第12話

文字数 3,674文字

七章 供述

 息子の行斗は警察署で取り調べを受けていた。
「あの日……金曜日です。友達と出かけていて夜帰ってきたら、家に入ったとたん、変な臭いがしました」
 記憶がよみがえるのか、行斗は顔をしかめた。
「リビングに入ると、母さんがいて、何かをライターで焼いていました。何してるの? と聞くと、僕が帰っていたことに気付かなかったようで、ビクッと体を震わせて驚いていました。見ると、母さんが焼いてたのは、人の手でした。指です。ライターであぶっていました」
 行斗はうっすらと目の縁を赤くし、涙ぐんでいた。十年間一緒に過ごした人を失った悲しみと同時に、これ以上何も隠さなくて良いんだという安心感なのかもしれない、と鈴木は思った。
「びっくりしただろう」
 鈴木が静かに聞く。
「びっくりしました。何が起こっているのかわからなくて。その手は、毛布の下から伸びていて、そこに誰かが寝かされているのがわかりました。それが、父さん……藤田さんだと母さんが言いました。毛布の、顔の部分は、真っ赤に染まっていました。僕が近寄ろうとすると母さんが『見ないであげて』って、泣きながら……『お母さんも見ていないから』って。何があったのって聞きました。だって、あの人は、藤田さんは、僕たちの神様みたいな人だったんですから」

「神様?」
 岩山田が喜美子に聞く。
「はい。あの人は、神様でした。私たち親子にとって、救いの神だったんです」
 行斗と別の部屋で、喜美子が取り調べを受けていた。
「十年前まで、私と行斗は地獄にいました。主人の、克之の暴力のせいです。毎日毎日、私と行斗は、働かないあの人に殴られ蹴られ、地獄のような日々でした。近所の方にも迷惑をかけるし、もうすぐ八王子に引っ越すことが決まっていましたから、新しい土地でも同じことの繰り返しかと思うと、いっそ行斗と二人で……なんて思いつめることもありました」
「そんなとき、藤田に出会った」
「はい……あれは、本当に偶然でした。いつものように、主人から暴力を受けていました。私が殴られていました。行斗はトイレに隠して、鍵をかけさせていました。そのとき、突然玄関が開いて、男が入ってきたんです。『かくまってくれ!』と大きな声を出して」
「それが藤田だった」
「はい。『強盗に失敗した、少しでいいからかくまってくれ』なんて大きな声を出して。そんなこと主人が許すわけありません。私を殴っている場面を見られてカッとなった主人が、家に入ってきた男に、藤田さんに殴りかかったんです。藤田さん、当時は華奢でしたし、主人は怒っているときはまわりが見えなくなる人でしたから。お酒も飲んでいましたし、藤田さんが包丁を持っていることも、気付かなかったんでしょうね」
「そこで藤田が刺してしまった」
「はい。もみ合っているうちに、主人の胸に包丁が刺さりました」

「僕は、実はあまり覚えていないんです」
 行斗はうつむきながら話した。
「十年前、あの人がうちに突然おしかけてきて、実の父を殺してしまった。そう聞いています。僕はトイレに隠れていたし、母さんが『もう出ておいで、この人が行斗の新しいお父さんよ』って言って紹介したのが、今の父さんです。でも、このへんは、記憶が曖昧で、はっきりしません。刺されて倒れている実の父の記憶も、あるような気がします。でも、これは想像なのかもしれません」
「覚えていることを正直に話してくれればそれでいいよ。八歳の記憶で、そこから十年も経っているんだ。今は間違えているかもしれないとか、あまり気にしないで、思い出すままを話してくれればいいよ」
 鈴木は優しく伝えた。この青年は何という十字架を背負って生きてきたんだろう、と苦しい気持ちになった。

