第18話
文字数 2,987文字
そうして、川の流れる爽やかな自然の中や、周りに木しか見えない鬱蒼とした道をひたすら歩き。
湿気と暑さが私たちを蝕んできたところで、望はとうとうへたり込んだ。
「つかれたー。蒸し暑いよー」
彼女は多少冷たそうな、ところどころに苔の生えた大きな石へと座る。
既に数時間は探索を続けている。小さなバッグに入れてきたお菓子や水筒の水も、もうすっからかん。
これだけ探したのにも関わらず、記憶の中の鳥居や神社はまったく見つからない。本体どころか、その片鱗すらどこにも見当たらない。
ここまで来ると、もはや記憶の方を疑わざるをえない。あの日見たと思っていた景色は、本当に正しい記憶なのか。もしかするとあの瞬間だけ、私たちは神隠しにでも会っていたのではないか。
もしくは、なにか特別な方法じゃないと見つけられない場所、とか。
たとえそうだとしても、そんな方法ひとつも思いつかないけれど。
正直、今日はもう諦めた方が良さそうだ。だいぶ疲労も溜まってきたし、帰るには良い頃合いだろう。
彼女の座る石の隣にはまだスペースがあったので、私も座らせてもらった。その石は全体が木の陰に隠れていて、やはりお尻が少し冷たくて気持ちいい。
「この山、すごく暗いね。あんまり奥には入らない方がいいかも」
私は言う。探索が長引いたおかげで今はもう夜に近い夕方だけれど、それにしたって辺りは薄暗い。きっと周りに木が多すぎるせいだろう。
「同感。この暑さじゃ入る気も起こらん」
望はそう言いながら、隣に座った私の腕を抱いて体を密着させてくる。
息が詰まった。彼女のスキンシップには、もうだいぶ慣れたと思っていたけれど。
「ちょっと。暑いなら離れてよ」
「それとこれとは、また別腹なのだ」
彼女は無邪気に言う。足を自由にぶらぶらとさせたのち、私の肩に頭を乗せて体重を預けてくる。
「楽しいね」
「……うん」
その返事をするのには、少し時間がかかった。
彼女といるのは楽しい。それは間違いない。
現に今日のデートも、すごくわくわくした。望と二人きりでたくさんの時間を過ごせて、だいぶ満足。自然にたくさん触れて、普段できないようなリラックスもできた。
しかし簡単に認めてしまえば、答えを出さなくてはならない。もうこれ以上、逃げられないような気がする。
本当はもう、ずっと前から気づいていたのかもしれない。
「望」
彼女を呼ぶ。その目は私の目に向く。
私は、何度だって逃げ続けてきた。
ただ、怖かった。彼女と紡いできた関係を、その時間の一つ一つを、壊したくなかった。
でも、それはきっと、彼女だって同じこと。
望は勇気を出してくれた。だからこそ私たちの関係は一歩進んで、こうしてまた新しい思い出を作ることができている。
本当に、彼女の親友なら。彼女の彼女になりたいのなら。
私も一歩、進まなくてはならない。
「色々、悩んだんだけど。先輩たちに恵まれて、ようやく言えそうな気がするの」
緊張は全身を包む。望は目を見開いている。突然私が真剣な雰囲気でその目を見つめだしたのだから、当然だろう。
望はこの恐怖を、どうやって乗り越えたのだろうと思う。私はただ、彼女の気持ちの後を追えばいいだけなのに。
「私ね、」
決意して、望の手を握った。華奢で小さくて、可愛い手。強く握れば、そのまま潰れてしまいそう。
私が息を吸って、言葉を喉で詰まらせると。
望は不意に立ち上がり、元気よく言った。
「よーっしゃ。それじゃあラスト、もうひと頑張りしちゃおうかな!」
彼女は伸びをしながら気合を入れる。もしかして、はぐらかされた?
