第15話

文字数 2,357文字

 日差しの下、喉に清涼感が広がる。口に甘酸っぱい味が広がって、鼻から果実の匂いが抜けていく。すぐ傍にある店に併設のパラソルの下で飲むよりも、日を浴びて体をもっと熱くしながら飲む方が、このジュースはもっと美味しい。


「……って」
 私は冷静になる。確かに疲れた体に、この味は沁みるけれど。
「サボってジュース飲んでるだけじゃないですか!」
 小夜先輩に向かって叫ぶ。彼女は自身の腰に手を当てながら、五百ミリリットルのしぼりたてジュースをいかにも爽快に飲み干している。
 いま私たちがいる場所は、街中でも駅チカで特に栄えている通り。電気屋、居酒屋、牛丼にハンバーガーのチェーン店、カラオケやゲームセンターなど。この付近に住めば娯楽に退屈しないのは間違いない。
 少なくとも、部活中に来るようなところではないけれど。
「美味いだろう? ここの果肉ジュースは格別なのだ。私はもう全種類コンプリートした」
「ぜんぜん自慢になってないです!」
 もしも中学のとき剣道部で同じようなことをしていたら、確実に殺されている。比喩ではなく、顧問は強さの為なら人殺しすらいとわないと、本人の口で語ってしまうような怖い人間だった。そのおかげで私は剣道が嫌いになり、体力はめちゃくちゃにつき、顧問の言動は問題になって剣道部はあっさりとなくなった。
「次だ。止まっている暇はないぞ、橋田!」
 小夜先輩は言い、不意に走り出す。私は何かを言う暇もなく、そのエネルギーに振り回される。
 彼女についていけているという意味では、あの剣道部にいたメリットを今は享受できている。かといって、あの顧問に感謝できるわけではないけれど。
 私たちはイタリアンレストランの細長い建物の真横にある、その狭い階段の入り口前までやってくる。小夜先輩はなにも説明してくれずにそこを下っていくので、私はついていくしかない。特別メニューと言っていたから相当なトレーニングを覚悟していたのに、これでは遊び回っているだけ。いったい何が目的なのだろう。
 階段を降りた先にある重厚感のある扉と、特殊なフォントを使ったアルファベットが描かれているネオンの看板。読みにくかったけれど、ジャズハウス、という文字だけは唯一読み取ることができた。
「ライブハウス、ですか?」
 小夜先輩は言葉を無視し、扉を開けて中へと入っていく。私はむっとする。せめて相づちをうつとか、ちょっとくらい反応してくれたっていいのに。
 中は薄暗くて、淡い青色のスポットライトがいくつも焚かれている。小さなステージ上で、ライブは今まさに行われている。並べられた丸机と椅子に観客はちらほらとしか見えないけれど、ゆったりとしたジャズの音楽も相まって、人数が少ないことはむしろ雰囲気をより良くしている。気がする。
「失礼する」
 小夜先輩は言って、しばらくステージ上のライブを見つめる。
演奏を行っているジャズバンドの、四人の彼らの見た目は比較的若い。もしかすると、それが悪い意味で引き金になってしまったのかもしれない。
「なかなかの腕前だが、私には遠く及ばんな。貸しなさい!」
「え? ちょ、ちょっと!」


 先輩はステージに上がり、うちの一人からサックスをはぎ取った。
 私たちは高校の名前が入ったジャージ姿のままだ。
 もしかすると、人生が終わってしまったかもしれない。


「な、なにやってるんですか、小夜先輩いいい!」
 ライブの音楽は止まり、周りの人間はみんなあたふたとしている。小夜先輩はそんなことまったく気にしない。素早い手付きでストラップを自身の体につけた後、サックスを構えながら私に言う。

「見ろ! これが生き様だ!」

 彼女の唇がリード部分に触れた瞬間。嘘かと思うほどの激しい音が鳴り響いた。
 それは吹奏楽で聴くような、しっとりとしたサックスの音色とはまるで違う。例えるなら、エレキギター。空気を割くような歪みのある音階の螺旋が、ライブハウス中に響き渡る。この場にあるすべての視線は、彼女へと釘付けになる。かくいう私も、まったく動けなかった。どうやってこんな技術を身に着けたのだろうとか、こんな身勝手に乱入して大丈夫なのだろうかとか、頭の中で様々な思考が混在して。
 私がなにもできないでいる間、小夜先輩は徐々にこのライブハウスの星になっていった。静かに座っていたはずの観客は盛り上がって歓声を送り、いつの間にかバンドメンバーも各自の楽器を弾き出している。サックスを奪われた張本人ですら、新しいそれを裏から持ち出して演奏に参加してきている。
 私にはわからなかった。こんなむちゃくちゃな波に乗れる理由も、どうやったら彼女のようになれるのかも。


「良いハコだった。また来るとしよう」
 演奏を終え、名残惜しむ声を背中に聞きながら、私たちはライブハウスを後にする。
「せんぱい、そろそろ戻らないと、」
「次はお前の番だぞ、橋田!」
 先輩の凄さを思い知らされたばかりなのに、余韻に浸る暇もなく、彼女は私を新天地へと連れて行く。


「さあ、行け! 思いの丈をぶちまけろ!」
 今度は駅前で選挙の演説をしていた男性からマイクを奪い取り、私に渡して何かを喋らそうとする。その男性は戸惑って何もできないでいるし、通行人は冷たい視線を送ってくる。恥ずかしくて耐えられない。
「は、話すことなんて何もないですー!」
 小夜先輩は止まらない。次に連れて来られたのは、橋の上。白い鉄の柵を越えたはるか下に、大きな川が見える。
「せ、せんぱ」
「心配するな! 私は何度も生還している!」
 私たちはその柵を越えて、既に飛び込む準備を済ませている。だからといって、簡単には踏み出せない。
「むむ、無理ですよー!」
 私が足を震わせ、へっぴり腰で怯えていると。
「私は行くぞ!」
 小夜先輩は叫び、前方向にジャンプをする。
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