5章

文字数 6,840文字


「キャー!!」
 パニック状態になったマコは悲鳴をあげて走り出した。
「……逃がすか」
 化け物は左手を伸ばす。その左手はゴムの様にしゅるしゅると伸び、マコの左脚を掴んだ。
「ひ、ひ」
 逆さで宙吊りになるマコ。恐怖で顔が引きつる。
「マコー!!」
 ミルが化け物に体当たりをしようとする。
「ふん」
 右手で薙ぎ払われ、ミルは吹っ飛ぶ。電信柱に背中をぶつける。
「ミルちゃん!!」
 アリセがミルに駆け寄る。
「ふふふふ」
 化け物は宙吊りになっているマコを静かに自分に近づける。ぬめぬめとした肌に触れそうになり「ひぃやぁ」と背中から弱い声を出すマコ。化け物はマコの顔を舐めまわすように見ると。「ガハァ」と口から赤い煙を吹きかけた。
「マコちゃん!!」
 アリセは叫んだ。マコは煙を吸い込むと意識を失った。化け物はポイとマコを投げ捨てた。ふたりは走ってマコを囲む、アリセは彼女を抱きすくめる。
「ミルちゃん、あれって……」
 先ほども相対した怪物。それについてアリセが問う。
「ああ、その通り。【ビョーマ】だよ」
 さらっとミルは答えた。
 ミルは分かっていた。ここがクアトロプリンセスのアニメの世界である以上、奴らも当然存在する。そして、それは人間を無差別に襲う極めて危険な存在であることを。
「……」
 アリセはマコの顔を見る。マコの顔にも赤い斑点が現れていた。他の人々と同じだ。マコは力なく、苦しそうに、汗を出しながら「うーん」と呻いている。
「さぁ、お前たちも同じようにしてやろう」
 化け物がキュピキュピと足を踏む。アリセはじりじりと後ずさりをする。最初に対面した時はうまく逃げることができた。けれどあれは運が良かったのだ。さっきのマコのようにあっさり捕獲される可能性の方が高いのだ。
 脇に視線を移す。倒れこんだ人々が苦しそうにもぞもぞと動いている。
「助けて……誰か」
 弱々しくつぶやかれた言葉がアリセの耳に入った。そもそもこの人たちを、そしてマコを置いて逃げるわけにはいかない。
 結果、アリセは一つの結論に達していた。ここを乗り切るために取りうるただ一つの手段に。
「ミルちゃん」
 強い眼差しでミルを見つめる。
「ああ、アリセ。この方法しかないようだな。やりたかないんだけどなこんなこと」
 ミル。彼女もまた、アリセと同じ結論に至っていた。
 ミルはそれをポケットから取り出し、ポンと宙に投げ、大げさにパシッとつかんで見せた。
 アリセもミルの様子を見て、マコを傍に優しく置く。それをポケットから出し、握りしめた。
「貴様ら何をごちゃごちゃ言っている。黙って殺されるがいい」
 化け物が言い放つ。
「行くぞアリセ」
「うん、ミルちゃん」
 二人は取り出したペンダントを前にかざした。

