3章

文字数 12,497文字

「というわけで私、本当に変身したの」
 とあるマンション。二階アリセの部屋。三人並んで合成革の長ソファーに座る、サキ、ミル、マコ。半ば強制的に招集された3人は、下手くそな手品師を見るような目でアリセを見ていた。その後お互いで目配せをはじめた。
「アリセ……。そこまで追い詰められていたとはなぁ……」
 じっとりと視線を伏せるミル。
「そこまでお花畑になられると笑えるもんも笑えねえって」
 頭に手をやりのけぞるサキ。
「アリセちゃん。私が眠れないときに飲んでるいい薬があるんだけど紹介してあげようか?」
 心配するマコ。
 彼女たちのこの反応。もちろんアリセにとって心外なものだった。
「何それ!?信じてないの?私は本当にハートプリンセスになったのに!!」
 両手をジタバタさせるアリセ。
「だってアリセの言うことだから……」
「だってアリセちゃんの言うことだし……」
「だってアリセの言うことだろ……」
 口を揃える三人。
「いいもんいいもん。論より証拠だもん。本当に変身してみせるもん」
 アリセはあの変身ペンダントを取り出す。三人の目の前に掲げる。
「見てて。本当にびっくりするからね」
 ただならぬ剣幕に押され、3人は喉をごくりと動かした。俊敏に身体を動かし、アリセは変身ポーズを取る。胸の前に突き出されたペンダント。

「プリンセス・アリヴァーレ!!」

 マンションの九階までその声は響きわたった。
 ……
 ……
 ……
 ……。
 それから何秒か、まるで凍ったような時間が訪れた。目を丸くするミル。息をするのを忘れるサキ。目が点になるマコ。固まった三人。
 そして少しも変わらない格好で、アリセがそこにいた。
「……じゃあ私は帰らせてもらうぞ。受験勉強で忙しいんだ」
 凍った時を打ち払うように立ち上がるミル。
「あーあ。とんだ時間の無駄だったな」
 立ち上がるサキ。
「私も帰ろうかな。これからファミレスなんだ……」
 立ち上がるマコ。
「ちょっとみんな!!待ってよ!!これは何かの間違いなんだって!!もう一回。プリンセス・アリヴァーレ!!……あれ?プリンセス・アリヴァーレ!!……違うのか……プリンセス・アリヴァーレ!!」
 何度となくポーズを取ってみるが一向に変身する様子はない。アリセを尻目に3人はさっさと部屋を去っていった。

「何で、誰も信じてくれないんだろう……」
 アリセはソファーに腰掛け深くため息をついた。
 というより、なぜ変身ができないのだろう……。あの時はしたくなくてもできたのに……。自らの枝毛をいじいじして考えるアリセ。ない頭をそれでもフル回転させた結果一つの結論に至った。
「もう一度あの子に会いに病院に行こう!!」
 このペンダントの持ち主の彼女なら何かを知っているはずだ。ジャケットを羽織り、さっとアリセは外に飛び出した。

「やぁアリセ。ご機嫌はいかがだポゾ?」
「当然アリセはいつも元気印満天だセルビー?」

 彼女に声をかけたモノがいた。
「……え?」
 アリセは目を丸くした。そのモノたちの奇妙さに鳥肌がたった。
「どうしたんだポゾ?そんな驚いた顔をしてポゾ?」
「アリセは本当におかしな娘セルビーね」
 二匹の子猫のような小動物。だが猫に比べると耳が大きすぎる。しっぽが大きすぎる。それがアリセに向かってしゃべりかけていた。
「な?な?な?」
 アリセの目がぐるぐるとまわった。不思議な小動物が目の前にいて言葉を喋っている。何よりアリセを驚かせたのは、彼女がこの小動物に見覚えがあることだった。
 アリセは思いっきり指を指した。
「なんで、アルキメデスとビルビルがここにいるのぉ!?」
「ポゾ?」
「セルビー?」
 彼らは不思議そうな表情を返した。

