第34話
文字数 2,546文字
花火の見えそうな人のいない木陰をようやく見つけたとき。私たちの手元から、りんご飴は既になくなっていた。
「あと五分で打ち上がるって。緊張するなー」
夜空の下、湯桃はそうつぶやく。花火が打ち上がるだけで、緊張なんてするものなのか? そう思ったけれど、決して口には出さない。なぜなら、私には彼女の心理がよく理解できるから。
あくまで想像にしかすぎないけれど、彼女は私といることそのものに緊張を感じている。もちろん、私もそう。それはきっと、言葉を交わさずとも互いにわかっていること。あのキスを交わした瞬間から、なんだか私たちのようすはおかしい。表には出さないけれど、空気を感じる。早く時間が過ぎてほしいけれど、過ぎてほしくない。そういった、緊張の中にこそ生まれるジレンマのような。
私は今までずっと、湯桃のことがわからなかった。
ソウルメイト。頼もしい後輩である、橋田がその言葉をくれた。なにをもってソウルメイトと言えるか。長い時間を共に過ごしたら? 散々喧嘩をして、その度に仲直りをすれば、絆を深めたと言えるのか?
否、と言いたい。
思えばわたしは、普段から後輩に言葉をかけてやることが少なかった。もっと言ってやるべきだったのだ。お前たちは最高の後輩で、私はいま最高の仲間に囲まれて、人生最良の時間を過ごしているのだと。
実際、本気で思う。あの部活で過ごした三年間はかけがえのないものであった。
私が湯桃の顔を見つめていると、花火が打ち上がった。激しく音を立てて夜空に広がる光たちに、周囲は歓声を上げる。その音に混じって、空を見上げながら笑う彼女。胸が高鳴る。この気持ちをなんと言うべきか、今の私にはまだわからない。
けれど一つだけ、湯桃が気づかせてくれたことがある。
心の中で思う。
そうか。
こういう時間のひとつひとつが、私を部長にさせていたのだな、と。
私は決して、勝利だけを求めていたわけではなかった。かけがえのない仲間たち。心からそう信じていたからこそ、あいつらと素晴らしい景色を見たかった。私がいまこうして夜空を見上げ、美しい花火を湯桃と共に見ているように。
いつまでもあいつらと過ごしていたかった。教えてやれなかったこともまだたくさんあるし、みんなでアンサンブルを奏でているあの時間が本当に好きだった。
そして、今。
私は同じ感情を、彼女に対して抱きつつある。
『もっとドキドキしたいって、思わない?』
ずっと彼女と過ごしていたい。私さえ勇気を出せば、その願いはきっと叶う。
彼女も同じことを思ってくれていると、信じている。
「湯桃は今でも、女の子が好きなのか?」
打ち上がる花火の音にかき消されないよう、はっきりと言う。
湯桃の表情は、一瞬強ばった。
「うん。そう、だね」
私の目を見ずに答える。
彼女といるとドキドキする。あのキスのせいも、きっとある。
彼女は初めから、隣にいてくれるだけだった。
けれど、ずっとそれでよかったのかもしれない。
「湯桃」
そう言って、思い直す。呼吸を整えて、もう一度彼女の名前を呼ぶ。
「いや、咲!」
私がその両手を握りしめると、彼女はその口を一文字につぐんだ。その呼吸の浅さと、緊張感が伝わってくる。
それでも私は、幾度のプレッシャーを乗り越えてきた自信がある。これぐらい言えなきゃ、一金を取る吹部の部長なんて務めていられない。
「抱くべきだった自分の気持ちに、ようやく気づくことができた。女の子同士の恋愛は、よくわからんが。私も、もっとドキドキしたいって思うぞ!」