ふと、涼しい風を感じる。辺りはさらに薄暗くなってくる。木々の葉のあいだからわずかに覗く空は、灰色へと変わってきている。
「なんか、雨降ってきそう」
私が言うと、望は追い打ちをかけるように言う。
「なら、急ご。本降りになったら大変!」
「そうだね」
その背を追いかけるため、私も立ち上がる。やれやれと思った。彼女はやっぱり無邪気で、ついていくにはそれ相応のエネルギーが必要で……。
——そうして、湧き上がってくる。沸々としたイライラが。
むかつく。むかつく。むかつく。
言い訳しようとしていた自分自身が。
ほっとしてしまっていた。苦しまずに済んだと。その言葉を言わずに、恐怖を味わわずに済んだと。
「望」
私は立ち止まり、もう一度彼女を呼ぶ。彼女は数歩先で立ち止まるけれど、振り向いてはくれない。かといって私も、もうその背についていくつもりもなかった。
「やっぱり、言わせてほしい」
「やめて」
私の言葉に、望はかぶせるように返してくる。
「なにがそんなに不安なの?」
私は言って、気がついた。彼女が拳を握りしめ、震えていることに。
「……いや。今までずっと、私が不安にさせてたんだよね」
私は思った通りを言う。望は恋人である以前に、親友であるはず。信頼を失ってもおかしくないような態度をずっと取ってきて、彼女に文句を言える口ではない。
本当は、ずっと前から気づいていた。
彼女の胸を触ったとき。下品なのはわかっているけれど、私の体はぼんやりと火照っていた。
本能が言っていた。彼女に触れて嬉しい。できるなら、体を包むこの熱を冷ましたくはないと。
咲先輩は小夜先輩の体が傍に寄ってきたとき、不意にドキッとしてしまう自分がいた。既に彼女がいる身分で、最低だとはわかっている。
それでも、望の告白が気づかせてくれたことだ。私は人を好きになれる。女の子を好きになれる。普通の女子高生らしく、色んなことに浮き沈みしながらも、恋ができる。
失うのが怖かった。この気持ちを認めてしまえば、今まで親友として築いてきた望との時間を壊してしまうのではないかと。
でも、もう逃げたくない。
先輩たちに、あれだけたくさんの勇気をもらって。
ここで言えないほうが、どうかしている。
「私、望が好き。親友とか関係なく、ちゃんとした意味で」
私が言うと、望は振り向く。体中で生まれる熱は、私の全身に汗をかかせてくる
けれど、どれだけ体がびしょ濡れになってもいい。
「だから、ここからもう一度。私と、改めて恋人になってほしい」
無視することはできない。私はずっと、望に恋をしていた。
女の子だけれど。
性別なんて関係なく。
私は、望が好き。
ようやく伝えられた。自分一人では、前に進めなかった。
この感謝を先輩たちに、望にどう伝えればいいだろう。
望は、突如その場にしゃがみ込む。
「望?」
具合でも悪くなったのかと心配になって、私は言う。そしてその体に近づこうとしたとき。
「ごめん、私……」
望は言う。額から汗を垂らしながら、つらそうに。まるで激しい痛みが全身を襲っているかのような、細い声で。
「大和とはもう、付き合えない」
「え?」
私には、聞き取れなかった。耳には入っいても、頭がその情報を拒否していた。そんなものは受け取れない、なにかの冗談に決まっていると。
「ごめん。ちょっと、わかんなかった。なんて?」
「ごめんなさいっ……!」
どうしてそんなにつらそうなのか、わからなかった。その目に涙が滲み出している理由も。言葉の意味も、その意図も。
私には、なにもわからない。
「私はずっと、やまとのことが、好きじゃなかった」
雨は既に降り出して、私たちの肌を濡らし始めている。
湿気と暑さが私たちを蝕んできたところで、望はとうとうへたり込んだ。
「つかれたー。蒸し暑いよー」
彼女は多少冷たそうな、ところどころに苔の生えた大きな石へと座る。
既に数時間は探索を続けている。小さなバッグに入れてきたお菓子や水筒の水も、もうすっからかん。
これだけ探したのにも関わらず、記憶の中の鳥居や神社はまったく見つからない。本体どころか、その片鱗すらどこにも見当たらない。
ここまで来ると、もはや記憶の方を疑わざるをえない。あの日見たと思っていた景色は、本当に正しい記憶なのか。もしかするとあの瞬間だけ、私たちは神隠しにでも会っていたのではないか。
もしくは、なにか特別な方法じゃないと見つけられない場所、とか。
たとえそうだとしても、そんな方法ひとつも思いつかないけれど。
正直、今日はもう諦めた方が良さそうだ。だいぶ疲労も溜まってきたし、帰るには良い頃合いだろう。
彼女の座る石の隣にはまだスペースがあったので、私も座らせてもらった。その石は全体が木の陰に隠れていて、やはりお尻が少し冷たくて気持ちいい。
「この山、すごく暗いね。あんまり奥には入らない方がいいかも」
私は言う。探索が長引いたおかげで今はもう夜に近い夕方だけれど、それにしたって辺りは薄暗い。きっと周りに木が多すぎるせいだろう。
「同感。この暑さじゃ入る気も起こらん」
望はそう言いながら、隣に座った私の腕を抱いて体を密着させてくる。
息が詰まった。彼女のスキンシップには、もうだいぶ慣れたと思っていたけれど。
「ちょっと。暑いなら離れてよ」
「それとこれとは、また別腹なのだ」
彼女は無邪気に言う。足を自由にぶらぶらとさせたのち、私の肩に頭を乗せて体重を預けてくる。
「楽しいね」
「……うん」
その返事をするのには、少し時間がかかった。
彼女といるのは楽しい。それは間違いない。
現に今日のデートも、すごくわくわくした。望と二人きりでたくさんの時間を過ごせて、だいぶ満足。自然にたくさん触れて、普段できないようなリラックスもできた。
しかし簡単に認めてしまえば、答えを出さなくてはならない。もうこれ以上、逃げられないような気がする。
本当はもう、ずっと前から気づいていたのかもしれない。
「望」
彼女を呼ぶ。その目は私の目に向く。
私は、何度だって逃げ続けてきた。
ただ、怖かった。彼女と紡いできた関係を、その時間の一つ一つを、壊したくなかった。
でも、それはきっと、彼女だって同じこと。
望は勇気を出してくれた。だからこそ私たちの関係は一歩進んで、こうしてまた新しい思い出を作ることができている。
本当に、彼女の親友なら。彼女の彼女になりたいのなら。
私も一歩、進まなくてはならない。
「色々、悩んだんだけど。先輩たちに恵まれて、ようやく言えそうな気がするの」
緊張は全身を包む。望は目を見開いている。突然私が真剣な雰囲気でその目を見つめだしたのだから、当然だろう。
望はこの恐怖を、どうやって乗り越えたのだろうと思う。私はただ、彼女の気持ちの後を追えばいいだけなのに。
「私ね、」
決意して、望の手を握った。華奢で小さくて、可愛い手。強く握れば、そのまま潰れてしまいそう。
私が息を吸って、言葉を喉で詰まらせると。
望は不意に立ち上がり、元気よく言った。
「よーっしゃ。それじゃあラスト、もうひと頑張りしちゃおうかな!」
彼女は伸びをしながら気合を入れる。もしかして、はぐらかされた?