「「【プリンセス・アリヴァーレ!!】」」

 ふたりは叫んだ。
 アリセの身体を宙に現れた無数のピンクのハートが、ミルの身体を無数の白いクラブが纏う。それが彼女たちの姿を変えていった。
「……変身、できた」
 自分自身の身体をまじまじと見つめるアリセ。ピンクのフリフリスカート。頭に輝く金のティアラ。胸に輝くハートのペンダント。紛れもないハートプリンセス。
 ミルも下半身に純白のロングスカート、胸には大きなリボンと白いクローバーが輝いていた。
「き、貴様ら……」
 化け物の顔にはじめて焦りが見えた。
「クアトロプリンセスかっ!!」
 化け物はその名を知っていた。
「その通りっ!!」
 ドヤ顔で答えるアリセ。
「普段はおしゃまでオシャレな中学生。でも本当は……人間たちを苦しめる悪のビョーマを退治する、愛と正義と希望の戦士、その名も……」
 その後【クアトロプリンセス】と続ける。これは4人揃わずに変身したバージョンの決めゼリフ。が、言い終わる前にミルが脱兎のごとく駆けていく。
「ちょっとミルちゃん、まだ途中なんだけど……」
「そんなことやってる場合か!!」
 ミルは右手を宙に差し出す。
「【ベキーユ】」
 白い光と共に手元に魔法のステッキが現れた。ステッキをくるくると手の内で回すミル。化け物の懐に入るとカチャリと持ち直した。
「【コルダ】」
 ミルがそう唱えると、無数のクラブのマークが鎖状に連なりステッキの先についた。鎖は鞭のようにしなり、化け物の肌に叩きつけられた、
「グガッ」
 ミルの鎖による打撃。化け物が呻いた。化け物が怯んだ隙を逃さず、ミルの鎖は奴の身体をぐるぐる巻きに縛っていく。
「グッ!!」
 化け物は身動きができない。ミルの魔法は束縛の魔法。相手を魔法の鎖で身動きを取れなくする。
「ミルちゃんナイス!!」
 アリセが歓喜の声をあげる。ミルは静かに片目を瞑った。
「そのまま大人しくしていろ」
 鎖を左手でぎりぎり引いて化け物の身体を引き締める。
「調子に乗るな!!」
 ブン!!巻きついた鎖を力任せに振りほどく。化け物の圧力に負け、ミルの鎖は振り払われた。束縛から放たれた化け物はミルの腹に拳を突き立てる。
 ミルはそれを間一髪で避けた。
「ミルちゃん!!」
 大声で叫ぶアリセ。化け物の目はアリセを捉える。彼女は次の標的となっていた。
「……【ベキーユ!!】」
 躊躇しながらステッキを取り出す。
「【エスパーダ!!】」
 ピンクのハートがステッキに貼り付き、剣と化す。
「ええーい!!」
 その剣で斬りかかるアリセ。腰がひけている。ブンッ!!剣はかすりもせずに空を切る。
「あわわ」
 バランスを崩したアリセを化け物の図太い腕が襲う。チャっとアリセに当たる直前、化け物の腕に鎖が絡みつく。
「させるか」
「ありがとミルちゃん」
 ぺこりとお礼を言うアリセ。
「礼を言ってる暇があったら逃げるなり攻撃するなりしろ」
 当然といえば当然のことを言うミル。アリセがおどおどしている間に、化け物は手に巻きついたチェーンを振りほどいた。
「おのれ、クアトロプリンセスめ、てこずらせやがって」
 化け物が焦れた声を出す。アリセとミルの身体からドッと汗が出ていた。
 生まれて初めての生き死にをかけた闘い。
 脳みそにいつのまにか存在した闘いの記憶はあるものの、実質的に彼女たちは生まれて初めて手足を動かし、傷つけあっている。ミルは自分の脚が鉛のように重たくなっていることに気づいた。
「ミルちゃん……」
 アリセの唇がつぶやく。
「なんだ?」
 こめかみを汗がつたう。
「闘うって大変なんだね」
「……当たり前だ」
 ミルとアリセは各々の武器をギリリと持ち直した。その時、その場に妙なテンションの声が掛けられた。
「おお、アリセぇ!!ミルぅ!!そこにいたか」
 ずいぶんとのんびりとした声だった。
「サキ!!」
 ミルが叫んだ。眠そうな目をゴシゴシと拭いながらサキは歩いてくる。
「なんだよその格好?何、クアトロプリンセスの衣装になってんだよ。そしてなんだよ目の前の化け物。ビョーマか?いやぁよくできてやがんなぁ」
 サキは膝をぽんぽんと叩きながら歩く。
「サキ、危ない逃げろ!!」
 ミルが必死に促す。しかし、化け物はすでにサキの方をギロリと見ている。化け物はサキに向けてに右腕をゴムのように伸ばす。シュルシュルと腕が迫った。
「サキー!!」
 ミルは何とかしようと鎖を伸ばすも間にあわない。化け物の腕がサキを捉えようとした刹那だった。