「主人の、克之のことを刺してしまったあの人は、パニックになって、急いで警察に行くと言いました。それを止めたのは、私です」
 喜美子は静かに話した。
「コンビニ強盗は、何日も食べるお金がなく、しかたなく短絡的にやったそうです。でも、度胸も力もなく、結局何も盗れず、店員に怪我をさせてしまった、と悔やんで頭を抱えていました。性根は悪い人じゃない。すぐにそう思いました。さきほども言いましたが、私たちは、地獄にいました。主人さえいなければ。そんなことを考えたこともありました。それが実現した。私は、自分でも恐ろしい速さで、成り代わりの計画を思いつきました。主人を殺してくれたお礼をしたかった。たぶん、そんな気持ちだったんだと思います。藤田さんの本名は、ずっと知らないままでした。間違って呼んでしまわないためです。『もうあなたは林克行よ、林克行として生きていくのよ』そう言い聞かせて、急いで洗面所で血に汚れた手を洗わせ、主人の服を渡して、着替えてもらいました。そのあとに、主人の死体を車につんで、八王子の今の家に向かって、庭に埋めました。オービスに撮影されたのは、そのときです」
 淡々と語る喜美子を見て、岩山田は、こんな大きな秘密を抱えて生きるというのはどんな苦労なのだろうかと想像した。しかし、本物の克之が生きていた頃と比較したら、些細な秘密に過ぎなかったのかもしれない。正体を隠して、克之に成り代わって生きる性根の優しい藤田と息子、三人の平和で静かな日々。そのまま続いていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
「何もかも、うまくいっていると思いました。当時、主人は、仕事もしていませんでしたし、親戚からは縁を切られていたのでバレる心配はありません。死体は、掘り起こさない限り見つからない。強盗犯はもういない。林克行は生きていることになっている。これでいいと思っていました。でも、あの日、金曜日です。久しぶりに友人と会っていて、帰ってきたら、藤田さんがリビングで倒れていました。二十時頃だったと思います。慌てて駆け寄ると、もう冷たくなっていました。亡くなっていたんです。私は、何をするのがベストなのか、考えました。今思うと恐ろしい発想ですが、あのときは、一番良い手段だと思ったんです」
「藤田の遺体を損壊し、遺棄した」
「はい。あの人は、私たちにとっては神様でした。救急車を呼んだり、警察に連絡したりすることになったら、あの人が林克行ではないとバレてしまいます。つまり、あの人が強盗犯であり、克之を殺した殺人犯だということも、バレてしまいます。あの人の顔が万が一世の中に公表されることになったら、八王子の近所の人たちや職場に、『あの人、知っている』とバレてしまいます。何もかも隠し通すには、藤田さんの身元を隠して、死体を捨てて、林克行の捜索願を出すことがベストだと思いました。行斗は何もしていません。全て私が決めて、私がやったことです。私は、私たちを救ってくれて、十年間一緒に暮らしたあの人の顔を、毛布の上から庭にあったコンクリートブロックで、何度も何度も……つぶしました」
 ふっと目に涙を浮かべる喜美子。毛布をかけて顔をつぶしたから、遺体の衣服があまり汚れていなかったのか。岩山田は最初に抱いた遺体への違和感が、晴れていく感じがした。手口は残忍なのに憎しみを感じない、不思議できれいな遺体。
「指紋まで焼いたのはどうして?」
 岩山田は聞いた。これはずっと疑問に思っていたことだ。
「八王子の自宅には、あの人の指紋がたくさん残っています。いくらきれいに掃除したとしても、十年間住んだ家です。どこに指紋が残っているか、わかりませんから……」
 岩山田はきれいに整頓された清潔な林家の居間を思い出した。そして、涙を浮かべて淡々と語る喜美子を少し薄気味悪い気持ちで眺めた。嘘を言っている気はしない。ここにきて嘘を言う必要もないだろう。
「それから川に捨てた?」
「はい。捜索願いを出すタイミングで庭を掘り起こしていたら完全に怪しいと思ったので、どこか遠くに捨てるのが良いと思いました。車で川の近くまで降りられる場所は、行斗が小さいときに遊んでいた横浜の河原しか記憶にありませんでした。幸い、記憶と変わらず車で川べりまで降りることができました。毛布でくるんだままの死体を、行斗と一緒に運んで、川に捨てました。本当は一人で全部やりたかったんです。でも、行斗が帰ってきてしまって……それに、一人じゃ重くて運べませんでした」
 喜美子に聞いた河原は、防犯カメラも水位計測カメラも設置されていない場所だった。喜美子は、行斗を犯罪に加担させたことを悔やんでいるように見えた。母親として、それは当然の感情であろう、と岩山田は思った。
 そして、喜美子は最後のひと押し、偽装工作のために、スマートフォンからメッセージを送ったという。

 八王子の自宅は別の捜査員が調べている。隅まで調べれば、藤田が生活していた証拠や、居間が死体損壊現場である証拠が出るだろう。喜美子の車を調べれば、死体を運んだ証拠も出るはずだ。自供に矛盾もなく、これで事件は片付くだろう。

 それにしても……と岩山田は思う。やっていることは残忍なくせに判断が冷静で、不気味な女だな、と。


つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み