第3話 泣く資格なんてない

文字数 1,567文字

担任の家で一晩過ごした後、結局、またおじちゃんの家に暫く置いて貰うことになった。
母が大阪の済生会病院に入院した時から半年も経っていない。あの時と同じ部屋。

火の入ってない石油ストーブの前で、
膝を抱えたまま、頭の中で問答を繰り返していた。
母が亡くなったのに何故涙が出ない?
私薄情な娘?
そもそも母が自分で命を断ったのは、恐らく私の為。養女に貰われた方が良い、自分と居たら満足な躾もしてあげれないと何度か話していた。
その度に、
「お母ちゃんと離れるのは嫌や!」
と私は駄々をこねていた。

母としては、何とか何処かの養女に貰われて欲しかった?死んでまで?

それとも

病気で働けない母は、私が6年生になったので、新聞配達をしろと言ってきた。自身が女中見習いで働き始めた歳だからかもしれない。
昨年から生活保護を受けていたので、生活は出来ていたが、国の世話になる事を母は嫌っていた。

でも私は、周りで誰もしてないから嫌だとこれも断った。
いや、そんな事で死ぬ必要がある?

生活保護を受給した当初、送られた布団や、新しく入居したアパートの壁に盗聴器が仕掛けられているかもしれないとか、一時期は水道水に毒が入っているかもしれないと、毎夜小学校の校庭まで水を汲みに行かされたり、結構面倒だなと思っていた。

毒疑惑から水を使えないので、調理が出来ず、市場で買ったうどん玉や、卵をそのまま食べて過ごした。
お陰で生卵がすっかり嫌いになってしまった。

母と私は大体一年毎に引越しをしていて、その理由は、親子喧嘩で近所から苦情がきたからと聞いていたが、本当にそうなのかは良くわからなかった。

確かに親子喧嘩は激しかったとは思う。私は勝ち気で負けず嫌いだったから、母に怒られるとかなり反抗するタイプだったからだ。

最近では、狭い六畳間で、母が重い図鑑を投げてきたので、私は更に重い扇風機を母に向かって投げた程だ。

喧嘩は激しいが、夜一緒の布団で寝るので、寝る前に謝って、それで終わりだった。

小さい頃の母の1番の折檻は、箒の柄で、太ももを叩かれるのがキツかった。アレは痛い。自己主張の強い私には、そうするしかなかったのかもしれないが。

でも母は私をとても大切にしていた。

小学二年生の頃公園で遊んでいて、喧嘩になった時も、ちゃんと私を信じてくれた。
この子は何もなくて手を出す子供ではないと。
嬉しかった。

幼稚園に通わせるお金がないからと、小学校に上がる前から、英単語、九九、習字等母が教えてくれた。
お陰で余り勉強を家でせずとも通知簿は、ほぼ「よくできました」だった。

遠足の時は、夜中から起きて、毎回チラシ寿司を作ってくれた。

母にとって私はお姫様で…

母との記憶が溢れる中で
それでも涙は出なくて

母は私の為に亡くなった

それなのに

何で?

どうして?

苦しい


もう嫌だ!!

お母ちゃんがひとりで死んで
私を道連れにしなかった事を
大人は褒めてだけど

私は一緒に連れて行って欲しかった

お母ちゃんと別れるの嫌やったんやもん


一人でいなくなって
私を置いてけぼりにして
酷いよ!


お母ちゃん!!


うち、独りぼっちやんか!!




私は

母に対して

悲しみよりも怒りを感じていたんだ。

母は私の為に亡くなったと思ったのは、自分を守る為の思考。

どこまでも自分優先で
薄々優しく無いと思っていたが
ここまでか。

腸が下へ下がってきたと、道中うずくまる母に、人が大丈夫ですかと集まってくる。

それが恥ずかしくて、早く行こうとせっつく私。

優しくない私。

酷いよね。

お母ちゃん
こんな子供でごめん。
ごめん…



母が亡くなった理由は
私が酷い子供だったからかもしれない。

病気で最後の方はほぼ寝たきりだった母。
苦しいのに
我が子は優しくない。



心も身体も辛くて

母は苦しみから解放されて
楽になりたかったのかもしれない。

私が優しい子供だったら
母は死ななかったかもしれない。



泣く資格なんて
私にはない。




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