7章

文字数 9,492文字

「ママ、さっきね。この病院にハートプリンセスが来たんだよ」
 友利由衣は嬉しそうに語った。
「そう、良かったわね」
 一子はもはや娘の言うことを否定したり、常識論を語ることはしなかった。視力を失い、症状が悪化すると丸3日間も昏睡状態になる娘。言うことが嘘か現実か夢の出来事なのかなどどうでも良かった。ただこの子が楽しくお話ができればいい。一子はそう思っていた。
「良かった。これで私の病気も治るね」
「え?」
 一子はついまじまじと由衣を見てしまった。
「だってお母さん言っていたじゃない。いい子にしてればクアトロプリンセスはきっと私の病気を治してくれるって」
「そ、それは……」
 一子はつい口ごもってしまった。
「嘘……なの?」
 由衣は母のはっきりとしない態度を感じ、携えていた笑顔を消した。
「嘘だったんだ……全部ウソだったんだ……私の病気が治るっていうのも……クアトロプリンセスが来てくれるっていうのも……」
 身体を震わせる由衣。一子はハッと戦慄した。最悪の事態が目の前で起きようとしていると。
「嘘じゃない。本当よ!!」
 彼女はつい答えてしまった。耐えきれずに。取り繕うために。
「そうだよね。そうだよね」
 由衣は笑った。色を失った顔で。
「さっきはハートプリンセスのアリセちゃんだけだったけど。今度はみんな呼ぼう。サキちゃん、ミルちゃん、マコちゃんも。そして一緒に遊びたいな。えへへへ」
 由衣の背中から黒い煙が出ていることに一子は気がついた。
「由衣……。何?それは?」
「クアトロプリンセスの皆をここに集めるんだ。そして私のビョーマを倒してもらう」
 次の瞬間、一子は黒い煙に飲み込まれ気を失っていた。

「……うーん」
 一子の話を聞き終わり、アリセは難しい顔をした。
「で、どういうことなの?」
 一転、間伸びした声になる。ミルはガクッと身体の力が抜けた。
「まぁそうだろうな……アリセには分からんだろうな」
 ミルは肩をすくめた。
「えーと、つまり由衣ちゃんの私たちへの思いが、私たちをクアトロプリンセスへと変身させ、アニメの世界へと連れてきたってことですか……?」
 マコが自信なさげに答える。
「信じられないことだとは思いますが……」
 一子はうつむいている。
「まぁしかし実際起こってしまっている以上は否定のしようのない事実だ」
 ミルが顎に手をやった。
 アニメ世界にいる時から見当がついていた。
 全てが現実世界と異なる中、この病院だけは存在をしていた。アルキメデスとビルビルは自分たちをここに誘導しようとし、またその中にいる人物と話をさせようとした。ついにはそこは帝王城になった。人体を模した魔城。背骨と脳の間に帝王はいた。
 これらの話を総合するに、自分たちをこの世界に呼び込んだ犯人は病人。幹部は脊髄と延髄の間。そしてその者は自分たちに病気を治して欲しいという願望を持っている。
 たまたま読んだオカルト系の本に書いてあったことだ。幼い子供、特に少女がその潜在的な力により超常現象を起こすということは歴史上多々あるケースらしい。人は皆、少なからずそういう力を秘めているものらしい。それは子供、特に少女に多く内在するもので、成長し大人になるにつれてそれは無くなっていく。類稀なる資質を持った者が世俗と交わらないまま育つと、内に秘めた力が増大する。それが感情の揺らぎにより爆発することで、驚くべき現象が起こる。そういうものを指して、それを起こした者を魔女だのと呼ぶこともあると書かれていた。その手のことにあまり関心を持たなかったミルは、さらりと読み流した事柄だった。
「何か?つまりここはその由衣ちゃんの夢の世界なのか?」
 サキが聞く。
「まぁ、そのようなもので間違いがないと思います」
