第18話 ゆっくりと

文字数 2,419文字

「うーっ。寒っ!」
「さむーっ!」

 絶好の棚板手入れ日和……ではないが、取り敢えずは晴れている。
 棚板は四十センチ四方ほどで、厚みは一センチ。かなり重いが、倒したり落とせば割れてしまう。丁寧な扱いが必要だった。

 外に持ち出し、張り付いた釉薬をグラインダーで削りとる。アルミナの粉が風に舞うと、トーマが慌ててホースから水を流した。
 今回は五枚で済んだ。きれいになったところで室内に撤収する。
 次は、アルミナの粉を水で溶き、刷毛で塗る。フラットに。丁寧に。乾いてしまえば、完了である。

 次は再生土だ。
 カラカラに乾いた土の削りカス。それをバケツに入れて、多めに水を入れる。
 そのまま翌日まで放置。今度は大きな素焼きの鉢に布を敷き、泥になった土を流し入れ、練れる硬さになるまで更に放置する。網で濾す場合もあるが、今回はなし。
 冬なので凍らせないようにするのが重要だ。凍ってしまえば、再生土の最初の段階からやり直しとなる。

 布越しに土を触って、少し硬いと思うくらいで荒練りをする。表面は乾燥して硬いが、中身はまだ柔らかいのだ。水分が均等になるまで土練りを続ける。
 本日は、その荒練り作業である。

「これさあ、ベトベトだと大変だし、硬すぎるとまた大変だし。こまめにやった方がいいよ。一気にやろうとすると、めっちゃ疲れるからさ」
「たしかにー! めっちゃ、きついっ!」

 バケツ一杯分。そこそこの量である。
 先生は土練機(どれんき)を導入していない。全て自分の手でやるのだ。再生土は、授業や夜の陶芸教室で使っている。

 練りあがると厚手のビニールで包み、発泡スチロールの箱に入れて、凍らない場所で保管する。
 今はまだ、ふかふかのスフレのような土だが、四か月もすると粘りが復活して使えるようになるのだ。
 粘性を高めるのはバクテリアだ。可塑性(かそせい)を高め、成形しやすくする。高温で焼成するので、もちろん全て燃え尽きてなくなる。
 陶芸で使うタオルは、わりとすぐに穴が開いてしまう。あれも土にいるバクテリアが原因だ。綿のタオルは美味しいらしい。

 約二十キロの土練りを終えると、二人は、ふううと息をついた。ひと仕事である。

「一周できたかなあ、これで」

 工房をぐるりと見まわしながら、トーマが呟く。
 細かい部分はまだまだあった。湿台(シッタ)も、石膏型も、トンボも。作陶のための道具から自分で作るのだ。

「大まかなところはね。陶芸って、ロクロ回してるイメージが強いだろうけどさ」
「だねえ。それ以外がこんなにあるんだ」

 それ以外のほうが大事かもなと、ナツキは思った。見えない部分。表にはあらわれてこない部分が。
 ひとつの作品に到達するまでに、その数十倍は実験と失敗をする。多くの手間をかけ、思考を巡らせ、最善策を導き出す。
 簡単に出来てしまうものなら、ナツキはすぐに飽きてしまっていただろう。

 これから二周めに入るトーマに、ナツキがひとつ提案をした。

「トーマ。陶印、作らないか?」
「とういん?」
「ハンコ。トーマの名前のハンコだよ。作品に押すやつ。手描きで入れてもいいけど、ハンコもカッコイイよ」
「すごーい。作れるの?」
「もちろん」

 ナツキが割れてしまった石膏型の欠片を取り出して来た。廃材利用である。

「ここに針で彫りこむんだ。1センチ角くらいに収まるといいかな。印鑑のイメージでさ。ローマ字でも英語でも、漢字でもいいよ。オリジナルマークもいいな」
「うっわ! 迷うじゃん」

 スケッチブックを前にトーマはしばらく考え込んでいたが、枠つきでローマ字の名前を彫り込んだ。後は、陶土をその部分に押し付ければ、反転した文字が浮かび上がる。持ちやすいように土で柄をつけて完了。
 他の作品同様に素焼きをして、透明釉をかけて本焼きすれば出来上がりである。

 今日はかなり頑張った。
 ふひぃと二人がソファーに座り込むと、すかさずノーラが寄って来る。

「休憩! お茶にしよっ。おやつは、チーズフォンデュなっ!」
「なにそれ! めっちゃ、豪華っ!」
「具材は、フランスパンと、ソーセージと、茹でたジャガイモしかないけど?」
「それって、おやつじゃなーい!」
「わははっ!」

 窯はもう冷ましの時間帯に入っていた。まだまだ高温である。
 表示されている温度をちらりと確認してから、ナツキはキッチンに入った。

 ◇

 ナツキの作品の窯出し日。炉内温度は50℃を切っている。
 しかし、窯の扉を僅かに開けると、途端に中からキン! と鋭い貫入音がした。
 その音に叱られたような気がして、ナツキは慌てて閉め直す。

 ──ゆっくりと。ゆっくりと。時間をかけて変わっていく。
 たくさんの層は、時と共に変化するのだ。レイヤーの層のように。
 今は冬。室内の温度は低い。20℃は確実に切っている。窯のなかは50℃弱。

「どうしたの?」
「もしかするとだけど」
「うん」

 ──キン! と警告のように鳴る貫入音。
 いつの間にか変化したレイヤーのように。外に置かれたバケツの水にように。
 ゆっくりと。ゆっくりと。結晶を集めて層が重なる。

「これ、徐冷しなきゃいけないのかもしれない」
「じょれい?」
「そう。この釉薬って結晶釉だろ? 練らしや冷ましの時間を引き延ばして、とにかくゆっくり冷ますんだ。その間に結晶が成長する。失敗の原因は、釉薬の厚みや焼成温度だけじゃなかったんだ。冷ましだったんだよ!」

 冷ましもまた焼成の一部なのだ。この釉薬もまた、トーマの使った釉薬のように、専用のプログラムが必要なのかもしれない。
 最高温度に達した後の、練らしの時間を延長する。そして徐冷する。
 タイトなスケジュールで作ろうとしたこと自体が間違いだったのだ。

 ゆっくりと、ゆっくりと。
 レイヤーの器なのだ。時間をかけて『待つ』ことが必要なのかもしれない。

「やべえ。焦りすぎた。室温になってから窯出しする」

 まだ電源は切っていない。窯の温度は表示されていた。現在48℃。
 窯出しは、明日に持ち越しとなった。

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