 アルキメデスとビルビル。
 クアトロプリンセスを助ける二匹のマスコットである。ハートプリンセスであるアリセの家のぬいぐるみに魔法生物の魂が乗り移ったものだ。それはもちろんアニメ内の設定で、アニメ内にしか存在しないはずのモノだ。
「なんで、アルキメデスとビルビルがここにいるのぉ!?」
 その問いに、青い身体のマスコット。【アルキメデス】があっさりと答えた。
「何言ってるんだポゾ。アルキメデスとビルビルがアリセの近くにいるのは当然じゃないかポゾ」
 アリセの補佐をするための魔法生物である自分たち。アニメでは常にアリセのそばにいる。だから今日アリセのそばにいることは、少しもおかしなことではないと主張する。
「そ、そうだけどさぁ……」
 言葉につまるアリセ。言い返せないが納得することはとてもできない。
 そうだ、とアリセは気になっていたことを彼らにぶつけることにした。
「そういえば、アルキメデス。なんでさっき私は変身できなかったの?昨日は確かに変身できたのに」
「アリセ、君を変身させたのは【造物主】様だポゾ」
「……はい?」
「変身エネルギーの源を持ち、クアトロプリンセスを実体化させた偉大なる方だポゾ」
「……」
「昨日の時点で造物主様は絶好調だったポゾ。造物主様が溜めに溜め込んだエネルギーのビックバンが起こったんだポゾ」
「……」
「ビッグバンは最もエネルギーが励起された状態なんだポゾ。そのおかげでクアトロプリンセスがこの世界において存在できるように昨日の時点ではなっていたんだポゾ。けれどエネルギーの励起状態が終わり、収束状態安定状態になってしまっている今においては、それは有効ではなく、今の時点でこの世界でのクアトロプリンセスの存在は不可能になってしまって……」
「アルキメデス……」
 ピンクの身体のマスコット。【ビルビル】が前脚でアルキメデスの肩を叩く。
「なんだビルビル……?ポゾ」
「アリセ、息してないセルビー」
 アリセ、頭からぷかぷかと煙を出し、白目を向いたまま天を仰いでいた。
「……チョットナニイッテンノカワカンナイデスケド……」
「アリセ、大丈夫かポゾ?」
 ぴょこぴょことアリセの目の前で前脚を振る。
「……はっ!?私は何を?」
 我に返るアリセ。
「アルキメデスだめじゃないかセルビー。アリセに漢字やカタカナの入った言葉を羅列するのは殺人行為だセルビー」
「ごめんポゾ。しかしこれ以上簡単に教えるのはとても無理ポゾ……」
 アルキメデスの目の前には、授業初日の小学一年生といった表情を携えたアリセがいる。
「……アリセ、とにかく一緒に来てほしいポゾ」
「え?」
「造物主様がアリセに会いたがってるポゾ」
「ぞーぶつしゅさま……ねぇ……」
 聞き慣れない単語に頭をくゆらせるアリセ。そんな名前のキャラクターなどアニメに出てきた覚えがない。正直、会えと言われても全然気が進まない。
 けれども、今の自分を取りまく奇妙な現象。その人に聞けば色々分かるかもしれない。
「アルキメデス、ビルビル、その人のところに連れてって」
 アリセは意を決した。
「おおさすが。物分かりが悪いようでものすごく物分かりがいいのがアリセのいいところだポゾ」
「アルキメデス、それ褒めているようで全く褒めていないセルビー」
 嬉しそうな二匹。
「アリセ、できればミルやサキ、マコも一緒に連れてきてほしいポゾが」
「……あの、ついさっきみんな帰っちゃった」
「……まぁ仕方ないポゾ。今日のところはアリセだけ来てくれればいいポゾ」
 アルキメデスは残念そうだ。
「で、どこにいるのその方は?」
「湾星総合病院だポゾ」
「え!?」
 アリセは驚いた。湾星総合病院。それはちょうどアリセが行こうとしていた場所だった。



