自分を愛するように隣り人を愛せよ-3
文字数 2,523文字
ロキが目を見つめながら言うものだから、顔から湯気が出るかと思うくらい熱くなった。
「気持ち悪いこと言っちゃった?」
深く俯く彼にロキが慌てた様子で聞いてくる。
「ごめんね、初めてセックスできたからおかしくなってるのかも」
恥ずかしいとかロキの言い方がどうとかなんて気にしていられなかった。ぱっと顔を上げた彼の頭とロキの顎がぶつかりかけて、二人で慌てる。
「えっ?」
「えっ、また変なこと言った?」
不安げなロキの腕を思わず掴んでいた。
「ぼく、ロキさんと、えっち、したの?」
あまりに素っ頓狂な声だったのだろうか。食いつくような聞き方が悪かったのだろうか。ロキは一瞬、ぽかんとして、
「えっ、してないの?」
問いを問いで返した。
セックス、なんて言葉の意味を辞書で引くまでもない。ロキ曰く、男女間なら挿入ありきだけれど、同性同士は性器の触り合い──ペッティングという──もセックスにカウントするらしい。男性間に挿入が伴う場合は肛門を使うし、女性間なら指や玩具を膣に挿入して楽しむこともあるものの、それだけがセックスではないのだという。
もう、ロキの顔を見られなかった。火照りっぱなしの顔を俯けて必死に視線から逃れようとするのに、逃げ場がないところへ追い込まれたような気持ちになってどうしようもない。
「嫌そうには見えなかったから進めちゃったけど、ごめんね、ほんとは嫌だった?」
ロキの声が心配してくれている。彼が避け続けていた行為を無理強いしたのではないかと、不安に揺れている。身の置き場がなかったし、まだしばらくロキとは目を合わせられなかったけれど、彼は微かに首を振って応えた。
全身が痺れて立てなくなるくらい、気持ち悦かった──過ぎる感想は飲み込んだ。
「良かった」
ほっとした声がして抱き寄せられる。そういえば身体に触れられる嫌悪はいつの間にか消えていて、安心感が強くなっていることに今更ながら気づく。触れてもらうことは、こんなにも気持ちいい。好きな人の手が肌に触れることは、こんなにも心地いい。
「明日、二人でサボろうよ」
ぎゅっと抱き締められながらロキに提案されて、それもいいなと少しだけ思う。
「どうせなら人が少ないレイトショーで観て、夜更かししよう」
同じことを考えるロキにくすくす笑うと、
「なんで笑うの」
少しだけ怒った声がするから、腕の中で宥めるように頬擦りした。
「ぼくも、レイトショーに誘おうって、思ってたから」
ふふ、とロキも笑う。
「気が合うね」
「うん」
魅力的なサボタージュのお誘いは断念したけれど、どうにか十八時の上映回には間に合いそうなので、急いでパンケーキを平らげて支度をした。このところ、自ら進んで前髪を上げる彼のためにロキがヘアゴムを用意していて、「嫌じゃなければ」と髪をまとめてハーフアップにしてくれた。
人目を忍んで手を繋ぐ。幼い子どもが親と手を繋ぐときのようにロキの指をぎゅっと握る。さり気なく車道側に立つロキはすごく嬉しそうで、ずっと笑顔だ。すれ違う人たちから幾らか視線も集めたけれど、以前のようには気にならなかった。だってもう、ロキは彼のものだし、彼はロキのものだとはっきり言える。
「映画が終わると九時だから、どこかで食べて帰ろうか」
普段は行かない場所だからか、ロキがスマホで片手間に検索してくれる。表示された結果を見せてもらいながら、パンケーキを食べたばかりで思考が回らないと思いつつ、価格帯も料理も豊富な飲食店の数に目を見張る。
ひとりのときはずっとコンビニで済ませて来たから外食なんて無縁だった。もちろん、社内でランチに誘われることもなかったし、苦手な上司からキャバクラについて来いと言われる程度だったから目新しい。
「そういう、わくわくした顔も好きだよ」
歩行者用の信号が青に変わったらしく、盲人用の甲高い音がした。それに混じって聞こえたロキの声に思わず見上げると、
「ショウリくんはなにしててもかわいい」
