文字数 3,267文字

 隣の部にいるパトリックは、気難しい。日本に駐在しているのが、嫌でたまらないのだろう。しかも部内では、あまり相手にしてもらえないのか、一人ぽつねんとしていることが、多い。昼休み直後など、たまたま私が通りかかると、わざわざ廊下に出て来てまで世間話をしてくる。英語で。彼の奥さんにも、社内のクリスマスパーティで会ったことがあるけれど、次の辞令が出る日を指折り数えて待っているような感じだった。
 パトリックが嫌われる原因は、簡単すぎる。
「日本人はすぐ・・・だ」
 とか、
「これだから日本人は、・・・・だ」
 とか、日本人を一括りにして批判するからだ。今時そんな事を言うビジネスマンがいるのも驚きだが、それもパトリックの作戦かも、と思う時がある。皆に嫌われ、トラブルを起こして、使いものにならない男と評され、本国イギリスに送り返してもらうのが、目的である可能性もある。
 日本語を全く覚えようとせず、いつも他の部の英語圏の人物をつかまえては、スラングたっぷりの表現でまくしたてている。そして日本人で唯一話しかけられるのは、私。それは、ひょんなことが、きっかけだった。
 自動販売機の前で、コーヒーを飲んでいると、パトリックが話しかけてきたのだ。
「それ、日本で売っていないでしょ。どうやって手に入れたの? ネットでも見たことない」
 と。私が抱えていたトートバッグは、確かにニューヨークで買ったものだった。その旨正直に言うと、急に嬉しそうな表情になって、ニューヨークの話題を振ってきた。
 ミッドタウンにある本屋のバッグなのだが、駐在時代に週に一度は、通っていたという。そばにある公園で、ドーナツを食べるのが好きだった、とか次から次へと楽しかったニューヨークの日々を溢れさせた。次第に早口になり、聞き取れない表現が増えだして、焦ったのを覚えている。
 パトリックは、あちこちに駐在しているようで、日本を去ることができても、イギリスに戻れるとは限らないのではないか、と思う。彼は、その日以来私の顔を覚えしまい、他愛のない話をするようになった。
 私も、ニューヨークから帰国した直後は、リアルタイムの情報を仕入れて来ては、パトリックに知らせた。なじみの店が閉店していたとか、三十五丁目の角に新しいデリがオープンしたとか。
 パトリックは、自分が日本の社員に嫌われている原因に気づいていないので、私にも同様に日本人批判を繰り返す。耳が痛い時もあるが、飛躍のしすぎでは、と思う時もある。
 異国の地で、孤軍奮闘しているパトリックを諌めるのはあまりにも気の毒で、反論の機会を失っていた。ある日、パトリックがいつにも増して不機嫌そうに私に寄って来た。
「今朝ゴミ捨て場の前を通ったら、粗大ごみの日で、まだまだ使えそうな物が沢山捨てられていた。イギリスでは、ジャンブルセールって言って、そういう不要品をまた売るシステムがある」
 と鼻息荒く、まくし立てる。廊下でつかまえられた私は、英語を解さない人から見たら、まるで叱られてでもいるように見えただろう。
「もう、これだから日本人は」
 出た。パトリックの十八番。このセリフが、大好き。何度聞かされたことか。
「まだまだ使えるのに、平気で捨てて」
 この後には、
「世界では明日をも知れぬ命を灯している人が沢山いるのに」
 と続くだろう。前にレストランでの大量の残飯を見た時に、言っていたセリフ。 
 反撃の、チャンス到来。
「そうかしら。少なくても、私は違うわ。使えるものは最後まで使うから。あ、そうそう、このボールペン、ニューヨークの路上で拾ったのよ、まだ使えるから」
 たまたま持っていた、白いラウンド軸の青色のボールペンを、パトリックの前に掲げると、彼の息が止まった。私は、その変化にびっくりしたのだが、パトリックは目を大きくして、私を覗き込み、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕は、あなたを尊敬するよ。それこそ、物を大事にするってことだよ。うん、尊敬する」
