第3話
文字数 1,624文字
「こーゆき、こーゆき」
桃が小雪の手を握って歌いながら腕を振る。
無事にスライドを完成させた帰り道、二人はいつものように並んで歩く。冬の日暮れは早く、あたりはぼんやりと夜の暗さに沈み始めている。
小雪は薄暗いなかでも明かりをともしたような桃の声に首をかしげて耳をかたむける。
「なあに、桃?」
背の高い小雪を見上げて、幸せそうに、えへへ、と桃は笑う。
「なんでもなーい、呼んだだけ」
かわいい桃の笑顔を見て、小雪は輝くように笑う。
小雪の笑顔はいつもならば、すぐに消えてしまう雪の結晶みたいにささやかなものだ。けれどただ一人、桃に笑いかけるときはちがう。
桃の前でだけ、小雪は太陽のように笑う。
小雪と桃は生まれた時から一緒にいた。
産婦人科の保育器が隣同士で、母親たちのベッドも偶然にも隣同士だったから、二人はいつも一緒に寝て、一緒に起きていた。
母親たちは自然と仲良くなって、それぞれの自宅も近いことがわかり、ほとんど毎日お互いの家を行き来した。
小雪が一番初めにしゃべった言葉は「ママ」でも「パパ」でもなく「もー」だった。
「もー」と呼びながら桃に手を伸ばしていたのだと、母親たちはいつも小雪と桃に話して聞かせた。それは幼馴染によくある昔話の一つだっただろう。だが、小雪には生まれた時から桃と一緒にいられたという証しになっている。
「小雪は生まれた時から桃の面倒をみる運命なのかもね」
そう言って母親たちはいつも笑う。小雪はわざと困ったふりをして、眉根を寄せてみせる。そうすると桃がかわいらしく頬をふくらませるところを見られるからだ。
「もう、小雪! そんな顔したらダメ! 小雪は一生、桃と一緒にいるんだからね。どこにも行っちゃだめだからね!」
その甘い言葉は優しい鎖になって小雪を繋ぎとめる。桃に縛られて、小雪はくらくらするほどの幸せを感じる。桃がわがままだと、みんなが言う。だが、小雪だけは、そのわがままを聞いてやることがうれしくて仕方ない。
一生を桃と一緒に。それは、小雪が生まれた時から、ずっと望んでいることなのだ。桃もそれを望んでくれる。二人が一緒にいることは当然だと思えた。
小雪と桃の家はすぐ近くだ。学校から二十分、一緒に歩いて帰ってきて、分かれ道に来たら、そこから小雪の家までは真っ直ぐ進んで五分、桃の家は右に曲がって三分。小雪は桃の家まで一緒に歩いて、引き返して行くのを日課にしていた。
桃が小雪と離れたがらなくて迷惑をかけてしまってごめんね、と、桃の母親は何度か申し訳なさそうに言ったが、桃はどうしても家の前まで小雪の腕を離さない。
小雪はそっと笑う。桃にも、桃の母親にも知られないように。
小雪が望んで桃に縛られているのだと、誰にも知られないように。
「じゃあね、小雪。また明日!」
桃の家の前で、桃の手が離れていくとき、小雪はいつも泣きそうになる。小雪と離れていなければならない時間が長すぎる。
それを感じ取ったようなタイミングで桃が振りかえる。
「小雪」
振りかえった桃が両手を差し伸べる。小雪は求められるままに桃を抱きしめ、キスをする。やわらかな桃の唇。頬にあたる桃のやわらかな髪の感触。桃はどこもかしこもやわらかい。桃の頬を両手でそっと撫でる。桃のうなじに手を這わす。
桃がくすぐったがって唇を離した。
「もう、小雪はすぐ、くすぐるんだから」
桃は気付かない。小雪がずっと隠してきた気持ちに。小さなころからの習慣で、今でもキスし続けているだけだと桃は思っている。
小雪は隠し通さなければならない。
知られてはならない。
この気持ちを、誰にも。
「小雪、また明日ね!」
桃は元気に家に駆けこむ。扉が閉まって、桃と小雪の間にある、細い細い糸を切ってしまう。だから、いつも小雪は、玄関へ向かう桃の背中に手を伸ばす。
抱き寄せて、抱きしめて、キスをして、それから……。
小雪は隠し通さねばならない。知られてはならない。このあさましい恋心を。