照れる様子も、恥じらうこともなく、真っ直ぐに好意を伝えるロキがいる。だから、受け入れたいと思った。この人に愛されるぼくはきっと幸せだと想像できたから、受け入れようと思えた。
嬉しさに笑ったら、ロキがぎゅっと手を握り返してきた。あまりの強さに驚くと、ロキはごめんねと詫びつつ、耳の縁を赤くしていた。臆面なく好きとかかわいいとか言うわりに、彼の反応には弱いらしい。
「……それは反則」
と、微かに呟く声が聞こえた。真っ赤になるロキもかわいいんだけどな、とは言わず、ロキの手を引っ張るようにして横断歩道へ踏み出した。
日曜の十八時を過ぎても、劇場内はそれなりに混んでいた。大手のシネマコンプレックスだから席に困ることはないけれど、この時間でも六割が埋まっている。
映画館に来たのはいつ以来だろう。物珍しさにきょろきょろしていると、
「これでいい?」
ドリンクを買ってきてくれたロキが合流する。
アイスティーを受け取って頷いた。右隣に座るロキをちらっと見る。
後方寄りのスクリーン正面の席だった。目が疲れにくくて見やすいところ、とロキが選んでくれたのだ。何をするにもロキは手慣れていてスマートであることに、少しだけもやっとする。そうやってロキにリードされてきた元パートナーたちがいて、ロキを見るたびに好きだと思っていたのだと想像すると、少しだけ苛立つ。
「甘いのにしたほうが良かった?」
自然と眉が寄ってしまった。彼の表情の変化には誰より目敏いロキが聞くから、慌てて眉間から力を抜いて首を振った。
暖房で暑いほど温もるシアター内のほとんどが、恋人か夫婦の二人連れだった。友人だろう二人組もいる。彼らは仲睦まじく隣り合った席に座り、上映前の時間に談笑している。彼とロキも、周囲からは仲のいい友人同士に見えているだろうか。或いは、同性のパートナーだとわかってしまっているだろうか。
シアター内が音もなく暗くなって、漣の音のようだった話し声が引いていく。本編上映前のコマーシャルが始まる中、彼はなんとなく、右隣のロキのほうへ手を伸ばした。気づいたロキが彼の意図を読んで手を繋いでくれる。指の間に指を絡めて、貝殻合わせのように。
「気持ち悪いこと言っちゃった?」
深く俯く彼にロキが慌てた様子で聞いてくる。
「ごめんね、初めてセックスできたからおかしくなってるのかも」
恥ずかしいとかロキの言い方がどうとかなんて気にしていられなかった。ぱっと顔を上げた彼の頭とロキの顎がぶつかりかけて、二人で慌てる。
「えっ?」
「えっ、また変なこと言った?」
不安げなロキの腕を思わず掴んでいた。
「ぼく、ロキさんと、えっち、したの?」
あまりに素っ頓狂な声だったのだろうか。食いつくような聞き方が悪かったのだろうか。ロキは一瞬、ぽかんとして、
「えっ、してないの?」
問いを問いで返した。
セックス、なんて言葉の意味を辞書で引くまでもない。ロキ曰く、男女間なら挿入ありきだけれど、同性同士は性器の触り合い──ペッティングという──もセックスにカウントするらしい。男性間に挿入が伴う場合は肛門を使うし、女性間なら指や玩具を膣に挿入して楽しむこともあるものの、それだけがセックスではないのだという。
もう、ロキの顔を見られなかった。火照りっぱなしの顔を俯けて必死に視線から逃れようとするのに、逃げ場がないところへ追い込まれたような気持ちになってどうしようもない。
「嫌そうには見えなかったから進めちゃったけど、ごめんね、ほんとは嫌だった?」
ロキの声が心配してくれている。彼が避け続けていた行為を無理強いしたのではないかと、不安に揺れている。身の置き場がなかったし、まだしばらくロキとは目を合わせられなかったけれど、彼は微かに首を振って応えた。
全身が痺れて立てなくなるくらい、気持ち悦かった──過ぎる感想は飲み込んだ。
「良かった」
ほっとした声がして抱き寄せられる。そういえば身体に触れられる嫌悪はいつの間にか消えていて、安心感が強くなっていることに今更ながら気づく。触れてもらうことは、こんなにも気持ちいい。好きな人の手が肌に触れることは、こんなにも心地いい。
「明日、二人でサボろうよ」
ぎゅっと抱き締められながらロキに提案されて、それもいいなと少しだけ思う。