 百八十度、意見の転換。その潔さに、こちらが脱帽してしまう。
 偶然にも手にしていた一本のボールペンが、状況を変えてくれた。なんだ、言えばわかるではないか。それ以降も、パトリックは相変わらず日本人に対しては冷たいまなざしを向けてはいるが、私には日本人批判をしなくなった。きちんと誠意を持って自分の意見を言えば、偏見を飛び越え受け入れてもらえる。それが、思いのほかたやすいことが、わかった。パトリックが、教えてくれた。私は、また自分に巻きついていた重い鎖を少しだけ緩めることが、できた。なんて、心地よい。なんと息が、しやすい。
 言いたいことがあったら、言っていいのだ。初めてニューヨークを訪れた時のような、息苦しい密室を飛び出した瞬間のような、際限のない開放感が私を満たした。パトリックには、感謝だ。
 私には、準人がいてくれる。パトリックとの出来事も、持続力のある薬のようだ。その反対に。雅には、誰もいない。いるわけが、ない。いたら、私にまとわりついてくるわけが、ないだろう。
 それは、言動からも明らか。もしかしたら、女友達さえ、私の他にいないのかもしれない。もっとも、私は雅のことを友達とは、どうしても思えない。
 準人のことは、言えるわけがない。結婚に向かって具体的なスケジュールを組み始めていることなど、匂わすことさえ怖い。危険すぎる。おそらく雅の支えは、
「真弓だって、似たりよったり」 
 と思っていることだからだ。わかる。言われなくても、たとえ隠していようとも。
 だって、雅は、少し前の私だから。
 これが、私が雅を邪険にできない最大の理由。もしもあの頃の私が、半ば小馬鹿にしている女友達が、恋人ができて結婚することになった、と言われたら。
 大人としてお祝いの言葉の一つも返さなくては、と思っても、きっと無理だ。背後から針金か何かで唇を引っ張ったような、引きつった笑い方しかできないはず。それができれば、まだましかもしれない。
「どうして? 不公平じゃないの。私たちずっと、ボーイフレンドもいなくてやってきたよね。そんなのずるいじゃない」
 そんな恨みつらみを言ってしまう事だって、考えられる。約束したのか。お互い一生恋人を作らない、と。していない。するわけが、ないのだ。雅は渇望に近い気持ちで、彼氏が欲しいと思っているのだから。
「どうして、私だけ」
 その答えを見つけた私は、今ならわかる。
「どうして私だけ」
 と考えるほどに、幸せは遠のいていく。そのささくれだったさもしい気持ちが、ぬらぬらと身体中から沁み出ているのだもの、そんな女は、基本避けるのが、当然。
 もしも準人のことを知ったら、雅は私を心身共に傷つけにかかるかもしれない。今までの経験上、そうなるだろう。それでも私が雅の暴言を甘んじて受け入れているのは、その卑屈な瞳の奥に私自身が投影されていて、かわいそうでしかたがないからだ。 
 本来ならば、本人の心の中にいるはずの傷心のインナーチャイルドは、私の場合、雅の中に存在する。あまりにも哀れで、時折り涙ぐみそうになる。
 雅は、そんなことは気づかないだろう。気づいていれば、心を開いて友人や恋人を見つけることができるからだ。よく見れば、雅の瞳は、三十を目の前にした人間のそれとは思えないほど、白目の部分が青味ががっていて美しい。その美しさも、目つきの悪さのせいで台無しになっていることなど、知る由もない。
 時々雅の目を覗き込み、私は、少女の頃の自分に、無言で話しかける。
「真弓ちゃん、大丈夫だよ。誰もわかってくれなくて辛いね。でも、私だけは理解できるからね」
 そして、泣きそうになってしまう。雅は、かつての私のように、ものすごく暗い目をして、
「どうして、そんなにジロジロ見んのよ」
 と、いちゃもんをつける。雅は、この悲しすぎるスパイラルから抜け出ることができるのだろうか? どうだろう。
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