 真子クルーン。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた金髪碧眼のハーフ。西洋人形をそのまま人間にしたような美しい見た目と裏腹に、恐ろしく内向的な性格をしていた。
 幼き日の遊び場はもっぱら自宅。好きなのはお人形遊び。友だちと遊ぶのが苦手だったため、ひとりで色々な人形を使い、数役を演じることで遊んでいた。これが彼女の声優の原点となる。
 声優の養成所に入り、後にクアトロプリンセスのひとりとして大抜擢される。
 マコは自分がクアトロプリンセスのひとりとなれたことが意外でしょうがなかった。養成所のクラスで、他を圧倒する勢いを持っていたサキ。冷静沈着で凛とした演技で他を圧倒していたミル。ある意味圧倒していたアリセ。その3人に混じって自分が選ばれたことに、喜びよりも、どうして?という気持ちが大きかった。
「真子クルーン?あのコ、ハーフなだけあってルックスいいからねぇ。それで選ばれたんでしょ。演技は下手なのにねぇ」
 そう陰口を叩かれることも少なくなかった。
 クアトロプリンセス、最初の収録。マコは緊張のあまりNGを連発した。恥ずかしくて情けなくて、泣きながらスタジオを飛び出した。近くの公園のベンチで泣きはらしているところにポンと頬に缶コーヒーが当てられた。
「あっ」
「私の奢りだ。まぁ飲め」
 平然とした表情のミルが立っていた。
「ミルちゃん……」
 ミルはマコの隣に座った。
「ねぇ、どう考えても私は必要ないよ……」
 耐えきれず切り出すマコ。
「なんでだよ?」
「私いつもサキちゃんやアリセちゃんやミルちゃんの陰に隠れてばっかりだし、実際こうやって失敗ばかりだし。どう考えても私、浮いてるっていうか……」
「そうかな……。私はマコがいてこそのクアトロプリンセスだと思うがな」
 ギィギィと微かに動くさっきまで子どもが座っていたブランコ。
「確かにマコはいつもおどおどだ。少しはどっしりしてればいいのにな。お前を見ていて、何がそんなに怖いんだと毎日あきれまくってる」
「……ごめんなさい。そんな子です。私……」
 的を射たミルの言葉にさらに落ち込むマコ。
「でもな、そんなマコを見てるとこっちは安心するんだよ。こんなにうろたえている奴がいるんだから、逆に私は大丈夫だってな。だからマコと一緒にいる時の私は4割増しくらいで冷静」 
「ミルちゃん……」
 マコは顔を上げる。
「きっとサキもアリセもそうなんだと思う。マコがいない私たちはきっとものすごく殺伐としてしまうよ。だからさ、自分が不必要なんて思うな」
 ミルはマコの頭を撫でた。マコはミルの手が想像よりずっと温かいことを知った。
「うん」
 マコはゆっくりと頷いた。
「さぁ、現場に戻るか」
 一足先に立って歩きだすミル。
「……私、ものすごく怒られるかなぁ」
 不安げに聞くマコ。
「大丈夫。お前の失敗なんぞ問題にならないほどアリセがとちりまくってる。そのせいでアフレコは完全にストップだ。おかげで私も抜け出してこられたんだからな」
 ミルが微笑んだ。