「どうせなら人が少ないレイトショーで観て、夜更かししよう」
同じことを考えるロキにくすくす笑うと、
「なんで笑うの」
少しだけ怒った声がするから、腕の中で宥めるように頬擦りした。
「ぼくも、レイトショーに誘おうって、思ってたから」
ふふ、とロキも笑う。
「気が合うね」
「うん」
魅力的なサボタージュのお誘いは断念したけれど、どうにか十八時の上映回には間に合いそうなので、急いでパンケーキを平らげて支度をした。このところ、自ら進んで前髪を上げる彼のためにロキがヘアゴムを用意していて、「嫌じゃなければ」と髪をまとめてハーフアップにしてくれた。
人目を忍んで手を繋ぐ。幼い子どもが親と手を繋ぐときのようにロキの指をぎゅっと握る。さり気なく車道側に立つロキはすごく嬉しそうで、ずっと笑顔だ。すれ違う人たちから幾らか視線も集めたけれど、以前のようには気にならなかった。だってもう、ロキは彼のものだし、彼はロキのものだとはっきり言える。
「映画が終わると九時だから、どこかで食べて帰ろうか」
普段は行かない場所だからか、ロキがスマホで片手間に検索してくれる。表示された結果を見せてもらいながら、パンケーキを食べたばかりで思考が回らないと思いつつ、価格帯も料理も豊富な飲食店の数に目を見張る。
ひとりのときはずっとコンビニで済ませて来たから外食なんて無縁だった。もちろん、社内でランチに誘われることもなかったし、苦手な上司からキャバクラについて来いと言われる程度だったから目新しい。
「そういう、わくわくした顔も好きだよ」
歩行者用の信号が青に変わったらしく、盲人用の甲高い音がした。それに混じって聞こえたロキの声に思わず見上げると、
「ショウリくんはなにしててもかわいい」
照れる様子も、恥じらうこともなく、真っ直ぐに好意を伝えるロキがいる。だから、受け入れたいと思った。この人に愛されるぼくはきっと幸せだと想像できたから、受け入れようと思えた。
嬉しさに笑ったら、ロキがぎゅっと手を握り返してきた。あまりの強さに驚くと、ロキはごめんねと詫びつつ、耳の縁を赤くしていた。臆面なく好きとかかわいいとか言うわりに、彼の反応には弱いらしい。
「……それは反則」
と、微かに呟く声が聞こえた。真っ赤になるロキもかわいいんだけどな、とは言わず、ロキの手を引っ張るようにして横断歩道へ踏み出した。
日曜の十八時を過ぎても、劇場内はそれなりに混んでいた。大手のシネマコンプレックスだから席に困ることはないけれど、この時間でも六割が埋まっている。
映画館に来たのはいつ以来だろう。物珍しさにきょろきょろしていると、
「これでいい?」
ドリンクを買ってきてくれたロキが合流する。
アイスティーを受け取って頷いた。右隣に座るロキをちらっと見る。
後方寄りのスクリーン正面の席だった。目が疲れにくくて見やすいところ、とロキが選んでくれたのだ。何をするにもロキは手慣れていてスマートであることに、少しだけもやっとする。そうやってロキにリードされてきた元パートナーたちがいて、ロキを見るたびに好きだと思っていたのだと想像すると、少しだけ苛立つ。
「甘いのにしたほうが良かった?」
自然と眉が寄ってしまった。彼の表情の変化には誰より目敏いロキが聞くから、慌てて眉間から力を抜いて首を振った。
暖房で暑いほど温もるシアター内のほとんどが、恋人か夫婦の二人連れだった。友人だろう二人組もいる。彼らは仲睦まじく隣り合った席に座り、上映前の時間に談笑している。彼とロキも、周囲からは仲のいい友人同士に見えているだろうか。或いは、同性のパートナーだとわかってしまっているだろうか。
シアター内が音もなく暗くなって、漣の音のようだった話し声が引いていく。本編上映前のコマーシャルが始まる中、彼はなんとなく、右隣のロキのほうへ手を伸ばした。気づいたロキが彼の意図を読んで手を繋いでくれる。指の間に指を絡めて、貝殻合わせのように。
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