 由衣は自分が大好きであったクアトロプリンセスの世界をそのまま自分の世界の中に作った。そしてその力は現実世界にまで及び、一子や4人を取り込んだ。
「夢の世界ならもっと都合よく行かないのか?私たちは由衣ちゃんが大好きなクアトロプリンセスなんだからさぁ、あの帝王とかいうやつももっとすっきりやっつけさせてくれても良さそうなもんなのに」
「ええ、だいたいのことはこの世界では由衣の思い通りになります。でもあの帝王だけは例外です。なにせあの帝王はあの子の病気がそのまま具現化した存在なのですから」
「……本当のビョーマということか」
 ミルはしみじみと言った。
 由衣の身体に巣食った病気。それが由衣の世界で凄まじい怪物として具現化していた。あの小動物たちが帝王だけは造物主でもどうしようもないと言っていたのはそういうことだった。
「あのデタラメな強さ。それは当然だ。現代医学でも治せない不治の病に私たちは挑んでいたのだから」
 天を仰ぐミル。
「分かった!!分かったよ!!」
 突如アリセが素っ頓狂な声を出す。
「私たちがあのビョーマの帝王を倒せば、由衣ちゃんの病気が治るってことじゃない!?」
 ミルとサキはため息をついた。
「どうして真っ先にそういう結論が出てくるんだ」
「こーのクソ天然ポジティブ女が」
 罵倒の言葉を浴びせる。
「えー、でもそういうことじゃないの?」
 不満たらたらのアリセ。
「はい。確かにアリセさんの言うとおり、あの帝王を倒せば、由衣の病気は治るかもしれません」
「だったら!!」
 アリセはパッと明るい顔をする。
「馬鹿、私たちは死にかけたろうが!!」
 ミルが口を挟む。
「でも、あれは由衣ちゃんの世界で現実世界じゃないんだから……」
「ちゃんと痛みも感じた。そして私たちの身体には受けた傷が残っている」
 ミルの言うとおり、彼女たちの身体には火傷やアザがある。
「そしておそらく仮想世界といえど、殺されれば死ぬ。コンティニューもリセットもない。だからこそ一子さんがぎりぎりのところで助けてくれたんだ」
 ミルの言うことは的を得ていたようだ。一子は静かに首を前に傾けている。
「で、私たちはどうなっちゃうんですか……。現実世界には戻れないんですか?もうあんなやつと二度と闘いたくないんですけど」
 マコが心配そうに言う。
「うーん、でも由衣ちゃんの世界に取り込まれた以上、あいつを倒さなきゃ出れないんじゃ」
「えー!!」
 サキの一言に心底怯えるマコ。
「大丈夫です。私が責任を持って皆さんを元の世界に戻します」
 一子が言う。
「どうやってですか?」
 ミルが言葉を返す。
「本当のことを話します。由衣に本当のことを……」
 クアトロプリンセスなど現実にはいないことを。病気は治らないということを。そして彼女は間もなく……
「だめー!!」
 そう叫んだのはアリセだった。三人は彼女の方に顔を向ける。
「ダメです。そんな可哀想なこと……。それにそれは由衣ちゃんを私たちが見殺しにするってことじゃないですか、そんなのダメです!!」
 破顔して必死に訴えるアリセ。が、皆は冷淡だった。
「だったらむざむざ犬死にした方がいいってことか?私たちが。正義の戦士でも何でもないうらぶれた声優である私たちが」
 ミルはアリセを睨みつけ言った。俯くマコ。歯を噛みしめるサキ。彼女たちもミルの言うことに残念ながら同意していた。
「すみませんでした。皆さん。これも全ては私があの子に皆さんの作品を見せたせいです……」
 深く頭を下げる一子。
「……これでもう、終わりにします」
 彼女は天を仰ぐ。
「由衣お願い聞いて!!」
 そして大きな声で叫んだ。
 靄が晴れていった。掃除機で吸いとるように虹色のゆらめきが姿を消していく。かわりにはっきりとした写実的で物質的な現れていった。
 気がつくとそこは夢空間ではなかった。