明るく言い放つ。咲は目を見開いているけれど、彼女とならできる気がする。私が今までできなかったことと、後悔への償い。
それと、私たちだけの時間を紡ぐこと。
「それにだな」
私は初めて言葉に詰まる。これ以上続けるには、さすがに平常心ではいられない。
「それに……」
咲はずっと私を見守ってくれている。息を飲み、はっきりと目を見つめながら。
そのおかげで、勇気が湧いてくる。今まで後輩たちに与える役目だったはずなのに、まさか私がもらうことになるなんて。
そうして、ぽんっ、と。
私が頭に思っていた言葉は、押し出されるように。
口に広がり、彼女へと伝わる。
「あんなふうにキスをしたなら、付き合うのが礼儀だと思うのだが!?」
花火の光が現れては消え、私たちを何度も包む中で。
その時間は、何倍にも感じられた。
「よ、」
咲はようやく口を開く。
「よろしくお願いします……」
ぱんっ、という空からの爆発音が耳に聞こえた瞬間、緊張から解き放たれた。肺の空気が一気に吐き出される。こんなに苦しくなるまで息を止めていたなんて、自分でも気づかなかった。大きな呼吸を何度か繰り返して、改めて咲の顔を見る。もしかすると、息か唾をかけてしまったかもしれない。不快にさせてしまっただろうか。
私が心配していると。
彼女はくすりと笑った。
「なんか小夜ちゃん、子どもみたい」
そう言われ。
私もつい、頬を緩めた。
そうして、しばらく二人で笑い合う。
花火の音の中、私たちはしばらく見つめ合うだけだった。
けれどいつしか、互いに体を寄せ合って。
まるで本当の恋人のように言葉を交わし、気持ちを通じ合わせている。
「すまない、咲」
「なにが?」
「色々と、あまりに急だったかもしれない」
本音を言うならば、私自身、恋をしているのかどうかもわからずに交際を勧めてしまった。これは果たして人の礼儀として正しいことなのか。
それはきっと、これから関係を築いていく中で、わかっていくことなのだろう。
「いいよ。私だって、いきなりちゅーしてごめん」
咲は言って、その顔を私の肩に埋めてくる。私の胸に、また熱が宿る。この感情の名前も、彼女と一緒なら、いつかきっと知れる。
「長く続くといいなー」
花火を見上げながら、彼女は言う。顔の距離が近いから、その声は空の音にもかき消されない。
「そうだな」
私たちの交際は、まだ始まったばかり。
いつか橋田たちにも、アドバイスをもらおうか。
どうすれば恋人として、お互いに楽しく日常を送れるのか。
頼もしいソウルメイトは、私の頼もしい恋愛の先輩にもなってくれる。
咲が、私のかけがえのない存在になってくれたように。
「あと五分で打ち上がるって。緊張するなー」
夜空の下、湯桃はそうつぶやく。花火が打ち上がるだけで、緊張なんてするものなのか? そう思ったけれど、決して口には出さない。なぜなら、私には彼女の心理がよく理解できるから。
あくまで想像にしかすぎないけれど、彼女は私といることそのものに緊張を感じている。もちろん、私もそう。それはきっと、言葉を交わさずとも互いにわかっていること。あのキスを交わした瞬間から、なんだか私たちのようすはおかしい。表には出さないけれど、空気を感じる。早く時間が過ぎてほしいけれど、過ぎてほしくない。そういった、緊張の中にこそ生まれるジレンマのような。
私は今までずっと、湯桃のことがわからなかった。
ソウルメイト。頼もしい後輩である、橋田がその言葉をくれた。なにをもってソウルメイトと言えるか。長い時間を共に過ごしたら? 散々喧嘩をして、その度に仲直りをすれば、絆を深めたと言えるのか?
