第11話 曖昧な関係性

文字数 2,292文字

 莉里からメールが届く。
「りっちゃんへ
 元気? 私は大丈夫。もう一年経ったけど、音楽院には入学できたのかな。
 ピアノ頑張ってる?
 忙しい? 
 私、大学はフランス語学科に行こうかなって考えてるの。フランスっておしゃれなところだし、行ってみたいから。街角とか写真見たりしてる。後、最近見た映画はパリの恋人。古い映画だけど、街並みが素敵だった。それから…」と莉里の日常がつらつら書かれている。
「大丈夫…って」とため息を吐く。
 文の全てから「淋しい」という気持ちが溢れている。だから返事は書かなかった。莉里が新しい人生を送れるために。俺のこと、忘れて欲しいから。
 返事を書かずにいたら、メールの頻度は下がって行き、クリスマス兼お正月にカードが届くだけになった。
「莉里ちゃん。音楽院には受かったよ。それから今は部屋を探してる。先生のところは居心地はいいけど、おしゃべりがすごくて少し疲れてしまうから」
 返事は書かなかったけれど、いつも莉里に話しかけていた。

「律。また愛人のところに行くの?」とピアノの先生のエレーヌが言う。
「愛人じゃ…」
「じゃ、何?」 
 答えられずに俯く。
「いい大人の女性と恋愛って…律らしいわね。何があったのかは知らないけど」
 恋愛…なんて思っていなかった。ただ時間があったら、お互いに会いにいって、することだけして、帰る。桃花さんは「こんなおばちゃんがセフレでごめん」と言ってた。
 セフレが何か分からないけれど、セフレとは違うと思う。でも恋愛でもなかった。

 地下鉄に乗って、自分の顔を眺めると、明らかに周りとは違う顔をしている。東洋人だと分かる目鼻立ちだ。こんなところに来て何をしているんだろう、と思ってしまう。
 桃花さんのアパルトマンに行くと、必ず電話をする。すると桃花さんが下りて来て、お気に入りのパン屋に連れていく。好きなパンを買って、そして二人で部屋に行く。変な話、行為後はお腹が空くのだ。
「律君…。また背が伸びたね」
「そうですね。大分、見下ろすようになりましたね。そう言えば…ピアノの先生が愛人の家に行くのかって聞いてきて…。本当に、引っ越ししたくなりました」
「そうなんだ。愛人かぁ…。どっちかって言うと、私が囲ってる…ことにならない?」
「え? 屋根裏部屋で?」
「そうね。もっと広いゴージャスな部屋じゃないと言えないか。じゃあ…やっぱりセフレ?」と笑う。
 そういう簡単な言葉じゃ説明できない。
 部屋に入ると、後ろ手で鍵を閉めて、すぐにキスをする。
「好きじゃないのに…キス…良い」と感想を言われる。
 桃花さんの匂いが自分に移る。
「確かに…好きじゃないのに」
 心地よく感じる。
「夫が…元夫が知ったら、びっくりするかな。十以上も下の…若い男の子と…なんて。あれ、犯罪?」
「…びっくりされたいですか?」
「ビデオ通話する?」
「悪趣味」と言いながら繰り返しキスをする。
 莉里も彼氏ができて…と思うと、胸がチリチリする。桃花さんも夫だと思ってキスをしていると思うと、嫌な気持ちになる。
「おばさんの相手させてごめんね」
「おばさんなんて思ってない。綺麗な…女性だと思ってる」
「泣けちゃう」と茶化すから、セーターの中に手を入れた。
 莉里も…と思うと、気が狂いそうになる。忘れようとしているのに、少しも忘れられない。
 ベッドの上で痛そうに顔を歪める。
「大丈夫?」
「子宮ないから…ちょっと辛い」
「止める?」
「止めないでしょ? それに私も…女性だって思いたいし…。子宮がなくても…欲しいって思ってもらいたいから」
 桃花さんの抱える問題が俺に解決できるわけないけれど、わずかな時間でも楽になれるなら、と性欲を吐き出す。
「綺麗だから。桃花さんは…綺麗だ」
 そう言いながら、莉里を思って苦しくなる。
 依存していたのかもしれないけれど、お互い、必要だった。
「無理に言わせて…」と顔を横に向ける。
「…言い合いする…余裕ない」
 そう言うと、桃花さんが切なそうに抱き着いてきた。お互い、お互いが好きじゃないのに、こんなことをして、それが必要だと思ってて、セフレじゃないとも言えないけれど、でも莉里のことを想いながら抱いてても、桃花さんが幸せになればいいとも心から思ってる。
「…愛してる」
 極まって出る言葉と精液は嘘じゃない気がした。
「…うん」
 桃花さんもその意味が分かっているように頷いて目を閉じた。

 行為が終わるとまるでさっぱりした様子でシャワーを浴びに行く。それがどこか寒さを感じて、俺はベッドに潜った。シャワーから出てきた桃花さんは一層明るい顔で「シャワー使って」と言う。
 行為を終えると、不思議とお互いフラットな気持ちになった。
 シャワーから出てくると、買ったパンとトマトスープが並べられていた。
「食べて」
「ありがとう」
「こちらこそ」
「…あのさ。桃花さんが本当に幸せになれたらいいなって思ってる」
 そう言うと、桃花さんは頭をポンポンと手で軽く叩いて「いい子、いい子」と笑う。子供扱いされて、むっとしてると、頬をつねられた。
「ねえ、すごく幸せだよ? こんな若くて綺麗な男の子が抱いてくれるなんて。お金払おうか」
「あのさ」とさらに怒って言うと
「ほら、食べなよ」とスープのカップを渡される。
 受け取りながら「いい加減、自分のこと」と言おうとした時、キスされた。
 優しくて温かいキスだ。
「あのね、それ以上言わないで。泣いちゃうから」
 そう言われると、何も言えずにスープを口にした。トマトの酸味が口内を差す。絵も下手だけど、料理も同じくらい下手なんだな、と桃花さんを見た。視線を外して、窓の外を眺めていた。
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