 一子と4人が立っている場所。小さな病室のベッドの前。ベッドの上には目に包帯を巻いた女の子がいた。

 アリセたちは現実世界に戻ってきた。身体も元の現実的な23歳の身体に戻っていた。
「なあにママ」
 目に包帯を巻いた少女が無邪気に聞いた。今の今まで起こったことなどまるでなかったように。
「今まであなたに言っていたことがあるでしょ。クアトロプリンセスはいるんだって。いい子にしてれば由衣の元に来てくれるんだって……。病気を治してくれるんだって……。でもそれは……それは……」
 そこまで言ったところで一子は声を詰まらせた。彼女は涙を流していた。
「一子さん……」
 ミルがそっと手を添えるように、小声で言った。
「その声はミルちゃんだね!!」
 ミルは目を丸くした。僅かな声だけで由衣は彼女を認識し、嬉しそうに大声をあげていた。
「ミルちゃん、来てくれたんだ。あのね、この前はアリセちゃんも来てくれたんだよ!!」
 はしゃぐ由衣。けれどミルはそれにどう答えていいか分からずにいる。
「もしかして、皆いるの?アリセちゃんも、サキちゃんもマコちゃんも!?」
 由衣は気配からこの部屋に何人かの人物がいること。そしてその人物たちが誰なのかを察したようだ。
「いるんだよね?ねぇいるんだよね?」
 下を向く四人。応えられない。彼女たちは自分たちにその資格がないことを知っていた。
「う、うん」
 アリセが耐えきれずに返事をしてしまった。サキが馬鹿という目で見る。
「アリセちゃん!!やっぱりアリセちゃんだ!!」
「うん……」
 アリセは頷くしかなかった。
「やった!!クアトロプリンセスが勢ぞろいだ!!私のビョーマを倒しにきてくれたんだね」
 アリセの後ろで、しとしとと一子が泣く声が聞こえる。
「ねぇ聞いて由衣ちゃん」
 アリセが冷静な口調で切り出した。まるで彼女の声らしくなく。
「あのね。私たちはクアトロプリンセスなんかじゃないんだ」
「え?」
 アリセの下顎が淡々と動く。
「私たちはただの声優さん。クアトロプリンセスのお芝居をしているだけのね」

 ミル、サキ、マコ、彼女たちは肩をこわばらせた。由衣からの反応を受け入れるために。
「そうなんだ」
 由衣。彼女は納得をした表情を見せた。
 薄々分かっていたよ、私だってもう6歳なんだからさ。そんな表情を浮かべて笑った。
「由衣ちゃんごめん」
「どうしてアリセちゃんが謝るの。わざわざ私のために来てくれたのに」
 明るい声で言う。
「ミルちゃんも、サキちゃんも、マコちゃんも、声優さんのお仕事忙しいのに」
 ミルもサキもマコも、気まずそうにうつむいていた。
「分かってたんだよ。最初から……」
 由衣はぽつりと言葉を置いた。あの世界での時間経過がどうなっているのか、時計は夕方5時を示している。外は曇り空。雨の匂いがかすかにしていた。

 4人はとぼとぼと帰り道を歩いた。誰も口を開かなかい。ただ4人の肩がぎくしゃくと並んでいるだけだ。
「じゃ」
 そう言って一人一人離れていった。影がひとつづつ消えていく。気がつくとアリセはひとりになっていた。
「あっ……」
 アリセは自分の手のひらを見た。ぽつりと水滴がついた。二滴目。三滴目。水玉は増えていく。ぽつぽつとした水滴は間もなく、ザーザー降りになった。
「また、雨か」
 アリセの前髪はびしょびしょに濡れた。垂れ下がり目を覆い隠す。ぽたぽたと雫が落ちた。

 
 川村有瀬。23歳声優。声優になった理由は、「大好きなゲートキャプター朝倉ちゃんになりたかった」から。本気で。
 声優養成所に通って1年。一大プロジェクトで大役であるクアトロプリンセスに任命される。一躍、大人気声優となった。
 木塚咲、加藤実瑠、真子クルーン、同じくクアトロプリンセスプリンセスに選ばれた彼女たち。大役にも関わらず彼女たちの表情は優れなかった。
