第7話 レイヤー聴きの博士

文字数 3,093文字

 台風開けの月曜日は、午後からカラーテストが実施された。
 学園の生徒が一斉に、各教室にある大型ディスプレイに映し出された色を当てていく。先生がトーマにやった方法の細かいやつである。
 生徒ひとりひとりが机の上にタブレットを置いている。色当てクイズのように、次々タップしていくだけ。百項目あったが、結果はすぐに出た。

 ──全ての生徒がレイヤー持ちである。

 つまりは、個人的な事情ではなく、地域的なものだというのだ。
 学園の生徒は地震の起きた都市と、その周辺地域が出身の者ばかりだった。

 初老の男性は、学長に『レイヤー聴きの博士』と紹介された。
 これまで、あまり問題視されてこなかったレイヤーの研究を、昔からずっとしているらしい。
 最後に博士は、こう断言した。

「もうすぐ、この地域のレイヤーは無くなります。発生する場所が、世界中を移動しているからです」

 学園中がその発言にざわめいたのは、言うまでもない。

 ◇

 あたりが薄暗くなってから、先生がようやく工房に戻ってきた。
 ナツキはトーマと二人で展示室にいたが、ドアを開けた先生と共に入ってきたのは、あの博士である。

「焼き物が好きなんです。お邪魔しますよ」

 柔和な笑みを見せた博士は、展示室の棚にズラリと並ぶランプシェードを、興味深げに眺めている。
 先生が室内の明かりを消すと、ランプに入れた電球を一斉に灯した。
 博士もだが、初めて見たトーマも声を上げる。

 部屋中に広がる光。黄昏色の光が壁にも天井にも眩いほど散らばっている。
 光のシャワーに浮かび上がる展示室は、まるで異空間だった。

「これだとライブ会場だね。さすがに眠れないな」

 先生の言葉にみんなで笑ったが、二十点近くのランプの光は壮観だった。
 個展では暗室も作るのだ。うつわだけの展示会とは少しばかり趣向が異なる。
 部屋の照明を再びつけた先生が、お茶を淹れにいった。
 博士が、ナツキたちの向かいに腰を下ろす。

「君たちは陶芸教室の生徒かい?」
「はい。俺は早瀬夏樹(はやせなつき)。先生の甥で高校三年です。彼は長峰冬馬(ながみねとうま)。中学一年生です」
「早瀬くんと長峰くん」

 何かを思い出したように、博士が鞄からノートパソコンを取り出した。

「ああ。レイヤーの層が厚かった生徒だ。色の変化の他に何かなかったかい?」
「つい先日まで、飼い猫が大きく見えてました。元に戻りましたけど」
「なるほど。ペットや縫いぐるみが大きく見える子供が、たまにいるんだ。世界中で共通してるよ。そうだ。見せたいものがある」

 博士が何かのソフトを立ち上げた。
 ディスプレイを向けられた二人は、顔を見合わせる。
 画面には丸い球体が浮かんでいた。地球だ。
 オーストラリア大陸を出発点に、まるで龍が巻き付いて登っていくように、螺旋を描きながら光の帯が何周も回っている。
 海上の部分は途切れているが、帯は赤道を超え、北半球に入り、もうアラスカに差し掛かっていた。

「これがレイヤーの発生場所。三十年くらい前に、まずオーストラリアで見つかって、どんどん北上していったんだ。十五年前に日本に上陸したんだよ。今はもう、オーストラリアにレイヤー持ちはいない。日本で通り道になったのは、この地域だけだ」
「これって、いったい何なんですか?」
「分からない。っていうのが正直なところだ。学者としては、言いたくない言葉だけどね」

 解明出来ないまま終息に向かう不思議な現象。
 博士は、自分に出来るのはレイヤー持ちが現存する間にデータを集めることだけだと話した。将来にまた同じ現象が起こった時のために。

「世界中で調査されてるんですか?」
「そう。発生時期の古い場所からね。もうアラスカまで行ったから、今はデータの精度を上げるために追加調査をしてるんだ。私もそろそろ引退の時期だしね」