ふと、涼しい風を感じる。辺りはさらに薄暗くなってくる。木々の葉のあいだからわずかに覗く空は、灰色へと変わってきている。
「なんか、雨降ってきそう」
私が言うと、望は追い打ちをかけるように言う。
「なら、急ご。本降りになったら大変!」
「そうだね」
その背を追いかけるため、私も立ち上がる。やれやれと思った。彼女はやっぱり無邪気で、ついていくにはそれ相応のエネルギーが必要で……。
——そうして、湧き上がってくる。沸々としたイライラが。
むかつく。むかつく。むかつく。
言い訳しようとしていた自分自身が。
ほっとしてしまっていた。苦しまずに済んだと。その言葉を言わずに、恐怖を味わわずに済んだと。
「望」
私は立ち止まり、もう一度彼女を呼ぶ。彼女は数歩先で立ち止まるけれど、振り向いてはくれない。かといって私も、もうその背についていくつもりもなかった。
「やっぱり、言わせてほしい」
「やめて」
私の言葉に、望はかぶせるように返してくる。
「なにがそんなに不安なの?」
私は言って、気がついた。彼女が拳を握りしめ、震えていることに。
「……いや。今までずっと、私が不安にさせてたんだよね」
私は思った通りを言う。望は恋人である以前に、親友であるはず。信頼を失ってもおかしくないような態度をずっと取ってきて、彼女に文句を言える口ではない。
本当は、ずっと前から気づいていた。
彼女の胸を触ったとき。下品なのはわかっているけれど、私の体はぼんやりと火照っていた。
本能が言っていた。彼女に触れて嬉しい。できるなら、体を包むこの熱を冷ましたくはないと。
咲先輩は小夜先輩の体が傍に寄ってきたとき、不意にドキッとしてしまう自分がいた。既に彼女がいる身分で、最低だとはわかっている。
それでも、望の告白が気づかせてくれたことだ。私は人を好きになれる。女の子を好きになれる。普通の女子高生らしく、色んなことに浮き沈みしながらも、恋ができる。
失うのが怖かった。この気持ちを認めてしまえば、今まで親友として築いてきた望との時間を壊してしまうのではないかと。
でも、もう逃げたくない。
先輩たちに、あれだけたくさんの勇気をもらって。
ここで言えないほうが、どうかしている。
「私、望が好き。親友とか関係なく、ちゃんとした意味で」
私が言うと、望は振り向く。体中で生まれる熱は、私の全身に汗をかかせてくる
けれど、どれだけ体がびしょ濡れになってもいい。
「だから、ここからもう一度。私と、改めて恋人になってほしい」
無視することはできない。私はずっと、望に恋をしていた。
女の子だけれど。
性別なんて関係なく。
私は、望が好き。
ようやく伝えられた。自分一人では、前に進めなかった。
この感謝を先輩たちに、望にどう伝えればいいだろう。
望は、突如その場にしゃがみ込む。
「望?」
具合でも悪くなったのかと心配になって、私は言う。そしてその体に近づこうとしたとき。
「ごめん、私……」
望は言う。額から汗を垂らしながら、つらそうに。まるで激しい痛みが全身を襲っているかのような、細い声で。
「大和とはもう、付き合えない」
「え?」
私には、聞き取れなかった。耳には入っいても、頭がその情報を拒否していた。そんなものは受け取れない、なにかの冗談に決まっていると。
「ごめん。ちょっと、わかんなかった。なんて?」
「ごめんなさいっ……!」
どうしてそんなにつらそうなのか、わからなかった。その目に涙が滲み出している理由も。言葉の意味も、その意図も。
私には、なにもわからない。
「私はずっと、やまとのことが、好きじゃなかった」
雨は既に降り出して、私たちの肌を濡らし始めている。