「……本名が役名になるのか?」
 事務所の小会議室。設定資料を手に難しそうな顔をするサキ。フリフリな衣装を着たアニメ絵の自分を見て表情が曇った。
「ほうほう。この『サキちゃん』可愛いじゃないか」
 後ろからかけられた声に睨みを返す。
「……この『ミルちゃん』も可愛いじゃねえか」
 仕返しをするサキ。とんとんとミルの設定資料絵を指で突ついて言う。
「まぁな、絵は可愛いな……絵は……」
 もやもやと語尾を濁すミル。やれやれとサキの横の椅子に座る。
「お前もテンション低いなあ。せっかく大役を射止めたっていうのに。念願の」
「大役すぎる気がする。それに特殊だ。登場キャラも私たちを模したキャラクターだ。これが全国放送されてみろ」
「もう立ちションできねえな」
「バカ、そんなこと元からするか」
 辟易した顔でツッコミを入れるミル。
「しかしまぁ滅多なことができなくなるのは確かだ。加えてこのフリフリの衣装を着て顔だしの仕事を多くするんだ。当然アイドル的な振る舞いをしなければならないだろうな」
「くく、ミルには難しそうだな」
「……人のこと言えるのか」
 ミルは目を細くしてサキに視線を飛ばす。軽口への抗議。けれどすぐに表情は柔らかく溶けた。それはもはや虚ろですらあった。
「確かに……難しいな」
「……あん?」
「私なんかに……できるかな……」
 サキは表情を止めてしまった。こんなに不安を露わにする彼女を、はじめて見た。
「おいおい、お前らしくねえじゃねえか!!」
 うろたえるサキ。この言葉を受けてもミルの心は奮いたたない。ミルは自分でもこんなに弱気になっているのが意外だった。どんなに明晰な頭脳を持ち先を見通す力があっても、いざ目の前に立ちはだかる不安と闘うのは、また別の話だ。
 ミルは自分の弱さを噛みしめさせられていた。
「おい、何だよ。もっといつも通りのうのうと能書き垂れて、できるって言えよ」
 サキの罵声は続く。ミルは気づいている。居丈高な彼女の声にもわずかに不安と焦りが混じっている。彼女もまた押しつぶされそうになっているのだ。
「私もできないよ!!」
 弱気な声がサキのセリフを遮る。
「マコ……」
 サキはそちらを向く。
「だってミルちゃんがそんなに不安そうなのに。私が……私なんかができるわけないじゃない」
 彼女の言葉にサキも心を掻きむしられる。張っていた虚勢がベリベリと剥がれる。強気な眉が静かに下がっていく。壁時計の簡素な針の音がカチカチと響いた。
「大丈夫。できるよ!!」
「「「アリセ?」」」
 三人は彼女を見た。ただひとり、彼女だけ、少しも表情に曇りがなかった。
「……相変わらずお気楽だな。なんで大丈夫だと言えるんだ?」
 ミルが意地悪に質問をぶつける。
「大丈夫だから大丈夫なんだよ」
「理由になってねえよ」
 サキが突っ込む。
「ミルちゃんもサキちゃんもマコちゃんも、みんなぞれぞれ凄いコでしょ。だからかな……」
 論理性が皆無で、説得力がまるでない言葉。
「それにうん、みんながダメなら、私が引っ張るから」
「は?」
 アリセ。彼女ほど『引っ張る』という言葉がふさわしくない人間はこの世にいないと三人は思っている。
「ミルちゃん、サキちゃん、マコちゃんがよければだけど、是非とも私について来て」
 アリセはドンと胸を叩く。けれどなぜだろう、彼女を見ていると妙な安心感を感じてしまうのは。胸の奥が揺り動かされるのは。
「私は絶対に前を向いてるから」
 設定資料の記述。川村有瀬の役はハートプリンセス。その役はクアトロプリンセスのリーダーだった。


 2ヶ月たっていた。
 共通の仕事もなく、恒例の居酒屋での飲み会もない。個々に連絡を取り合うこともない。彼女たちは一度も出会うことなく期間が経過していた。 
