第8話

文字数 2,657文字

「どうせ大和にいいように使われてるんでしょ? 名前も聞いたことないような部活だしさ!」
「あなただって、結局は一方的な愛を向けてるだけなんでしょ? そういうの、恋愛とは言いませんから。中学四年生の子どもにはわからないでしょうけど!」
「あんただって、そんな下品な見た目してるくせして……!」
 限界だった。


「もう、ぜんぶ私が悪かったって!!」


 私が叫ぶと、辺りは静まり返る。人目は更に痛くなったけれど、もう耐えきれなかった。
 二人の喧嘩になにもできない自分が、あまりにみじめで。
 その原因が私であることが情けなくて。
 私は、覚悟を決める。
 咲先輩の方を向き、深々とお辞儀をする。
「ごめんなさい、咲先輩。多分、私が甘かったんです。誰も傷付けたくないとか言って、言い訳してた。人と付き合うのって、多分そういうんじゃないですよね。だから、ごめんなさい。お付き合いとかは、やっぱりできないです」
 彼女は驚いた後、私から目を逸らす。後ろで手を組み、足の爪先で地面を叩きながら気まずそうにする。
 そして私は望に向き、言う。
「ごめんね、望。つらい思いさせちゃって。そんなに私のこと、思ってくれてたなんて。嬉しいよ。でも私、このままじゃたくさん望のこと傷付けちゃうよ。恋したことすらないんだもん。多分私は、望を幸せにできない。だから……もう、別れた方がいいのかも」
 それがきっと、私が思い付く限りの、私がしなければいけないこと。
 例え彼女を傷付けるとしても、それ以上の傷を生まないために。
 望は呆然とし、目を伏せる。
 その手を震わせながら次に顔を上げたとき、その目には怒りと涙が宿っていた。
「ぜんぶ、お前のせいだ!」
 その怒号は小夜先輩に向く。その胸倉をつかみにかかる勢いで、望は腕を振りながら泣き叫ぶ。
「お前がぜんぶこわした! 呪ってやる! ころしてやるぅー!」
 あまりの勢いに、私と咲先輩は同時に戸惑った。殴りかかろうとする望を二人がかりで押さえ、私は泣きそうになりながら、必死になって言う。
「ち、違うよ! 聞いて! 小夜先輩は、私たちのために悪者になってくれてるだけなの!」
 その声で、望の力は少しだけ弱まってくれる。
 小夜先輩は言っていた。大事なのは話し合いで、望たちには好きなようにさせておけばいいのだと。ということは、きっとこういう事態になることも想定済みなのだ。あれほど大きな部活で後輩たちの問題をいくつも解決してきたというのだから、きっと間違いはない。
「そうだよね、先輩?」
 私は小夜先輩に言う。彼女は望に詰め寄られても、顎に手を当て、未だ冷静な顔をしている。
 それを見て、安心が生まれた。やはり、解決策は既に用意してあるのだ。
「ふうむ。……」
 私たちの視線の先で、小夜先輩は考える。
 何をそんなに渋っているのか、と思っていると。
 彼女は、突如後ろに振り返った。良い香りのする黒の長髪が、円を描くように揺れる。
 そして、走り出した。
 陸上選手張りの、超綺麗なフォームの全力疾走で。
「あ。逃げた」
 咲先輩がそう呟くまで、私は状況を理解できなかった。


「小夜さん!?」
 冗談かと思った。
 私が名前を呼んでも、その後姿はどんどん遠ざかって行く。
「追え! 絶対逃がすな‼」
 望は叫び、その跡を率先して追っていく。
 私と咲先輩は、その勢いに振り回されるほかなかった。
「もう、なんでこうなるのー!」
 二人を見失わないよう、私たちは全力で走る。豪華な建物が並ぶレストラン街から、お城を巡るアトラクションへと続く坂道へ。


「もーむりー! 走れないー!」
 私の後ろで、咲先輩はどんどん減速していく。この坂を全力疾走なんて、元運動部の私ですらきつい。
 案の定、行く先からは疲れ果てた望だけがずるずるとやってきた。小夜先輩の後ろ姿は、もう遥か遠くにある。
 望は言う。
「大和、行って! 一発くらい殴んないと気が済まないから!」
「殴るのは駄目だけど……とにかく、捕まえてくる!」
 私は二人を置いたまま、坂道を上る。部活でさんざんやらされた持久力トレーニングを思い出した。私の体力はあのときに比べてかなり落ちている。それでもまだ他の人よりは自信がある方だったのに、小夜先輩のそれはケタ違いだ。いったい普段、どんなトレーニングを積んでいるのか。
 追いつけないかもしれないと諦めかけていたけれど、不意に小夜先輩の動きは止まった。
 行き止まりだ。私たちはお城を巡るアトラクションの入口に、とうとう辿り着いた。そのアトラクションまでは長い行列ができていて、逃げ場所といえばそのすぐ傍にある小さなグッズ売り場くらいしかない。
 彼女はしばらくあたふたした後、その売り場に逃げ込もうとする。私はその隙を見逃さず、なんとか追いついてその肩を捕まえる。
「小夜さん!」
 彼女の体は跳ねる。そうして、振り向いたときに見えたその表情。


「な、泣いてるんですか?」
 信じられなかった。彼女はまるで大人を怖がる子どものような顔で、その目に涙を溜めている。彼女はそのまま膝から崩れ落ち、動かなくなってしまう。
 そうして望は激しく息を切らしながら、私たちの来た道からようやく追いついてくる。
「いた! 覚悟しろ、この悪魔!!」
 彼女は小夜先輩に殴り掛かろうとする。明らかに本気の目だ。このままではまずい。
 頭をフル回転させ、咄嗟に叫んだ。
「だ、誰か―! 怪我人がいますー!」
 その声で、周りの視線は一斉に集まる。
「なっ、」望は面食らい、後ずさる。
 売り場の中にいたテーマパークのスタッフさんが、すぐに私たちの下へと駆けつけてくれた。
「どうされました?」
「ええと、足首捻っちゃったみたいで。医務室とかってありますか?」
「ご案内いたします」
 気の良さそうなその女性スタッフについて行くため、私は小夜先輩の脇に頭を入れ、立ち上がらせる。疲労もあるのか、今の彼女は本当に怪我をしているかのように力が無い。
 望はその状況が、どうしても気に食わないようだった。
「ちょ……待てって!」
 未だ諦めず、私たちに飛び掛かろうとする。
 しかし、咲先輩がそれを食い止めてくれた。
「こら! 暴力はダメ! いくらなんでも!」
 彼女は息を切らしながらも、追いついた勢いのまま、望を背中から羽交い絞めにする。
「ありがとうございます、咲先輩」
 彼女にお礼を言い、望の顔を見る。
「うう~……」
 やはり、納得のいっていないようすだ。
 そうして、私たちはようやく一息つくことができた。小夜先輩が逃げ出した目的は、未だわからずに。
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