第13話

文字数 2,034文字

 聖母マリアが描かれたそのステンドグラスを、私たちは見上げる。
 エレベーターを使って、私たちは地下二階に来た。それなのにそのガラスの外からは日が差し込んできていて、麻袋がそこら中に見えるこの埃っぽい空間を七色に彩ってくれている。
「すっご……」
 望は言う。確かに、息を呑むほど綺麗な光景だ。
 無断で屋敷をうろついているこんな状況でなければ、もっと感動できたかもしれない。
「ちょっと、登ってみよう」
 望はそう言って私の返事を待たず、ガラスの出っ張りを探しながらそのステンドグラスを上り始める。
「だ、ダメだよ! 危ないって!」
「もーまーんたーい」
 彼女は可愛い声で言って、どんどんと上っていく。私はひやひやして、どんどん手汗が溜まっていく。
「ほ、ほんとに落ちちゃうよ!?」
「大和が助けてくれるって、信じてるもーん」
 望はいつの間にか数メートル上にいる。虹色の光が彼女の体に遮られて、その形の影を作っている。あたふたする私を尻目に、彼女は叫ぶ。
「みてー。片手放しー!」
 言葉の通り片手を放し、私の方へ向く。見ていられない。
「もうやめてー!」
 怪我どころでは済まないかもしれないほどの高さだ。すぐにでも下りてきてほしかった。
 彼女は、私の思いを汲み取ったかのように。
 もう片方の手を放し、空中へと浮かぶ。


「えいっ!」


 虹色の光が、彼女の姿を象る。


「きゃあ!?」
 何が起きたのかわからず、反射的に目を瞑った。どさっ、という重い物の落ちる音。
「ほら、早く次いこ!」
 望の声が聞こえる。目を開けると、彼女は大量の麻袋の中から既に脱出してきていた。初めからそれらをクッションにするつもりだったのだろう。本当、何をしでかすかわからない。
 彼女を見張るという目的意識が強くなって、エレベーターに乗り込むその背中に素早くついて行った。もう一つ階層を下げると、その場所は車庫になっていた。コンクリートで囲まれた灰色の空間に、大量の車が並べられている。車には詳しくないけれど、どれもとんでもない値段がすることは容易に想像がつく。
 望は興奮気味に言う。
「すっごおおお! 一台くらい盗んでもバレないんじゃない?」
「免許持ってないし、違法になっちゃうよ」
「いや、持ってても、盗んだら違法だっつーの!」
 彼女は明るく突っ込んで、またエレベーターに乗り込む。さらに下の階はフロア全体が植物園になっていた。そしてさらにその下は、まるで水族館。淡い光の中、形の違う水槽が大量に並べられていて、熱帯魚や川魚、サメのような巨大魚までもが、そのアクアリウムに彩られている。
 その光景に見惚れる望の横顔は、やはり可愛かった。
「どうやって育ててるんだろう。お金だけでなんとかなるものなのかな?」
 そんな風に、無邪気につぶやく。
「……」


 私は、不安になる。
 今の望は、普通ではない。
 どちらが本当の望なのか。こんな風にたがの外れたような行動をとる望と、まるで私、橋田大和がすべてみたいに振る舞う望。
 私はただ、疑問に思う。私は本当に、彼女の彼女になれているのか。
 今だってべつに、私自身はなにもしていない。冒険をしたがる彼女の後ろについていっているだけ。
 咲先輩には、難しく考えるなと言われたけれど。やはり卑屈になってしまう。彼女には、私なんかよりもっと相応しい人がいるのではないかと。
 彼女の放つ明るいエネルギーに、負けじとついていけるような。そんな、強い誰か。


「まだ行ってないところ、たくさんあるね! 次、どうしたい? 大和が決めていいよ」
 私は強くない。だから、逃げることしかできない。
「私は、もう、戻った方がいいと思う」
 望から、光が消える。九年前から蘇ったはずの、あの目の輝きが。
 まるで、アクアリウムの明かりすらも消してしまうかのように。
「そう。じゃ、戻ろっか」
 ふっ、とエレベーターの方に振り返って、望は冷たく歩いて行く。
 地上の階まで上がって咲先輩たちと再会したとき、彼女はすっかり元通りになっていた。
「ちょっとー、どこ行ってたのー! もうパンケーキ冷めちゃったよー!」
 広い食堂で頬を膨らませる咲先輩に、望は笑って言う。
「この屋敷、広すぎなんですよ! めっちゃ迷いましたって!」
 いつもの望なら、こんなに明るく咲先輩に会話を返さなかったかもしれない。
 もしかして、演技してる?
 私が暗い顔で考えていると。
「橋田?」
 小夜先輩は、私に話し掛けてきた。もう昼食を食べ終えたのか、口の端には少しだけはちみつがついている。
「どうかしたか?」
 そう訊かれて、私は返す。
「何でもないです」
「……」
 彼女はしばらく私を見つめる。私は自分のことで精いっぱいだった。
 これから、数学の難しい問題をさらに詰めなくてはならない。加えて、望の状態もほとんど普通に戻っている。演技だなんて、ただの勘違いだろう。いつの間にか悩んでいたことも忘れて、私は勉強に没頭していた。
 四人一緒にいれば、私の下らない思考を続ける癖も吹き飛んだ。
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