 先生が四種類の抹茶碗をトレイにのせて戻ってきた。
 これまでの会話は聞こえていたらしい。スッとディスプレイを覗いてから、テーブルに茶碗を並べた。添えられたのは干菓子である。

「せっかくなので、お抹茶にしてみました。お好きな茶碗でどうぞ」

 どの茶碗も味わいのある手び練りの作品である。
 大きく釉薬がうねって割れた、かいらぎ釉のもの。白地に弁柄で草花が大胆に描かれたもの。四角く形を変えた織部風。氷片が層になった氷裂貫入(ひょうれつかんにゅう)

「これはまた。迷いますねえ。どれもいい」

 全ての茶碗を見ると、博士は織部茶碗を手にした。
 ナツキはかいらぎを。トーマは氷裂。先生が絵付けの茶碗。
 作法は横におく。干菓子を口にして、茶碗も回さずにズズっと苦味のきいた茶を飲み干す。
 茶碗の底に現れた氷片の層にトーマが見入っていた。
 普通の釉薬に出来る貫入とは、まるで別物である。
 薄い氷を積み重ねたように、黒土に半透明の白い釉薬が乗っているのだ。

「綺麗……」

 トーマの呟きに、先生がにっこりと微笑んだ。

「氷裂貫入釉っていうんだ。目の細かい土に、とても分厚く釉薬をかける必要がある。最初はずいぶんと手こずったよ。でも、一度この貫入を見てしまうと、また作りたくなってしまうんだ」

 興味深げにしている博士にトーマが茶碗を手渡す。うつわの底に重なる氷の層。何層もある薄い氷片は、真冬の湖を思わせる。

「まるで、レイヤーの層ですな」

 博士の言葉に、ナツキが疑問に思っていたことを向けた。

「博士はさっき、俺とトーマのレイヤーが厚いって言ってましたけど、それってどういう意味なんですか?」

「そうだねえ。レイヤー持ちは、基本三段階で分類してるんだ。少しだけ色が薄く見える人、更に薄い人、色以外の変化がある人。ここの生徒は全員レイヤー持ちだったけど、段階はそれぞれだった。ただ、わざわざ言うことではないからね。それによって偏見が生まれるのは、私の望むことではない。いずれにせよ、もうすぐ消える。その後に問題を残すわけにはいかないからね」

 深く頷くナツキに、博士は目を細めた。

「君は陶芸家を目指すのかい?」
「はい。卒業したら、陶芸学校に行きます」
「その頃には、レイヤーは取れているかもしれないね。大きさの変化が消えたなら、後は速い。そういう実例をたくさん見て来たからね」

 それから博士は先生に礼を言うと、ランプシェードと先ほどの織部茶碗を買い上げて、意気揚々と工房を後にした。今夜は学長の家に泊まるらしい。陶芸談義が続くのは間違いないだろう。

 博士を見送り工房に戻った先生が、球体のランプシェードを棚から持ち上げると、テーブルに置いた。部屋の照明を消し、灯りをともす。

「あっ!」
「さっきのと同じだ」

 球体に螺旋を描いて巻きつく光の粒。大小に開けられた穴から漏れ出る、琥珀色の灯り。まさに、地球を取り巻くレイヤーの帯である。

「わりとオーソドックスなデザインだけどね。さっきの映像と似てたから、ちょっと驚いてしまったよ」
「先生。先生は、レイヤーってなんだと思います?」

 トーマの質問に、そうだなあとしばらく考えた先生は、こう応じた。

「世の中には、分からないことの方がよほど多いってことかな。学校で色々学んで、ネットで知識を拾って、みんな分かったような気になってるけどね。陶芸だってそうだ。どんなに手を尽くしても、窯から出てくるまで分からない。それが当たり前なんだ」

「はい」

「私はなるべく、『絶対』って言葉を使わないようにしてるんだよ。どんなことも変化する。時代によって価値観は変わる。作陶手順だって、みんな違う。自分の芯は必要だよ。ただそれは、自分のなかだけでいいと思う」

 不思議なことは世の中に溢れている。レイヤーもまた、そのひとつに過ぎないのだと先生は締めくくった。

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