 アリセはそっと病室のドアを開けた。薄暗い病室。冷たいシーツに横たわる由衣。彼女の口元には人工呼吸器がつけられていた。
 彼女の命は風前の灯。話すことも聞くこともできない。アリセ。彼女を穏やかに見下ろし、ガサゴソとポケットを弄った。
 アリセはそれを取り出した。ピンク色にきらめくハート。クアトロプリンセスの変身ペンダント。
 あの日、自分はクアトロプリンセスである全てを捨てたと思っていた。けれどそれは違った。残っていた。消えていなかった。
 アリセはそれをぎゅっと握った。目はつむられ静かに想いは込められる。そしてそれは前に突き出された。
「おいアリセ、何をする気だ?」
 突如後ろから聞こえた声。
「ミルちゃん!?」
 あれ以来、2ヶ月ぶりに会う彼女。相変わらずきりっと端整な鼻立ちをしている。
「どうしてここに?」
「アリセ、お前こそなんでここにいるんだよ?」
 質問を質問で返す。
「まさかお前ひとりで挑もうってんじゃないだろうな?あの化け物に……」
 鋭く突き刺すようなミルの口調。
「……うん」
 アリセは憂いの混じった表情で頷いた。
「あの時はこうするのが正しいって自分に言い聞かせた。こんな馬鹿げたことに生半可な気持ちと生半可な理由で首を突っ込んで、ましてや命を脅かしてしまうなんてどうかしている。まともな大人ならここは身を引いて元の運命に身を任せるのが正常なんだって。でも、ずっとモヤモヤしていた。ずっと悩み続けた。で、思っちゃったんだ。何が賢いとか何が正しいとか関係ない。例えまわりから大馬鹿だと思われようとも、私は私が思うことをしようって」
 由衣の微かな呼吸音、心電図の音が静かに響く。
「それで、ここに来たわけか……。わざわざ殺されに」
「……うん」
「ばーか」
 ミルは口を思いっきり横に広げた。
「えへへ。そうだよねー」
 アリセはミルの言葉にふふと笑った。
「でもねミルちゃん、止めないでね。私は行くよ。そして良ければ覚えてて。川村有瀬っていうバカなコがいたこと。そして私たちがクアトロプリンセスだったこと」
 そう言ってアリセはミルに背を向けた。
「誰が止めるかよ」
 ミルはぶっきらぼう言った。アリセの背中に向かって。
「私もおんなじことを考えていたんだからな」
「え?」
 アリセは慌てて振りかえる。ミルの手の中。白い変身ペンダントが握られていた。
「ミルちゃん……」
「正直ショックなんだよ。お前なんかと思考回路がおんなじだってことが」
 ミルがやれやれとつぶやく。けれどどこか得意げな顔。アリセは自分の脚が震えていることが分かった。
「バカなんだね。ミルちゃんも」
「違う」
 ミルはすぐ否定した。勝手に人をバカ扱いするな。そう言われるものだとアリセは思った。
「それは、あいつらもだ」
 親指で自分の後方を指し示すミル。
「え?」
 アリセは病室のドアの脇を見る。人影を見つけた。
「サキちゃん……。マコちゃん……」
 ふたりの顔がアリセの目に飛び込んだ。顔をほんのり赤らめてもじもじするサキ。
「いやよう……悔しいじゃねえかよあのまんまじゃあまりにも。まぁでもお前たちのために来たわけじゃねえ。自分のプライドのために来たって言うか……」
 そっぽを向いて答えるサキ。全く言うことがはっきりしていない。
「正直恐い……。闘いたくない。もうあんな恐い思いはしたくない。でもね……でもね……」
 マコが唇を震わせて声をあげる。彼女もまた言うことがはっきりしない。けれども彼女たちはここにいる。それだけで十分に意図は伝わる。
「サキちゃぁん!!マコちゃぁん!!」
 アリセは感激のあまり、ふたりにジャンプで抱きついた。
「おいおい、やめろ気持ち悪い!!」
 ふたりは露骨に困った表情になった。
