけで、ニューヨークの違う顔が見られるのでは、と胸が躍った。
 誰かが、待っているわけでもない。ただ一人で訪れ、あちこちをさまよい、そして八日足らずで帰国する。美術館めぐりをしたり、ミュージカルを観たり。帰りの便では、明らかに心に充足感が広がるから充電だと思う。一方で、たまりにたまった日常のよしなしごとから生じるストレスが、きれいさっぱりと消えてもいるから、放電なのかもしれない。
 私の鼻は、先ほどから活発に働いている。JFK空港に漂うこの匂い。ハンドソープだろうか。ちょうど鼻のあたりをかすめる石鹸のような強い香りは、日本ではない他の場所にいることを、深く意識させてくれる。思わず、深呼吸を。人工的な匂い。
 鼻は、これから始まる刺激的な数日間のことを、最初に認識する。だから、もうそれだけで高揚してしまうのだ。
 どこからか、鼻歌が聞こえてくる。やけに上手。そのグルーヴは、高い天井に届かんばかり。だけれども、音量はごく小さい。なぜなら、清掃スタッフのブラウン肌の女性がハミングしているわけで、どちらかと言うとルール違反。勤務中に、鼻歌。でも、私はこんな光景を目にする度、心のタガが、音をたてて外れていくのだ。
 さて、今日はどうやってマンハッタンに入ろう。初めて来た頃は、恐怖が先に立ち、高い料金を払ってタクシーを使っていた。それでも旅行ガイドには、騙すドライバーもいるのでちゃんとメーターを確認して、と書いてあり、読むだけで不安になったものだ。
 今は。バスでも、地下鉄でも大丈夫。
 そんなに買い物をするわけではないので、うんと小さめのスーツケース一つとハンドバッグだけなので、身軽。地下鉄に乗っても、マンハッタン在住の日本人女性が、フィラデルフィアあたりに一泊の出張をして来た帰り、と思われなくもないいでたちだ。故意にそう見えるような、装いをしているとも言える。
 地下鉄で入ることに決めた私は、少しだけ身を引きしめる。まとわりつくように私に好意を寄せてはくれるマンハッタンだけれど、どうして底知れぬ怖さはちゃんとたずさえているからだ。
 大きく息を吸い込み、その昔ニューアムステルダムと呼ばれた、細長い町へ。
 二日目に何をするかは、本当にその時の気分。たまった仕事をやっつけて疲れたままフライトして来た場合は、時差ボケが激しくなる。そういう時は、無理をしてMETになんか行ってはいけない。大好きなブリューゲルの「穀物の収穫」が運良く常設展示されていたとしても、くらくらしてきて大木にもたれて眠りこけている絵の中の男の隣に、一緒に横たわりたくなってしまうだろうから。
 今日は、割と平気だ。どんどん歩けそうだ。初夏の日射しと湿気がどんなものか、身体で感じたい。歩いてワシントンスクェアまで、行ってみよう。
 私は、ホテルを出発して、歩き出した。日ごろから歩き慣れているので、十ブロック程度の距離は、なんでもない。むしろ、この距離を歩いて汗ばむかどうかの、良い実験になる。
 初めて来た時は、ワシントンスクェアの近くのホテルに泊まったのだ。タクシーで恐る恐るマンハッタン入りし、ホテルのストリート名を書いたメモを運転手に渡して。どうやら騙されずホテルまで運んでもらったことに安堵しつつ、たれてきていたこめかみの冷や汗をそっとぬぐった記憶がある。
 けれど。スーツケースを部屋に置いて、再び外へ出た時の私の気持ちは。
「あ、いいの?」
 だった。こんな自分をさらけ出していいの? 他の人の視線を気にしなくてもいいの?あらゆる束縛が、音もなくほどかれていくのを感じた。
 それは、異国の地に降り立ち、自分がいかにちっぽけな存在かを思い知ったからではない。そんなありきたりの気持ちではない。町力。マンハッタンがずぅっと昔から持っているその力が、私をすっぽりと受容してくれたのが、わかったのだ。町だけではない。道行く人達にも、同じような印象を受ける。たとえ裕福でないとしても、それがどうしたの? という感じで生きているように、私には見えた。 解かれた縄、もしくは紐が舗道にドサッと落ちた音を聞いたような気もした。
 そうだ。
 私は、それ程までに自らを型にはめてがんじがらめにして、生きてきたのだ。
 この荷を降ろすことが、どんなに簡単で幸福であるかを知った私は、だからそれ以降隙あらばこの町にやって来るのだ。
 赤信号なのに、横断歩道を渡ってしまうニューヨーカー。クラクションを鳴らされたとしても、いっこうに急ぐ様子もなく、時折り片手を上げ「ちょっと待ってて」と合図するツワモノもいたりして。そんなだから、クラクションは、あちこちで鳴り響く。私は、絶対に安全だと思う時しか、渡らない。このニューヨーク式あ・うんの呼吸は、タイミングを間違えると命取り。
 ここで客死してしまっては、格好が悪いので、気をつけている。特に、ダウンタウンの道が碁盤の目になっていないエリアは、危険。ワシントンスクェア周辺の入り組んだ道では、きちんと信号を守るようにしている。
 相当に歩いたけれど、そんなに汗ばんではいない。やはり、湿度が低いから汗はかきにくいのだろう。心地よい疲労感だけ引きずって、目の前に開けたワシントンスクェアに足を踏み入れる。
 私は、この小さな凱旋門の柱のあたりに腰を下ろして、道行く人を眺めるのが大好きだ。
 ただ、このあたりはかなりの確率で大勢の旅行者が休憩していたり、ストリート・ミュージシャンが演奏していたりで、座るスペースを見つけるのが容易ではないのだけれど。