 アリセのマンション前。電信柱から、顔半分を出し様子をうかがう挙動不審の人物がいた。ぶるぶると震えながら、ぴょこりと顔を出している。
 マコだった。彼女はおどおどしながらアリセの部屋の方を見やっている。
「おいお前、何やってるんだ?」
 突然肩を叩かれた。
「っ!!!!!!」
 心臓が口から飛び出そうになりながら、声にならない声を出すマコ。尻もちをつき、手をジタバタさせる。
「はわわーごめんなさーい!!怪しいものではないんですー!!」
 心底怯えた表情で目をつむるマコ。
「おいおい、そんなに慌てるなよ。私だマコ」
 やれやれという表情のミル。
「……あっ、ミルちゃん」
 目をまんまるにして見上げるマコ。
「ミルちゃん、どうして……?」
「マコこそ何してるんだよ?」
「わ、私は、その……。なんかアリセちゃんが心配で……。ついつい戻ってきちゃって」
 それを聞いて、ふぅと息をつくミル。
「私も同じだ。あの様子は『永遠の夢見る少女』のアリセにしたって何かおかしい」
 ミルも何やら不穏なものをアリセに感じていたようだ。だから心配して戻ってきた。
「そして……、馬鹿がもうひとり……」
 ミルがもう一つ後ろの電信柱を指差した。先ほどのマコと全く同じ動き、ぴょこぴょこと顔を出してアリセの部屋を見やる人物がいた。
「サキちゃん!!」
「え!?」
 ショートヘアーと勝ち気な眉がひょこりと見える。
「おいなんだよ!?見つかってたのかよ!!」
 頭をボリボリ掻きながらサキが出てくる。
「まぁ、ともかく、みんなアリセが心配だということか……」
 しみじみとミルがつぶやいた。
「あ、あれ!!」
 マコがアリセの部屋を指差す。アリセが扉を開け、部屋から出てきていた。
「どこかに出かけるのかな……」
「ああ……。ん?」
 アリセはドアの前で脚を止めた。中腰になって足元に向け口をべらべらと動かしている。
「おい、アイツ誰かと話しているぞ」
「ああ、話しているな」
「……でも、誰もいないよね」
 3人の目には、口を動かしているアリセが見えている。が、その相手となる者を視認できていない。
「アイツ、何かすごい驚いた表情してるぞ」
「でも誰もいないよ!!ねぇ誰もいないよね!?」
 マコは焦りはじめていた。
「ああそうだな。誰もいない……。アリセ……本気でヤバいんじゃないか?」
 ミルがぽつりと言う。どんよりと深刻な雰囲気が覆う。
「そんな!!よくあることじゃない。なんとなく寂しくて見えない友達をつくって話しかけることって。私もよくやるし」
 アリセを擁護するマコ。
「マコ、お前そんなことよくやるのか……」
 サキは心配そうな目を、今度はマコに向けた。
「おい、お前たち隠れろ。アリセが降りてくる」
 脱兎のごとく階段を降りてきたアリセ。その姿はまるで、何かに導かれて走っているようである。
「本当に、本当に【ぞーぶつしゅ】さんはその病院にいるの?」
 アリセの馬鹿でかい声が聞こえる。
 電信柱の影に隠れた3人の前をアリセが通り過ると、彼女らはひょこっと顔を出した。
「どこ行く気だ?」
「何か『病院』とかなんとか言ってたよ」
「良かった。自分で病院に行かなければという判断が出来るんなら、まだ手遅れじゃないな」
 サキがさらりと言った。尻目にミルがさっと走りはじめた。
「おい、お前もどこ行くんだよ?」
「アリセを追いかける」
 ミルは当然のように返す。
「……おい、待てよ」
 サキも追従して走り出す。マコはひとりぽかんと立ち尽くす。
「……ま、待ってよー」
 1テンポ遅れてマコも続いた。