 シュッとサキは仰け反り、紙一重で身をかわした。
「何っ!?」
 驚きの声をあげる化け物。
「なーに言ってんだ。てめえらがひーこら闘ってんのに、サキ様が闘わないわけにはいかないだろうが」
 そう言うとサキは青いペンダントを取り出した。
「【プリンセス・アリヴァーレ!!】」
 ペンダントがパカリと開き青いスペードのエフェクトがサキを包むと、そこにスペードプリンセスが現れた。
「あらら、どういうこった?まさか本当に変身しちまうとは?」
 自分でやっておいて驚くサキ。
「貴様もクアトロプリンセスかっ!?」
 化け物がサキに迫る。幹のように太い左腕をサキに振り下ろす。サキはそれをあっさり避けた。
「遅えよ」
 化け物の左側にまわりこんだサキ。無防備な化け物の顔に左拳を叩き込んだ。
「がっ!!」
 つづけて右拳が迫る。化け物は顔をガードしようと腕をあげる。右手は軌道を変えた。下に滑った右拳は怪物のみぞおちに突き刺さった。
「グホッ!!」
 口から反吐を吐く化け物。腹を押さえ前のめり。頭の位置が低くなる。サキはそれを見てさらりと左前だった脚を右前に変える。そして左脚を高らかに降りあげた。
 左ハイキック。
 猛スピードの脚が化け物のこめかみにグシャリと激突する。ヒラリと舞う青いスカート。きりりとした眼差し。覗く白くしなやかな脚。よたよたとよろける化け物。そのまま仰向けに倒れた。
 アリセとミルは息をのんだ。強い……。サキの喧嘩慣れの度合いに目を丸くしていた。
 化け物は起き上がろうとする。が、みぞおちにドシンとサキの膝が乗った。
「遠慮すんな、もう少し寝てろよ」
 にやりと笑うサキ。化け物は必死に起き上がろうとするが、腹にのしかかった脚がそれをさせない。ビクともしない。
 不味い。そう思った化け物はウイルスの息を吐いて浴びせかけようとした。だがすぐにサキの左手が口を塞いだ。
「寝ゲロなら御免だ。自分で飲んどけ」
 膨らんだ化け物の頬、そこにサキの右拳が思いきり打ちつけられた。ウイルスの息は逆流し、化け物は胸を激しい痛みに襲われる。
 そこからガシガシとサキの拳が間断なく振り下ろされた。右から左からあられのように落とされる拳。化け物の顔はそのたびにグシャリと鈍い音をたて、ボコボコに変形していく。極めつけにサキは全体重を掛けた左ヒジを浴びせかけた。化け物の顔の中心がブシャリと凹んだ。
 ひぃと声をたて化け物はサキを渾身の力で振りほどいた。なんとか立ち上がろうと両手を地につく。ところが地面すれすれの顔をサキは思いっきり、サッカーボールのように蹴り上げた。
「寝てろって言ったろうが」
 化け物の顔は飴細工のようにひしゃげ、どしんと再び仰向けで倒れた。
「うわ、えげつなっ……」
 思わずアリセからそんな声が漏れた。有利なのは味方なのに、顔は恐ろしくげんなりしていた。
「……いかんだろ女のコ向けアニメのヒロインがこんな闘い方したら。間違いなく視聴者から抗議がくるぞ」
 ミルは冷静に言った。
「【ベキーユ!!】」
 サキの手に青いステッキが握られる。
「ほう、こいつも出てくるんだ。さすが夢の中だな」
 このセリフを聞いて、ミルとアリセはハッとした。
「あの、サキちゃん。これはそのー……」
「言うなアリセ。黙っとけばあのバカが化け物退治してくれる」
 ミルがアリセの口を押さえた。
「【マルティージョ!!】」
 樽ほどの大きさの巨大なスペードの太巻きが現れる。それがステッキにの先端に取り付き、大金槌となった。
 相手を破壊しつくす力の魔法。それがスペードプリンセスの魔法。
「……ぐ」
 意識を落ち着けサキの方を見る化け物。が、目線の先には勝ち気に大金槌を構えたサキ。
「じゃあな化け物。こちとら現実世界で色々あって腹がたってるんだ。ストレス解消に気持ちよくぶち殺させてもらうぜ」
 そう言うとサキは身を低くして構えた。そして首から下がっているペンダントを外した。サキはペンダントの裏の穴にステッキの柄を差し込んだ。押し込み、カシャリという音をたてる。
 クアトロプリンセスのペンダントはステッキに取り付けることができる。その時ペンダントはバットのグリップエンドのようになるのだ。そして、さらにペンダントを押しこむと【それ】は発動する。
 ステッキが大金槌の部分も含め、青くまばゆく輝き始めた。天に青い光が立ち上っていく。サキは、脱兎のごとく化け物に向かって駆けていく。そして高く飛び上がった。

