第9話 人魚と蟷螂

文字数 2,284文字

人魚と蟷螂
しかしいくら一文路直也の私物を取りに行くためとはいえ何故俺は女子の家に向かっているのだろうか。そして麝香は何故俺が女嫌いだとわかったうえで俺の代わりに取りに行くなどせず付き添いとして来ているのだろう。そもそも何故御門さんは翌日一文路の私物を持ってくるという選択を取らなかったのだろう。もっと根本的な話として何故一文路直也の白衣が御門さんの家にあるのだろうか。だがそんな疑問は彼女の家に着いた瞬間吹き飛んだ。
「こ、ここは…」
「ここが私の家だ」
「いや、ここって生態研究科本部の…」
「…そっか、青条は知らないよね。御門の父親は生態研究科本部のトップだよ」
「えっ!?」
「ここは資料室兼研究者寮兼御門家だ。一文路直也もここを出入りしていた」
「なるほど…だから私物があるのか…」
「さあ、中へ。一文路の白衣は瑞希さんの部屋にある」
「瑞希さん…?」
「アオスジ、お前…瑞希さんを知らないのか?…これだから一般人は…」
御門さんの言う一般人の基準がよくわからないがとりあえず馬鹿にされているのは確かである。それにしても建物の中も家というよりは施設である。
「杉谷瑞希さんは高校2年生にして本部の研究員に選抜された史上最高レベルの超エリートだ。専門とするのは魚類の研究だが工学も得意で様々な機械を発明している」
「そんなすごい人が…」
「ほら、ここが瑞希さんの部屋だ。待ってろ、一文路の白衣を取ってくる」
「あ、待って。この手袋をして」
「手袋…?何故?」
「一文路以外のにおいが付着するとまずいんだ」
「…?まあいい。とりあえずこれを着ければいいんだな」
とりあえず一文路直也の私物を得ることはできた。白衣なら彼のにおいが残っているかもしれないので都合がいい。しかし、いくら御門さんの親がここのお偉いさんだとして勝手に人の部屋に立ち入ってもいいのだろうか。
「杉谷先輩の部屋、そのままなのか…」
「そのまま…?麝香、どういうこと?」
「確か杉谷先輩は去年亡くなった…」
「えっ!?すごい人だったのに…!?」
「死体は見つかってないけど最後の目撃情報が海岸であることから海に飛び込んで自殺した説が有力らしいよ。まだまだこれからって時期だったのにねぇ」
「おい、持ってきたぞ。ほら、これが一文路の白衣だ」
「あ、ありがとう。…ねえ、御門さん。ひとついいかな」
「…なんだ」
「御門さんはその、杉谷先輩のことを尊敬していたの?」
「…もちろんだ。お前にはわからないほどな」

「一文路先輩の白衣だ。これなら多少においが残っているのではないか?」
俺が一文路の白衣を持っていくと組織の奴らは目を輝かせた。
「よくやった!これなら…!」
「青条、お前意外と使えるな」
「さすが長崎会長の親友だ!」
一文路直也の白衣を持ってきた、たったそれだけのことだったがすぐに人に囲まれた。一文路直也に一歩近付いただけで彼らには大きな喜びなのだろう。だが俺も一文路直也という人間に会ってみたいとは思う。
「いやあ、青条も直也さんの復活を楽しみにしているんだな!お前、静かだからわかんないんだよ!」
「は、はは…。そうだね…」
…わからないのはこっちの方だ。長崎に裏があるようには見えない。彼は純粋に一文路直也を尊敬し、応援しているようにしか見えない。誰かを慕うことは悪いことではないはずだ。だとしたらおかしいのは長崎たちではなく俺の方なのだろうか…。

「…そんなわけないだろ」
「…そ、そうでしょうか…?」
「スパイのお前が流されてどうする。確かに長崎に悪意はないのかもしれない。だからといって一文路直也のやったことを許すのは違うのではないか?」
「そ、そうですよね…」
「それにしても何故杉谷瑞希の部屋に一文路の白衣があったのだろうか…」
「さ、さあ…。俺にはさっぱり…」
確かに一文路直也と杉谷瑞希は仲が良かった。だが寄生虫の騒ぎ以降杉谷瑞希はほとんど人に会おうとしなかったようだった。それはもちろん親友の一文路直也も例外ではなかった。杉谷の部屋が当時のままであったのは御門という少女が関係するのだろうが何故彼女は杉谷の部屋をそのままにしておいたのだろうか。そもそも何故杉谷はあの時海に身を投げたのだろうか…。
「せ、先輩…?」
「ああ、お前の話を踏まえて色々考えていただけだ」
「そうですか…。その…俺はずっと1人で閉じこもっていたからあの寄生虫騒ぎで何があったか全然わからないし…そんな俺が深く干渉していいものなんでしょうか…」
「知らなくたっていいんだよ。お前は一文路や長崎が間違っていると思うから行動しているんだろ。ならそれでいいじゃないか。…まあ外に出て現実を見ろと言ったのは俺だが」
「…あなたがそう言うなら…」
また俺は偉そうにものを語ってしまったようだ。だが今回の場合、ただ一文路直也が騒ぎを起こしただけでは済まされない。様々な裏事情が存在しているように思える。果たして青条は事の真相にたどり着くことが出来るのだろうか。そしてそれに耐えうる強さを持っているのだろうか…。

まさか青条が直也さんを見つけるための重大な手がかりを見つけてくるとは。俺の計画に対して消極的だと思われたがここに来て展開が変わってきた。
「長崎、一文路先輩の居場所がわかりそうだ」
「本当か!?…ああ、ついに…ついに俺はあの人と会えるのか…!ふふ、ふふふ、ふははははははっ!」
「なんという狂人の顔。憧れの人に会える喜びってこんなんだっけか」
「ああ、そうだよ。そういうもんさ。俺はあの人にお会いするのが死ぬほど待ち遠しかった!狂おしいほど嬉しいに決まっている!」
「…こいつは…なかなかの狂人だ…」
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登場人物紹介

青条真琴

科学者の国理研特区に住む少年。平凡でコミュ障、気が弱い。突如現れた人間の理性を奪う人工寄生虫に生活をめちゃくちゃにされ1年間引きこもっていたが、外に出て戦う決意をする。

御門智華

青条とは別行動で寄生虫と戦う少女。冷徹で感情がなく機械のような人物だが幼馴染の杉谷瑞希のことを崇拝しており彼を死に追いやった全てに復讐するために動く。

白城千

『千年放浪記』シリーズの主人公である不老不死の旅人。人間嫌いの皮肉屋だがなんだかんだで旅先の人に手を貸している。

杉谷瑞希

科学者の国理研特区の高校生。学生ながら本部の研究者たちと研究をするエリートだったが突如自殺した。

一文路直也

瑞希の唯一の親友。大財閥の御曹司だが自身はむしろ普通の人として生きたいと思っている。寄生虫を作り出した張本人だが罪悪感と責任から逃れるため失踪した。

長崎司

青条の友人。社交的で正義感溢れる人物だと言われており、尊敬する一文路直也を復活させるために動いている。組織や革命が好きな厨二病。

麝香憲嗣

青条の友人。不気味で掴みどころのない人物。かつて水難事故で最愛の妹を亡くしてからキメラを生み出すマッドマックスになった。情報通で表に出ていない研究にも詳しい。

Hornisse=Zacharias

ヴァッフェル王国から留学してきた王子。振る舞いは紳士的だが、どうやらただの留学目的で訪れたわけではないようで…?

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