「アリセ着いたポゾ」
 アルキメデスがアリセを見上げて伝える。息をあげながらアリセが上を見やると、そこは紛れもなくあの【湾星総合病院】だった。門をくぐり送迎用のロータリーまで小走り。建物入り口の自動ドアはもう目の前だった
「はぁはぁ。ここに、全部分かってる人がいるんだね」
 がくがくの膝に手をあてがう。
「そうだセルビー。さっそく来るセルビー」
 ビルビルのうながしにアリセが一歩脚を踏みだした。もう一歩で自動ドアは開こうとしていた。
「おい、アリセ」
 掴まれた左手首。
「え!?」
 アリセは振り向く。見慣れた黒い髪の女性。はぁはぁと息を乱している。
「ミルちゃん、どうしてここに?」
 意外な人物を前に目を丸くする。
「お前の様子がおかしいんでつけてきた。あいつらも一緒だ」
 ミルが指した先には、息をあげるサキとマコがいた。
「おい、アリセ。いったいどうした。何があったというんだ?」
 ミルの目から見たアリセ。自宅のマンションからここまで何かを追いかけるように疾走していた。そして時々その何かに話しかけているようだった。はっきりいって気味が悪かった。
「そうだ!!ちょうど良かった。これで私が言ってたことが嘘じゃないってわかる」
 アリセは爛々と目を輝かせた。
「じゃーん、見て。本物のアルキメデスとビルビルだよーん!!」
 パッと手のひらを差し出すアリセ。
「……アリセ、何を言ってるんだ?」
「何?じゃないよ。ミルちゃん。もっとびっくりしてよ」
「……何にだ?」
「ほらあ、クアトロのアニメでお馴染み、可愛いアルキメデスとビルビルがそこにいるじゃなーい」
 ミルの表情がさらに険しいものに変わった。
「アリセ……私には何も見えないんだが」
「……え?……えー!!!!!!」
 アリセが振り向くと、そこからきれいさっぱりアルキメデスとビルビルは消えていた。影も形も無かった。
「ねぇアルキメデス、ビルビル。どこに行ったの?ミルちゃんにも声をかけてあげてよー」
 アリセは這いつくばって地面をキョロキョロと見やる。サキとミルはたじろいだ。
「アリセちゃん、やっぱりおかしいよ」
「ああ、目の前が病院というのが不幸中の幸いだな」
 アリセはわけがわからなかった。
 昨日本当にハートプリンセスに変身した自分。本物のアルキメデスとビルビルを見た自分。あれはウソで幻覚で、おかしいのは自分なのか?
 そんなわけはない。自分がこの肌で感じた体験は紛れもない本物のはずだ。三人も、実際に体験すれば分かってもらえる。
 『ぞーぶつしゅ』。アルキメデスが言っていた人物。彼の言っていたことが確かならば、この病院内に全てを知るその人物がいる。その人に三人を会わせれば。
「ミルちゃん、サキちゃん、マコちゃん、一緒に来て」
「「「ちょ」」」
 無理やり3人の肩を押すアリセ。
「何をするんだアリセ!?」
 ミルがいやいやと反抗する。
「とにかく病院の中に入って」
「なんで入らなきゃいけないんだ。お前だけだよ医者が必要なのは」
「えーん、本当にアリセちゃんおかしいよぉ!!」
 戸惑う3人の肩をアリセはありったけの力で押す。病院に行けば、病院にみんなを連れていけば、みんな分かってくれる。アリセはそう信じていた。
 彼女の勘は当たった。当たりすぎるほどに。
「「「「うわぁ!!!!」」」」
 自動ドアが開く。倒れこむように4人の身体が病院の敷居をまたぐ。そして4人の世界がぐにゃりと歪んだ。


