第20話  最後の決断と実行

文字数 1,336文字

 みなさまの会話を聞きながら、端正な顔をした栗原安秀中尉は腕を組み、目を瞑りながらじっと考えていました。ここまでにきた長い道のりを……。

 陸軍大佐を父に持ち、北海道旭川で過ごした少年時代を思い出していたのです。
 そのころ同じ官舎にいた斎藤(りゆう)の娘で、同級生でもあり美しい(ふみ)の顔が目に浮かんできます。
 斉藤家に足を運び、瀏の影響で憶えた短歌を、娘の史とともに詠んだ数々の歌も鮮やかに蘇ってくるのです。

 そんな楽しい思い出も今は懐かしい記憶として残り、今は厳しい現実に晒されているのです。そしてその思いを振り切るようにゆっくりと目をひらき、一呼吸して眼光鋭くじろりと皆を見渡して重い口をあけました。

「さて、わが栗原隊はこの国を滅ぼす元凶である岡田啓介首相邸を襲い、やつの命を貰う!」
 そう言いますと、彼を見つめながら何人かが手を叩いて賛同したのです。

「そうだ、まずは岡田を血祭りだっ!」
 誰かが勇ましく吼えました。再び拍手が湧き上がってくるのです。若さとは誠に元気ではありますが、その方向性を間違えたときには、恐ろしい結果を招くなど、誰が思うのでしょか……。

 野中四郎大尉は、さっきから目を瞑っているこの栗原がようやく語り始めたのでほっとしました。どの隊もその任務は重要なのですが、特に首相である岡田首相を倒すのは栗原隊なのですから。
 意識したようにその野中をちらりと見ながら、栗原は言葉を続けるようです。
 時間は未明になっておりましたが、誰一人として眠気を催す若者はおりません。むしろ、計画の確認のためのそれぞれの報告を聞くたびに、ますます高揚感が増してくるのです。

 それこそは、いまの荒れすさんだ世の中を直し、悪を正すという使命感に燃えていましたので、その勢いはとどまることが無いようでございました。

「まず岡田を成敗した後で、我々のこの思いを伝えるためには、国民に腐りきった内閣や、政財界の癒着した関係を暴露し、あわせて我々の正当性を伝える必要がある。その為に重要な報道機関を制しなければならない、それでだ……」

 そう言って、栗原は一息ついた後、その熱い言葉をさらに続けます。

「まずは、朝日新聞社、日本電通、東京日日、報知新聞などを占拠して、この『決起趣意書』の掲載を要求するのだ!」

 ここまで言い切った栗原の顔は興奮しながらも紅潮していて、話し終わった後で飲みかけて冷たくなっているコップ酒を一気に飲み干したのです。その勢いに飲まれて、部屋の中ではしばらく拍手が鳴り止まなかったようです。

 それからも、それぞれに割り与えられた役目を反芻(はんすう)するように、延々と夜の白むまであと数日に迫った決行日を前にして、綿密な計画が練られていたようでございます。


 朝になり、血気盛んな若者達は準備をするためにそれぞれの部隊へ帰って行きました。
 その季節は寒波が押し寄せつつあるので、吐く息も白い煙となって彼等の姿に絡みついておりました。

 朝ぼらけの道を、軍靴で歩く若い青年将校達の心はそれとは別に熱く燃えているようでございます。そのお仲間のなかに、わたくしがお慕いいたします四ノ宮貴美子様のお相手の南郷亮介様が加わっていることを、わたくしはただハラハラと見守ることしかできないのでございます。


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