 とりわけこの季節は、屋外で時を過ごす人が多いのかもしれない。いつにもまして、混雑していた。私は、決して目立つ方ではない。
 マニキュアやピアスもしていないし、基本的には柄物の服を着ることもない。唯一気にかけていることと言えば、シャツは糊をきちっときかせ、必ずアイロンをかけることくらいか。そういう服装なので、あからさまに男から誘われることはない。イタリア、フランス系の男達は、条件反射のように一応は声をかけて来るけれど、相手も人を見るのでそれ以上しつこくはして来ない。だからある種安心して一人旅を続けられるし、恋人の準人も、そのことでは心配はしていないらしい。
 そして自分を過信するわけではないけれど、ここまで回数を重ねると話しかけられた時に、相手をしても大丈夫かどうか、瞬時に判断できるようになる。幾度か危ない目つきをした奴に寄って来られたことはあるが、
「あ、来るな」
 と思ったら、立ち去るだけでずいぶんとトラブルは回避出来ると思う。準人は、
「野生の勘だな」
 と笑い話にしているけれど、こればかりは言葉で説明できることでもない。
 準人も、一、二回はここに来たことはあるけれど、二人で来たことはない。彼は、色々な国を放浪したいタイプ。旅のはまり方は、人それぞれだ。
 気持ちの良い風が、吹き抜けていく。背中の毛穴を縦横斜めに並縫いしていくようだ。今までどうしてこの季節に来なかったのだろう。もったいないことをした。
 私の眼を覗き込むようにして話しかけてくる男が、現れた。
「コンニチハ」
 黒と茶の中間の瞳の色は、深くて、それでいて淡い。私より、二歳位下か。西洋人の年は、難しい。
「ナンテナマエデスカ?」
 あ、日本語の練習がしたいわけだ。だから、相手をしても大丈夫。見たところ、ツーリストではなさそうだ。密かに「泥水」と呼んでいるデリのコーヒーを、片手に持っている。しかもミルクがたっぷり入っている通称「ホワイト」だ。門の下に腰かけてひと休みしようとしたら、私を見つけた、という感じ。
「真弓です」
「マユミサン」
「ユ」にアクセントをつけて、復唱してくる。これも、仕方がない。大抵の英語圏の人は、こういう発音になる。
 本当にカタコトの会話のやり取りを数回行った後、彼ジェームスは母国語に切りかえた。もう、文章が作れなくなったらしい。やはり日本語を独学しているとのことで、よくここへ来ては日本人に話しかけていると言う。
 何組かのストリートミュージシャンの音を背にしての会話。聞き取りにくい箇所もあるけれど、こんな感じが、またまた、
「マンハッタンにいる」
 という実感に彩りを添えてくれるのだから、不思議なものだ。
 ここで歌ったり、演奏したりしている人達が、全員上手とは限らない。時々、もう少し練習してから来ればいいのに、と思う人もいる。通行人も正直で、そんな人の空のギターケースには、札は一枚も投げ入れられてはおらず、一ペニーが数枚転がっているだけだ。ジェームスは、ワシントンスクェアもいいけど、グリーンマーケットが楽しいから、と英語で勧めてくれる。本当は、行ったことがあるけれど、その無邪気な親切に敬意を表して、
「ぜひ行ってみたい」
 と答えた。
 ほら、大丈夫だった。無事だった。ジェームスは、ホワイトコーヒーを飲みほして、立ち去って行った。
 悠久の時の流れの中の、一瞬の袖のふれあい。明日偶然に会ったら、
「あ、昨日の」
 と、絶対に覚えているだろうけど、一年後は自信がない。十年後には、忘れている確信あり。
 ニューヨークに来ると、こういうことはよく起こる。もちろん、よく話に聞くような危ない出来事も、あるのだろう。カメラであちこちを撮っていると、
「キミも写った一枚を撮ってあげるから」
 と近づいて来る。さもさも、親切を装い。けれど、ただ一言、
「ノーサンキュー」
 と言えばいいだけのこと。それで、おしまい。私は、ターゲットからはずれる。カメラは奪われず、高い撮影代も要求されない。最近は、カメラの価値も下がり、その類のこともめっきり言われなくなった。それか、私がニューヨーク在住の振りをするのが、上手になったのか。
 良い出会いの中で、一つ一つ私は、自信を得てきた。こんな私をかまってくれて、たとえ日本語練習マシンとみなしていても、にこやかに話しかけてくれる人がいる。一人や二人ではなく、思いのほかたくさん。
 そう思うことは、とても有意義だった。真っ黒い紙に、穴あけパンチで次々に穴が開き、光が漏れ差し込むような感じだった。
 私の人生がずいぶんと明るくなっていく。しかしながら、影があるから光が美しく濃く見える、とまで前向きな気持ちになるには、もう少しニューヨーク詣でが必要だとは、感じている。
 風が、向きを変えた。通りすがりの男が、私のショッキングピンクのアポロキャップのツバを掴み、後頭部へとくるりと移動させた。
「ナイスカラー」
 と褒めてはくれたけど、彼は私より七、八歳位年下だろう。小柄な私は、よく子供に間違えられる。今日のように帽子で顔が隠れていれば、なおさらのこと。この無礼ともいえる行為は、子供にやったのだと思えば合点もいくし、腹も立たない。
 西日が、きつくなってきた。ワシントンスクェアを後にしようと、私は立ち上がる。そして、アポロキャップのツバの向きを、直した。
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