 不可思議な場所だった。ぼんやりとした七色の空気が頬を撫でる。いろいろな絵の具を溶かした濃霧。その中に揺蕩んでいるかのようだった。天の川。桃源郷。夢の国。その場所の名前をそう説明されても、十分に説得力があった。
 気がつくとそこに4人はいた。目を開きゆるゆると立ちあがる。ここはどこ?全員に同じ疑問が生じたがそれを問いかける間もなく声が聴こえた。
「よくぞ集まったポゾ。クアトロプリンセスたち」
 甲高い声が耳にひびく。
「ご機嫌はいかがだセルビー」
 つづいて控えめで愛嬌のある声がひびく。
 4人は声のする方向をみやる。アルキメデスとビルビル。二匹がまるでスポットライトを当てられたかのように浮き上がっていた。
 サキ、マコ、ミルは動揺を隠せない。アリセの口元がむふりと緩む。
「ほら!!ほら!!見た!?見たよね!?本当にアルキメデスとビルビルでしょ?私嘘言ってなかったでしょ!!??ね!?ね!?ね!?ねーーー!!!!!!??????」
 興奮してまくし立てる。が、誰ひとり取り合おうとしなかった。
「いやあ、アリセひとりだけかと思いきや、みんなついて来てくれていて感激だポゾ」
「一気に目的が達せそうセルビー」
 二匹のマスコットは微笑ましげに言う。
「ではクアトロプリンセスたち、さっそく指令するポゾ」
「うるさい!!貴様は何者だ?」
 ミルがアルキメデスのセリフを遮った。アルキメデスはぽかんと口を開けた。
「『何者だ?』アリセにしろミルにしろ、さっきからおかしなことを聞くポゾね。アルキメデスはアルキメデスに決まってるじゃないかポゾ」
「そうじゃねえよ。そしてここはどこなんだよ?私たちをこんな所に閉じこめてどうしようってんだよ?」
 サキが一歩前に出る。
「ここは【夢空間】だセルビー。この世の中のどこの時間にも次元にも属さない特別な場所だセルビー」
 質問に答えるビルビル。しかし、それがサキの気にいる答えでなかったことは一目瞭然だった。
 サキはゆっくりとアルキメデスに近づく。そして、アルキメデスの太いしっぽをむんずと握り、逆さに吊るし上げた。
「お、おいサキ?何をするポゾ」
 焦ってジタバタするアルキメデス。
「何だ。よくできてんな。立体映像かと思ったら、本当の生き物みたいな質感があるぜ」
「声も万永さんの声まんまだ。どこかに隠れているのかな万永さん」
 ミルがあたりを見回す。【万永さん】というのはアニメでアルキメデスの声を担当している声優の名前。
「サキちゃん、何やってるセルビー!?早くアルキメデスを離すセルビー!!」
 ビルビルも焦っている。
「おいミル、どう思うこれ?」
「よくできたドッキリか?そうとしか考えられれん。でも、今さら落ち目の私たちをこんな金がかかってそうなドッキリにかける意味って何なんだろうか?」
 ミルは顎に手をやる。
「だ・か・ら。本物なんだってばあ。これは本物のアルキメデスとビルビルなんだって。なんでサキちゃんもミルちゃんも、少女のような純粋無垢な想いを持てないの?」
 アリセの発言をサキとミルは露骨に無視した。
「さっき指令うんぬん言ってたな?」
 サキが持ち上げて吊るしているアルキメデスを覗き込む。
「そうだポゾ。僕はだねクアトロプリンセス、君たちに指令を与える必要があるポゾ」
「うるせえ偉そうに!!」
 サキはアルキメデスをぶん投げた。アルキメデスは叩きつけられ、3度ほど地面にバウンドした。
「ああ、アルキメデス!!大丈夫セルビー!?」
 ビルビルはアルキメデスにぴょこぴょこ駆け寄る。
「サキちゃん、何やってんの!?」
 アリセがサキに詰め寄る。
「小動物のくせに言動が上から目線なのがムカついた。アニメやってる時から薄々は思っていたが、リアルでやられるとホントムカつくわ」
 ふぅとサキが息をつく。
「あのおすみません……もうここから出ていっていいでしょうか?私そろそろファミレスに行かないと店長に怒られちゃう……」
 マコがおどおどしながら言う。
「そうだな。こんな茶番はもうたくさんだ。君たち、ここから出してくれないか?」
 ミルも同意して言った。
 強く打ちつけ赤くなった顔をさするアルキメデス。痛みを落ち着けゆったりと身体を起こした。
「ふん。指令を受けない限りここからは出してやらないポゾ」
 ぷいとして答える。
「てめえ、もう一回投げてやろうか?」
 拳をパキポキ鳴らすサキ。
「ひぇぇぇ!!!!ポゾ」
 アルキメデスが激しく怯える。
「……待てサキ。これでは話が進まん。一応聞いてやろう。指令とはなんだ?」
「はあ、ようやく話を聞いてくれるセルビーね。ひと安心だセルビー」
 息をつくビルビル。四人の顔をすべて見る。そして深く深呼吸をし言葉を発した。
「クアトロプリンセス、あなたたちに恐ろしい力を持った最強の敵、【ビョーマの帝王】を倒して欲しいんだセルビー」
 高い声が空間に響く。虹色空間にぽつんとゴマ粒のように佇む四つの頭。数秒の静寂が訪ずれた。