否、と言いたい。
思えばわたしは、普段から後輩に言葉をかけてやることが少なかった。もっと言ってやるべきだったのだ。お前たちは最高の後輩で、私はいま最高の仲間に囲まれて、人生最良の時間を過ごしているのだと。
実際、本気で思う。あの部活で過ごした三年間はかけがえのないものであった。
私が湯桃の顔を見つめていると、花火が打ち上がった。激しく音を立てて夜空に広がる光たちに、周囲は歓声を上げる。その音に混じって、空を見上げながら笑う彼女。胸が高鳴る。この気持ちをなんと言うべきか、今の私にはまだわからない。
けれど一つだけ、湯桃が気づかせてくれたことがある。
心の中で思う。
そうか。
こういう時間のひとつひとつが、私を部長にさせていたのだな、と。
私は決して、勝利だけを求めていたわけではなかった。かけがえのない仲間たち。心からそう信じていたからこそ、あいつらと素晴らしい景色を見たかった。私がいまこうして夜空を見上げ、美しい花火を湯桃と共に見ているように。
いつまでもあいつらと過ごしていたかった。教えてやれなかったこともまだたくさんあるし、みんなでアンサンブルを奏でているあの時間が本当に好きだった。
そして、今。
私は同じ感情を、彼女に対して抱きつつある。
『もっとドキドキしたいって、思わない?』
ずっと彼女と過ごしていたい。私さえ勇気を出せば、その願いはきっと叶う。
彼女も同じことを思ってくれていると、信じている。
「湯桃は今でも、女の子が好きなのか?」
打ち上がる花火の音にかき消されないよう、はっきりと言う。
湯桃の表情は、一瞬強ばった。
「うん。そう、だね」
私の目を見ずに答える。
彼女といるとドキドキする。あのキスのせいも、きっとある。
彼女は初めから、隣にいてくれるだけだった。
けれど、ずっとそれでよかったのかもしれない。
「湯桃」
そう言って、思い直す。呼吸を整えて、もう一度彼女の名前を呼ぶ。
「いや、咲!」
私がその両手を握りしめると、彼女はその口を一文字につぐんだ。その呼吸の浅さと、緊張感が伝わってくる。
それでも私は、幾度のプレッシャーを乗り越えてきた自信がある。これぐらい言えなきゃ、一金を取る吹部の部長なんて務めていられない。
「抱くべきだった自分の気持ちに、ようやく気づくことができた。女の子同士の恋愛は、よくわからんが。私も、もっとドキドキしたいって思うぞ!」
明るく言い放つ。咲は目を見開いているけれど、彼女とならできる気がする。私が今までできなかったことと、後悔への償い。
それと、私たちだけの時間を紡ぐこと。
「それにだな」
私は初めて言葉に詰まる。これ以上続けるには、さすがに平常心ではいられない。
「それに……」
咲はずっと私を見守ってくれている。息を飲み、はっきりと目を見つめながら。
そのおかげで、勇気が湧いてくる。今まで後輩たちに与える役目だったはずなのに、まさか私がもらうことになるなんて。
そうして、ぽんっ、と。
私が頭に思っていた言葉は、押し出されるように。
口に広がり、彼女へと伝わる。
「あんなふうにキスをしたなら、付き合うのが礼儀だと思うのだが!?」
花火の光が現れては消え、私たちを何度も包む中で。
その時間は、何倍にも感じられた。
「よ、」
咲はようやく口を開く。
「よろしくお願いします……」
ぱんっ、という空からの爆発音が耳に聞こえた瞬間、緊張から解き放たれた。肺の空気が一気に吐き出される。こんなに苦しくなるまで息を止めていたなんて、自分でも気づかなかった。大きな呼吸を何度か繰り返して、改めて咲の顔を見る。もしかすると、息か唾をかけてしまったかもしれない。不快にさせてしまっただろうか。
私が心配していると。
彼女はくすりと笑った。
「なんか小夜ちゃん、子どもみたい」
そう言われ。
私もつい、頬を緩めた。
そうして、しばらく二人で笑い合う。
花火の音の中、私たちはしばらく見つめ合うだけだった。
けれどいつしか、互いに体を寄せ合って。
まるで本当の恋人のように言葉を交わし、気持ちを通じ合わせている。
「すまない、咲」
「なにが?」
「色々と、あまりに急だったかもしれない」
本音を言うならば、私自身、恋をしているのかどうかもわからずに交際を勧めてしまった。これは果たして人の礼儀として正しいことなのか。
それはきっと、これから関係を築いていく中で、わかっていくことなのだろう。
「いいよ。私だって、いきなりちゅーしてごめん」
咲は言って、その顔を私の肩に埋めてくる。私の胸に、また熱が宿る。この感情の名前も、彼女と一緒なら、いつかきっと知れる。
「長く続くといいなー」
花火を見上げながら、彼女は言う。顔の距離が近いから、その声は空の音にもかき消されない。
「そうだな」
私たちの交際は、まだ始まったばかり。
いつか橋田たちにも、アドバイスをもらおうか。
どうすれば恋人として、お互いに楽しく日常を送れるのか。
頼もしいソウルメイトは、私の頼もしい恋愛の先輩にもなってくれる。
咲が、私のかけがえのない存在になってくれたように。