「【ラスト・ディアクリシス!!】」

 サキの掛け声と共に、必殺の大金槌を化け物に向かって振り下ろした。聖なる光を纏った金槌は化け物の全身を覆いつくす。
「う、うぎゃーーー!!!!!!!!」
 大金槌の青い光が化け物を包む。グシャグシャ!!と音がした。化け物はあっという間に消え去っていた。
 光が収まり、なびいていた髪の毛とスカートも静かに収まる。サキは振り返って、ふっと笑った。


 化け物が倒れると同時に、マコや倒れていた人々の顔の赤い斑点が消えた。斑点が消えると、彼らはひとり、またひとりとゆっくりと身体を起こした。
「良かったみんな起きた」
 アリセは笑顔を見せる。
「ふぇーん、アリセちゃん、苦しかったよー!!怖かったよー!!」
 いつのまにか起き上がっていたマコ。思いっきりアリセに抱きついた。
「あん、マコ。いたのかあお前?」
 サキがぼんやりと言った。
「どうなることかと思ったが、とりあえずこの場はなんとかなったようだな」
 ふぅと息をつくミル。
「ありがとうクアトロプリンセス」
「へ?」
 いきなりその声が聞こえたのでアリセは、ハッとしてしまった。それを言ったのは、こちらをまじまじと見つめている中年サラリーマンだった。
「何?クアトロプリンセスがいるのか?」
「あそこだよあそこ」
「やっぱりクアトロプリンセスか。また怪物たちからみんなを守ってくれたんだ」
 立ち上がった人々が次々とクアトロプリンセスの姿を見て、歓喜の声をあげる。瞳はきらきらと輝いている。
「クアトロプリンセスって……人気者なんですね」
 マコが他人事のようにつぶやいた。
「ああ、アニメの中では何度となく街の人々の窮地を救っているからな」
 ミルが答えた。
「良かったわ。クアトロプリンセスがいなければ死ぬところだった」 
「ありがとうクアトロプリンセス」
「ありがとうクアトロプリンセス」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
 誰からとも無く「ありがとう」の大合唱となった。ミルはその状態にむずがゆいものを感じていた。どうしたものかと困惑し、鼻を掻いた。
「いやいや皆さん、そんなに褒めないでください」
 アリセが言う。
「私たちはクアトロプリンセスとして当然のことをしたまでなのですから」
 この言葉。ミルは「はぁ?」と表情を隠せなかった。
「皆さんが困っている時、救いが欲しい時、いつでもどこでも駆けつける存在、それが私たちクアトロプリンセスなのです!!」
 アリセは拳をギュッと握って言った。「おお!!」と歓声があがる。おいおいとミルは肩を下げる。
「そう、その通りだ!!」
 もう一つ声があがった。
「私たちは平和を脅かすやつは絶対に許さない。そして今回のビョーマを見事に倒したのは私、スペードプリンセスだ。皆、覚えていてくれ、スペードプリンセス様に倒せない敵などいないということをな」
 「お前もか!?」アリセの横に躍り出て得意げに同調したサキをみて、ミルは心の中で激しくツッコミを入れた。
「約束しましょう。私たちクアトロプリンセスはいついかなる時においても皆の平和と希望を脅かす強大なる敵に立ちはだかり、それを倒すことを!!」
 大見得を切るアリセ。
「「うぉーーーー!!!!」」
 この夜もっとも大きな歓声が彼女たちを包んだ。そして人々は彼女たちに向けて押し寄せた。クアトロプリンセスは人波に揉まれた。
「うおわぁぁぁ!!……押さない押さない。ちゃんと一人づつお話きいてあげますからぁ」
 とアリセ。
「よし、今日は特別にスペードプリンセス様のサインをやろう。一列に並べ。言っておくが一人一回までだからな。あと転売はご法度だぞ」
 とサキ。
「お前ら……」
 呆れるミル。そのミルをもたくさんの人が取り囲んだ。
「おわぁ!!」
「クローバープリンセスさん、握手して下さい。私クールなクローバープリンセスさんの大ファンなんです」
 女子中学生らしき子が熱くミルに語りかけた。雲が晴れ、夜の街を月明かりが照らした。そこはいつのまにか、クアトロプリンセスファンの集い、の様相を呈していた。
 いったいいつぶりだろうか?彼女たちが多勢の人々に囲まれて賞賛を浴びるのは。
「あはあはぁ」
 アリセはすっかりにやけ顔になっている。
 胸を支配するのは充足感、爽快感。目の前の皆も笑っている。自分が皆のためになることをできたということが嬉しくて堪らなかった。
 3人から数メートルを隔てた場所。街灯も当たらない塀の影となった暗い場所。遠巻きに見やるマコがいた。彼女の周りには誰一人として人がいない。
「……どうして、私だけ……」
 マコの目元には涙が溜まっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み