「……えーと」
 ミルは困惑した。視線を泳がせ、ぽりぽりと鼻を掻いた。
「それはなんだ?新しいOVAのストーリーか?」
「は?セルビー」
「二期ってことはありえんだろうし……CDドラマか?もしくは実写のショーか?」
「そうじゃなくてビョーマを倒すんだセルビー。ミル」
「どうやって?」
「『どうやって?』あなた達はクアトロプリンセスだセルビー。ビョーマ退治のスペシャリストじゃないかセルビー」
 埒があかないな。ミルはわざとらしく肩をすくめた。まるで話がかみ合わない。
「アリセはわかったよぉ!!私たちがクアトロプリンセスに変身して、そのものすごく強いビョーマを退治すればいいんだね!!」
 素っ頓狂な声が間を切り裂いた。アリセ。まるで保母さんの出すなぞなぞが分かった園児のように手を挙げた。
「おっ、アリセは分かってるポゾね。さすがリーダーだポゾ」
 アルキメデスがアリセを褒める。褒められてえへへと照れるアリセ。
「……おい、あいつ分かっちゃったぞ。どうなんだ?これはわかんない私たちの方がダメなのか?」
 アリセを指差し、そっとマコとミルに耳打ちするサキ。
「私も……よくわかんないよぉ……」
 きょろきょろ首を動かすマコ。
「いや、どう考えても分かってしまうアリセが異常だろう」
 ミルはそう言うと、アリセに近づいていった。ぽんぽんとアリセの肩を叩く。ん?と振り向くアリセ。
ーパチンっ!!
 ミルの平手が飛んだ。マコがひっ!!と目を背ける。
「は、はにするの?ミルちゃん」
 放心状態で頬を押さえるアリセ。
「なぁアリセ、幼稚園児でもわかるように説明してやろう。私たちはクアトロプリンセスだが、それはクアトロプリンセスというアニメで彼女たちの役をやっている声優さんということで、決して本物のクアトロプリンセスではない。変身もできなければ、悪いやつとも闘えない。魔法も必殺技も使えない」
 もっともであり、誰にでも理解できるであろう説明。
「で、でも私、変身したし……」
 口答えするアリセ。ミルはため息をつく。どうしたもんかという表情だ。アルキメデスの目が光る。
「ミル。正しいのはアリセだポゾ。アリセ以外の3人はあまりにも自分がクアトロプリンセスであるという自覚が足りないポゾ」
 アルキメデスが厳しい口調で言う。彼に耳打ちをするビルビル。「ふむふむ、それもそうポゾね」とうなずく。
「おい小動物ども、何こそこそと打ち合わせしてやがるんだ?」
 苛ついた声を出すサキ。
「うーん、本当は君たちに納得済みで指令を受けてもらいたかったポゾが、残念ながらそうはいかなそうポゾ。事は一刻を争う、あんまり時間がないんだポゾ」
「しょうがないセルビー。あんまりこの手は使いたくなったセルビーけど、やるしかないんだセルビー」
 ミル。背中を嫌な予感がつたう。
「おい、てめえら何するつもりだ」
 サキはまた罵声を飛ばす。
「次に目を覚ましたら分かるポゾ。自分が紛れもなくクアトロプリンセスだということに」
 4人の顔がひきつった。アルキメデスとビルビルが何をしようとしているかは彼女たちにはわからない。が、それが彼女たちにとって『よいこと』ではないことが感覚で分かった。
「クアトロプリンセス、また後で会うセルビー」
 彼らのその言葉が引き金だった。四人の目の前がゆわんと歪んだ。足元が、天井が、空間が溶けていく。「何!?」そうやって彼女たちは疑問のセリフや悲鳴を発したはずだが、それはすべて溶けてどろどろになり流れていった。シェイカーの中に入れられたようにぐちゃぐちゃにかき回される感触。身体の自由、そして五感がまるで言うことを効かない。
 そして意識がとび、暗闇が訪れた。