 ミルはその光景をにやりと笑って見ていた。自分も、そしてサキもマコも同じに違いない。ここに来る決断をした最大の理由は、「きっとアリセなら、意志を貫き、由衣ちゃんを助けようとするだろう」ということだ。それを思った瞬間、他の選択肢は考えられなくなっていた。
 自分の意志で決定したようで、結局は彼女に引っ張られたのだ。それは最初からそうだった。
「全く、アリセ、お前には敵わん」
 ミルは誰に言うでもなく言った。

 その瞬間、病室のドアが開かれた。彼女の母親、一子は驚きに口を開いた。
「あ、あなたたちは……」
「あっ!?……どうもお久しぶりです」
 アリセはうやうやしく頭を下げた。一子は彼女たちがここにいるわけを察して、申し訳ない表情になった。
「……もういいんです」
「え?」
「これはもう仕方のないことなんです。私がついた嘘のために、皆さんが犠牲になるわけには」
 彼女は静かな口調ながら、はっきりと固辞の意志を見せる。これ以上彼女たちを巻き込みたくないというのは本意に違いなかった。
「嘘じゃありません」
 アリセの口は大きく開く。
「え?」
「私たちはクアトロプリンセスです」
 アリセの目に迷いはない。
「嘘ではありません。それは事実なんです」
 力強い言葉。けれど一子は納得できず口ごもっている。ミルがふぅと息をつき一歩前に出た。
「一子さん、彼女の言っていることは奇妙なことのようですが確かにその通りなんです。私たちはクアトロプリンセスなんです。由衣ちゃんが信じている限りは」
「……」
「私は分かりました。自分たちの役割りの真偽というのは私たち自身ではなく他人が決めます。信じてくれる人が一人でもいた場合、それに向き合わなくてはなりません」
 ミルは傍らの少女を見下ろす。
「彼女が、由衣ちゃんが信じてくれている限り、私たちはホンモノのクアトロプリンセスです。私たちの仕事っていうのはそういうことなんです」
「そんな、あなたたちがそんな悲痛なことをする必要は……馬鹿げています!!」
 声を荒げる一子。正常な反論だった。
「ええ馬鹿げているでしょう。普通はそこまでしません。そこまで殉じるのは聖人かものすごいバカでしょう。私たちは聖人ではありません。でも……そうする決意を持った者なんです」
「……」
 ミルは自分の論理のおぼつかなさに内心苦笑する。けれど一子の強張って組まれた両手は徐々に下がっていく。
「もう一度いいましょう。誰かが信じている限り、私たちはクアトロプリンセスです」
 ミル。彼女にしては信じられないほど感情がこもった言葉だった。
「ああそうです。例え中古を激安で買ったファンとしてもね」
 え?と口がかたどってしまう一子。軽口を挟んだ本人。サキの口はにししと笑っていた。
「というわけです。由衣ちゃんは私たちが救います」
 最後の言葉はアリセが紡いだ。マコ、ミル、サキ、アリセ、四人の眼差しは一丸となっている。
 一子はうろたえながらも、とうとう「ありがとうございます」と頭を下げた。
 へへと笑ったサキはミルの背中に声を掛けた。
「いやいやあ、それにしてもミル。随分とお前らしくない熱いことを言うねえ。聞いててめっちゃ恥ずかしくなったぜ」
 サキはここぞとばかりに彼女を思いっきり馬鹿にしてみせる。
「奇遇だな……」
 平らな口調が飛んだ。
「……私もすごく恥ずかしい」
 振り返ったミル。そういえばいつも真っ白で透きとおっていたはずの彼女の耳が真ピンクに染まっていた。彼女の眼差しは真っ直ぐ向けられると、サキは嬉しくてまた笑った。
 彼女たちの宣言を待っていたかのように、それが終わると由衣の身体がピカピカと発光しはじめた。神々しい光。四人の姿は光に包まれ、病室から消えた。
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