「あいたたたたた」
 サキは頭を押さえながら起きた。
 あの奇妙な空間はそこにはない。冷たくなった頬と二の腕。病院前のアスファルトに、自分が寝そべっていたことに気づかされた。あたりはすっかり夕暮れだった。カラスがカーカーとこちらを小馬鹿にしたように飛んでいる。
 横で寝ていたミルとマコも同時に目を覚まし、ゆるゆると身体を起こした。
「おい、あいつらは?」
 起きしなのふたりにさっそく疑問をぶつけるサキ。
「さぁな」
 頭を押さえるミル。
「……というか、あれ現実だったんでしょうか?」
 マコは自分たちが集団催眠にでもかかっていたのではと言う。
「そうだな。そう考えた方がよっぽど現実的だ」
 ミルは頭を押さえる。未だに頭がゆわんゆわんする。世界がなにやらおかしく見える。経験はないが、ドラッグをやると、世界がこういう風に見えるのかもしれない。
「おい、アリセ起きろ。いつまで寝てんだ」
 サキがアリセをドカドカ蹴る。
「えへへ、やめてよ。そんなにたくさん食べられないよぉ。えへへ」
 彼女ひとり、まだ夢の中だ。
「うーん、まぁなんにせよ……」
 ミルは病院の方を向いた。夕焼けに佇む大きく四角く陰った建物。一刻も早くこの場から離れたい気持ちだった。
「今日はこれで解散にしよう」
 サキもマコもうんと頷いた。

 サキ、ミル、アリセの3人はとぼとぼと道を歩いていた。
 マコは「ど、どうしよう?バイト完全に遅刻だー!」と騒ぎながら一足先に走って行った。背中を見送る。残った3人はてくてくと靴を合わせて歩いているが一言も言葉を交わさない。
「じゃ、私はここで」
 サキが軽く手を上げた。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ちょっと飲んでから帰る。なんか気持ち悪いんだよな。脚が全く地についてねえような感じで。一杯ひっかけないと眠れそうにねえ」
「サキちゃんもそうなの?私もなんか気持ち悪い感じなんだよね。逆に私、今お酒を飲んだら死にそうだよ。だからもう今日は家に帰るよ」
 アリセがぐったりしながら言った。
「私もパスだな」
 ミルがそう言うと、サキは冷たく返した。
「ミル、お前なんか誘ってねえよ」
 サキは靴の向きを変え、足早にその場から去っていった。
 そうかまだ昨日の事気にしていたのか?とミルは気づく。サキはずんずん交差点の向こう側へ去っていく。小さくなっていく背中を尻目にミルはふぅとため息をついた。
 ミルはアリセとは次の交差点で別れた。
「じゃあねミルちゃん、また」
 ミルは彼女の背中も見送る。鼻歌交じりにぴょんぴょんスキップをして道を行くアリセ。あれだけの異常事態が起こって、まだ大して時間も経ってないのによく元気が復活するな……。呆れ半分でじっと彼女の後ろ姿を見つめる。
「……えっ?」
 思わず声に出して呟いてしまった。ミルを襲った急激な違和感。見慣れているはずのアリセの背中。それがひどくおかしい。
 どこがどうおかしいかはわからない。ただ漠然とおかしい。頭を押さえてみる。違和感の意味を何度となく自分に問いかけてみるが、理由はまるでやってこない。
 サキの背中。マコの背中。頭にフラッシュバックする。……同じだった。先ほど当たり前のように見送ったサキの背中にも、思い返してみればアリセの背中と同じような違和感がそこにあったことに気がついた。
 どういうことだ……?煮詰まった頭。彼女の手は何気なくポケット中に滑りこんだ。コツンと何かが指に触る。身に覚えのない触感だった。
 ミルはそれをひょいと持ちあげた。
「こ、これは……?」
 ミルは目を見開いた。夕暮れをバックに手にぶら下がる物体。
 それが何かと分かった時、アリセの背中に感じた違和感、その糸口に彼女はたどり着いていた。
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